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9魂







 瞬きの間に、温度がぐっと下がる。

 しんっと静まりかえった薄暗い廊下は、身体の熱をあっという間に奪う冷たさに浸かっていた。


「……何だ? 急に、温度が」

「二課は王城の裏山にありますから、少し寒いんです」

「そうなのか……入り口は反対側だよな。これが空間魔術なのか」

「そうですね。昔はあの通路をぐるりと回って辿り着いていたんですが、二課長の功績です。現状ではとても手間がかかりますし、かなり限定的な使用しか出来ませんが、そのうち手紙が一瞬で手元に届くくらい民間でも活用出来ればと考えているようです」


 温度の変化に強張っていた王子の顔が、ふっと緩んだ。


「ああ、それはいいな。きっとみんな喜ぶ。まあ、俺には手紙を送る相手もくれる相手もいないんだがな!」

「送りましょうか? ですが現状では、王子の目の前で書いて手渡しになります」

「よし、口で言おうな」


 それもそうだ。


「そういえば、よかったのか? 欠魂のこと、内密にと言われているだろう?」

「二課ですので」


 王子は首を傾げた。その様子で、説明が足りなかったかと反省する。必要がない場面では情報過多だと言われているのに、必要な場面で情報が少ないのは頂けない。


「二課では、興味のないことは徹底して、それこそ脳の不備を疑うほど覚えませんが、興味を持った場合何が何でも解明する人種が揃っています。影がないと気付かれるや否や、徹底的に張り付かれ、検査され、影に関することもそうでないことも根掘り葉掘り掘り出されますので、さっさと情報を開示した方が被害は少なく済みます」

「酷い話だ……」


 水分の満ちた空気がしんしん冷える山の空気で、鼻の頭が痛くなる。王城の裏山は神域が近く、山も深い。王子が風邪を引いてはいけないので、廊下はさっさと進み、いくつかの閉ざされた扉の前を通り過ぎる。

 そうして一つの扉の前で歩みを止めた。何の変哲もない、鉄の扉だ。起動させた杖で二回叩く。すると、扉がぶれる。水面のように揺れる扉へ、指先を揃えた手を向けて示す。


「どうぞ、王子」

「いやお前、どうぞって……」


 そろりと伸ばされた手が揺れる波紋に触れる。そして、驚いた顔で私を振り向く。両手で押し込むような動作を見せれば、王子は覚悟を決めたのか、ごくりと喉を鳴らして一歩を踏み出した。

 扉は、何の抵抗もなく王子の身体を通す。王子が通った後、私も扉の水面を通る。踏み出した一歩が部屋の床を踏むより早く杖で床を打つ。部屋に入ってすぐの場所で立ち止まっている王子の背にぶつかってしまい、弾かれた。王子の背は、意外と固い。

 一歩よろめいた私の背は、既に鉄へ戻っている扉につく。



「椅子、椅子がない……すみません、王子。適当に箱か樽の上に座ってください」


 壁際には長椅子があるが、それだけだ。そこで眠る以外は基本的に立っているので、椅子を置いていないのだ。誰かを招く予定も皆無だった。そこに座ってもらうと、私が作業する場まで四歩以上開いてしまうので、やはり箱か樽の上が無難だ。

 動かない王子の背を押し、受動的に動き始めた王子を、とりあえず作業机の側にある箱の側まで連れていく。そこにその辺にあった上着を敷いて、座ってもらう。

 座って視線の高さが変わって尚、王子はぽかんとそれを見上げていた。




 そこには、巨大な円柱があった。

 透明な容器の中では液体が静かに揺れている。それらは部屋の壁半分を埋め尽くす。真ん中の円柱が一番巨大で、後は左右に大小も形も様々な容器の中で、色とりどりの液体が揺れていた。魔術灯も水面の揺れに混ざり合い、部屋の中はまるで水中だ。


