型破り元皇女の里帰り10 ~テラスでの会話~
さてその頃マリアージェは、次男のステファノが水晶宮で皇帝に向かって万歳を唱えていたなどと知る由もなく、のんびりと家族の会話を楽しんでいた。
昼餐の時間も近付いてきて、後はアレク帝のお越しを待つばかりである。
聞くところによると、アレク帝は普段、自身のお住まいである皇帝宮で簡素な昼餐を済まされているようだ。
午前中は執務や会議が入り、昼過ぎには国外の要人や臣下との謁見が入るため、ゆっくりと食事を楽しむ時間はとれないらしい。
「昼餐後のひと時は、陛下にとって国内外の貴族と交流を持つ大事な時間なのですわ」と、ヴィアが微笑みながら説明した。
「陛下はできるだけ多くの人間と会おうとされています。
陳情を受ける事もありますし、和やかに会話を楽しまれるだけの時もあるようですわね。
彼らは皇帝と直にお会いできる事を誉れに思い、陛下もまた様々な知識やその土地土地の生きた情報を彼らから渡されるのです。
こうした交流がもたらす恵沢は計り知れません」
それを聞いたマリアージェは、そうしたマメさは為政者には確かに必要かもしれないと心の中で呟いた。
だって、権威だけを振り翳して人と会おうともせず、何を考えているのかわからないような人間に臣下が心を寄せるとは思えない。
為政者にとって必要なのは、高い政治力や先見性、俯瞰的な視野、高邁な精神などであるだろうが、それだけでは十分でない事をマリアージェは感覚的に知っていた。
人たらしであるかどうか、すなわち、臣民に人気がある人物であるか否かは、国を統治する者にとって結構重要である。
治世者と臣民との間にきちんとした信頼関係が保たれていないと、暴動と言う形で不満が芽吹いたり、皇帝が重要な政策を推し進めようとした時に臣下から思わぬ邪魔をされたりするからだ。
確か、アンシェーゼの数代前の皇帝がそうであったと家庭教師から聞いた覚えがある。
博識で、国政にも真面目に取り組んでいたが、人と交わる事を極度に面倒くさがり、そのため陰気でよそよそしい皇帝だと宮廷人から思われていた。
本人は気心の知れた取り巻きだけを傍に置いて満足な生活を送っていたようだが、その輪から弾かれた者達は当然恨みを持つ。
その皇帝の時代はあちこちで不満がくすぶり、皇帝がどれほどの理想を掲げようと、政治が思うように機能しなかった。
因みに、マリアージェの父パレシス帝は、臣下の不満を力で抑え込んだタイプである。
諫言を行った者を次々と失脚させ、皇家の血を引く有能な従兄弟達を幽閉または処刑して、最後までその地位を守り通した。
幸いにも、かつての宰相ディレンメルが残した有能な文官達がきちんと仕事をしたため、在位中に大きな綻びは出なかったが、民の評判はすこぶる悪い。
女癖が悪かった事もその一因で、皇后を散々蔑ろにした挙句に後継者を定めぬままぽっくりと逝き、お陰で皇帝の死後、国は皇位継承をめぐる争いに見舞われた。
その争いを制して皇位に就いた兄、アレク帝は、父帝パレシスを反面教師として日々政務に取り組んでいる。
皇子時代から皇都ミダスの治安改善に取り組んでおり、民衆からの人気も大層高い。
即位後は堅実な施策を次々と打ち出して、その地位を盤石なものとしていた。
この度、アンシェーゼに帰省するにあたり、マリアージェ達は皇家が手配した貴族家に滞在させてもらったが、どの家の当主も年若い皇帝に心酔していた。
皇帝に一度も会った事がない筈なのにどうしてここまで欽慕できるのだろうとマリアージェは内心首を傾げたが、聞くところによるとアレク帝は、異母妹家族の滞在を頼む際に自らペンを執って協力を求めたという。
皇帝直筆の書状をもらった当主らは頼られた事をこれ以上ない誉れと感じ、どの貴族家に泊ってもマリアージェらは下にも置かぬ歓待を受けた。
勿論、書状だけではなく相応の金品も下賜されており、いずれその当主が皇都を訪れた際には、皇帝との面会も許されて、直に言葉をいただく事も叶うと聞いた。
尊顔を仰ぐ事により、彼らは更に皇帝への忠誠を強くしていく事だろう。
そうした人あしらいが上手なだけでなく、アレク帝はもう一つ、大きな強みを持っているとマリアージェは踏んでいた。
容姿が端麗であるという事だ。
マリアージェの好みからは若干外れているが、アレク帝を見た人間は十人が十人、かの皇帝を目の覚めるような美男子だと評する。
面立ちばかりでなく、すらりと引き締まった精悍な体躯は男らしさに溢れ、物腰も極めて優雅だった。
この見目の良さというものは為政者にとって結構重要で、若くて顔のいい皇帝はそれだけで熱狂的に臣民に愛される。
そういった意味で、アレク帝は生まれながらにして幸運な人間であると言って良かったが、まあ、容姿だけを取り上げれば、パレシス帝の子ども達はだれも皆美しい容姿をしていたから別に羨むような事ではない。
それよりも、毎日せっせと国内外の貴族らと交流を図っておられるのは素晴らしいと、マリアージェは素直に兄を尊敬した。
皇帝業を頑張られているのはいいが、そんなに忙しく日々を過ごされて気分転換はきちんとできているのだろうか。
マリアージェとしては、かえってそっちの方が気になってしまう。
