異母妹との出会い 2
その後、四人でお茶を楽しんだが、リリアセレナの夫のユリフォスは、旧家の次期当主というよりはどこか学者肌をしていて、持っている知識量が半端ではなかった。
聞くところによると、騎士の叙任を受けて二年後にガランティアの王立修学院に留学し、六年間、数術と農学を学んだらしい。
そのため土壌や育種についての造詣が深く、イエルは大いに感興をそそられたようだ。
夢中になってユリフォスと意見を交わし合い、余りにも盛り上がる夫二人に、マリアージェとリリアセレナはこっそりと笑いを噛み殺す事となった。
夜になると、マリアージェ達はリリアセレナの義父母となるアンテルノ卿夫妻に紹介された。
ロベルト・アンテルノ卿はところどころに白髪が混じる六十間近の貴族で、すっきりとした目元や細面の顔立ちがユリフォスとよく似ている。
年を重ねたせいか、それとも元々生まれ持ったものなのか、思わず背を正したくなるような威風に溢れていて、けれど妻であるヴィヴィア夫人を見る時だけはその厳めしさが霧散した。
両親は傍で見ていて胸やけがするほど仲がいいんですとリリアセレナが話していたが、まさにそんな感じである。
アンテルノ卿ロベルトがヴィヴィア夫人を見る眼差しは蜜のようにとろりと甘く、どこの新婚夫婦だとマリアージェは思わず突っ込みたくなった。
確かにヴィヴィア夫人は美しい。
ご夫君よりも三つ年下だと伺っているが、清楚な気品を放つ色白美人で、ほっそりとしたうなじには淡い色香が感じられた。
決して言葉数は多くないのだが、場にいるだけで心が癒されるような、そんな独特な存在感を放っていた。
そしてマリアージェがこの日一番驚いたのが、この夫妻に対するリリアセレナの距離感だった。
気安く甘えたり、唇を尖らせて拗ねたりする様子はまるで本当の親子である。
知らずに紹介されていたら、実子であるユリフォスの方が娘婿だと思っていた事だろう。
その事がどうしても不思議で堪らなかったマリアージェは、晩餐が終わってリリアセレナと二人きりとなった時、その事を聞いてみた。
ソファーにゆったりと座したリリアセレナの膝の上には小さな猫が丸まっていた。
白地にオレンジと黒の二色が斑模様で入った三毛猫で、顔まで斑なのが何とも愛らしい。
その飼い猫の喉辺りを優しくくすぐってやりながら、リリアセレナは楽しそうに説明した。
「わたくしは七つでこちらに嫁いできましたけれど、夫のユリフォスは当時ガランティアに留学中でしたの。
わたくしに会うために三日間だけ帰ってきましたけれど、すぐに修学院に戻ってしまい、六年後に帰国するまでアンテルノの父母と三人で暮らしていたのですわ」
「そうだったのですね」
嫁いできたばかりの妻を置き去りにして、夫が六年も他国に留学するなどあり得ない話だが、すでに成人した大人の男性に七つの子どもを嫁がせる時点で、この婚姻は十分歪である。
七つの子にとって必要なのは夫ではなく親代わりとなれる者で、そうした意味からすれば、別居婚も悪くなかったのかもしれないとマリアージェは心に呟いた。
「ユリフォスが母ヴィヴィアの実の子ではないとご存じでいらっしゃいますか?」
不意に柔らかな声で尋ねられ、物思いに浸っていたマリアージェは慌てて顔を上げる。
「ええ。こちらに伺う前に、伯母のアルンスト卿夫人に話を聞いて参りましたの。
何でも、伯母の甥の奥方の義姉君が、アンテルノ卿の妹君の義理の妹に当たられるらしく……」
系図を頭の中で辿りながら、できるだけすっきりと説明すると、
「ああ、その話はわたくしも聞いた事がありますわ」
リリアセレナは楽しそうな笑い声を立てた。
「一応わたくし達は、別の意味でも親戚であったという事ですわね。
それで話は元に戻りますけれど、父には三人子どもがいて、正妻である母が産んだ女の子がアンテルノ家の正当な跡取りでしたの。
けれど病で儚くなってしまい、夫のユリフォスが家を継ぐようになったのですわ。
