型破り元皇女の里帰り3 ~ヴィアと会う~
「どうぞ、余り構えられませぬように。
皇后のヴィアトリス・シェーゼですわ。
こちらは、セルティスの婚約者のオルテンシア・ベル・カルセウス。
プランツォ卿、マリアージェ様、ようこそアンシェーゼにおいで下さいました。お会いできて本当に嬉しいわ」
皇后ヴィアが姿を見せた途端、部屋の中がぱあっと明るくなったようだった。
その華やかなオーラにも増して、美しさの度合いが半端ない。
マリアージェは自分も結構な美女だと自負していたが、目の前に立つ皇后はマリアージェの予想を遥かに超えた圧巻の麗人だった。
白く小さな顔をけぶるような淡い金髪が縁取っていて、すっと通った鼻梁といい、ふっくらとした小さめの唇といい、すべてが完璧に整っている。
湖水のような瞳は生き生きと輝いていて、その瞳に射抜かれたマリアージェは思わずどぎまぎと瞳を伏せた。
同性に対してここまで強い衝撃を覚えたのは初めてで、さすがに言葉を失ってしまう。
一方、マリアージェの傍らに立つイエルは、この人外の美貌に全く心を乱されなかったようだ。
「イエル・ロイド・プランツォと申します。こちらは妻のマリアージェ・ヴェル・プランツォ。
この度はお招きいただき、誠にありがとうございます」
穏やかな笑みを浮かべて言葉を返し、この人なんで平気なのかしらとマリアージェはついつい横目で夫の顔を窺ってしまった。
どうやら妻一筋のイエルにとっては、マリアージェ以外の女性の美しさなどどうでもいい類いのものであるらしい。
どっしりと落ち着いた夫の様子に、マリアージェもようやく平素の自分を取り戻した。
「陛下、カルセウス様、お会いできて光栄です。
マリアージェと申します。どうかお見知りおき下さいませ」
ふわふわと浮き立つ心を抑えてお二人にそう言葉を返せば、皇后の斜め後ろにいたオルテンシアが一歩前に進み出て、優雅な仕草で膝を折った。
「オルテンシア・ベル・カルセウスと申します。
ご夫妻にお会いできます日をずっと楽しみにしておりました。
わたくしの事は、どうぞシアとお呼び下さい」
柔らかな声音に引き込まれるようにマリアージェの口元がつい綻んだ。
「では、わたくしの事はマリと。親しい友人は、わたくしをそう呼んでおりますので」
「マリ様……」
シアはその響きを楽しむように口の中で小さく転がして、にっこりと微笑んだ。
「ではそのようにさせていただきますね」
目のぱっちりとしたかわいい子だこと……とマリアージェは一目で好感を持った。
琥珀に近いような薄茶色の瞳と栗色の髪の毛をしていて、何だか妙に構いたくなるし、守ってあげたくなる。
名もない貴族から皇弟の婚約者にまで上り詰めたという経緯から、野心に溢れた堂々たる美女を想像していたのだが、目の前に立つ令嬢はそれとは凡そ正反対だ。
お菓子に例えれば、口の中で淡くほどけていくマシュマロである。
ショコラのような高雅な苦みはなくて、優しい甘さがふんわりと喉を滑り落ちる。
セルティス殿下の好みってこんな子だったんだ……と、マリアージェは頭の中で弟の情報を一つ書き加えた。
皇后も可愛くて堪らないといった眼差しでシアを見ており、どうやら義姉妹仲も極めて良好であるようだ。
四人は窓に面した応接の間に移り、扉から遠い二人掛けのソファーに皇后ヴィアとシアが座り、テーブルを挟んだ向かいにイエルとマリアージェがそれぞれ座った。
「陛下。まずはお礼を申し上げさせて下さいませ」
マリアージェの言葉に、ヴィアは不思議そうに、「お礼?」と小首を傾げた。
「はい。セルデフィアの事でございます。十九年前、紫玉宮から紹介状をいただいたと聞きました」
まだ身内ではないシアの前でどこまで話していいかわからなかったため、マリアージェは母と言う言葉を使わず、敢えて礼だけを口にした。
「セルデフィア様、懐かしい名ですこと……」
ヴィアは柔らかく微笑み、「ここでその名を出されるという事は、プランツォ卿も事情をご存じなのですね」とイエルの方に目を向けた。
「はい。嫁いできた時、妻はようやく八つになったばかりで、うっかりその事を漏らしてしまったのです」
「そう。夫婦の間に隠し事がないのはよろしい事ね」
そしてヴィアは、一人話についてこれずに首を傾げているシアにいたずらっぽく笑いかけた。
「セルデフィア様というのはマリ様のご生母のお名前よ。
今は市井に下りられていて、ダンフォードという薬問屋の奥方になっておられるわ。
本来なら宮殿で一生過ごされる筈だったのだけれど、嫁がれる前にマリ様がお父君に当たられる前帝に直談判なさったの。
母を自由にして下さいって」
「え。そのような事が可能なのですか?」
目を丸くするシアに、ヴィアは笑いながら首を振った。
「勿論許されないわ。だから表向きはセルデフィア様は離宮で亡くなられた事になっているの。
