型破り元皇女の里帰り14 ~セルデフィアと孫~
食事の後、マリアージェは母を連れて子ども達の居室を訪れた。
イエルの前で畏まり、深々と頭を下げるセルデフィアに、「どうぞ楽にして下さい」とイエルは穏やかに声を掛けた。
「マリアージェから貴女の事は聞いています。
本当は私が知っていい類いの話ではありませんが、マリアージェは僅か八つで私の許に嫁ぎ、貴女を恋しがって泣いていました。
その時にうっかり、貴女に関する事情を漏らしてしまったんです」
「そうだったのですね」
セルデフィアはマリアージェの方を見やり、苦しそうに視線を伏せた。
「あの時はこの子に本当に辛い思いをさせました。
先ほどこの子から嫁いでからの事を聞いたんです。
プランツォ卿、年端も行かぬ子を妻に迎え、何かとご不自由をお掛けしたと思います。優しくして下さって、本当にありがとうございました。
手放した我が子をずっと案じて参りました。
幸せに暮らしていると聞き、どれほど安堵したか言葉ではとても言い表せません」
「マリアージェの事は、どうかご心配なさらないで下さい」
イエルは微笑みながらそう答えた。
「彼女の事は、私が一生をかけて守り抜きます。
彼女は私にとっての宝です。何にも代え難い最愛の妻で、彼女がいない世界など考える事ができない程です。
人生でこれほど愛おしいと思える相手に巡り合えるとは、正直思ってもいませんでした。
私は生涯、マリアージェを愛する事を止めないでしょう」
ここまで大胆に愛を告白され、マリアージェはちょっと顔を赤らめた。
夫に愛されている事はよく知っているが、母の前でそれをされると、さすがにちょっと気恥ずかしい。
母の方をちらりと横目で窺うと、こちらは感激に目を潤ませ、両手を握り合わせていた。
すっごく情熱的な方ね! と目で言ってきて、いたたまれなくなったマリアージェは慌てて話題を変える事にした。
「わたくしの事はもうよろしいですわ。
それより、母様に子ども達を紹介しますわね」
火照ってきた頬を冷まそうとマリアージェは片手でぱたぱたと風を送り、それから徐に部屋の奥で遊んでいる子ども達を呼んだ。
「アルフォンド、ステファノ、ジェイ、イリアーナ。
お客様を紹介するわ。こちらにいらっしゃい」
母に呼ばれた子ども達は、遊びの手を止めて一斉に母の許にやって来た。
セルデフィアに気付いた長男のアルフォンドはあっという顔をし、どこか面映ゆそうにセルデフィアの顔を見上げる。
何も知らない下三人は、誰だ? と顔を見交わし合い、セルデフィアの顔をまじまじと見た次男のステファノが不思議そうに口を開いた。
「何だか母上に似ている」
思わぬ爆弾発言に、大人三人が思わずおうっと仰け反った。
相変わらず、思ったままを口にするステファノである。
「ステ。先ずは挨拶だろ?」
イエルに似て思慮深いアルフォンドがすさかずステファノを注意し、紹介してくれるように母親の方をちらりと見た。
マリアージェは小さく咳払いした。
「こちらは皇都ミダスに店を構えられているダンフォード商会の奥方よ。セルデフィアとおっしゃるの」
祖母だと紹介する訳にはいかないので、マリアージェはちょっと考えた後に一言付け足した。
「昔お世話になった方で、わたくしにとってすごく大切な方よ」
そしてセルデフィアの方に向き直った。
「ダンフォード夫人。
こちらが長男のアルフォンドよ。それから次男のステファノに、三男のジェイ。一番下の女の子がイリアーナと言うの」
紹介を受けて、アルフォンドが一歩前に進み出た。
「お会いできて嬉しいです。
母上がわざわざ迎賓宮に客人を招くと聞いた時から、今日の日をずっと楽しみにしていました。
あの……、何とお呼びすれば?」
マリアージェはイエルとちらりと目を見交わした。
「セルデフィア夫人とお呼びしなさい」
マリアージェに代わって答えたのはイエルだった。
お祖母様と呼ばせる訳にはいかないし、ダンフォード夫人ではいかにもよそよそしいと思ったのだろう。
「わかりました。ではそのように」
セルデフィアは腰を落とし、目線を子ども達に合わせてふわりと微笑んだ。
「セルデフィアと申します。どうぞお見知りおき下さいね」
その声を聞いたイリアーナが、「あれ?」と小さく首を傾げた。
「母様の声とどこか似てるね」
「そうでしょうか」
今度は焦る事なく、セルデフィアはにっこりと微笑んだ。
「嬉しい偶然ですわ」
そして四人の子ども達の顔をゆっくりと見渡した。
「一緒に遊ばせていただいてよろしいですか?」
その言葉に、ぱあっと顔を輝かせたのは一番小さなイリアーナだった。
「え。遊んでくれるの?」
「じゃあ、何で遊ぶ?」
その続きを引き取ったのは次男のステファノだ。
「さっきまで皆でバックギャモンをしてたんだ。他に何か面白い遊びはあるかなあ」
セルデフィアはちょっと考えた。
「……影絵遊びとかは如何かしら?」
「影絵遊びって何ですか?」
年長のアルフォンドが尋ねるのへ、
「光に手を翳すと影ができるでしょう?
