型破り元皇女の里帰り18 ~思い出を胸に~
「アレク帝がヴィア妃を皇后に迎えていなければと……と先ほどおっしゃいましたわね。
それはヴィア皇后をお迎えになって、アレク帝の考え方が変わられたからという事でしょうか」
リリアセレナが柔らかな声で尋ね、
「ええ。以前の陛下は、異母弟妹達に全く関心がなかったそうです。
それが変わったのは、ヴィア妃を側妃に迎えられてからだと聞いておりますわ。
ヴィア妃が可愛がっておられたセルティス殿下を気にかけられるようになり、末妹であるマイラ殿下の事も慈しまれるようになったと……」
「そう言えば、ロマリス殿下が皇族に復帰されたのも、ヴィア皇后が起点でしたわね」
マリアージェがそう呟けば、
「ええ。穴に……。ああ、いえ。これは国家機密でしたわ」
事情を知っているらしいマイラがいたずらっぽく人差し指を口に当て、場にさざめくような笑いが広がった。
「帰国してからも、両陛下には本当に良くしていただきましたの。
その上、申し分ない縁もいただいて、子を授かる事もできました。
身に余る幸せだと思っておりますわ」
「……ラダス卿はセディア様を大事にして下さいますか?」
幸せだと答えたセディアにマリアージェが改めてそう問いかけたのは、初めて迎賓宮に入った日に夫イエルと交わした会話がずっと気にかかっていたためだ。
家族の晩餐の席で、お二人は確かに仲睦まじそうだった。
けれどラダス卿は生粋の貴族であり、本心はともかく、あの場で表情を取り繕うなど容易い事だ。
本当にセディアが妻として満ち足りた生活を送っているのか、マリアージェはどうしてもそこが心配だったのだ。
一方、問われたセディアは思わぬ質問に一瞬瞠目した。
それから花が綻ぶようにふわりと笑んで、「はい」としっかりと頷いた。
「マリ姉様。心配は要りませんわ」
そう言葉を挟むのは、おませなマイラである。
「お二人の結婚が決まる前から、ラダス卿の恋心はバレバレでしたのですって。
単なる騎士道精神なのか、それとも女性として心惹かれているのか、ヴィア姉様は最初迷ったようですけれど、話を聞く内にラダス卿にとってセディア様はなくてはならない方だと確信されたそうです。
だからすぐ、二人の結婚を考えて下さるよう皇帝陛下にお願いしたと聞きました」
「あらまあ」
思わぬ恋のこぼれ話に、マリアージェとリリアセレナは目を輝かせた。
「ラダス卿と一緒にシーズに赴いたのはセルティス兄様ですけれど、兄様曰く、どんな時も大人の余裕を崩さないラダス卿が、セディア様を前にした時だけは少年のようなお顔をなさるのですって。
恋をすると男はあんなに間抜け……いえ、隙だらけになるんだと、兄様が呆れ半分にわたくしに教えて下さいました」
「マイラ様……」
思わぬ暴露に、セディアが恥ずかしそうに頬を染める。
どうやらセディアは、きちんとご夫君に愛されているようだ。
ようやく憂いの晴れたマリアージェは、この事を早く夫にも教えてあげたいわと思わず口元を綻ばせた。
そんな風に姉妹でサロンデートを楽しんだ四人だが、その話には続きがあった。
マイラからフランベのパフォーマンスの素晴らしさを散々自慢された皇后ヴィアが、自分も見てみたいと言い始めたのである。
仄かな色気を漂わせた美しい皇后から愛らしくおねだりされたアレク帝はすっかり鼻の下を伸ばし、恋する男ってどうしてこう隙だらけの顔になるのかしらと、マリアージェはこっそりと心に呟く事となった。
マリアージェの見たところ、兄帝は美しい皇后にぞっこんである。
家族の前だからまだいいけれど、臣下の前では少し表情を取り繕うべきではないかしらと、兄のために余計な心配をしてしまったマリアージェだった。
その後、妹夫妻を歓待するために盛大な狩りが催され、ラダス卿夫妻からはトリノ座という歌劇場の仮面舞踏会に招待され、アンシェーゼでの日々は慌ただしく過ぎて行った。
イエルとは皇后陛下お勧めの滝のあるサロンも楽しみ、どれも忘れ難い思い出となったが、一番心に残ったのは、アンシェーゼに着いて五日目に出かけた人生初めてのお忍びだった。
あの日の事は一生忘れられないだろう。
マリアージェ達は午餐の後に皇后宮に招かれ、数種類あった衣装の中からそれぞれに気に入ったものを選んで、身に着けた。
商家の若奥様風に髪を結い上げてくれたのは侍女達だが、化粧については皇后自らが施して下さった。
マリアージェはきつめの目をちょっと垂れ目にしてもらったし、セディアは反対にやや派手目な顔に変えてもらっていた。
リリアセレナは眉を太く描き、そばかすも散らしてもらって大満足である。
一番人相が変わるようにしてもらったのは近々皇弟妃となる予定のシアで、きりっとした気の強そうな美女風に化粧をしてもらった後、「髪色も変えた方がいいでしょうね」と皇后ヴィアが用意したのは、鮮やかな金髪のカツラだった。
「ほら。これで別人のようだわ」
満足げに言ったヴィアに、にっこりと笑んでお礼を言ったシアであったが、次の瞬間、何かに気付いたようにあっと小さな声を上げた。
「あの……、もしかしてセルティス殿下も変装のためにカツラを被られるなんて事はあったのでしょうか」
「勿論あるわ。皇弟が金髪に琥珀の瞳をしている事は有名だし、人目につきたくない時はカツラで変装する事もあるでしょうね」
