第36話 幕間:決戦準備・アースガルズ
アースガルズ帝国の黄金宮殿――グラズヘイムでは、早朝からアレクサンドリアンの怒号が飛び交っていた。
「どうした!? まだニヴルヘイムは陥落しないのか!?」
「は、はい! 将兵の証言によれば、送り込んだ一個連隊は壊滅。一〇〇〇の軍勢が散り散りになったとのことです。これらのことから、連絡が途絶えた特務隊も含めてニヴルヘイム側に蹴散らされたものと思い……」
「だから、現状を伝えるだけなら馬鹿でもできる! 余はその先を聞いているのだ!」
「わ、私にそんなことを言われましてもォ!」
アレクサンドリアンの前に立つのは、ブリミル・グリンブル、デロア・ユグドラシル、フィン・アウズンの三人を含めた重鎮たち。加えて皇帝の傍らには、宰相であるアンブローン・フェイが控えている。
だが小心者のブリミルですら、皇帝相手にどこか投げやりになっている通り、彼らを取り巻く雰囲気がこれ以上ない程までに剣呑としたものであるのは明白だった。
「そもそも世界最強の我が軍勢が、あんな小国一つ攻落できぬとは何事だ!?」
「そ、それが……突出した力を持つ者が最前線に現れた結果……我が軍の牙城が突き崩され、そのまま……とのことでして……」
彼らが取り乱している原因は、単純明快。
昨日奇襲を仕掛けて無理やり開戦させた“ニヴルヘイム攻略戦”において、全く戦果を挙げることが出来ていないから。
まず大前提として、国力ではアースガルズが圧倒的に勝っている。
その上で、どんなに戦力を送り込んでも、前線を砕かれて国境まで押し戻されるなど、屈辱極まりない話だろう。
加えて、モンスターや各国からの侵攻にも気を配り、ただでさえ足りない戦力から侵攻部隊を捻出しているのだから、軍が満足な戦果を挙げられないというのは死活問題。
重鎮を二重の屈辱と苦しみが襲っている。
「何を言っている!? 聖剣の皇女とて所詮は一人! 全方位から攻め立て続ければ、いずれ無力化出来るはず……」
「聖剣の皇女だけではないのです! 我が軍の前線を崩壊させたのは……!」
「何ィ!?」
ブリミルは皇帝の御前でありながら吐き捨てるように叫ぶ。
ただ、本来ならキレ散らかすであろうアレクサンドリアンは、そんな事も忘れてしまうほどの衝撃的に襲われていた。
「銀の髪、蒼穹の紋様を幻出させる紅眼を持つ少年が戦場に現れたのです! それも見たこともない漆黒の剣を携え、我が軍の魔法を物ともせず最前線を荒らしまわっているとのことでして……」
「ぎ、銀の髪? 蒼穹紋様の瞳? まさか、そんな嘘だ……! だって奴は……」
「そ、その少年は周囲の敵軍にこう呼ばれていたそうです。ユグドラシル卿、と……」
アレクサンドリアンの脳裏に、彼にとって最上級の屈辱を与えた人物の姿が蘇る。しかし、“魔法が使えない”という彼が、軍相手に立ち回るのは不可能だという考えも拭い切れないでいる――はずだった。
「そんな、莫迦な……。ありえない、見間違いじゃなかったのか?」
雷轟く逆光の中で見た蒼穹の紋様。
銀髪の少年に気圧され、平静を失っていたアレクサンドリアンは、その光景を屈辱として胸に刻みながらも虚栄だと断じてしまった。
要は銀髪の少年に起こった異変から目を逸らし、現実逃避してしまったわけだ。
その上でヴァン・ユグドラシルが戦場に現れ、アースガルズ軍を蹴散らしたという事実。
つまりかつての雷雨の夜において、ヴァンにはあの状況をどうにかできる術があった可能性が高い。
何故なら、素の戦闘能力が短期間で爆発的に上がることは物理的にありえないからだ。
それなら、あの追放の夜の状況は、大きく変わって来る。
「余は見逃されたのか? アイリスに平穏な暮らしを続けさせる為にィ!?」
アイリスとそれに連なる者を粗雑に扱えば、頭蓋を砕きに戻って来る。
ヴァンのその言葉は負け惜しみでもなければ、アレクサンドリアンの動きを牽制するだけのものでもない。事実としてそれが可能な上で、アイリスとその家族の平穏を護るついでに、アースガルズ軍は見逃されたも同じということになってしまう。
アレクサンドリアンは、そのことを自覚してしまった。結果、あまりの屈辱に襲われ、最早臣下の前ですら怒りを隠し切れなくなっていた。
「さて、どういうことですか? ユグドラシル大将軍殿?」
「い、いや……確かに俺に子供が二人いたのは事実だが、一人はとっくの昔に死んでて、それで……」
フィンは癇癪を起こしたアレクサンドリアンを無視して、渦中の人物に声をかけるが、歯切れの悪い答えが返って来るのみ。
実際のところ、アレクサンドリアン以外の面々も、絞りだすようなブリミルの言葉に驚愕を隠し切れていない。
ユグドラシルの姓――それもデロアの関係者が敵軍の将として出張って来る。想定外どころの話ではないのだから当然だろう。
「だ、誰か、人違いじゃねぇかな!? ほら、世の中には同じ顔をしてる奴が何人かいるって聞くしさ! 名前だってきっと……」
