型破り元皇女の里帰り9 ~アレクと子ども達~
さてそのアレクはと言えば、ようやく使節団との面談を済ませ、うきうきとした気分で水晶宮にやってきたところだった。
そこでは異母妹達が連れてきた八人の子どもが皇家の子らと一緒に遊んでいる筈で、その様子を親同士で楽しもうと勢い込んで入室した訳だが、何故かそこにヴィア達の姿はなかった。
十三人の子ども達がそこらに散らばって自由気ままに遊んでおり、その様子を見守っているのは養育係の夫人と侍女達だけだ。
「あっ、父上!」
部屋を駆け回っていたレティアスが、アレクの姿を目ざとく認めてぱあっと顔を輝かせる。
……余談ではあるが、アレクはここ水晶宮において子ども達から異常なほど懐かれていた。
アレクが姿を見せるや、子ども達はまたたびをみつけた猫のごとく興奮し、凄まじいテンションで傍に寄ってくる。
これはアレクがものすごく子煩悩で子のあしらいにも長けている……という訳では勿論なくて、子ども達が大好きな皇后ヴィアが、折に触れてアレクの事を大絶賛しているからだ。
あのようにすばらしい方はいらっしゃいません。すらりとした長身で申し分なく格好いい方ですが、そればかりでなく、頭も切れて物事をよく知り、剣技や乗馬にも優れておいでです。物腰は優美で、大国の皇帝としての威厳に溢れ、物事を大きな目で眺める事のできるお方です。その上、性格はお優しく、人を慈しむ心も持っておいでです。非の打ちどころもないとは、まさにあのような方を言うのでしょう。
常に国を思い、国のために働かれ、陛下は臣民から大層慕われておられます。そのように得難いお方が貴方達のお父上であり、兄君でもあるのですよ、などと毎日毎日称賛の言葉を聞いていれば、幼い子ども達がアレクを好きにならない筈がない。
ヴィアの薫陶を受けた子ども達にとって、アレクはまさに心躍る崇拝対象であり、絶対的な英雄であり、それを超越した何か途轍もなく素晴らしい存在だ。
その上、毎日水晶宮に顔を出す事ができないというレア度が更にアレクの価値を高めていき、だからたまにアレクが宮殿を訪れれば、子ども達は狂乱状態となるのだ。
今回も一番にアレクを見つけたレティアスが「父上ぇぇぇ」と雄叫びを上げながらアレクに飛びついていき、アレクが慌てて抱き止めたところで、マイラが「お兄様!」と叫びながら右横から体に抱きついて来た。
続いてロマリスが「兄上!」と左足にしがみついてきて、後れを取ったアヴェアが負けじと同じ足にしがみつく。
ここまでがしっとしがみつかれると、さすがのアレクも身動きが取れない。
まあ、振り払おうと思えば振り払えるが、それをするとギャン泣きされるので、子ども達のなすがままだ。
こうした時はヴィアがタイミングを見計らって皆を上手に引き離してくれるのだが、残念な事に頼りのヴィアは、今、この場にいなかった。
世話係の夫人達は、子ども達と皇帝との触れ合いを邪魔していいものかわからず、おろおろしながらその様子を眺めていて、そんなアレク達を遠巻きにして、残り八人の見知らぬ子ども達が勝手気ままに喋り始める。
「ねえ、ルカ。あれ誰?」
「レティ殿下が父上って言ってたから、陛下なんじゃないか?」
「へーか? アレがへーかなの?」
「そうだ。と言うか、アレ呼ばわりするな。不敬だぞ」
「そっかあ。母上が十匹くらい猫かぶれって言っていた、あのへーかかぁ」
「え。ステの母上って、本当にそんな事言ってたの?」
「おう! 猫被って、へーかの前ではお行儀よくだってさ」
「あー……、私もお行儀よくとは言われたな。猫被れとは言われなかったけど」
「私も」
「わたくしも」
「わたくしも言われたわ。
あと、話しかけられるまでは口を開いちゃ駄目とも言われたよ」
「ねえねえ、兄様。じゃあ、ジェシーはずっと黙ってたらいいの?」
「話しかけられたら喋ってもいいんじゃないかな」
「そうなの? じゃあジェシー、それまではお口閉じとくね」
「うん。そうして」
「いつまでこれが続くのかなあ」