それを聞いたシアは、ああ……とか、ううっという訳の分からない呻き声を上げて頭を抱え込んだ。
「わたくしったら、何という誤解を……」
「どうしたの、シア。何かあって?」
問い掛けるヴィアに、
「……ゲだと信じ込んでいました」
シアは蚊の泣くような声で答えた。
「え」
聞き取れずにヴィアが首を傾げると、シアはちょっぴり涙目で皇后を見上げた。
「ハゲになったからカツラを被っていらしたのだと、今まで信じ込んでいました」
「ハゲ? まあ、将来的にはそうなる可能性も否定はできないけれど」
弟が聞いたら涙目になりそうな事を、ヴィアはのほほんと呟いた。
もしそうなったらマイラ様が喜ぶかもしれないとマリアージェはこっそりと心の中で呟いた。
どうやらマイラ様は『ハゲ=包容力のある優しい大人』と思い込んでいるようで、ハゲに対する好感度が半端ない。
あれほど愛らしく聡明で心映えのよい皇女殿下が随分特殊なご趣味をしていらっしゃるなあと、マリアージェは大いに驚いたものだ。
まあ、マリアージェだって、セルティス殿下から「マリ姉様の理想の男性の顔ってイエル殿?」と真顔で聞かれたから、同じような事を思われているのかもしれない。
「そう言えばシアは、カツラ姿のセルティスと窮児院で会っているものね」
とヴィアは頷き、
「でも普通に、変装のためだとは思わなかった?」
「わたくしが思いついたのではなく、そう説明されたんです」
シアは両手を握り合わせて必死に言い募った。
「殿下の傍におられたケイン様が、カツラはハゲ隠しのためだって」
ケインと言うのは、シアの義兄に当たるケイン・リュセ・カルセウスの事だろうなとマリアージェは思った。
セルティス殿下の側近で、一番の友人でもあるらしい。
「ほんのかわいい円形ハゲだと説明され、すっかり信じ込んでしまいました」
面目なさそうにシアが項垂れ、マリアージェは込み上げてくる笑いを何とか飲み下した。
マリアージェは、目が覚めるように美しい弟皇子の面差しを脳裏に思い浮かべる。
皇族としての気品に溢れ、聡明で口が立ち、その分どこか酷薄な印象を与える皇弟セルティス。
セルティスが眼差しを向けただけで恥じらいに頬を赤く染める令嬢を何人も目にしてきたが、最愛の女性から密かに円形ハゲ認定をされていたなんて思ってもいなかった。
まあ、見た目云々よりもその心映えや人となりを婚約者に愛されているという証拠だから、セルティスにとってはあながち不幸とも言い切れぬだろう。
九泊十日の滞在を終えて、マリアージェ達は皇宮を後にした。
大勢の家族の見送りを受けて宮殿を出発し、途中、母の住まうダンフォード商会に少しだけ寄ってもらった。
予め訪問を伝えていたため、一家はダンフォード家から大いに歓待され、マリアージェは初めて年の離れた弟達や妹と会う事ができた。
広々とした応接の間に通されて、子ども達も交えて賑やかで楽しい時間を過ごし、帰り際にはダンフォード家から、アンシェーゼの子守唄が奏でられる象嵌細工の小さなオルゴールを贈られた。
それとは別に、旅のお供に……と缶に入ったクッキーが手渡され、どうやらセルデフィアが自ら焼いてくれたものらしい。
帰国する馬車の中で缶を開けてみると、赤い実が混ざった焼き菓子が入っていて、離宮で母が教えてくれたゴジベリー入りのクッキーだとわかった。
「この味で間違いない?」
問われたマリアージェは、口の中でクッキーを味わいながら「ええ」と頷いた。
母と一緒にわくわくと竈の中を覗き込んだ、当時の記憶が蘇る。
焦げた甘い匂いと、手に乗せたクッキーの熱さ、そして、ゴジベリーの優しい甘さとさっくりと口の中で解けていくクッキーの食感。
傍らでは母が優しく笑っており、溢れんばかりの愛情に包まれ、小さなマリアージェはただただ幸せだった。
「この味でしたわ」
涙が溢れそうになり、マリアージェは目をしばたたきながら小さく笑んだ。
「ずっと食べたかった……。
もう一度この味を口にできるなんて思ってもいませんでした」
その後スランに戻ってからも、マリアージェは度々、故国で過ごした夢のような日々を幾度となく思い起こす事になった。
皇家の家族から温かく迎えられ、笑い合い、様々な思い出を分かち合った。
それまでどこかよそよそしかったアンシェーゼの宮殿は、家族の息遣いが聞こえる大切な場所となった。
この先二度と故国に足を踏み入れる事がなくても、かの宮殿は一生マリアージェの故郷であり続けるだろう。
居間のソファーに座すマリアージェの傍らでは、母からもらったオルゴールが澄んだ音色を響かせている。
水のせせらぎにも似た心地良さと、透徹な音色だけが持ち得る安らぎにも似た温もりに包まれて、マリアージェは静かに離宮の思い出を追う。
幼いマリアージェを寝かしつけてくれた母の優しい子守唄を、マリアージェは小さく口ずさんだ。
柔らかな旋律は開け放たれた窓から外へ向かい、母の残り香を纏わせて空へと消えていった。
長い間お付き合い下さり、ありがとうございました。里帰りのお話はこれでおしまいとなります。
描き切れていないエピソードも多いのですが、皇家の話に比重が大きくなりすぎると母との再会が霞んでしまうので、このような終わり方にさせていただきました。
またどこか、別のお話でお会いできますように。