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8魂








「おはようございます」


 二課長が開発した空間魔術の恩恵で近道をした私達が突然部屋の中に現れても、誰も視線を向けない。現れたことは気付いてはいるだろう。だが、一々反応を示さないのだ。

 挨拶に、ぱらぱらと手が上がる。これが二課で最多の挨拶方法だ。気が向けば視線や声が返る。それだけだ。



「凄いな。まだ始業前なのにもう仕事を始めてるのか」

「帰っていない面子が多いだけだと思います。私も普段は研究室で寝泊まりしていますし」

「……は?」

「軍部内に与えられた部屋もありますが、部屋に帰る理由が特にありませんので。ここなら思いついたときにすぐ取りかかれて便利です。部屋は礼服など仕事で使用はするが毎度必要ではない物を置いています」

「……休みはないのか? どこか出かけたりは?」

「一日中他の仕事をせず好きな研究だけを出来るのに、何故その時間を無為にして外出しなければならないんですか」


 王子の目から光が消えたが、これは感情を抑えたというより虚ろに散っただけに思える。

 なので心配せず、荷の合間を縫って進んでいく。王子が慌てて後をついてくる。


「蜂蜜漬け」

「は? お前、何言って」


 私の言葉に、手元を見ていた人々が視線を上げた。机に突っ伏していた面子も、頬に机の痕をつけたままゆらりと頭を上げる。

 その様子にぎょっとした王子が身の置き場を探している間に、起動した杖を持ち直す。

 普段は掌よりも小さくなっている杖が、私の身長を超える大きさになる。その杖の先で床をカツンと打ち鳴らす。目の前の空間に現れた空気の固まりを階段のように上がっていく。唖然とした王子がその場から動かないので、手を伸ばす。


「王子、四歩を」

「あ、ああ、すまない」


 慌てて透明な階段を上ろうとした王子は、何度か躊躇い、そぉっと私の手に触れた。そよ風よりやんわり触れるから、手摺りの意味がない。私から強く握り、上へと引っ張り上げる。



 部屋にいる全員の視線が私と王子を頭から足まで撫でていく。そして、地上で止まる。

 目が見えないほど伸びたぼさぼさ髪をがりがりかき回した先輩が、片手を上げた。


「蜂蜜漬け?」

「はい」

「結構な大事だけど蜂蜜?」

「内々に自力解決せよとのことです」


 先輩は「あ?」と機嫌が悪そうな声を出した。しかし、何かに気付いたのか開けたままの口から空気が抜けるような声を出していく。


「……あ、あー……王子だ」

「え? あ、ほんとだ」

「捌く」

「王子じゃん」

「あー……うるさいうるさいうるさい……え? 王子? すみませんごめんなさい助けて」

「うわこのお菓子カビ生えてる」

「それはお前流石に嘘だろお前まずいだろお前王族見たの俺初めて」

「わし一回見た気がする。六二年八ヶ月十二日くらい前に」

「やっぱりここで詰まる。動物実験の限界を感じる……」

「もう人間でやれば?」

「お茶、出すべきか?」

「すげぇ。一課長が来たとき一瞥もくれずにジグソーパズルやってた奴が気を使った! 権力すげぇ! やべぇ! フラスコ爆発した!」

「あ、馬鹿お前。お前の培養に便乗して俺のもやってたのに何してくれてんだよ」

「いや君、何ちゃっかり世話させてるんだ。カッコウかい。あ、私の無事?」


 一気に騒がしくなった。これはこれでいつも通りだ。

 『知らず知らずのうちに現状を把握』されてしまったけれど、知らないので問題ない。用事は終わったので『特に意味のない』魔術階段昇降を終えて、地面に戻る。

 王子も影のない足を地面に下ろす。守りたい人の身が損なわれるのは、それがたとえ影であっても腹立たしいものだなと、寒々しく思えてしまう床を見つめる。

 私の足元に影がないのはどうでもいい。本当に心底どうでもいいが、王子の空っぽの足元は腸が煮えくりかえりそうだ。他に感情を分散させないからか、ふつふつ湧いてくる怒りを制御できる気がしない。