「早く遊びたいよね」
「うん。まだかな」
「まだかなあ」
このままだとつまんないから早く紹介してという目でじぃーっと見つめられ、アレクは何となく居心地が悪くなった。
仕方がないので足元にいるアヴェアに視線を移せば、そのアヴェアの頭がいつになく乱れ、ふくふくとした腕に丸い形の痕がついている事に気が付いた。
歯形っぽいけど、まさかなぁ……と心に呟くアレクである。
そうこうしている内に、ようやくビエッタ夫人が間に入ってくれ、改めて八人の子ども達を紹介してくれた。
実を言えば、アレクは甥姪の名前だけは覚えてここにやって来た。
マリアージェの子どもがアルフォンド、ステファノ、ジェイ、イリアーナで、リリアセレナの子どもがルカーノ、フェイマス、アルジェンナ、ジェシーである。
何回も頭で諳んじてきたので間違いないだろう。
ただ、子ども達は一家族ごとにまとまって年齢順に並んでくれている訳ではない。
両家の子どもが入り混じった状態で八人いっぺんに紹介されたため、すぐには顔と名前が一致しなかった。
なので、「遠くからよく来てくれたな」と無難な言葉をかけた後、そこからの会話をどうしていいかわからなくなった。
子ども達はアレクがものすごく偉い人間だと両親から言い聞かされているらしく、下手な事は言えないとばかりに黙り込み、お互いをちらちらと見合っている。
何だかものすごく気まずい。
そのうち、アレクとふと目があった七、八歳の男の子が、いい事を思いついたとばかりに急に目を輝かせた。
目と目の間隔が離れて、鼻が横に広がった、非常に愛嬌のある顔立ちの子だ。
妙にツボにはまる顔をしているなとアレクが心に呟いた時、大きく息を吸い込んだその子どもは、いきなりアレクに向かって大音量で叫んできた。
「へーか、万ざーい!」
一体何が始まった! とアレクは思わず上体を仰け反らせたが、そこから先の展開は全く予想外だった。
両隣の子がつられたようにその子の方を見て、そーか、万歳で良かったんだ! という顔をして、一緒にそれを唱和し始めたのである。
そして突如として始まる、「へーか万歳! へーか万歳!」の大合唱。
アレクには、自分に一体何が起こっているのか訳がわからなかった。
子ども達はやけくそのように「へーか万歳!」を繰り返し、ビエッタ夫人らは余りの展開にその場に凍り付いている。
どうやってこれを収めればいいんだ……とアレクが背中に変な汗をかいていると、十一歳のマイラがアレクの傍にやって来て、子ども達の注目を集めるようにぱんぱんっと二回大きく手を叩いた。
「万歳はもう十分よ。貴方達の気持ちは伝わったから、向こうに行って遊びなさい」
それまで元気よく万歳を叫んでいた子ども達はあっさりとこれに頷き(おそらく万歳に飽きていたのだろう)、そのまま三々五五に散っていく。
アヴェアは同じ年頃の女の子と手を繋いで玩具がある場所に走って行き、ロマリスやレティアスはそのまま男の子達と部屋を駆け回り始めた。
アレクはその様子を間抜け面で見つめるしかなかった。
いきなり暴風の直中に巻き込まれ、突如としてその渦から押し出された……、言い表すとすればそんな心情である。
つんつんとジャケットの袖を引っ張られ、下を向けばマイラが楽しそうにアレクを見ていた。
「兄様、お仕事お疲れ様でした。
こちらに来て下さってすごく嬉しいです。
皆元気で、少し驚かれたのではありませんか?」
「少し……と言うか、正直だいぶ驚いた。まさかこんなところで万歳を唱和されるとは思わなかったな」
ようやく気を取り直してそう答えるアレクに、
「あのね、兄様。陛下万歳って最初に言い始めたのが、マリ姉様の子のステファノなんです。
庶民言葉も良く知っていて、とても面白い子なの」
アレクは妙にツボにはまる顔立ちをした例の子どもをしみじみと見た。
「ああ。あの子がマリアージェの次男のステファノか。
そう言えば、プランツォ卿の面影を宿しているな」
「ええ。目や鼻の辺りがそっくりでしょう?
