型破り元皇女の里帰り8 ~喧嘩勃発?~
このアヴェアとジェシーは同い年で、さっきまでは仲良く顔をくっつけて遊んでいたのだが、今は何となく不穏な空気が流れている。
どうやら両方とも円柱の形をした黄色い積み木が欲しいようだ。
ジェシーの持っていた黄色い積み木をアヴェアが奪おうとし、二人ともすごい形相で睨み合っていた。
「ジェシー!」
リリアセレナが小さく叫んだ時、アヴェアが見事、ジェシーの手から積み木を奪い取った。
アヴェアはどや顔でジェシーを見つめ、それがよほど頭に来たのだろう。
ジェシーは仕返しとばかりにアヴェアの腕にがぶりと噛みついた。
マリアージェは心の中でおおうっと叫んだが、繊細なリリアセレナの精神は娘のこの暴挙に耐えられなかったらしい。
「ひっ……!」と小さな悲鳴を漏らして、そのまま倒れ込んでしまった。
「姉上ッ!」
驚いたセルティスが飲み物を配っていたウエイターを押しのけるように駆け寄り、間一髪、リリアセレナの体を抱きとめる。
ウエイターの持っていた盆が傾き、グラスが床に落ちて砕け散った。
「リリア様!」
マリアージェは、膝を落としたセルティスに上体を抱えられたリリアセレナの顔を覗き込んだ。
リリアセレナは青白い顔で瞳を閉じ、浅い息を繰り返している。
「うっぎゃあああああああん」というアヴェア皇女の泣き声が部屋中に響き渡っていたが、そちらに構う余裕はない。
ご養育係のエレイア夫人が殿下のところに向かったようだから、そちらは何とかして下さるだろう。
が、夫人が駆け付ける間にも子ども達の形勢は刻々と変化していた。
そもそもアヴェアは、やられっぱなしで泣き寝入りするほどおとなしい性格ではない。
積み木を持ったまま、どんとジェシーの体を突き飛ばし、床に転がったジェシーはイリアーナがせっせと積み上げていた積み木のお城を見事に壊滅させた。
積み木の角で肩を打ったジェシーは泣き喚いたが、いきなり積み木を壊されたイリアーナだって黙っちゃいない。
抗議するように「うわあああああん」と大音量で泣き始め、癇癪を起してアルジェンナの作品までも台無しにした。
泣き声がもう一つ加わって、子ども部屋はもうカオスである。
「陛下、大変申し訳ございません!」
我が子が目の前で皇女殿下に暴力を振るった(と言うか、噛みついた)場面を見たユリフォスはもう顔面蒼白だ。
「子の犯した罪は私が……」などと悲壮な顔つきで口走り、
「それはいいから、今は奥方様の具合をみて差し上げて」
と、ヴィアはユリフォスの尻を叩くようにリリアセレナのところへ向かわせた。
ヴィアに言わせれば、子ども同士が叩いただの突き飛ばしただのというのは、水晶宮では日常茶飯事だ。
口でうまく言えない小さな子はすぐに手が出るし、ヴィアも三児の母であればそのくらいの事は弁えていた。
さすがに噛みつくような豪傑はいなかったからちょっと驚いたけど、感情が高ぶればそんな事もあるだろう。
リリアセレナの夫に場所を代わったセルティスは、やれやれといった表情で立ち上がった。
こちらも子ども同士の喧嘩には慣れていて、姪っ子達の方を見ながら「全面戦争だな」などと面白そうに呟いている。
夫に肩を抱かれたリリアセレナはようやく落ち着いてきて、「皇女殿下は大丈夫でいらっしゃる?」と泣きそうな顔でマリアージェに尋ねてきた。
「何だかよくわからないけど、取り敢えず心配は要らないみたい」
泣いている子は侍女達に宥められて、だんだんと泣き声も小さくなっている。
「子ども同士だとよくある事よ」とヴィアが笑いながら声を掛け、リリアセレナの横に膝を折った。
「大丈夫かしら。立ち上がれそう?」
「わたくしは大丈夫です。それよりも殿下が……」
ヴィアはちらりと子ども達の方を見て、
「あちらの方は心配ないわ。だいぶ落ち着いてきたし、もうすぐ泣き止むでしょう」
それからビエッタ夫人を呼び、
「わたくし達は席を外すわ。子ども達の事をお願いね」
「畏まりました」
「あと、子ども達におやつを出してあげて。
多分、それで落ち着くでしょう。
それから喧嘩をした二人には経緯をきちんと聞いてもらえるかしら。
双方の言い分を聞いてから、どうすれば良かったのかを二人で考えさせて。
