金の桜に向かれたいっ!!
人は願いを持つ生き物だと、俺は考えている。
届くことのない大層なものに限らない。あれが食べたいこれが欲しいなどといった、普遍でほっこりする些細なことだって、決して劣ることのない大切な思いに変わりはないはずだ。
願いの価値はそれぞれ違う。そしてその重さは誰が決めるものでもなく、己自身がそう思っていかないといけない。
そして当然、この俺──桜井薫にも当然それはある。誰に笑われても貫きたい夢ってものが存在するわけだ。
……何が言いたいのかって? つまりはこうだとも。
いつか理想の女性が目の前に、そうっ! 思わず好きだと呟いてしまうような奇跡の塊──我が心に宿る麗しの金髪美少女と仲良くなりたいとっ!! そう願っているっ!!
──だがしかし現実はあまりにも無情。
そんな人並み程度の些細な夢を抱えてから十数年。その願いの前兆は影の形もなく、すっかり健やかな生活を送っていた。
「つまりなぁ? 金髪美少女は至高ってこと、アーユーオーケー?」
「知らんがな」
いつものようにそう言うも、隣で律儀に耳を傾けてくれる我が友の反応は芳しくない。
あくびをしながら一限の準備を始める始末。まったく、朝のこいつはいつにもまして冷たいぜ。
「……金髪で分けるなら里奈ちゃんはどうなんだ? あの娘も立派な金髪なんだし、少しは興味を持ったりしないしないのかよ?」
「駄目だね。あいつは染めてるだけ、つまりは金の髪をしているだけの紛い物。だからないね」
クラスにいる人工金髪にちらっと目をずらすも、やっぱり興味が湧くことない。
大体あいつは金髪が致命的に似合ってない。多少芋くさくも地毛だった中学の頃の方が、ずっと魅力的な奴だった。
いかにこの学校が髪色自由の特異な学校といえど、あんな様な女はごめんだ。俺はもっとこう、素直な天然の金色に目を奪われたいんだ。
「……偏屈野郎め。そこだけどうにかすれば、彼女だって出来そうなものを……」
「断る。んな妥協するくらいなら一生童貞でいいやい、ふん!」
おもわず強気に言ってやった感があって俺的には満足だが、相も変わらず友人の視線は冷たいままだった。
……なんだよぉ。夢見たって良いじゃないかぁ。希望持ったって良いじゃないかぁ。
所詮は少年の淡い欲望だぞぉ。世界はもうすこし、夢見る男に優しくあっても良いじゃないか。
「……そういや噂なんだけどな。今日、朝練のときに見たことない生徒がいたっていうのを聞いたな」
「……それが何? 転校生の一人や二人、別に特別でも何でもないだろうが」
意気消沈の態度のまま、友人の絞り出した話題に答える。
……転校生ねえ。どうせ俺には炎も欠片もないことで、どっかの爽やかイケメン枠が、ピュアッピュアなラブコメでもおっ始める前振りなんだろうに。
「何でもそいつ、きんぱ──」
「──金髪? 詳しく聞こうじゃないか?」
「……お前なぁ」
朝にも関わらず萎えかけていた気分が、水を得たかのように復活する。
友はそんな現金な俺に呆れながらも、一回ため息を吐いた後、再び話を続けた。
「とは言っても、別に俺が見たわけじゃないからなぁ。たつが制服着た金髪を見かけたってことくらいしか知らないんだ」
「……りゅうって話盛るよな」
「ああ。だからお前をからかいたいだけかもしれないな」
何それ使えな。もうちょっとましな話題持ってくれる?
「おい、顔に出てんぞ」
「あらごめん。コーラ奢るから許してちょ」
拝み倒すこと若干三秒。儲かったと言わんばかりにいい顔をした友の顔によって、この戦争は終結した。
……ふう、実に高い買い物だった。平和っていう、何よりも得がたき大切なもののナ☆
「ところで一限なんだっけ? 数学?」
「今日変更だから現文だぞ。爺の方で課題あるやつ」
……え、まじ? 完全に失念してたんだけど。
すぐに見せてもらおうとしたが、それを阻むかのようにチャイムが耳を貫く。
……大丈夫。うちの担任は来るのがちょっと遅い。HRまで時間があるはず──。
「うーい。始めるぞー」
そんな願望を一気に吹き飛ばす男の声。今の俺には地獄への案内人にしか感じない、忌々しい担任の声が教室に響いた。
すぐに机の下でスマホを開き、通話アプリで後ろの友に言葉を送る。
『ヘルプ』
『昼、パン、二つ』
返ってきたのは文章は実に簡素。人の足下を見た、まさに悪魔のような取引の一言。
んにゃろぉめ。それはちょっと高すぎだろうがよぉ。んな高レート、俺が素直に頷くはずがないだろうが。
『一つで』
『乗った』
うーん早い。さてはこの交渉、最初からここまで誘導されていたな?
何となく謀られたと思いながら、後ろに手を回してノートを受け取った。
納得できないがまあ良いだろう。パンは安い奴にしよう、そう心に決めながらノートを開きペンを走らせ始める。
「というわけ、今日からうちのクラスに新しい生徒が入る。無理に仲良くしろとは言わないが、まあ邪険にはするなよー」
一応傾けていた片耳が、聞き取ったのはつい先ほどの聞いた話だ。
ふーん。りゅうの話は嘘じゃなかったのか。まあいくらあいつでも、そんなに面倒で面白くない嘘はつかないか。
それより今は宿題宿題。早いとこ片を付けて、心を穏やかに戻したいところ。
「んじゃあ入ってくれー」
「はい」
担任の声の後、凜とした返事が聞こえた。
一応どんな奴か気にはなったので、手を動かしながら、ちらりと僅かに目を擦らす。
──そしてその姿を見て、思わずペンを落としてしまう。
黒板の前に立つそいつは、俺を停止させるに十二分の姿。
覗き込む者を引き込む碧の瞳に整った容姿。──そして、太陽が糸になったかのような光の髪。
まさしく理想。思い描いていた金の髪の女神が、こんな陳腐な教室に降臨していた。
思わず腰が上がる。誘蛾灯に魅入られる虫の如く、止まることなくその人の前に動いていく。
「えっ、えーっと……?」
「惚れました!! 付き合って下さいっ!!」
人生で一番の声と共に手を伸ばす。
教室は静寂に包まれる。教師でさえも呆気にとられているのか、すぐに声を掛けることもなかった。
「……あー桜井。こいつはなあ」
「いいです先生。僕から言います」
戸惑うような担任を遮る女神の声。……ん、僕? もしかして僕っ娘?
今度はこちらが疑問に包まれていると、小気味の良い黒板を叩き擦れる音が聞こえてくる。
「顔を上げて」
「は、はい」
言われるままに顔を上げると、そこには綺麗な文字で書かれた三文字の漢字、そして美しき女神の姿。
だがおかしい。何か違和感を感じる。普通の女子とは何かが違う、一体何が──
「改めまして、僕の名前は東雲桜。見ての通り、性別は男です」
女神は手の粉を払い、小さく咳払いをした後、その口からとんでもない爆弾を投下する。
男……? おと、おと、男っ!???
「だからごめんね? 友達で良ければ、どうぞよろしくね?」
思わず見惚れる笑顔を見せながら、困ったように手を差し伸べる女神の男。
──お父様お母様、そして反抗期の妹へ。
俺が惚れた女神は竿の付いた男神でした。一体どうすれば良いでしょうか。