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なぜ、わたしは初めて街へ行くのか?


 部屋の中はシンと静かだった。時折、本のページを繰る音と、紙に文字を書き込む音が立つが、それ以外の物音はなかった。静かなのはどちらかと言えば好きな方である。しかし、こうも毎日毎日、部屋で一人で勉強に勤しむのは辛いというものである。


 この静寂が崩壊するときがある。食事の時である。この研究室では必ず全員で食事をするため、朝昼夕食の3回と休憩の1回、ベン博士とレイさんが顔を見せる。それ以外の時はベン博士とレイさんは別々の部屋にいて研究をしていた。どうして、ご飯を一緒に食べるのかがなんとなくわかった。それぐらいの時しかコミュニケーションを取る時間がないのである。したがって、その時の会話の中心はいつも研究の進捗具合や結果報告、これからどう実験を進めるかである。わたしは全くといっていいほど博士とレイさんの話している内容がわからなかった。


 しかし、わたしのことも必ずと言っていいほど話題にあがることがあった。異世界のことを知るためという名目で様々な質問をされるのである。この時が、唯一の楽しみだった。博士もレイさんも食い入るようにわたしの話を聞いてくれる。けれども、2,3日に一度レイさんがわたしの採血をするくらいで、それ以上の実験体らしいことはされなかった。


 異世界生活が始まって、1週間程度経過した頃に1度、退屈が過ぎて、研究中のレイさんと博士を訪ねたことがある。レイさんの服はいつもと違っており、黒と白を基調としている点では同じであるが、白が服の大半を占めていた。いうならば、メイド風白衣であった。


 何やら巨大な金属の筒につながったパソコンを必死に見つめており、真剣そのものだった。怒られるかと思ったが、勇気を出してこれは何かと質問したところ、丁寧に解説してくれた。レイさん曰く、何かに興味を抱くことは素晴らしいことだから、気になることがあればいつでも質問していいとのことだ。しかし、レイさんの説明にわたしの理解は全く追い付かず、途中で断念するのだった。


 一方、博士はいつも同じ部屋に籠っていた。たまにフラフラと森の中へ散歩をしに行くが、基本的には自分の部屋にいる。研究風景を見せてもらったが、こちらもパソコンとにらめっこして、ノートにペンをはしらせるだけだった。今、何をしているのか聞いたところ、「計算」と一言答えるだけだった。計算することがどうして研究になるのか、わたしにはわからなかった。


 なんか期待していたのと違いますね。異世界ってもっと変なことが起きるんだと思ってましたけど、慣れてしまえばたいしたことないです。研究も見てる分には地味で退屈ですし。


 わたしが机に突っ伏しておると、部屋の扉が開く音がした。レイさんだった。外を見るともすぐ日は沈みそうで、そろそろ夕食の時間であることがわかった。

 部屋に入ってきたレイさんは机にうなだれるわたしを見て言った。


「サボりですか?リンさん」

「なんかつまらなくてですね」

「あまり恥ずかしいことを言わないでください。つまらないのは、あなたがつまらないからです。人は当然ながら脳で楽しみを感じます。こころは胸の中ではなく、脳にあるのです。自分の中に楽しさがあれば、一人でも、何もしてなくても、楽しいものです」

「妄想は楽しいってことですか?」


 レイさんは作業をしながらため息をついて、どうとらえるかはあなた次第ですと言った。


 レイさんの反応にわたしは、怒られたわけではないが、なんだかそれ以上に気が落ち込むのだった。


「レイさんは研究楽しいですか?」

「ええ。普段は辛いことの方が多いですが、それを差し引いても余り余るほど興奮する瞬間があります」

「へー」


 ガチャリと音を立てて再び扉が開いた。博士だった。


「博士、今日は早いですね。急いで準備します」

「いや、ゆっくりでいいよ、レイ助手。それより、モルモットくん」

「有希リンです!」

「すまない、わざとなんだ」

「わざとなんですか!そこはわざとじゃないって言うところですよ」

「そんなことより」

「そんなことではありません」

「明日、カレッジに行く。君も来るかい?」

「カレッジ?大学ですか?」

「まあ、そんなところだ。来るかい?」

「それって、街に行くってことですよね!行きます、ぜひ!」


 わたしは興奮のあまり立ちあがって答えた。やった!初めて森を出ます!


「じゃあ、明日8時に研究所を出るから、準備をしておくように」

「はい!でも急にどうしてですか?」

「カレッジに用があってね。ついでに退屈そうな君の良い刺激になればと」

「ばれてましたか」

「バレバレだったよ」

「えへへへ」


 明日、とうとう街に行きます!何が待っているのでしょうか?今からワクワクします。今夜は楽しみで眠れないこと必至でしょう!!



