てやんでぇ婚約破棄(短編版)
連載版をはじめました。「てやんでぇ婚約破棄(連載版)」というタイトルです。
第一話はこちらとほぼ同じです。
「侯爵令嬢エリザベス・エードッコ、貴様との婚約を破棄する!」
学園の卒業パーティの場で突如、婚約者である王子アルフレッドにそう告げられたエリザベスは、キレた。
「てやんでぇ、そんなもんこっちから願い下げじゃあこのすっとこどっこい!」
「は?」
「あ」
続けようとした言葉を遮られエリザベスに言い返されたアルフレッド王子。何を言われたのか理解できず、思考停止した。それは王子の横に侍るメアリー・アーリーアクセスも、そして王子の側近を含む周囲のパーティ参加者も同様だった。
侯爵令嬢の口から出たとは思えない意味は分からないがなんだか下町っぽい言い回しを理解できたのはエリザベスと真実仲の良い一部の人間のみであり、ついにやってしまったかと頭を抱えている。
そのエリザベスもまた、あ、やっちまった、といった顔をしたのち、やっちまったもんはしかたがねぇと、演劇の所作のようにドレスの裾をふわりと浮かせて身を翻した。
「不愉快です。わたくしはここで失礼いたしますわ!」
打って変わって一応令嬢らしい言葉遣いに戻ったが、その内容は先ほどの続きであり、強気な姿勢を崩してはいない。ただ撤退するにも攻めの姿勢を忘れないのがエリザベスという女性であった。
勢いだけともいう。
きらきらしい高位貴族の令息、令嬢たちの視線を受けながら堂々と退場するエリザベス。
そのエリザベスに続いて幾人かが退場していく。
残された王子をはじめとする面々はしばらく呆気に取られていたが、しばらくして気を取り直し、改めて婚約破棄をメアリー・アーリーアクセスとの婚約を宣言した。
こうして王家主催の第一王子が在籍した年の卒業パーティは寒々しい空気のまま終わったのだった。
「やっちまったなあ」
「口調」
「すま……申し訳ございませんわ」
学園を堂々と脱出したエリーは馬車の中でため息をついた。
口調を指摘するのは同乗している伯爵令嬢、アリア・ハーン。代々エードッコ侯爵派閥の重鎮ハーン伯爵の娘でエリザベスの幼馴染にして親友だ。
退出するエリザベスを追いかけてきて馬車に乗り込んできたのである。
「まあでも、エリーにしては我慢した方よね」
「だろ?」
「口調」
「はい」
エリザベスはカッとなりやすい。
これは生来の性格であった。そしてそんなときに出る謎の口調もまた同様だ。
特に注目が集まる状況で暴発しやすかった。
この性格を抑えるため、入学前にアリアと共に猛特訓を行い、また在学中はなんとか表向きは押さえていたのだが。
最後の最後でやらかしてしまった。
とはいえ。
「婚約者がいるのに他の女に手を出して。王家の責務があるのに身分違いの女に入れあげて。果ては妾か側室に上げるならまだしも正室になるべき相手との婚約を破棄するなんて男、わたくしでも願い下げですわ。あんなのが次の王になるなんて、この国も終わりが近いわね」
「アリアちゃん? そのへんで?」
「失礼」
アリアもまた怒っていた。
熱しやすく冷めやすいエリザベス以上に怒っているかもしれない。
親友である幼馴染が虚仮にされたのだからあたりまえである、と本人は思っている。
だが熱しやすさは幼少から共にいたエリザベスの影響だろう。
だが怒りに任せて即座に行動に起こさないのもまた、エリザベスが衝動的に動くのでそのフォローをつづけた結果である。
それにしても、とアリアは思う。
普通に考えればあの王子は失脚だ。
あるいはエードッコ侯爵家が没落するか。
エリザベスとアルフレッドの婚約は政治的なものである。政略結婚というやつだ。個人の感情で破棄していいものではない。そこには王家の支配を保つための都合がある。
第一王子とて、王家そのものよりは価値が低いのだ。やっていいことと悪いことがある。
だが売り言葉に買い言葉でこっちから願い下げだとやった以上、すべてを王子の責任にはできないかもしれない。
婚約破棄を持ち出したのは王子。
婚約破棄の原因を作ったのも王子。
だが、裁定するのは国王で、王子があることないこと吹き込んでいれば状況はわからない。
王宮は学生の身のアリアたちにとっては雲の上の話だった。
「エリー、これからどうしますの?」
考えを巡らせながら、アリアはエリザベスに尋ねた。
結局のところ当事者はエリザベスである。
「そうですわね。まずは王都への投資を停止。劇場、浴場、屋台広場、印刷所、服飾屋も、わたくしが行けないなら要りませんから撤退させて、わたくしは領地に帰ります。屋敷もいいかしら。財貨は使用人に与えましょう。わたくしは身一つ、はさすがに懲りたので最低限領地まで戻る分だけあればいいわ」
「それはまた、思い切りましたわね」
「それだけがわたくしの取り柄ですから」
エリザベスは個人で使える財貨のほとんどを趣味に投じていた。
演劇が見たいので劇場のパトロンとなり、道が臭いので清掃会社を作り、庶民が臭いので公衆浴場をつくり、食べ歩きがしたいので屋台特区をつくり、本が読みたいので製紙工場と印刷所を作り、きれいな服が着たいので製糸からデザインまで囲い込んだ。
そのどれもが不思議と成功し、思わぬ見返りを得て増えた財産を使うためにさらに投資する、そんな繰り返しで王都におけるエリザベスの投資の魔の手は多方面に進出し、また膨れ上がって使い切れないほどになっていた。
浪費家であるエリザベスに富が集まるのは全く不思議なことである。
それをエリザベスは放棄するという。
帰路の護衛分は残すというのは以前痛い目を見たからだ。身一つで帰郷しようとしてさらわれかけたのである。その時はアリアの機転で事なきを得たのだが、ものすごく怒られた。というかアリアが怒った。
「そこまですると王家も黙っていないかもしれませんわよ?」
「そのときはやってやれですわ」
威勢がいいことを言っているが、エリザベスが荒事は大の苦手であることをアリアは知っていた。
「そんなこと言って。やるのはわたくしたちの仕事になるでしょう? しかたありませんわね」
ハーン家はエードッコ家の懐刀。騎馬民族と領を接し自身にもその血が流れている武威の家だ。
エードッコが動くならハーンが付き従い、エードッコが何者かと事を構えるならハーンもまたそのものと敵対する。それが代々の習いである。
エードッコには妙な人望があり、エードッコ派閥はそんな連中ばかり集まっていた。
もともとが別の国の王族であり、現王家とは血の交流を行うことを条件としてで臣下となっているのだ。
その契約が数百年前のことであろうとも。地と血に育まれる気質は変わらず衰えず。
端的に言って敵対するとものすごく面倒そうなままだった。
そんな結婚契約を破棄したのだからどうなるかは想像できなければならない。
となると。
「エリー、それなら追手がつく前に急ぐとしましょうか」
「追われるかしら?」
「わたくしなら追いますわ」
「べらんめえ」
「口調」
言葉の意味はよくわからないが汚い言葉を吐き捨てたのだとアリアは思ったので指摘しておいた。
王都の侯爵屋敷に戻ったエリーは財産の分与と帰領の手配を急がせた。
詳細を求められてこう言ったという。
「こまけえことはいいんだよ」