「陛下に会っていただいた人間は大喜びするでしょうけど、毎日そういう生活で陛下はストレスが溜まりませんの?」
ストレートに尋ねると、ヴィアはちょっと考え、「今のところ大丈夫のようですわね」と答えた。
そしてアレクの側近であり、友人でもあるルイタスに話を振る。
「ラダス卿はどう思われます?」
ルイタスは、「そうですね」と小さく笑った。
「陛下は元々、人と会う事が苦ではないご性格です。
それに夕刻には必ず体を動かしておいでですから、気分転換はきちんとできているように思います」
「体を動かしておられるとは?」
妻のセディアが不思議そうに問い掛けるのへ、
「皇帝宮のすぐ西には鍛錬のための一角があって、射場も作られているんだ」とルイタスは簡単に説明した。
「陛下は毎日のようにそちらを訪れているし、まとまった時間が取れるようなら、三大騎士団の城塞にも顔を出しておられる。
多分そちらでも、存分に体を動かされているのではないかな」
ルイタスの言葉にセルティスも笑いながら言葉を足した。
「私も時間があれば、それぞれの騎士団を訪れるようにしているよ。
団長を始めとした幹部クラスは本気で私に稽古をつけてくれるんだけれど、これがまた容赦なくてね。
体力不足で負けた日には、背嚢を背負って一緒に走り込みを楽しみませんかと言われて、本気でそれをさせられた事がある」
「え。皇弟殿下を相手にそんな事を?」
セクトゥールが驚いたように目を瞠るのへ、
「ええ。万が一戦が起こった時、進軍についていけないと目も当てられませんから」
セルティスは苦笑混じりにそう答えた。
国を背負う方々は何かと大変なんだなあとマリアージェが思っていると、ユリフォスが心底感心したように口を開いた。
「今も日々鍛錬をされているとは、思いもしませんでした。
実を申しますと、私などは騎士学校以来、ほとんど剣を握った事はありません」
正直に告白し、マリアージェの隣に座るイエルが、「私も一緒です」と頷いた。
狩場に招かれる事があるため、乗馬や弓はある程度嗜むが、決して上手な方ではない。
「騎士学校時代から実技の方はからきしでして。
いや、お恥ずかしい限りです」
その言葉に、リリアセレナが微笑みながら口を開いた。
「プランツォ卿は領地をあれほどに豊かにされたではありませんか。
領民の生活を守り、利益を伸ばされた事で国にも大きく貢献しておられます。
一領主として是非見習いたいものだと、主人も常々申しておりますわ」
「そのような事は……」
イエルは笑いながら首を振り、「称賛されるべきはトラモント卿でしょう」と言葉を返した。
「王立修学院に進まれただけあって知識量が半端ではありません。それにボードゲームのあの腕前と言ったら……!
腕に覚えのある方が三人がかりでトラモント卿に挑んでも歯が立たなかったあの場面を、今でもよく思い出します。
いやあ、あれは本当に素晴らしかった……!」
「三人がかりでとはどういう事でしょうか」
不思議そうに尋ねたルイタスに、イエルは興奮冷めやらぬ口調で説明した。
「ボードゲームの盤をトラモント卿の前に三つ並べ、三人が同時並行でゲームを進めるのです」
「同時並行? そんな事が可能なのですか」
ルイタスが驚いたように声を上げた。
ボードゲームは一対一でするのが常識で、複数人を相手に勝負するなど聞いた事もない。
「面白そうだな」
セルティスが目を輝かせ、
「私もラダス卿もボードゲームには些かの自信があるんだ。
陛下も午後からは時間が空いていると言っておられたし、一対三のゲームとやらを早速やってみよう」
「それはいいですね」
ルイタスもすっかり乗り気になったが、言われたユリフォスは僅かに口元を引き攣らせた。
皇族や重臣を相手に一対三のボードゲーム。
傍から見ると、まるでユリフォスが片手間にお三方の相手をしているかのようだ。
それだけでも恐れ多いのに、この場合の勝負の正解がユリフォスにはわからなかった。
高貴な方々に勝ちをお譲りするべきなのか、それとも場を白けさせないために、ユリフォスが勝ちをおさめるのが正しいのだろうか。
慌ただしく考えを巡らせていれば、ヴィアが楽しそうにユリフォスに言葉をかけてきた。
「トラモント卿、遠慮なさってはなりませんよ。わざとお負けになったら、陛下は興ざめなさいます」
「しかし……」
額面通り受け取って良いものかとユリフォスがなおも逡巡していると、ヴィアは「ではこうしましょう」とにっこりと微笑んだ。
「トラモント卿。皇后たるわたくしが命じます。
どうかわたくしにゲームの勝利を捧げて下さいませ」
ユリフォスは瞠目した。
皇后の命とあらば、これに従わないという選択肢は存在しない。
迷っていたユリフォスも、その言葉でようやくふんぎりがついた。
「畏まりました。
敬愛する皇后陛下に勝利を捧げられますよう、力を尽くします」
とはいえ、一国の皇帝をぼろくそにやっつける訳にはいかないだろうなとユリフォスは思った。
数手打って三人の実力を見極めた上で、接戦になるようにゲームを展開させて星を奪おうと、ユリフォスは心中で密かに決意を固めた。
本日、『アンシェーゼ皇家物語 型破り皇女の結婚事情』が発売されます。マリアージェの幼少から結婚生活までを描いた物語です。よろしくお願い申し上げます。