あの子も最初は、貴族の子弟らしい言葉をきちんと使っていたんです。
でも遊ぶ内にだんだん猫が剥がれてきて、けっ! とかすげえ! とか言うようになりましたの。
他にも、マジウケるとか言っていた気がしますわ」
「あー……、けっとは何だ?」
「否定的な感情を言い表す言葉のようですわね。
鬱陶しいとか、嫌になるなあとか、面倒くさいとか、そういう感情を全て『けっ』で済ませられるのですって」
「便利と言えば便利だな。マジウケる、は?」
「非常に面白いという意味だそうです」
「……なるほど」
「ステファノの兄のアルフォンドが、皇族に変な言葉ばかり教えるんじゃないって弟を怒っておりましたわ。
ステファノは一応気を付けるって答えたんですけど、遊びに夢中になると忘れてしまうみたい。
ロマリスやレティアスも真似をするようになって、養育係のご婦人達はさっきから目を白黒させておりますわ」
「マイラは使わないのか?」
アレクがそう聞いてやると、マイラはすました顔をした。
「わたくしはレディですもの。庶民言葉は心の中だけで使う事に致します」
「それがいいだろうな」
実のところ、もしマイラにけっ! とか言われたら、アレクは無駄なダメージを負いそうだ。
「そう言えば、ヴィア達はどこに居るんだ?
午前中は子ども達の傍で過ごすと聞いていたんだが」
「皆でテラスへと行かれましたわ。こちらでは落ち着かなかったみたいで」
マイラはさらりと答え、アレクは「そうか」と頷いた。
「では私もそちらに顔を出してみよう」
「どうぞ、そうなさって。姉様が待っていらっしゃる筈ですわ」
ままごとをしていた女の子達が「叔母様!」とマイラを大声で呼んできて、マイラは「今、行くわ」と明るい声を張り上げた。
「では、わたくしはこれで」
淑女の挨拶をしてそのまま去ろうとするマイラを、アレクは慌てて呼び止めた。
「マイラ。さっきは助かった。
延々と陛下万歳と続けられて、どうしようと思っていたんだ」
マイラがいなければ、あの場をどう収めていいのか見当もつかなかったアレクである。
「ありがとう」と頭を撫でてやれば、マイラは嬉しそうに目を細めた。
父を知らないマイラにとって、アレクは兄であると同時に父親のような存在だ。
母の愛情はたっぷりと注がれているが、忙しい長兄からこうやって愛情を示してもらえる事は、この上ない幸せだった。
「兄様のお役に立てて光栄です」
マイラは幸せそうに笑み、もう一度軽く頭を下げてから姪っ子達の方へと駆けて行った。
その様子を眺めながら、アレクはぼんやりと自分の子ども時代を思い起こす。
贅に囲まれた部屋に一人立ち尽くし、幼い自分はよく、「何もかもつまらない」と吐き捨てていた。
色に溺れていた父帝と、権力を掴む事に余念がない母トーラ。
幼いアレクは家庭の温もりに餓えていて、けれどそんな自分に気付いてもいなかった。
孤独が普通だと考えていたアレクのところにヴィアがやって来て、何もかもが変わっていった。
暮らしていた宮殿は家族のいる家になり、いつの間にか自分を慕う弟妹達もできて、子も生まれた。
寒々しかったかつての水晶宮は今、子ども達の明るい笑い声で満ちている。
ぱたぱたと子ども達が駆け回る音と、それを優しく窘める養育係達の声。
その喧噪がどこか愛おしく、アレクは眩しそうに瞳を眇め、我知らず柔らかな笑みを零していた。