大人が無理やり仲直りさせるのではなく、両方が納得して仲良くできるようにしてもらえる?」
「わかりました」
それからヴィアは侍女に、庭園が見える一階のテラスにお茶の用意をするように命じた。
「わたくし達も場所を移りましょう。
セルティス、セクトゥール殿下をエスコートして差し上げて。
プランツォ卿、トラモント卿。水晶宮ではちょうど秋のバラが見頃ですの。マリ様やリリア様にも是非楽しんでいただきたいわ。
シアはわたくしと参りましょうね」
皇后は親を子ども達から遠ざけたいのだなとマリアージェは思った。
確かにこれ以上ここにいたら、子ども達が何をやらかすか心配でとても寛げそうにない。
水晶宮のバラはちょうど見頃だった。
涼しげな秋の風に葉を揺らし、濃淡様々な美しい大輪の花を咲かせている。
テラスには小ぶりの白い丸テーブルが三つ置かれていたが、ヴィアはその内の二つをくっつけさせ、皆で会話が楽しめるようにした。
ヴィアの両脇がセクトゥールとイエルで、イエルの横にマリアージェが座った。
リリアセレナの席はヴィアの正面に用意されたが、おそらくはまだ顔色の優れぬリリアセレナを案じての事だろう。
お茶受けには、砂糖漬けにしたオレンジの皮を一部分チョコレートでコーティングしたオランジェットが出され、運ばれた紅茶には蜂蜜が添えられていた。
「紅茶に蜂蜜を混ぜるなんて初めてですわ」
セクトゥールの言葉に、ヴィアは柔らかく微笑む。
「ええ。わたくしも初めて聞いた時は驚きました。
こちらの蜂蜜は、プランツォ卿夫妻が持って来て下さいましたの。
花の種類ごとに違う蜂蜜を領地で扱っておられ、こちらはマロニエの蜂蜜だそうですわ」
この度の訪問に当たり、イエルは特に質の良い数種類の蜂蜜を選んでアンシェーゼに持参していた。
皇后陛下は早速それを使って下さったらしい。
「ああ。砂糖入りの紅茶とは全然違うな」
蜂蜜入りの紅茶を一口含んだセルティスが感嘆の声を上げる。
「蜂蜜独特のコクは感じられるが、紅茶の風味を損ねていない」
「ええ。優しい甘さが舌に残る感じがしますわ」
味わうように紅茶を飲んだシアもそう言葉を添え、イエルとマリアージェは嬉しそうに目を見交わした。
その後は蜂蜜談議に花が咲き、場は大いに盛り上がったが、そうこうするうちにラダス卿夫妻の到着が知らされた。
ヴィアは、セルティスとセクトゥール妃が座っているテーブルの横に丸テーブルをもう一つくっつけさせ、そこに二人を招く。
「お子様方のところに向かいましたら、陛下や殿下方が誰もいなくて焦りました」
笑いながらそう話してくるルイタスに、
「大人だけで落ち着いて話がしたかったから、こちらに移ったのよ」とヴィアはざっくりと説明した。
「向こうは随分賑やかしかったでしょう?
元気に遊んでいたかしら」
「ええ。わたくし達が行った時には、年長組の子ども達はバックギャモンをやっていましたわ。
年少の子ども達は楽しそうにそこらを走り回っておりました」
セディアがそう答え、テラス席にいた大人八人は密かに胸を撫で下ろした。
どうやらあれからは喧嘩をせずに仲良く遊べているようだ。
そこまでは良かったが、「子どもの一人におじちゃん誰? と聞かれました」とルイタスが続け、紅茶を飲んでいたイエルが紅茶を喉に詰まらせてごほごほと咳き込んだ。
「へえ。おじちゃんって言われたんだ」とセルティスが噴き出しそうな声で言い、
「きっとうちのステファノですわね」とマリアージェは申し訳なさそうな声で申告しておいた。
いいんじゃね? に続いて、国の重鎮であるラダス卿をおじちゃん呼ばわり。
余計な事を子どもに吹き込んだのは自分だが、ここでそれを実践するか……とマリアージェはがっくりと項垂れた。
「それにしても、子どもが十三人もいると圧倒されますね。
私には姉と弟がおりますが、あんな風に兄弟で遊んだ事はありません。
楽しそうで少し羨ましく感じました」
ルイタスの言葉に、「あら、弟君とは年が近いと聞いておりましたが、遊ばれなかったのですか?」とセクトゥール妃が不思議そうに尋ねる。
「ええ。私は小さい頃から親に連れ出されて、大人の相手ばかりをさせられていましたから」
