元皇女は再び呟く 2
「ところでイエル様はまだ領地のツープから帰られていないの?」
傍らに控えるハンスにそう尋ねれば、
「もう直、帰られると思います。マティス公国での販路が伸びたようなのでする事が多いようですね」
そう答えが返ってきて、マリアージェは苦笑した。
「マティス公国には異母妹の顔を見に行っただけなのに、ちゃっかり販路を開発開拓して帰られるのだから、イエル様はつくづくすごいお方よね」
つい先日、マリアージェは夫と四人の子と共に、マティス公国の旧家に嫁いでいた妹のリリアセレナ夫婦のところに遊びに行っていた。
必然的にマティス公国の高位貴族らと顔を繋ぐ事になったのだが、そうして知り合った貴族らにイエルはツープで扱っている蜂蜜の美味しさをさりげなく触れ回ったらしい。
花の種類にまで拘った最高級の蜂蜜は一流を求める貴族らの関心を大いに引き、懇意となった幾人かにイエルが瓶詰めの蜂蜜を贈った事から、マティス公国内の蜂蜜ブームに火がついた。
高位貴族らが挙ってツープの蜂蜜を買い求め、今や需要に供給が追いつかない状態である。
そもそもマリアージェ達がマティス公国を訪れるきっかけとなったのは、故国アンシェーゼから唐突に届いた皇后ヴィアトリスからの手紙だった。
この皇后はマリアージェの父、パレシス帝の養女であった女性で、義兄である現皇帝アレクと結婚して、現在は皇后となっている。
形式上はマリアージェの義妹だが、面識はなかった。
その皇后から、何の前触れもなく、『家族で顔を合わせたいので里帰りをしませんか』という謎のお誘いが来て、当然のことながらマリアージェは困惑した。
政治的な意味があるならまだしも、家族で集まりたいなどという庶民的な理由で皇后が皇女の里帰りを勧めるなど、前代未聞であったからである。
そしてマリアージェは久しぶりに、自分に母の異なる兄弟姉妹がいる事を思い出した。
因みに内訳は、異母兄一人と異母妹が三人、異母弟二人である。
義妹となるヴィア皇后を合わせれば八人兄弟となる訳だが、勿論、兄弟の誰とも会った事がなかった。
ああいう父親から生まれた子ども達であったため、互いの事は名前くらいしか知らない。
関係は非常に希薄で、このまま一生顔を合わす事もなく過ごすものだと信じていたが、何故か故国では異母兄と義妹が結婚して、国に残っている異母弟妹らを可愛がり始めた。
反逆罪で幽閉させられていた筈の末弟はいつの間にか復権していて、自分より三つ下の妹セディアは、シーズで不幸な結婚生活を送っていたのを国に呼び戻してもらい、華やかなお披露目会まで催してもらっている。
上の弟は成人皇族として兄皇帝のために尽くしており、末の妹も皇帝夫妻に可愛がられていると風の噂に聞くようになっていた。
そうした兄弟の輪から何となく弾かれた形になっていたのが、セクルト連邦に嫁いでいたマリアージェとリリアセレナで、どこか寂しく思っていたところに里帰りのお誘いの手紙が来たため、マリアージェは俄然乗り気になった。
手紙には、今は出産を終えたばかりで、五月にもセディア殿下の結婚が控えているため時間が取れないが、暑さの厳しい夏場を避けた九月か十月ごろに皆で集まりませんかみたいな内容が丁寧な文章で綴られていて、マリアージェはすぐに承諾の旨を書いて送った。
そしてその前に一度、隣国に嫁いでいる妹と会ってみたいと思いついたマリアージェは、日を置かず、リリアセレナにも手紙を出してみたのである。
リリアセレナからはすぐに返事が来て、手紙をやり取りする中で意気投合した二人は家族で会おうという話になり、つい先日、マリアージェは家族六人でマティス公国を訪れる事になったのだ。
「リリアはわたくし達の訪問に合わせて大掛かりな夜会を開いてくれたでしょ。
