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型破り元皇女の里帰り15 ~懐かしい離宮へ~


 子ども達と存分に遊んだ後、セルデフィアは迎賓宮の別の部屋に案内された。

 マリアージェとしてはっぴて話したい気分ではあったが、今日一日はいろんな事があって、母も疲れているだろう。

 夜はゆっくり休ませてあげたかった。


「今日はこちらでゆっくり休んでね。

 明日は子ども達と一緒にちょっとしたピクニックに出かけましょう。

 朝食が済んだ頃に誘いに来ますわ」



 その言葉通り、翌日は朝食が終わった頃にマリアージェは一家でセルデフィアの部屋を訪れた。

 迎賓館のエントランスには二台の馬車が待っていて、一台目の馬車にはイエルが子ども達と一緒に乗り、セルデフィアはマリアージェと同じ馬車に乗るようになる。


「一体どこに行くつもりなの?」

 セルデフィアに尋ねられたマリアージェは唇の前で両手の指の先を合わせ、「秘密」といたずらっぽく笑った。


 程なくして馬車は止まり、馬車から降り立ったセルデフィアは、どこか覚えのある広々とした宮殿の佇まいに呆然とその場に立ち竦んだ。


「マリアージェ、ここって……」

 喘ぐように呟いたセルデフィアに、マリアージェもまた今にも泣き出しそうな顔で微笑んだ。


「わたくし達の住んでいた離宮よ。十九年前、まさにこの場所で母様と引き離されたわ……」

 潤んだ目をごまかすように、マリアージェは二、三度小さく目をしばたたいた。


 あの日、離宮正面に大きな馬車が横付けされて、大勢の使用人がスランに旅立つマリアージェを見送りに出ていた。

 多分、顔見知りの料理人や下働きの女達もその場にいた筈だが、彼らの事は覚えていない。

 マリアージェは母だけを一心に見つめていたからだ。


「今でもよく覚えている。

 憎らしい離宮長が、早くご出立なさって下さいとわたくしを急かしていたわ。

 一生懸命強がって平気な振りをしていたけれど、本当は胸が潰れそうなほど悲しかった。

 最後に母様の首にかじりついたら、母様が幸せになりなさいと声を掛けて下さったの」


「……あの時の事は忘れられないわ」

 セルデフィアは泣き出すのを堪えようと唇をきつく引く結んだ。


「もうこれで本当にお別れなのだと思うと、胸が引き裂かれそうだった。

 まだ小さな貴女を手放したくなかったけれど、私にはどうしようもできなくて……。

 せめて貴女が幸せになれるようにと願いを込めてそう言ったら、貴女は思いがけない言葉を私に返してきたわ。

 ……母様はマリアージェの事を忘れていいよって」


 溢れ出た涙をセルデフィアは指の腹でそっとぬぐった。


「一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 けれど貴女は、自分が嫁いだ後の私の事を案じてくれていたのね。