「ユグドラシル。ヴァン・ユグドラシル……この戦域で持ち得た情報を基にして、本国で調べれば全て分かることだが?」
「うっ!?」
「無駄な議論をしている場合ではない。真実を答えてくれ」
そして、デロアは淡々とフィンに詰められたことで観念し、自らの過去の一端を語り始める。
曰く、戦場に現れた少年とユグドラシル家・長男の姓名、身体的特徴が合致している。
曰く、ユグドラシル家の長男は、ある事件によって行方不明になっている。
曰く、ユグドラシル家の長男は、魔法が一切使えず、魔導器具の類も全く扱えない特異体質である。
「ふむ、にわかに信じ難いことであるが、今はそれどころではないか」
「そ、そうだぜ! 今はそんなこと気にしてる場合じゃ……」
「軍部を私物化してまで、行方知れずになったユリオン・ユグドラシルを必死に探している貴殿が長兄の捜索をあっさり打ち切り、今日へ至ったことに疑問を抱かなくもないがな」
「う、ぐっ!」
デロアの証言は穴だらけであったが、今は追及を取り止めて必要な情報だけを抽出する方向へとシフトする。しかしその歯切れの悪さから、一種の尋問になってしまっているのは、何とも情けない話だろう。
「ひとまず、彼が何者なのかは理解しました。ですが、魔法を無効化しながら闘っていること。敵性国家であるニヴルヘイムに身を寄せるようになったことには、理解が及びかねます」
「そ、そりゃ……」
「同様に皇帝陛下と面識がある上、陛下が彼の国外流出に関わっているということもです」
「ぐ……ッ!?」
「貴方たちはこの少年に一体何をしたのですか?」
「黙れェ!」
結果的にとはいえ、これほどの才覚となるヴァン・ユグドラシルが国外流出してしまった。挙句、皇帝と軍部を取り仕切る責任者が関わっていて、その理由を答えようとしない。
その上で、ヴァンがアースガルズに牙を剥いて大損害を与えられているなど、追及しない理由がない。剣呑な雰囲気が深みを増す。
「――皆様、論点がズレていますよ。我々に必要なのは、行動指針の選定ですから」
「アンブローン!」
フィンに諭され、開戦派の二人が意気消沈しかけた瞬間、ここまで静観を貫いていたアンブローンが口を開く。ようやく味方が現れたことでアレクサンドリアンが顔を綻ばせるのとは裏腹に、フィンとアンブローンの視線が交錯する。
「さあ、議論を続けましょう?」
アレクサンドリアンにとってみれば最良の助け舟、フィンにとってみれば流れを断ち切られる最悪なタイミングでの介入。この二人の間では見えない攻撃が行き交っていた。
「はッ! 行動指針など一つしかない! 大軍を以てニヴルヘイムに攻め入り、電撃作戦で一気に墜とす!」
「陛下!? 既にこちらの戦力は……」
そんな中、アレクサンドリアンは突如として叫び声を上げる。周囲の反応は真っ二つに分かれ、半分以上の人間が困惑、そしてもう残りは――。
「ぜひ、そうしましょう! 相手がどれだけ厄介でも、数で押せばどうにでもなる。そんでもって向こうの聖剣と貴金属をモノにすりゃあ、周辺各国に脅かされることもねぇ!」
デロアはユリオンの行方が途切れた場所へ合法的に立ち寄れる上に、自らが開戦を訴え続けて来たことからノリノリ。
「や、やるしかないですな!」
「ええ、あの程度の小国が我が国に対抗できるということは……」
「アースガルズでその戦力を抑えれば、大陸統一も出来るやもしれぬ!」
更に一人、また一人と賛同の声を上げ始める。
困窮する現状、怒り狂う皇帝――もう全てが嫌になってしまったのだろう。
何かあれば、言い出した皇帝が悪い。
皆がやっているから自分も――。
そんな同調圧力によって、思考を止めてしまったのだ。
残されたのは、未だ困惑している一部の人間。そして、冷たい笑みを浮かべるアンブローンと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるフィンだけ。
「よし、準備が出来次第、出撃! 指揮は余が執る!」
「はっ!」
アレクサンドリアンは芝居かかった動作で両腕を広げ、椅子を倒しながら立ち上がった。
「聖剣や魔眼とやらが、何だというのだ! そんな時代遅れの代物がのさばる時代を終わらせ、余が支配者となる時が来た! アンブローン、アレの用意をしろ! デロアはアイリスを呼び戻せ!」
「かしこまりました」
「御意!」
アンブローンは変わらぬ笑みを浮かべながら、デロアは得意げに声を張り上げる。
最早、開戦は避けられぬというのは、誰の目から見ても明らか。
「アレクサンドリアン皇帝陛下、万歳!」
「皇帝陛下、万歳!」
「皇帝陛下に栄光あれ!」
そして、アレクサンドリアンは高潔には程遠い歪んだ笑みを浮かべ、久々の喝采の声を浴びて悦に浸っていた。
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