「凄い……」


 ぽつりと、恐らくは音にするつもりのなかった言葉が零れ落ちる。その瞳は見開かれ、光る水面の揺れを写し取っていた。


「海の中みたいだ」

「海の中をご存じなのですか?」

「ああ、昔船から落とされた時に……世界が美しいと初めて思った。本当に、綺麗だったよ」


 波のように揺蕩う瞳が細まる。そのまま光を閉じ込めるのかと思ったが、心地よさそうに細められたまま閉じられることはない。世界を見続ける青緑が美しくて、つい見惚れる。

 しかし、ずっと見ているわけにもいかない。私はこの人の影を作らなければならないのだ。

 王子が退屈しないなら何よりだと思いながら、真ん中から一つ左の器の前に立つ。熟した果実のような、深い紅色の液体が入っている。私の髪と同じ色の液体が蓋の真下にまで詰まっている。その中には、黒い塊が数個揺蕩っていた。

 器に掌を這わせ、魔力を送り込む。中の液体がゆっくりと、けれど確実に揺れた。黒い塊も、ぐにゃりぐにゃりと形を変える。液体に溶け出すわけではないが、先が視認できないほど細く細かく伸び、また元の形に戻った。



「それが影か?」


 いつの間にか王子がこっちを見ていた。作業を見ていてもつまらないだろうと声をかけなかったが、それは王子が決めることだ。


「はい。元々、影に入れて使える護衛道具を作っていましたので、ちょうどよかったです」

「影に入れる護衛?」

「はい。攻撃を察知すれば自動で防衛してくれる魔道具です。これなら自分の意識外からの攻撃も反応速度が追いつかない攻撃も、眠っている際に受けた攻撃も防げます。影なら勝手についてきますので持ち運びに困ったり、着用を忘れたりもしませんし、邪魔にもならないかと」


 しかし、まだ実用段階にはない。正確には、私の管理下を離れ、完全に独立した商品として世に出す段階にはないのだ。


「……さっき」

「はい?」


 小さく呟かれた言葉を聞きそびれ、振り向く。彼の言葉を聞き逃した自分が腹立たしい。せっかく話してくれたのに。しかし、王子は何やら口籠もっている。どうやら聞きそびれたわけではなく、王子自身が言葉を切ったようだ。


「さっき、あの男……先輩だったか? の返答に、王子の為に作ったと言っていたが……それは、俺の為にか?」

「他に何が? 王子、護衛が少ないというかいないので、眠るときも熟睡できないのではと思いまして。あと、日中もお一人でふらふらしていますし。王子は剣の腕があると聞き及んではおりますが、やはり護衛は必要かと。本当はもっと早く実用段階に持ち込みたかったのですが、王子が戦場に出されると聞いてから雷雨の開発に集中していたので、他の開発が滞ってしまいました。とりあえず防御壁の新型と平行して行っていたのですが、あっちはもう終わったので今度はこっちを大急ぎで仕上げています。ただ王子は魔術が使えないので、どうしようかと。後はそこだけなんです。出来れば反撃及び攻撃も可能にしたいんです。魔術を使用できない人間でもその意思をある程度汲んで動けるようにしたくて。敵と判断した物を勝手に攻撃しても困りますし、かといって生き物にするわけにも。現段階では魔術を使用しなければ指示を出せないので、防御のみにしています。それとこれは人の気配があったら点灯するように作った魔術灯です。壊された場合は音を発するようにしましたので、王子の宮殿周りへ設置してくださると襲撃者に気付きやすいかと。それと今回の欠魂を参考にして、死にかけた場合代わりに散るような身代わりの何かを作れたらいいなと考えています。とりあえずこの影を完成させてから取りかかります。それとまだ構想段階なので開発に取りかかれてはいないのですが、毒探査機ではなく、いっそ毒無効薬のような物を作れれば、何でも食べ放題だと思うのでそれも。他にご入り用な魔道具はありますか? こんなのがあれば便利だなどお考えの物がありましたら教えてください。作ります。嫌な思いをしている場面があれば、それも。そういったものを遮断できる物を考えてみます。……王子?」