リリアの家は公国内でかなりの影響力を持つから、イエル様は人脈をたくさん広げる事ができたみたい」
夜会の開催に尽力して下さったのは、現当主のロベルト・アンテルノ卿夫妻である。
リリアセレナはその継嗣であるユリフォス・アンテルノに嫁していて、そのユリフォスは今、アンテルノ家がいくつか持っている貴族位の一つ、トラモント卿の名を名乗っていた。
「舞踏会に招かれた招待客の顔ぶれがそれはもうすごかったのよ。名だたる旧家はそろい踏みで、マティス宮廷内で力を持つ方ばかり。
ロベルト・アンテルノ卿自ら一人一人紹介して下さって、あれは本当にありがたかったわ」
どれほどの人脈を持つかは貴族の価値を大きく左右する。そういった意味で、あの訪問は思わぬ収穫をプランツォ家にもたらす事となった。
「あのね、ハンス。リリアはアンテルノ家の嫁の筈なのに、アンテルノ卿の傍にいるとまるで父娘なのよ。
夫人のヴィヴィア様もリリアの事が可愛くて堪らないっていう感じで、嫁姑の確執はどこに行ったの? とびっくりしたわ」
「まさか、馬鹿正直に口にしなかったでしょうね?」
「あら、勿論、直接リリアに聞いたわよ」
マリアージェは澄ましてそう答えた。
「どうやらリリアが嫁いだ時、ご主人のユリフォス様はガランティアの王立修学院に留学中だったのですって。
それでユリフォス様が留学から帰ってくるまで、七つのリリアを親代わりに育てられたのがアンテルノ卿ご夫妻だったそうなの。
あの仲の良さはだからなのねって納得したわ」
「ああ、そうだったんですか」
ハンスもそこまでは知らなかったようだ。
「リリアもいい縁に恵まれたと知ってとても嬉しかったわ。
わたくしたちの父親は最低だったから、嫁いでまた不幸になるのは辛すぎるもの」
マリアージェの言葉にハンスは苦笑した。
マリアージェの父、パレシス帝はハンスに言わせれば人間のクズである。
兄を殺して帝位に就いたという経緯もいただけないが、皇后に一人子を産ませた後は女遊びにのめり込んで、母親の違う子どもを次々と作ったのはあまりに無責任だ。
誠実さの欠片もなく、イエル様の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだと常々思っていたが、賢明なハンスは口には出さなかった。
マリアージェと非常に似通った過激な性格はしているが、そこら辺の判断能力と自制心は一応持ち合わせているのである。
「リリアとはお父様の悪口で盛り上がったわ」というマリアージェに、
「死人に鞭打つような真似をなさってはなりません」と、いかにも常識を持った家令の振りをして窘めておいた。
「あら」とマリアージェはハンスを軽く睨んだ。
「そう言えばリリアからものすごい話を聞いたの。
パレシス帝がツィティー妃を寵愛していたのは有名だけど、あの話には裏があったんですって。
ツィティー妃の目の前で夫を殺して、娘の命と引き換えに自分の許に来るようにさせたそうよ」
余りに鬼畜な所業にハンスは言葉を失い、「まさか……」と呆然と呟いた。
「前皇帝の恥に繋がる事だから大っぴらにはされてなかったけど、そこそこ噂にはなっていたみたいね。
リリアは親戚筋の旧家の夫人からこっそり教えてもらったと言っていたわ。もうびっくりよ」
下種の極みだなとハンスは心に吐き捨てたが、マリアージェをつい先ほど窘めた手前、そうも言いにくい。
そろっと視線を外すと、マリアージェは勝ったとばかりに口角を引き上げた。
どうやらハンスの胸の内などお見通しであったようだ。
活動報告への返信や感想をありがとうございました。また誤字報告ではお世話になりました。2月28日に、「仮初め寵妃のプライド」コミックス2巻が発売される事になりました。こちらの方もよろしくお願い致します。