第182話 交わる月光
「随分と遠い所まで来たものですね」
「ああ、天空神殿を拠点に、神話の神々を相手に大立ち回りをしようとしてるんだからな」
とある月夜、冷たい風に頬を撫でられる。
先の闘いより一ヵ月、狙われる可能性の高い魔眼保持者は“葬黎殿”から出ておらず、最早地表の光景が懐かしくすら思える。だが神殿の一室から下を見ても、黒い雪雲が漂うばかり。視界は遮られたままだった。
つい一年ほど前まで、アイリス以外の人間とまともに接することもなく、世界に居場所がなかった。アメリアの様に悲劇の主人公を気取るつもりはないが、二度も追放されたのだから疑う余地もない。
魔法も使えず、帰る場所もなく――とりあえずアイリスが無事ならいつ死んでも良いとすら思っていた。その一方で、この命を棄てるわけにもいかなかった。
当然、それは自分の命が惜しいから、というわけじゃない。
全身に降りかかった鮮血。
命が消えていく感覚。
心の奥底で燃え上がった赫怒の感情。
その全てが俺の中に刻み込まれているから。
何より、月光の下で繰り広げられた初めての闘い――ある意味、あの少女を犠牲に生き残ったようなもの。不条理に命を奪われた少女を思えば、簡単にこの命を棄てることはできなかった。だからこそ、ただ目的もなく生き続けていた。
そんな何もなかった俺が騎士と呼ばれ、神話の武器を手にしている。
忌まわしい力を御し、魔法すらも取り戻した。
今は一つになりつつある世界の中心と共に在る。
そして――。
「そうですね、滅国の聖女であった頃を思えば、随分と世界が広がったものです」
左からしな垂れかかって来るセラの重み、今はこの重みが尊いものであると感じている。
命を懸けて護らなければならない、と――。
セラもこちらの主戦力。危険は免れない。
それでも俺は――。
「今や滅亡寸前なのは、この世界その物。神々に隷属して彼らに管理されるだけの存在になり果てるのか、人間が人間として生きる未来を紡げるか……。私たちはその境界線上に立っている」
蒼銀の髪が流れ、甘い香りが鼻腔を擽る。
直接顔は見えないが、いつもとは違う空気を纏っているのははっきりと分かった。
「生き残った多くの神々は未だ眠ったまま。オーディンらも目覚めた直後であり、本調子ではない。故にこちらから“神界”への進行……最後の闘いは、すぐそこに迫っています」
「セラ?」
「思えば、数奇な出逢いでした。神獣種との戦いという異常事態の中、空から同じ年の少年が降って来たのですから」
「それはお互い様だろう。国元を追われて彷徨っていたら、目の前に現れたのが大国の皇女だったんだからな」
だが決して悪くはない――いや、こんなやり取りも、どこか懐かしくすらあった。
「不思議と不安はありません。アースガルズとの戦いの前は、あれほど閉塞しきっていた。今はその時とは比べ物にならないほど絶望的な状況だというのに……」
まるで薄蒼の遺跡で言葉を交わした時の――。
「それはきっと、貴方がいるから。災厄を告げる魔眼の光は、私にとっての希望の光。私は今此処に在る世界を失いたくありません。たとえ、創造主である神が望まなくとも……」
「そうだな。創造主への叛逆……許されない行為なのだとしても、俺は戦う。そしてセラをニヴルヘイムへ返す。この力の全てを懸けてお前の剣となると誓ったんだからな」
出逢ってから、約一年。
目まぐるしく駆け抜ける日々の中、本当に様々なことがあった。
小さく歪だった世界は、全ての人々を巻き込むまでに広がった。それが良かったのか、悪かったのか――選択の答えは、この戦いの結果で示される。
「ええ、あの日のことは、一瞬たりとも忘れたことはありません」
そんなやり取りの最中、突如視界がセラの顔で埋め尽くされ、互いの唇が重なった。だが今回は紅の雫が滴り落ちることはない。
ゆっくりと頬を染めたセラが離れていくのみ。
「貴方と交わした災厄と血の盟約……それは終わることのない呪い。ニヴルヘイムに帰るのは、私だけではない」
月夜に照らされながら、セラが微笑む。
艶のある蒼銀の髪が風に揺れ、その身体が月光で縁取られる。どこか幻想的な光景に思わず目を奪われざるを得ない。だがセラの瞳は潤んで揺れていた。
「何があっても共に帰ると約束してください。私に誓って……刻みつけてください。でなければ、私は……」
聖剣を従える皇帝――誰もがセラをそんな風に扱い、俺も知らず知らずのうちに忘れてしまっていたこと。
それは額を俺の胸に預けて倒れ込んで来るセラが、どこの誰とも変わらないただの少女でしかないのだということ――。
「……難しい注文だが、何とかしてみるさ。俺の力はセラの為にある。そう誓ったことは今も変わらない」
これまでに類を見ない最悪の状況。
世界を覆う混沌も真実が分かっただけであり、消え去ったわけじゃない。
それでも戦う。
そんな決意を胸に、月夜に照らされる影は一つとなった。
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