 王子の顔でも見て落ちつこうと顔を上げたら、王子は戸惑いをありありと浮かべていた。


「どうしましたか?」

「いや……その、腫れ物かいない物として扱われるのは慣れてるんだが、ここまで興味なさそうな扱いをされるのは初めてで、どういう感情を抱けばいいか悩んでる」

「二課にしては珍しく興味を持っています。恐らく蜂蜜案件についてですが」

「その蜂蜜案件って何なんだ」

「今から六十年ほど昔、魔石開発中に研究結果が奪われそうになった際、試作の魔石を蜂蜜の瓶に放り込んで隠した逸話から、内密または秘匿の隠語として二課では使用しています。漬けは秘匿度が高く、段階を下げれば蜂蜜かけなどになります」

「なる、ほど……?」


 魔石のおかげで、魔術の形は大きく変わった。

 それまで魔術とは魔術師がその場で発動し続けなければ、維持できない代物だったのだ。だが魔力及び魔術を保持できる魔石という存在により、事前準備や携帯が可能となった。魔術師が魔術を発動していなくても、既に用意していた魔力が魔術を維持してくれる。魔道具が使用可能となったのは、魔石の存在があるからに他ならない。


「俺に教えてよかったのか?」

「隠語といっても密偵や勘のいい者に解読されればあっさり分かる程度の物ですし、王子は私の王子ですから」

「俺が誰かに教えたらどうするんだ」

「王子、イェラ・ルリック以外に仲良しな方いらっしゃるんですか?」

「……大丈夫、大丈夫だ、俺。致命傷で済んだぞ」

「ちなみに私は誰もいません」

「重体なのは紛れもなくお前だ! あと、さっきから怖いのが一人いるんだが! これ何!?」


 青褪めた顔で私の後ろに逃げた王子を追って、一人の魔術師がぐるぐる回る。

 髪がないので髪飾りをつける場所がなく、耳飾りとしてぶら下げている男だ。


「待たれよ。けっこ失礼蜂蜜漬け蜂蜜漬け……三日月者なぞここ百年近く出ず生還者なんて何百年ぶりか私が生きている間にこのように生きのいい被検体失礼体験者が現れるなんてそれに立ち会えるなんてこんなに新鮮な素材失礼材料が手に入るなんて流石私だ日頃の行いがよすぎるやはり私という存在は世界中から褒め称えられるべきであり神にも等しい存在なのではそんな当たり前のことはともかく捌かせてくれ」

「恐怖しかないぞ!? 何これ!? やだ怖い!」


 私を中心点とし、王子と男がぐるぐる回る。背は高いがひょろ長い王子とは違い、背も体格もいい男は幅が凄い。そんな男がぶつぶつ言いながら王子を追いかけ回る度に、中心にいる私の髪が翻るほどの風が沸き起こった。


「キンディ・ゲファー。現在私達が陥っている現象についての研究者です」

「なるほどぉ。だから俺達を捌こうとしてるのねー……なんてほのぼの出来るか! ただの危険人物じゃないか! 俺はまだ死ぬわけにはいかんぞ!」

「死ぬ!?」


 キンディ・ゲファーの目がかっと見開かれた。


「こんな新鮮で稀少な素体が失われる!? 勿体ない! せめて肉体だけでも保全させてくれ! 冷凍だと解凍する度に負担がかかるから薬漬けで!」

「いやぁああああ! ありとあらゆる殺害方法試されたけど、これはちょっと初めてかな!?」


 王子の回転率が上がった。追うキンディ・ゲファーの速度も上がる。私が一歩も動かない限り、王子がキンディ・ゲファーから逃げる術は私の周りを回るしかないのだ。

 局地的な突風が起こり、私の髪が舞い上がる。



「キンディ・ゲファー、私達は生還者ではありません。私達が意識不明に陥るのは互いの距離が四歩を離れた場合のみです。影は私が何とかします。あなたに問いたいのは欠けた月を修復または回収する方法です」