 まさか皇帝陛下に貴女が呼び出された時、私の事を頼んでくれていただなんて思ってもいなかったわ」


「母様には幸せになって欲しかったの。

 だって母様には、もっと明るい場所が似合うから」


 そう言って泣き笑うマリアージェの両手をセルデフィアはしっかりと握り締めた。


「貴女のお陰で私は広い世界に旅立つ事ができたわ。

 今こうして自由な世界で笑っていられるのも、すべて貴女のお陰よ。

 マリアージェ、本当にありがとう」


 そんな風に二人がしみじみと当時の事を語り合っていれば、一足先に離宮に到着していた子ども達が待ち切れない様子でマリアージェ達に手を振ってきた。


「母様、何をしているの? 早く、早く!」


 はしゃぐ子ども達の傍らにはイエルがいて、離宮長らしい四十半ばの男性から挨拶を受けている。

 その顔に覚えはなく、どうやら離宮長は代替わりしたようだとマリアージェは思った。


「行きましょうか」


 マリアージェは母が掴まりやすいように軽く肘を曲げ、セルデフィアはマリアージェの肘に手を添える形で、ゆっくりと玄関前のアプローチ階段を上った。


 エントランスホールは吹き抜けとなっていて、高窓から採光が上手に取り入れられている。

 マリアージェがここを通ったのは、父皇帝に呼ばれた時といよいよここを出ていくようになった時だけだ。

 美しいホールだったと記憶していたが、改めて眺め渡すと本宮ほどの華美さはなかった。


 床は白と黒を組み合わせた格子柄で、石柱や壁、天井などはアイボリーを基調としている。

 天井からは瀟洒なシャンデリアが吊り下がっていたが、天井画などはなく、上部が半ドーム型となったへきがんには大理石でできた美しい彫刻が飾られていた。

 煌びやかさはない代わりに、すっきりと落ち着いた空間にまとめられていた。


「こちらにはまだ誰か住まわれているのかしら」

 ふと気になってマリアージェが尋ねると、「お一人おられます」と離宮長は言葉少なに答えを返してきた。


 真ん中の妹セディアの母は早くに亡くなったと聞いているから、こちらに住んでいるのは、すぐ下の妹リリアセレナの母君だろう。

 母に虐待されて育ったと告白してきたリリアセレナの言葉を思い出し、マリアージェは僅かに表情を曇らせた。


 父帝から見放され、離宮に追いやられていた当時の自分達は、与えられた一角から外に出る事は許されていなかった。

 別に罪を犯した訳ではないのだから、本来ならばある程度の自由が許されて然るべきだったが、そこに皇后への忖度そんたくが働いた。


 皇后は自分の面子を潰した愛妾どもがみじめな境遇に置かれる事を望み、鼻薬を嗅がされた離宮長は愛妾とその子どもらを離宮に閉じ込め、完全な籠の鳥とした。


 だからマリアージェは生まれてずっと、外の世界を知らずに生きていた。


 それでもまだ、マリアージェの傍らには母がいた。

 全力で幼い我が子を守り、あらん限りの愛情を注いでくれた母のお陰で、マリアージェは一切の寂しさを覚える事なく暮らしていけたが、リリアセレナにはその母さえいなかったのだ。 