それでいろんな形を作って遊ぶんです。犬とか鳥とかは簡単にできますよ」
「そうなの? イリアーナもやってみたい!」
イリアーナがわあいと歓声を上げた。
「えっと、猫はできるの?」
おずおずと小さな声で聞いてきたのは、三男のジェイだ。
普段は初対面の人間に話しかける事はしないのだが、セルデフィアの声や容姿が母と似通っていたため、勇気を出して話しかけたらしい。
セルデフィアは笑って頷いた。
「猫ですか? 猫はちょっと難しいのですが、挑戦してみますか?」
「うん!」
ジェイは嬉しそうに頷いた。
「母様が猫を飼っていてね、シロという名前ですごく可愛いんだ」
会ったばかりの大人に対し、ジェイがここまで長い文章を話すのは初めてかもしれない。
マリアージェとイエルが驚いて目を見交わし合っていると、ステファノが嬉しそうにセルデフィアの腕を引っ張った。
「じゃあ、あっちで影絵遊びしようぜ!」
それを見たジェイがすさかずセルデフィアの反対側の手を掴み、手を取り損ねてむむっと唇を尖らせた妹のイリアーナに、長兄のアルフォンドが手を差し出してやる。
一際明るい燭台の下に行き、セルデフィアと四人の子ども達が楽しそうに影絵遊びを始めるのを、マリアージェとイエルは少し離れた場所から優しく見守った。
セルデフィアの手は魔法のようにいろんな影絵を作り出す。
「こうやってこんな風に手を重ねて、これは何に見える?」
「大きく開いているから、これは口だよね。それにここが鼻づらだ」
「そうよ」
ステファノの言葉に、セルデフィアが楽しそうに頷く。
「じゃあ、犬だ!」
「正解!」
「犬の額のぼこぼこしたところもそっくりだ。へえ、こんな風に手を組み合わせるんだね」
アルフォンドが早速真似をしてみて、「わんちゃんが二匹になった!」とイリアーナが手を叩いて喜ぶ。
「じゃあ、次は何でしょう?」
掌を自分の方に向け、両手の親指と親指を絡め、他の四本の指をぴんと伸ばすと、悠々と羽を広げて空を舞う鳥の姿が映し出される。
「大きな鳥さんだ!」
セルデフィアはにっこりと笑い、指の形はそのままに、手の角度を少し変えてみた。
重なった手首の辺りがまるで鳥の尾羽のようになり、今度は飛んでいる鳥を横から見る構図となる。
「うわぁ」と子ども達から歓声が上がった。
「じゃあ、これは?」
セルデフィアは右手で何かをつまむように指を曲げ、左手は指を真っ直ぐに伸ばして親指だけを他の指から離し、親指が下になるように右手に重ね合わせた。
「こっちは小鳥だ!」
ジェイがはしゃいだ声で言い、セルデフィアが楽しそうに頷いた。
「では、こちらは何でしょう?」
今度は左手の肘まで使い、その肘の先からセルデフィアは右手の人差し指を出して折り曲げる。
それを見た四人全員が、「シロだ!」と声を揃えた。
お家でお留守番にさせているシロが、前足を揃えてちょこんと座っている影絵が出来上がっている。
「シロ、何しているかなあ。ちゃんとエサを食べているかな?」
心配そうにジェイが言えば、
「大丈夫だろ。食い意地が張った奴だし」
あっけらかんとステファノがそう答え、それを聞いたイリアーナが「そんな事ないもん」と口を尖らせた。
「シロは食い意地なんて張ってないよ。
ちょこっとだけなら、待てができるし!」
その言葉に驚いたのは長兄のアルフォンドだ。
「え。イリはそんな事をシロにさせてるの?
犬なら待てができるけれど、猫にはハードルが高いと思うんだけどなぁ」
楽しそうに子ども達が喋り始め、セルデフィアはにこにことその横で笑っている。
その様子を遠くから眺めていたマリアージェは、何だか無性に泣きたくなった。
「母と暮らしていた頃、よく影絵で遊んでもらっていましたわ。
その影絵遊びを今度は子ども達が教えてもらっているだなんて……。
何だか夢を見ているみたい」
スランに嫁ぐ時、母との縁は永遠に切れたと思っていた。
その母と再会できた上に、孫の顔も見せる事ができたなんて今でも信じられない気がする。
「そう言えば君が嫁いできて間がない頃、一緒に影絵遊びをした事があったね。
君は覚えている?」
イエルにそう問われ、「勿論ですわ」とマリアージェは笑った。
「今日はお仕事がないから一日中一緒に遊ぼうと貴方が言って下さってとても嬉しかった。
その日は確か、最初に隠れ遊びをしたのではなかったかしら」
「そうそう。それから君は、夫婦のあーんをしたいと言ってきたよ」
「いやだわ。まだ覚えていらしたのね」
恋人や夫婦は食事の時に食べさせ合いをするものだと聞いていて、マリアージェはそれがどうしてもやりたかったのだ。
マリアージェの小さな我儘に、十四も年上のイエルは嫌な顔もせずに付き合ってくれて、「これぞ新婚さんだ!」と大喜びした事を、マリアージェは今でも覚えている。
「貴方と結婚できて本当に良かった」
指をそっと絡め、イエルの顔を見上げると、イエルは照れたようにちょっと笑った。
それから子ども達が影絵遊びに夢中になっているのを素早く確認すると、マリアージェの方に体を寄せて、小さな口づけを唇から盗み取った。