型破り元皇女の里帰り6 ~晩餐会~
その後は互いの近況について話が弾み、数か月後に控えた皇弟セルティスの結婚式について談笑していれば、そこにリリアセレナ夫妻が姿を見せた。
久しぶりに見るリリアセレナは以前と同じほっそりとした腰つきで、出産で崩れた筈の体形を見事に元に戻していた。
見たところ長旅の疲れも感じられない。
やや緊張気味に皇帝の前に膝を折り、皇帝夫妻から言葉をかけられて嬉しそうに言葉を返していた。
リリアセレナとは控えの間で少しだけ言葉を交わしたが、お産も軽く済み、子の成長も順調であるようだ。
さすがに四、五か月の赤子を旅に連れ出す訳にはいかないため、一番下の子どもだけは両親に預けてきたとの事だった。
その後は皆で小会食の間へと移動したが、通された部屋は柔らかなダークブラウンを基調色としていて、しっとりと落ち着ける空間となっていた。
格子柄の天井からは籠型をした瀟洒なシャンデリアが吊り下がり、アイボリーホワイトのカーテンと華やかに飾られた会場花の対比が美しい。
テーブルには緋色のクロスが敷かれ、金の燭台と白薔薇を中心にまとめられた装花が鮮やかにテーブルを彩っていた。
アレク帝の乾杯で始まった会食は、マリアージェが想像していたよりも賑やかしく睦まやかなものだった。
というか、場にいるだけで雰囲気が華やぐようなヴィアがアレクの向かいに座して会話をリードしたため、堅苦しくなりようがなかったと言えるだろう。
さて、この会を主催する兄帝アレクは、マリアージェより三つ年上の二十九歳である。
普段は威風に溢れた人物と聞いていたが、寛いだ様子で杯を傾ける姿からは快活そうな若々しさが透けて見え、重圧と重責を背負う大国の皇帝にはとても見えなかった。
セディアの左横に座るルイタス・ラダス卿は、皇帝に直言できる数少ない側近の一人で、臣下というよりも友に近しい立ち位置だ。
皇帝とも気負いなく会話を楽しんでいて、それは皇弟のセルティスも同様だった。
月のように清冽でどこか儚げな美貌を宿すこの皇弟殿下は、見かけと違ってかなり饒舌であるようである。
口が立つばかりでなく、性格も結構過激そうだとマリアージェは密かに心の中で呟いた。
同類の匂いがするから、まず間違いないだろう。
料理は数種類のオードブルからスープ、メインへと進んでいき、紅茶風味のドライフルーツと若鴨のテリーヌに続いて運ばれたのが、海鱒のパンケーキ詰めだ。
さっくりと切り分けて口に運べば、ハーブの効いた鱒の美味しさが口に広がり、マリアージェは満足そうに瞳を細めた。
「陛下にお会いしたら一度伺ってみたいと思った事があるのですけれど」
口の中の料理を音をさせずに飲み込んだ後、マリアージェはこの二年間ずっと疑問に思っていた事を兄帝に直接尋ねてみる事にした。
「なんだ?」
「ロマリス殿下を皇室に迎え入れようと思われたきっかけは何だったのでしょう?」
問われたアレクは、一瞬それとわかるほどに目を泳がせた。
「あー……、別にロマリス本人が罪を犯した訳ではなかったからな」
「そうですわね。赤子の時分に反乱分子に担ぎ出されただけですもの」
それでも謀反は謀反である。
前帝ならば毒杯による賜死を早々に命じていたであろうし、そうでなければ一生幽閉とされていてもおかしくなかった。
罪を許して皇族に復帰させるなど、普通では考えられない。
「皇室に迎えようと決断されたきっかけが、何かあった筈ですよね」
「マリアージェ……」
イエルが、そんな事を聞いて大丈夫なの? といった目で見てきたが、一応この場は無礼講だと聞いている。
それに場には皇后陛下がいらしたから、少々の事は笑い飛ばしてもらえる気がした。
「……皇后が偶然ロマリスの置かれた現状を知ったからだ」
渋々とアレクが答え、
「偶然?」
マリアージェは意味がわからずに首を傾げた。
アレクはそのまま黙り込み、マリアージェが困惑した眼差しを皇后に向けると、ヴィアはあらあらといった顔で小さく笑った。
「もう二年以上前の話ですし、話しても構いませんかしら」
「おい、ヴィア」
「あの子は一生懸命頑張ってくれましたもの。
公にする事はできませんが、家族内でならよろしいのではなくて?」
ヴィアの言葉にアレクは小さく嘆息し、ややあって仕方ないなというように頷いた。
アレクの許可を取ったヴィアは、これから話す事はここだけの秘密にして欲しいと皆に頼み、その経緯を話し始めた。
「詳しい事情は申せませんが、この皇宮には他国の宮殿同様、いろいろと隠し通路がございます。
ここまでは普通の話ですけれど、ある日わたくしがうっかりと古い仕掛けを作動させ、そこに落っこちてしまいましたの」
「は? 落っこちた?」
「ええ。いきなり床が傾いたかと思ったら、そのまま一気に穴の中に落下しまして」
マリアージェは思わずあんぐりと口を開けた。
皇后陛下が、うっかり、穴に落っこちる……?