「それは災難でしたわね」
セクトゥール妃は苦笑し、ヴィアに視線を向けた。
「陛下は弟君と仲良く遊んでおられたのでしょう?」
「そうね。遊ばない日はなかったわ」
「喧嘩とかはなさいませんでしたか?」
イエルがそう尋ねるのへ、「口喧嘩はいつもの事でしたわ」とヴィアは笑う。
「下らない事で喧嘩して、仲直りしての繰り返し」
「兄妹ってそういうものですよね」
それを聞いたシアがしみじみと言った口調で呟いた。
「幼い頃、わたくしは兄と掴みあいの喧嘩をした事がありますわ」
思わぬ暴露に驚いたのはマリアージェだ。
こんなかわいい子がそんな事していたんだと、まじまじとシアの顔を見つめてしまった。
「相手がいれば、思い通りにならない事なんて山ほど出てきますもの」
シアは気恥ずかしそうにそう笑い、その横でセルティスが同意するように頷いた。
「喧嘩をする事は子どもにとって必要な事なんじゃないかな。
自分の気持ちをぶつけて、相手からもそれが返ってくる。
そういうのを繰り返して、自分と相手との距離がわかってくるような気がする」
それを聞いたリリアセレナが、「わたくし、兄弟喧嘩なんてした事がありませんわ……」と、どこか寂しそうに首を振った。
「私もありません」
「わたくしもないですわね」
「わたくしも……」
イエルに続き、セクトゥール、セディアが次々と賛同して何となくしんみりとした雰囲気になったが、それを思わぬ形でぶった切ったのがユリフォスだった。
「兄とは一度、取っ組み合いの喧嘩をした事がありますが、仲良くはなれませんでしたね。
今度歯向かったらお前の人生を潰してやると、その後本気で脅されましたから」
皆はぎょっとした顔でユリフォスを見つめ、「私よりも壮絶だな……」とイエルが顔を引き攣らせて言った。
「人生を潰してやるなど、穏やかではありませんね。
兄君はどうしてそのような事を?」
ルイタスの問いに、ユリフォスは軽く肩を竦めた。
「兄は平民を母に持つ私を毛嫌いしていたんです。
兄の母親は正妻ではありませんでしたが、一応貴族令嬢でしたから」
「なるほど。同じ庶子でも格が違うと言いたい訳か」
ルイタスが呆れたように呟き、セルティスが小さく吐息をついた。
「選民意識も甚だしいよな。
でも結局は、貴族令嬢を母親に持つそいつじゃなくて、トラモント卿が継嗣に選ばれたんだろ?」
「ええ。いろいろと事情がありまして……」
わざわざ人に言い立てる事でもなかったため、ユリフォスは言葉を濁した。
「それ以来、兄とは会った事がありません」
「母親が平民だと、いろいろ嫌な事も言われますわよね」
離宮で暮らしていた頃、侍女達から散々蔑ろにされていたマリアージェがそう言えば、セルティスがふと何かを思いついたように皆の顔を見渡した。
「今気付いたんだけど、平民の血を引く人間がこの場には多くないか?」
セルティスの言葉に、マリアージェ、リリアセレナ、セディアの三人が申告するように片手を挙げた。
続いて、ユリフォス、セルティスが手を挙げ、最後にヴィアがにこにこと笑いながら挙手をする。
「両親共に平民です」
「それを言うと冗談にならないから止めて下さい」
セルティスが思わず苦笑し、
「それにしても、皇家の家族会でここまで平民率が高いとは思わなかったな」と軽く頭を振った。
「大丈夫ですわ。この上なく血筋の正しい方が家族会にはいらっしゃいますし」
リリアセレナが楽しそうに笑い、誰の事を言っているだろうと皆は不思議そうにリリアセレナを見た。
「皇帝陛下ですわ」
思わぬ答えに、それはそうだと皆はどっと笑い合った。パレシス帝を父に持ち、皇后を母に持ったアレク帝はこの国で一番高貴な血筋を持つお方である。
そしてそのアレク帝の存在なくして、この家族会は成り立たなかった。
「早く政務を終えて、こちらにおいで下さればいいのに」
ヴィアの声が場に柔らかく落とされる。
マリアージェが思わずそちらを見れば、ヴィアは夫への慕わしさを隠そうともせず、口元に淡い笑みを刻んでいた。
本日、『仮初め寵妃のプライド~皇宮に咲く花は未来を希う~』コミックス第三巻が発売されました。この巻で完結となります。よろしくお願い申し上げます。