 逃げ場のない空間で、唯一の庇護者である母親から理不尽な暴力を与えられ、幼いリリアセレナはどれほど辛かった事だろう。


 今回、皇后の招きを受けて帰国はしたが、実母に会うつもりはないとリリアセレナは言っていた。

 受けた暴力を思い出したくもないし、今更謝罪が欲しいとも思わない。

 会えば、恨みや憎しみが募るばかりだから会わない方がいいのだと……。


 同じように皇帝の気まぐれで人生を歪められても、生き様はかように違うのだと、マリアージェはしみじみと傍らに立つ母の顔を仰いだ。


「どうしたの?」

 不思議そうに首を傾げてくるセルデフィアに、何でもないとマリアージェは小さく笑う。


「母様の娘に生まれて本当に良かったと思っただけ」


 胸に淀む痛みを吞み込んでそう伝えれば、

「それは光栄ね」 

 何も知らぬセルデフィアは花が綻ぶような美しい笑みを向けてくれた。



 この離宮は一見、一つの大きな宮殿のように見えるが、実際は縦割りされた連棟式住宅となっている。

 マリアージェ達は東の角の一区画を与えられていて、広々とした一、二階部分と、南側を切り取る形で造られた小庭園を居住空間としていた。


「皇后陛下より、昔のお住まいにお通しするよう申しつけられております」

 離宮長はうやうやしく頭を下げ、マリアージェ一家を共用の歩廊へと導いた。


 各居室に繋がる歩廊は床材がブラウンの大理石となっていて、壁や天井はエントランスホールと同じアイボリーで統一されていた。

 等間隔に作られた窓は床まで届く長細いもので、窓枠は床に合わせたブラウンだ。

 窓越しに庭園の緑が見え、温もりのある風情となっていた。


「調度類などは一切変えておらず、定期的に掃除と風通しだけをしておりました。

 どうぞ、存分にお寛ぎ下さい」


 離宮長に案内された扉の前で、マリアージェは一瞬息を呑んだ。


 開かれた扉の向こうに広がる光景に覚えがあった。

 生まれてから七年間、ずっと過ごしてきた場所だった。揺蕩たゆたう時の流れの向こうに、幼い自分の姿が浮かんでは消える。


 懐かしさに胸が引き絞られ、我知らず母の手をぎゅっと握り締めれば、セルデフィアもまた荒ぶる感情を堪えかねたように、マリアージェの手をきつく握り返してきた。


 歩廊で立ち竦む二人の横を、何も知らぬ子ども達が歓声を上げながら駆け抜けて行く。

「うわあ、大きな部屋だ」

「奥に階段もある!」


 はしゃいだ声を上げる子ども達に、イエルが笑いながら声を掛けた。

「皆で探検してきてごらん。二階建てになっていて、先には庭もある筈だ」


 子ども達は「宝探しだ!」とはしゃぎながらてんでに部屋に散っていき、イエルがゆったりとした足取りでその後を追っていった。

 どうやらマリアージェをセルデフィアと二人きりにしてくれるつもりのようだ。


 傍で控えていた離宮長が、改めてマリアージェの方に向き直る。

「こちらは人払いしておりますが、何かあれば呼び鈴でお呼び下さい。場所はわかりますでしょうか」

「ええ」


 子どもの頃住んでいた宮殿だから、呼び鈴がある場所は朧に覚えている。

 使用人が控えている地下とワイヤーで繋がっていて、呼び鈴を引けばすぐに侍女が来てくれる筈だ。


「では、わたくしはこれで」

 離宮長は一礼して下がっていき、場にはマリアージェとセルデフィアだけが残された。


「じゃあ、母様。一緒に部屋を回ってみましょうか」

 目尻の涙を軽く払って母を誘えば、セルデフィアも目をしばたたかせながら「そうね」と頷いた。


「懐かしいわ。もう一度この場所に戻ってくるなんて思いもしなかったもの」

 歴史を感じさせるどこか寒々としたホールを、二人はゆっくりと見渡していく。


「この大きな振り子時計には覚えがあるわ」

 右手側の壁にかけられた木製の厳めしい古時計を見て、マリアージェはしみじみと呟いた。

「休む事なく時を刻んでいて、何だか生きているようで怖かった」


「そう言えばずっとこの時計を怖がっていたわね」

 セルデフィアがくすりと笑い、

「今見ても、確かにちょっと不気味な感じよね。

 丁寧に手入れはされているけれど、皇家の重そうな歴史が垣間見えて体がぞわっとするもの」


「この時計の前で皇家の血を引く人間が殺されたに違いないわ。

 ほら、枠部分に散ったこのポツポツとした黒い染み、血飛沫ちしぶきに見えない?」


「うわ、そこまで言う?」

 セルデフィアは小さく噴き出した。


「絶対、この時計は訳アリよ」

 マリアージェは自信満々に言い切った。


「振り子が動く度に、死者の魂が揺れて出てくるの。

 カチコチと言う音は死者の無念を表して、それが降り積もって、ボーン、ボーンという音を立てるわけ」


「貴女がそんな事を考えていたなんて、そっちの方が驚きだわ」


 そんな事を喋りながらホールのすぐ脇のダイニングルームに入ると、深紅の絨毯が敷かれた荘厳な部屋が現れた。

 腰丈ほどの造りつけ収納家具の上に装飾版が一列飾られ、上部は赤を基調としたハーリキンチェックの壁が天井まで続いている。

 中央に鎮座しているのが樫の木でできた大きな長テーブルで、椅子は全部で十二脚置かれていた。


「この無駄に大きなこのテーブルを今もよく覚えているわ」

 セルデフィアがテーブルの表面に手を添わせながら言い、マリアージェも苦笑いしながら頷いた。


「確かに無駄よね。

 二人暮らしだったし、お客は誰も来ないのですもの」


「私はいつもこの席に座って、貴女は角を挟んだそっちの席に座っていたわね。

 当時の事を覚えてる?」


「何となく。

 あっ、でも一度母様と喧嘩した時、こっちの角とあっちの角に分かれて食事をした事があった気がするわ」


「一度だけあったわね」とセルデフィアは笑い出した。

「でも途中で寂しくなった貴女が、最後にはお皿を持って私のところにやって来たわ」


 毎日毎日飽きもせず、二人でおしゃべりをしていたなとマリアージェは思う。

 何を話していたか今は全く思い出せないが、母と二人きりの食事はほっかりと心が温かくなるような優しさに満ちていた。


 存分にダイニングルームを見て回った後、次に訪れたのは庭に面した広々とした居間だった。

 突き当りに大きくとられた窓があり、外の明るさに誘われるように二人は窓辺へと足を運ぶ。


「あの円錐形の木には見覚えがあるわ」

 思わず声を弾ませたマリアージェに、セルデフィアも懐かしそうに目を細めた。


「確か全部で十六本あった筈よ。貴女と数遊びをしながら、いろいろなものの数を数えたもの」


 きれいに刈り込まれたレイランディ―は、冬にも色枯れせず、美しい緑で庭園をいつも彩っていた。

 生育が旺盛で、刈り込んでも刈り込んでも新しい芽やうろこ状の葉が次々と出ていたのを、今でも鮮明に覚えている。


「私達がいなくなった後も、きちんと手入れされていたのね。

 庭がさびれていなくて嬉しいわ」


 この居間は、マリアージェやセルデフィアが最も気に入っていた部屋だった。

 座り心地の良いゆったりとしたソファーや肘掛椅子が、瀟洒なガラステーブルを囲むように置かれていて、余分な調度は置かれていない。

 陽の差し込むこの居間で元気よく走り回っていた頃の事を思い出し、マリアージェは我知らず口元に笑みを刷いていた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] マリアージェとリリアセレナのそれぞれへの母親への思いの差に、別々の意味で泣きそうです… リリアがそれでも自分の子どもとしっかり向き合える所に、アンテルノ夫妻から充分な愛情を貰えたことが窺え…
[気になる点] 側室を持たない皇帝のため、以前のまま残されてはいたのでしょうが、それに対して文句つける人はいなかったのかな。 まあ皇帝やその周囲の人間が今のままの体制を望んでいるし、後宮復活を望むのは…
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