あり得ない……とマリアージェは心に呟いた。一体どんなポンコツ国家だと心に呟いたマリアージェを誰が責める事ができるだろう。
場はしーんと静まり返り、事情を知っているらしいセルティスとルイタスの二人が、どこか気まずそうに視線をちらりと交わした。
「お怪我はなさいませんでしたか?」
ややあって、ユリフォスが気を取り直したように尋ねかけ、「大丈夫でしたわ」とヴィアが明るく笑う。
「ただ、その後どうしていいかわかりませんでしたの。
取り敢えずわたくしが落ちるところを護衛騎士が見ておりましたので、その場に留まって助けを待つ事に致しました。
ほら、街で道に迷った時は、焦ってむやみに歩き回るのではなく、はぐれた時点でじっとしているというのが迷子の鉄則でございますでしょう?」
「……そんな鉄則があるのですね。初めて知りました」
感心したようにリリアセレナが言ったが、いや、そんな知識何の役に立たないから! とマリアージェは心の中で突っ込んだ。
貴族令嬢や奥方が街中で迷子になるなんてまずあり得ないし、庶民色の強いマリアージェだって、母からそんな教えは受けていない。
というか、そんな教育を施された皇女がいるなんて初めて知った。
「ところがわたくしが落ちた通路がたまたま皇帝陛下の知らない通路でしたので、さあ大変」
何となく続きが気になる語り口に、マリアージェは思わず身を乗り出した。
「薄暗闇の中で独りぼっちで夜を過ごし、朝になってわたくしはようやく救出が来ないと気付きました。
ですから取り敢えず一方向に向かって歩き始め、そうやって辿り着いた先がロマリスが幽閉されていた紅玉宮だったのです。
けれども、通路の出口は家具で半分塞がれていました。
わたくしは出るに出られず、そのまま力尽きて倒れていたところを、偶然小さなロマリスが見つけてくれたのですわ」
「そんな事があったのですね……」
皇帝を挟んで向かいに座っていたセディアがほうっと息を吐き、夫のルイタスが苦笑混じりに口を開いた。
「アンシェーゼの面子にも関わる事だから、とても公にはできなかった。
だからこの件を知っているのは、政権の中枢部にいる一握りの人間だけだ」
「殿下もご存じでしたの?」
シアが心配そうにセルティスに尋ね、
「ああ。あの時は肝が冷えた」とセルティスが小さく笑う。
「隠し通路に落ちたのは確かだったが、かなり昔の地下通路で、どこに繋がっているのかが全く掴めなかったんだ。
あのままだと行方不明のまま日々が過ぎて、考えたくもない事だけど遺体も見つからない可能性もあった」
マリアージェは思わずぞっとヴィアの顔を見た。
それほど大変な事態であったのだと、今更ながらに肝が冷える思いがした。
「話はロマリスに戻るけど、辿り着いた紅玉宮であの子は不当に扱われていたの。
紅玉宮の使用人らは自分達が落ちぶれた事実が受け入れられなくて、誰かのせいにしたかったのでしょうね。
ロマリスが生まれなかったら、外祖父のセゾン卿は変な欲をかく事もなく、紅玉宮は今も栄えていた筈だ。……そんな下らない理由でロマリスはずっと虐げられていたの。
助けを求めたわたくしに、あの子は誰も私の言葉は聞かないよって言ってきたわ。
自分はいない方がいい人間だから、何を言っても無視をされるって」
「ひどいわ……」
リリアセレナが青ざめた顔で呟き、ユリフォスが落ち着かせるように妻の肩に手を置くのが目の端に見えた。
ヴィアは表情を翳らせたまま、緩く溜め息をついた。
「小さなロマリスでは家具を動かす事ができなくて、だからわたくしは皇帝陛下に知らせて欲しいとあの子に頼んだの。
あの子は門のところまで駆けて行って、必死に助けを呼んでくれたわ。
最初は誰にも相手にされなかったけれど、そのうちようやく、わたくしを探していた騎士の一人が騒ぎに気付き、ロマリスの話を聞いてくれたの」