「ふむ」


 ぴたりと立ち止まったキンディ・ゲファーの背に王子が激突した。鼻を押さえてよろめいた足が四歩を越えそうになり、私も二歩移動する。やっと話を聞く体勢に入ったキンディ・ゲファーに、私達がたてた仮説をざっと説明した。


「けっこ失礼三日月状態とはこれ即ち肉の塊を生命となしえる楔が解けた状態と仮定する。三日月を受けた生還者は極端に少ないが、その誰もが一週間以内に目覚めている。彼らの証言は重ならない点および不明な点も多くまた正確性を確かめようもない。けれど共通しているのは、誰もが夢、通常睡眠時に見る夢とは違うが今はこう定義する、誰もが夢の中で己の魂と思われる物を手にしている。彼、または彼女らが証言した場所は様々だった。森の中、川辺、町中、図書館の中、海の底という証言もあった。それらの中には共通して黒い影が蠢き、彼らを追い回したそうだ。それらは人型に近かったと言われている」

「……夢というよりは、ここではないどこかという意味ですか」

「肉体を伴っては到達できない地、と定義していいものかは分からぬが。現段階では確かめようがない。一つ分かるのは、魂とは物質ではない。これらを修復及び回収するのであれば、同じ領域にこちらの意識が移動する必要がある。そもそも三日月状態に陥った人間の意識が失われるのは、魂へ引っ張られているのではないかと私は考えている。意識とは魂と同じく目には見えず物質化されていない存在であるが、それら二つを定着させる肉体を動かすのに必要な存在だ。恐らくは魂の方が比重が大きいのだろう。故に、意識は魂の元へと引きずり込まれる。肉体への比重が大きくなれば、引き寄せることも可能だろうと考えていたが、お前達のように完全に意識がある状態でも魂を引き寄せることが叶っていないのならば、やはり直接出向いて回収してくるよりあるまい。失敗したら一人は剥製、一人は薬漬けにさせてください」


 最後だけやけに丁寧に、ゆっくり静かに告げられた。鼻を押さえて蹲っていた王子ががばりと顔を上げる。


「お前達はやたら話が長いな! そして締めが酷い!」

「キンディ・ゲファー、ありがとうございます。私が死んだ場合は標本だろうが剥製だろうがお好きにどうぞ。王子は駄目です」


 意識不明に陥ることに意味がある可能性があるのなら、試さない理由がない。その為には影を用意しなければ。


「では、今晩にでも試します」

「俺の意見は……?」


 悲しげな王子の声に答えるより早く、先輩がぼさぼさ髪の向こうで笑っていることに気が付いた。にぃっと笑った口元から見える鋭い八重歯は、まるで吸血鬼のようだ。この先輩の機嫌がいいときは、大体私怨が挟まっている。


「影使う気だろ」

「勿論」

「はは、あいつらざまぁみろ。その新作魔道具を一番に使うのは自分達だって張り切ってたのによ。お前の魔道具は話題になるからな。それこそ女のドレスみたいに、流行の最先端ってな」


 昔は一課にいた先輩が二課に来るまでに色々あったらしい。何があったかは知らない。聞いていない。恐らく。聞いたけれど覚えていない可能性もあるが、そんなの日常茶飯事な二課では誰も気にしない。


「元々王子の護身になればと作った物を王子に使用するだけなので順当かと。では」


 頭を下げ、王子の背を押して机の列を回り込む。キンディ・ゲファーが思考の海に沈み込んでいる内に、最大限距離を取る道を使って奥へと進む。

 その先へ進む前に一度世界が白く点滅した。それはほんの一瞬のことで、この部屋に訪れたときと同じ感覚があった。










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