 気が付けば、王子は黙り込んでいた。それも、両手で顔を覆って項垂れている。

 説明が足りないと反省した矢先に、今度は多すぎたと反省しなければならないようだ。説明というよりはほとんど独り言になっていた口を閉ざす。

 王子の前に両膝をつき、顔を窺う。顔色を覗えるほど、顔が露出していない。段々、もしかして気分でも悪くなったのかと不安になってきた。


「王子、気分が悪いのですか?」

「いや……その……お前……」

「はい」


 何度も口を開いては閉ざしていた王子は、鷲掴みの如く顔を掴んでいた手を少しずらし、指の隙間から私を見た。


「……俺の為に作ったって、本当だったのか」

「そもそも、王子のお役に立ちたくて国軍に入隊しました。瞬間的に多量の魔力放出が必要な魔術師としての才には恵まれませんでしたが、開発であればそれなりに成果が出せるようでしたので、研究設備が整っている国軍は丁度よかったです。王子を直に拝見できたので、尚よしです。魔術師としての才に恵まれていれば、王子を直接お守りすることも可能でしたが、それは不可能でしたので、別の側面で王妃にすぐ殺されない程度の立場になるまで直接関わるつもりはありませんでした。ですが、こうなった以上、全力で関わらせて頂く所存です。よろしくお願いします王子。好きです」

「………………無表情で淡々と告白するな」

「申し訳ありません。仮面でも被りましょうか」

「笑うという発想はないのか!」

「笑ったことは恐らくこれまでの人生で一度もありませんので、如何ともしがたく」

「は?」


 顔が見えないので髪に隠れた耳を見ていた私に、途方に暮れたような、苛立っているような、そんな声が降った。金糸の隙間から見えていた赤が、すっと引き、白い肌へと戻る。王子の感情の変化が好ましいので、消えてしまうと残念だ。しかし今は、嬉しい。

 私はずっと、随分昔からずっと、この人の怒りが見たかった。だから、腹立たしさが垣間見えたなら、それがたった一言でも嬉しかった。何に対して怒りを感じたのかは分からないけれど、怒りや憤りをこの人が発するのなら、それはこの人が己の火を受け入れるということなのだから。


「お前、それはどういう……そもそも、俺はお前のことをほとんど知らない。名前は知っていたけどな。俺が興味を持って調べていると王妃に知られると殺されるから、調べなかった俺にも非があるが、その……俺のことを好きだの何だのと言うのなら、自分のことを知ってもらう努力を、多少はするべきじゃないのか?」


 成程、道理だ。

 王子は具合が悪いわけではないようなので、立ち上がり、作業に戻る。影が入っている器に魔力を送り込み、起動の調整に入った。揺れが落ちついた液体の中で黒い塊だけが揺れている。


「こういう場合、何を話せばいいのでしょう」

「普段の説明は長いのにな……どこで生まれたとか、どうやって育ってきたとか、家族関係とか……ああ、だが、お前家族はいないって言っていたな」

「そうですね。母は死亡し、父は私を憎んでおりましたので」

「――は?」

「このままでは生きられないと判断し、家を出奔し、捨て子を装って保護してもらい、孤児対象の寄付金で寄宿学校に入学し、特許を得られた辺りで早期卒業可能となったので入隊し、今に至ります」


 特に面白みもなく、何の変哲もないつまらない自己紹介だ。掘り下げる所もなく、話し終わってしまった。どうしよう。この影についての説明へ移行してもいいだろうか。


「こちらの影は、私の魔力で構成しています。魔術を使える人間なら、この核以外は使用者の魔力で作ったほうがいいですが、王子は魔術が使えませんから私の魔力で失礼します。問題点としては王子の居場所が私に分かってしまうことです。出来る限り王子の時間を邪魔するつもりはありませんが、現段階では常に行動を共にしなければなりませんし、もし距離を取れるようになっても緊急時には位置確認の使用をお許しください」