 朝。わたしは目の周りに隈を作って食事をしていた。レイさんが作るごはんはやはり絶品だったが、今日はいまいち食欲がなかった。眠れないこと必至でしょう!とはいったものの本当に眠れないとは。


「君、寝てないね。しっかり休息はとるべきだよ」

「わ、わかってるんですが、どうしても眠れなくて」

「子供みたいですね。リンさん」


 返す言葉もなかった。レイさんがせっかく作ってくれたご飯を残すわけにはいかず、全て腹へと流し込み、外出のための身支度を始めようとした。普段、夜眠るときはレイさんが作ってくれたパジャマを着ていて、これがまた寝心地がいい。柔らかくて肌触りがよく温かい。向こうの世界では触れたこのない感触の生地が使われていた。これはもしかしたらわたしが安物の服しか着ないせいであって、高級な布を使ったものはこんな感じなのかもしれない。どうだろう。


 わたしはいつも着ている高校の制服に着替えるために部屋に戻ろうとした。元いた世界から持ってきたのは制服など身につけていたものくらいだった。もともとは動きにくいため、あまり好きではない制服だったが、今ではこれが一番落ち着くのでほぼ毎日着ていた。


 階段を上ろうとしたわたしにレイさんが声をかけた。


「リンさん。今日はあの変な服はダメですよ」

「どうしてですか?あと変な服ではなく制服です」

「あの格好で街に言ったら目立ちます。これを着てください」


 レイさんの手にはハンガーにかけられたワンピースが握られていた。それは赤を基調とした半袖のワンピースで、袖やスカート、襟の部分には白い刺繍がされており、少々派手ではあるものの可愛らしく、それでいてどこか大人っぽさも感じられた。


「かわいい!どうしたんですかそれ?」

「昨日、作りました。目測ですがサイズはきっと問題ないはずです」

「すごい!いつの間に」

「ですから昨日のよ」

「ありがとう!!レイさん、早速来てみます」


 わたしはついレイさんの両手をがっしりとつかみ、お礼を言ってワンピースを持って部屋に戻った。着てみると採寸したようにサイズはピッタリだった。少し太ると着れなくなりそうでそれだけが心配だったが、わたしは嬉しさのあまり鏡の前で何度も回ってみた。回るたびにひらひらと舞うスカートの裾、それが描く軌跡はとても美しかった。そうしていると、下から博士が呼ぶ声が聞こえた。


「そろそろ行くよー」

「はーい!」


 わたしは急いでドタドタと階段を降りた。博士は外で待っていた。服装はいつも通り、真っ白の服で手には少し大きめの緑のカバンと白いポシェトをもっていた。


「その服、とても似合ってるね。眠気もどこかへとんだみたいだ」

「レイさんが作ってくれました!」

「さすがレイくんだ、赤とは気が利くね。じゃあ、僕からはこれだ」


 そう言って博士は手に握っていたポシェットを手渡した。


「ありがとうございます!でも、これまさか博士が作っ」

「まさかね。以前買ったものだよ。中を見てごらん」


 わたしはかぶせを止めている金具を回して開けた。そして中を確認したところ、ハンカチや絆創膏、財布らしきもの、あとは黒い蝶がいた。蝶は黒い羽をゆっくりと動かしながら、他の物につぶされないように端っこにとまっていた。ん?蝶?


「博士、えっとこれは」

「必要そうなものは一通り詰めておいた。財布にも困らないだけのお金は入れてある」

「あの…これなんですけど」

「ああ。その蝶のことか。簡易な通信機器だ。本来は遺道を使ってある程度の通信はできるが、君は遺道がまだ使えないからね」

「どうやって使うんですか?」

「手を近づければ乗ってくれるから、そのあと耳のそばにまでもっていきなさい。耳に張り付けば通信できる。わたしに直接つながるように設定してあるから、もし、僕がいないところで困ったことがあったら使いなさい」

「…耳に張り付く」


 わたしは虫が苦手なので極力使わないようにしようと決めた。蝶々は美しいというイメージがなぜか刷り込まれているが、実物を見ると幻滅してしまう。何であれ虫は虫である。


 そろそろ乗ろうか、といって博士が乗り込んだのは2人乗りの茶色い自動車だった。わたしも乗り込むと音がし始めた。しかし、奇妙なことにエンジンの音というよりは鼓動に近い音がした。


 ま、まさか生き物じゃないですよね。見た目は完全に車ですし。


 次第に鼓動のような音のテンポは速くなっていく。ドッドッドツドッ。


 きもい。きもい!