……当時、母は最愛の子どもを亡くして心を壊しかけていて、そんな時にこの家に迎え入れられたのがわたくしでしたの。
母には愛情をかける相手が必要で、わたくしは親の愛情を必要としておりました。
だから余計に絆が強くなってしまったのかもしれませんわね」
「そうでしたの」
マリアージェは母と無理やり引き離され、一人スラン公国の地を踏んだ時の心細さを思い出した。
母を恋い慕って泣く幼い自分の傍に夫イエルがいてくれたように、リリアセレナの心にはアンテルノの母君が寄り添ってくれたのだ。
「そう言えばアンシェーゼの皇后陛下から里帰りの誘いが来ましたけれど、リリア様の母君は今も離宮に暮らしておいでなのですか?」
そう尋ねたのに特段の意味合いはなかった。
帰郷に合わせて母との再会を勧めてくれた皇后の配慮を思い出し、リリアセレナはどうなのだろうと思っただけであったのだが、尋ねられたリリアセレナはやや表情を強張らせた。
「多分今も、離宮に暮らしていると思いますわ。けれど会うつもりはありません」
「そうなのですか?」
「わたくしの母は、アンテルノ家の母だけです。
もし皇宮に帰ったとしても離宮に足を運ぶ事はないでしょう」
何と返答してよいものか言葉に詰まるマリアージェに、リリアセレナは小さな吐息を零した。
「マリ姉様のお母君は、姉様を愛して下さいましたか?」
「ええ」
「わたくしの母は違いましたの。
わたくしが女の子に生まれついたせいで何もかも失ったと、わたくしを憎んでおりました」
「え」
マリアージェは今度こそ言葉を失った。
「ほら、アンシェーゼでは、身分が卑しくとも皇子を生みさえすれば、側妃になれましたでしょう?
けれど母が産んだのは、役に立たない皇女……。
お前のせいで人生を狂わされたと、わたくしは母から何度となく責め立てられました」
「そんな……」
「さすがに傷が残れば問題になりますから、そこら辺の加減をしながら母にはよく顔を打たれましたわ。
食事の時も、少しでもマナーに外れた事をすると、しつけと称して食事を抜かれるんです。
ひもじくてひもじくて、庭園に生えている草をこっそり食べてお腹を壊した事もありましたのよ」
リリアセレナは淡々とした口調でそう語り、ほうっと一つ吐息をついた。
「後は、言葉による暴力でしょうか。
どうしようもなく駄目な子どもだと毎日のように罵られ、自分には価値がないと思い込むようになりました。
母を嫌えればよかったのですけれど、あの当時、わたくし自身に関心を寄せてくれたのは母しかおりませんでしたの。
だからどんな暴力を受けても、あの頃のわたくしは決して母を嫌えませんでした」
思わず唇を噛み締めるマリアージェに、リリアセレナは優しく微笑んだ。
「この婚姻のお陰でわたくしは救われたんです。
あの頃のわたくしは、暴力を振るわれまいと必死に人の顔色ばかり窺っておりましたの。
自分は駄目な人間だと思い込まされていて、自分に関わってこようとする人間すべてが怖かった。
それを救ってくれたのがこちらのアンテルノの両親なのです」
「アンテルノ卿夫妻は優しくしてくれましたか?」
「ええ」とリリアセレナは微笑んだ。
「ようやく心を開くようになってからも、わたくしは二人の愛情を確かめたくてひどい我儘を繰り返しました。
よく見捨てられなかったものだと思う程ですわ」
「あの……、ユリフォス様はこの事をご存じなのでしょうか?」
躊躇いながらそう尋ねたマリアージェに、リリアセレナは小さく頷いた。
「今は知っています。
そんなにつらかった時期に、自分だけ好きな数術を楽しんでいてすまなかったと謝られましたもの。
でも、ユリフォス様がいなくて正解だったのですわ。
両親の愛情を確かめるのに必死だった頃に夫のユリフォス様までいらしたら、事が余計に拗れていたでしょう」
感想や活動報告へのコメントをいただき、本当にありがとうございました。とても嬉しかったです。およそ六年ぶりに会ったユリフォスとリリアセレナの恋物語も楽しんでいただけますように。