「どうして俺が動揺している間に話が切り替わっているんだ! どう考えても打ち切っていい流れじゃないだろ!」


 怒られた。話題の移行は間違っていたらしい。しかし、だからといって何を喋ればいいのだろう。困って王子を見れば、王子も困った顔をしていた。


「お前なぁ……心の傷が深くて話せないなら無理にとは言わないが」

「はあ、無傷です」

「逆になんで無傷なんだ! そして無傷なら詳細を語れ! このままだと気になりすぎて夜も眠れんぞ!」

「四歩以上離れれば眠れますが、目覚めることが出来ません」

「眠ると意識不明の違いについて述べ……いや駄目だ、お前本当に述べそうだ」


 深い溜息を吐いた王子は、片手で前髪を掻き上げ、額を丸出しにした。そして、どっかりと座り直す。


「話したくないなら話さなくていいが、無傷ならお前の成長過程の詳細を、事情を含めて話せ」

「はあ」


 特に面白みのない話だが、王子がご所望なら語るに吝かではない。ただし、つまらないとは思う。流し込む魔力と指示を乱さないよう気をつけながら、思考を纏める。


「私の出産が原因で母が死に、母を愛していたらしい父は母を殺した私を憎みました。私を絶対に、子どもとしても女としても人間としても幸せにさせないと宣言し、その通りに育てました。内外問わず遊ぶことは許されず、毎日身長より高い課題が課されました。家事が出来れば逃げ出した際に職が出来ると、家事は勿論手に職をつける一切が許されず、物心ついた頃から積み木よりペンを握っていました。初めは文字が読めず課題をこなせなかったので、毎日鞭で打たれていました。けれど次第にこなせるようになったのですが、それはそれだったようでとりあえず毎日鞭で打たれました」

「そう、か……」

「鞭はともかく、それ以外は大変性に合っておりまして」

「うん、流れがおかしくなってきたな」

「課題や勉強は恐らく父が苦手または嫌っていたのではないかと推測するのですが、私は外で同年代の子どもと遊ぶより、積み木で遊ぶより、課題を解く方が大変楽しく有意義な時間を過ごせたと思っています。家事も手に職も、出来るに越したことはないのでしょうが出来なくても死にはしないのでそれに時間を取られなくて有り難かったです。そもそも、少女が喜ぶであろう服を着せたくないと雑巾のような布を縫い合わせたかろうじて服を父が作り上げていたので、私が裁縫する意味はありませんでした。毎日重い本を大量に図書館から借りてきてくれた父には感謝しています。肩と腰の負担は大きなものだったと思います。大変ですね」

「どういうことなの」

「父は私を学校に行かせる気はなかったようですが、その辺りでようやく私が課題を大変有意義にこなしていると気付いたようで、今度は課題をさせずに働かせる方向に舵を切りました。勉強が出来なくなると暇を持て余しますし、身体が出来上がる前に開始すれば成長する前に壊れる仕事でしたので、家を出ました。犯罪で申し訳ないと思っていますが、荷馬車の後ろに忍び込み無賃乗車し、王都へ来ました。楽でした。そこで孤児の振りをして保護して頂きました。どこかの奴隷が逃げ出してきたと思って頂けたようで、すんなりでした。楽でした」

「悲惨さの中に滲み出す、隠しきれないお前らしさ」

「学校では既に学んでいたことが大半でした。魔術師になれる程度の才はあると出たので今度はそちらを集中的に学んでいたら卒業要件を満たしていたようで、早期卒業とお誘いを頂きましたので国軍へ入隊して今に至ります。ある程度成長するまで養育されていた事実に間違いはありませんでしたので、一般的にかかる費用を計算しその二倍の額を父に送りました。この時点で子としての務めと恩を果たしたものとし、縁を切りました。父は私の職も名前も知りません。楽でした。ですので家族はおりません。以上です」

「お前がお前だったことしか理解できなかったんだが」


 何故か頭を抱えてしまった王子がそれ以上喋らなくなったので、私は作業に戻った。










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