「ベルクマンまで」

「誰に行ったんですか?」

「これだよ」


 と博士が指をさしたのは予想はしていたがやはり車だった。車の鼓動は切れ目がわからなくなるほど早くなり、そして走り出した。ドドドドドドドドドドッ。運転手はおらず、どうやら自動運転のようである。

 かなりのスピードが出ており、力を抜くと体が座席に押し付けられる。しかし、音やスピードに反して、運転は丁寧で、ほとんど揺れることはなかったが。


「これちょっと早くないですか?」

「大丈夫、事故を起こすことはまずない。そして久々に乗ったが、いい音だね」

「…そうですか」



 気がつくと、街についていた。途中、外を眺めようとしたが、あまりのスピードの速さに慣れることができず、結局最後まで下を向いてしまっていた。急カーブであろうとほとんどスピードを落とさず走るそれは見事だったが、初めて乗る者にとっては恐怖でしかなかった。


「着いたね」

「やっとですか。ここどこですか」

「降りて顔をあげてごらん。ここがベルクマン、シーストス律国の中心都市だ」


 わたしは車から降りて外を見た。それは圧巻の景色だった。そびえ立つビルのような建物の数々。しかし、前にいた世界のビルとは異なり、レンガ造りのものや、動物の体のような柄や、時には毛が生えている建物まであった。どれもが有機的で温かい雰囲気をまとっている。時々、動いているように見えるのは気のせいだろうか。


 お店もたくさん並んでいて、お菓子の甘い香りや、さっき朝ご飯を食べたばかりにもかかわらず、食欲をそそるおいしそうな食べ物の匂い。服を売る店の前ではおしゃれな香水の魅惑的な香りが流れている。

 また常にどこからか音楽が聞こえた。気分が上がるハイテンポな曲が多くていつまでも聞いていられそうだった。けれども決してそれはスピーカーなどから流れているわけではなく、道の端々でいろいろな生物が楽器を演奏していた。


 そう、人間ではなく生物だ。もちろん、人間もいたが、レイさんの例もあり、本当に人間であるかはわからないし、明らかに人間でないとわかる風貌の物もいた。


 たくさんの生き物が街を歩いており、すれ違うたびにドキドキする。頭から角が生えているものや、腕が六本あるもの。ペタペタとペンギンのように二足歩行で歩く犬や、ぴょんぴょん跳ねるあれは…パンケーキだろうか?


 青い空には、目の飛び出たへんてこな鳥や恐竜の様な空飛ぶトカゲ。その背にはゴーグルをつけた小人が乗っているのがちらっとだけ見える。


「なにこれすごい!」

「怖がるかと思ったけど、案外楽しそうで良かったよ」


 目を輝かせるわたしに博士が提案した。


「カレッジに行く道中、少し寄り道をするか」

「いいんですか!」

「僕も久しぶりで少し気分がいい。たまにはこういうのもいいね」


 わたしは道で演奏している音楽を博士と立ち止まって聞いたり、焼いているのに溶けない不思議なチョコレートのようなお菓子を食べたりした。


 そうしているとあっという間にレンガでできたいかにも大学といった雰囲気を漂わせる場所に着いた。巨大なアーチ状の入り口を通り、正面の建物に入った。たくさんの教室の入口らしき扉があり、途中にあった階段を上って、4階に到達した。


 階段から3つ目の扉の前で博士は立ち止った。そして、ノックをすると中から女の人が出てきた。


 肩まで伸ばした髪は青色で、眼鏡をかけていた。年はおそらくわたしと同じくらいだろう。青髪の女の子は聞こえるかどうかギリギリの声の大きさで話した。


「もしかしてベン先生ですか?」

「はい。フリード・ガイル・ベンです。フェルクト・ミーラ教授はいますか?」

「えーと、ミーラ教授は講義中です。もう少しで終わるはずなので部屋で待っててもらってもいいですか?ダメですか?」

「かまいません。それで君は?」

「あたしですか。あたしはミナです。シズリ・ミナと言います。ミーラさんの助手をしていいます。よろしくお願いします」


ミナさんはちょこんと頭を下げ、覗き込むようにわたしを見た。


「あー、わたしは有希リンっています。ええと、わたしはベン博士の研究室でモルモットをしています」


わたしはとんでもない言い間違いをしたことに気づいたが、しかし1度口から発したことは戻らない。


「…モルモットですか?変わった役職ですね。なんだか可愛い。うん」

「えっと、ちが」

「ついに自分で自分のことをモルモットと呼ぶようになったのか」

「違います!わたしは有希リンです。人間です。いつも博士がモルモットって呼ぶからです!!」

「有希リンということはあなたが異世界人なのですね」

「え?どうしてそれを」

「有希リンさん!質問があります!」

「は、はい」


 ミナさんはわたしの近くにグッと体を寄せた。そして上目遣いでわたしを見た。よくわからないが大きな肉の谷が見える。何でしょう?わたしにはよくわかりません。


 そしてミナさんは目を大きく開けて予想だにしないことを言ったのだった。


「異世界人は幽霊を信じますか!ませんか!」


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