だからシアも誰にも言っては駄目よ。一応これも国家機密だから」
「国家機密……」
シアはみるみる顔を青ざめさせ、くるくると変わる表情にマリアージェは思わず噴き出しそうになった。
何だろう。
うちのシロが驚いた時に見せる表情とそっくりだわとマリアージェは心に呟いた。
マリアージェの飼っているシロは綿のように真っ白な仔猫で、仕草も優美でいつもはつんと澄ましている。
が、妙にビビりなところがあり、ある日シロを抱っこしていたマリアージェがしゃっくりをしたら、腰を抜かすほど驚いてぶわっと毛を逆立てていた。
「母を迎賓宮に招く事をお許しいただきまして、本当にありがとうございました」
改めてマリアージェが頭を下げると、ヴィアは「いいえ」と微笑んだ。
「迎賓宮に滞在される方がミダスの商人を招くのは往々にある事よ。どうぞお気になさらず」
そして優しく言葉を続けた。
「ダンフォード商会では、すでに手油クリーム『マリアージェ』を扱っておられるようね。
わたくしは母からセルデフィア様のその後について聞いていたからすぐに足取りを追えましたけど、プランツォ卿はよくダンフォード商会に辿り着けましたこと」
「私が探し出した訳ではなく、商会の方から連絡を取ってきたのです」
イエルは穏やかに説明した。
「商会の当主が『マリアージェ』を当家で扱いたいと文を寄越し、妻のたっての願いだとわざわざ書き添えてきました。
その妻が皇宮で下級侍女をしていた事や、手放した娘の名がマリアージェであるという事まで知らせてきましたので、もしかしたら……と思ったのです」
「そうでしたか。
ではセルデフィア様は、ずっとマリ様の事を案じておられたのでしょう」
ヴィアは小さく頷き、マリアージェの方に静かに目を向けた。
「わたくし自身はお会いした事はないけれど、わたくしの母のツィティーはセルデフィア様と会った事があるのよ」
「そうなのですか?」
思わぬ言葉に、マリアージェは驚いてヴィアを見た。
「ええ。紫玉宮の紹介状を持たせる訳だから一度顔を見ておきたいと、母がパレシス帝にお願いしたの。
その時に、わたくしもセルデフィア様に会いたいって母に頼んだのだけれど、貴女は病弱設定になっているから駄目って言われてしまったわ」
病弱設定……。
マリアージェは思わずイエルと目を見交わせた。
皇后は皇女時代、ずっと紫玉宮で寝込んでいるという噂だったが、どうやらあれは単なる設定であったらしい。
「あの……、何故会いたいと思われたのでしょうか?」
取り敢えず、一番気にかかった事を尋ねてみれば、
「貴女の母君だから」
ヴィアは迷わずにそう答えた。
「マリ様はわたくしと二つしか年が違わないのに、随分しっかりされていたでしょう?
自分が嫁いだ後、母君を自由にして欲しいと皇帝に直談判し、生活に困らないだけの金子も持たせて欲しいとお頼みになったそうね。
幼い身で他国に嫁がされるのに、自分の身よりも母君を案じられるなんてなかなかできる事ではないわ。
何よりあの場で金子について言及できるなんて、ただ者じゃないと思ったの」
「さ、さようですか」
ただ者ではないと評されたマリアージェは、たじたじとなりながら何とか顔に笑みを貼り付けた。
「確かに市井に下りるなら、先立つものは必要よね」
ヴィアはその理を噛み締めるように大きく頷いた。
「成るも成らぬも金次第、大抵の雑事は金子があれば解決できますものね」
「……そんな庶民的な道理を陛下もよくご存じでしたこと」
まさか皇宮でそんな言葉を聞くようになるとは思わなかったと思いつつ、そう言葉を返せば、
「わたくしはいずれ市井に下りるつもりでいましたから」
ヴィアはいきなり爆弾発言を放ってきた。
「ですからお忍びでよくミダスの街にも行っておりましたのよ。
あっ、一応これも国家機密なので、内密にしていただけるとありがたいわ」
ほほほほ……と笑いながらそう言われ、マリアージェは笑顔のまま固まった。
そんな国家機密などできれば知りたくなかったと思ったが、聞いちゃったものは仕方がない。
ふとヴィアの傍らに座るシアに目をやれば、そちらの件についてはすでに知っていたのか、シアはにこにこと笑っていた。
それにしても、さっきから国家機密がやたら気軽に話されているけど大丈夫なのかしらと、周囲にささっと目を走らせれば、部屋の隅で控えている皇后の護衛騎士とばっちり目が合ってしまった。
迎賓宮付きの侍女は皆退げられていて、部屋に残っているのは皇后が連れてきた二十代後半のこの騎士だけだ。
金髪のくせ毛が一か所だけ跳ねていて、そこが妙に印象に残る。
確か、カミエと紹介された気がするが、市井に下りるつもりだったという皇后の発言にも一切顔色を変えていないところを見ると、すべての事情を知らされていると考えていいだろう。