「門兵に何度追い払われても、ロマリスは諦めずに助けを呼び続けてくれたんだ」
アレクがそう補足した。
「それがなければヴィアは死んでいただろう。
だから今度は、私がロマリスのために何かをしてやるべきだと思ったんだ」
「そんな事があったのですね」
頷くマリアージェに、
「姉上を助けたロマリスの功績は大きいからね」
重くなった場の雰囲気を和らげるようにセルティスが明るく笑う。
「あれから紅玉宮の使用人は総入れ替えとなった。
待遇が百八十度変わってロマリスも最初は戸惑っていたようだけど、今はすっかり子どもらしい明るさを取り戻した。
毎日水晶宮にやって来ては、甥っ子達と遊んでいるよ」
「良かったですわ」
ほっとしたように呟くリリアセレナに、ヴィアが優しい眼差しを向ける。
「明日の午前中に迎えの馬車を遣わせますので、リリア様もどうぞご家族と皆で水晶宮にいらして下さいね。
プランツォ卿夫妻もお子様方と是非、水晶宮へ。
マイラもロマリスも、皆様方に会えるのをとても楽しみにしていますわ」
「ありがとうございます」
「是非そのようにさせていただきます」
イエルとユリフォスが口々にヴィアに礼を述べた。
「わたくし達もお邪魔してよろしいでしょうか?」
セディアが控えめに尋ねかけ、「勿論ですとも」とヴィアは笑った。
「是非ご夫君といらしてね。
セルティス。貴方もシアと一緒に水晶宮にいらっしゃい」
「そうします」
セルティスは嬉しそうに答えたが、ただ一人アレクだけは、妻に誘われなかった事が不満であったらしい。
「おい、私の事は誘わないのか?」
「陛下にはわたくしの許可など必要ありませんでしょう?」
ヴィアは鈴を転がすような声で笑った。
「子ども達はいつでも陛下の訪れを待っておりますわ。
明日は是非お越しになって下さいませ」
「うむ。そうしよう」
アレクは満面の笑みで頷いたが、生憎、そうは問屋が卸さなかった。
「あー……、陛下。午前中は使節団との約束が入っているのでお諦め下さい」
ルイタスが容赦なく皇帝の予定を告げ、言われたアレクが嫌そうに顔を顰めた。
「皆が一家団欒のひと時を過ごすのに、何故私だけが仕事をしないといけないんだ」
ぶちぶちと文句を垂れるアレクに、
「何故と言われましても、そういう予定になっているのですから仕方ありません」
ルイタスはあっさりと肩を竦めた。
「その代わり、昼餐から午後にかけては空けておくとグルークが言っておりましたよ」
「……わかった」
仏頂面で頷く兄を見ながら、皇帝稼業も大変そうねとマリアージェは心に呟いた。
まあ、この兄帝の肩にはアンシェーゼの家臣と民の生活と行く末がかかっているのだ。
大変だが、頑張ってもらうしかない。
「明日はすごい人数が水晶宮に集まる事になりそうですね」
イエルが楽しそうにそう言い、「子ども達だけでも十人を超えますものね」とマリアージェは笑った。
「皇子殿下に二人の皇女殿下、マイラ殿下とロマリス殿下と、マリ様のところが四人、わたくしのところが四人……」
リリアセレナが一生懸命数を追っていると、
「全部で十三人だね」
頭で計算していたユリフォスが瞬時に人数をはじき出した。
「すごい数だな。早々に退室させてもらわないと、疲れて熱を出しそうだ」
「まあ、セルティス。貴方がそんなに病弱だっただなんて初めて知ったわ」
ヴィアがからかうように言い、周囲がどっと笑った。
そう言えばこの皇弟は十二歳まで病弱設定で宮殿に閉じ込められていたのよねとマリアージェは思い出す。
実母に虐待された第二皇妹、婚家で虐げられていた第三皇妹、存在を忘れられたまま、三つで父帝を失った第五皇妹に、幽閉されていた第三皇弟。
それぞれ不遇を託っていた兄弟姉妹が、今、十数年の時を経て、一堂に会そうとしている。
その事が得難い奇跡のように思え、マリアージェは幸せそうにさざめき合う家族の顔を見渡して、眩しそうに瞳を眇めた。