なぜ、わたしは遺道を使えないのか?
「うんにゃあああーーー!!」
ハァハァ。
「うーーーん!」
ハァハァハァハァ。
「やっぱり無理か」
「やっぱり無理です。わたし、どうやら遺道の才能がないようです」
わたしはここ2、3日の間、遺道の練習をしていた。
――遺道とは。
一言で言えば、約4千年前に練り上げられた“魔法に到達する科学の最終体系”である。
ことの始まりは約4千年前頃に知られていたある細菌であった。
名前を『ステロビオト・サルポキゴアス』という。
その細菌は微かながら火を発することが知られており、鞭毛を持たないにも関わらず驚くほど活発に動き回り、自力で浮遊することさえ可能だった。
そんな細菌からある特異的な遺伝子の塩基配列が見つかった。
『Vnap-L40』とその配列は名づけられた。
その細菌の異常な振る舞いはこのVnap-L40の発現によるものであるとある研究者は断定した。
そして、数多の動物実験ののち、人間にもその塩基配列を組み込んだ。
そして生まれたのが新たな人間である。
その人間は子供のときから道具を使わず火をつけたり、物を浮かせたり、何もせず風を起こすことができた。
子供は魔法使いと呼ばれ有名となった。
この話はたちまち世界へ知れ渡り、多くの人間の受精卵へVnap-L40は導入された。
後にまるで魔法のような能力の発現における仕組みが解明される。
Vnap-L40が導入された人間には特別な第3の管が全身に張り巡らされていた。
第1の管が血管。第2の管がリンパ管。第3の管は元となった細菌の名から取ってステロ管と呼ばれた。
ステロ管は主にエネルギーの伝達経路であり、そして変換器でもあった。
さらに言うと、ステロ管はエネルギーを随意に伝達することが可能で、さらに別のエネルギーの形へ任意に変換することができた。
それによって、一見、魔法にも思える超常現象を人間が引き起こすことが可能となる。
ただ、この技術には欠点もあった。
高度なエネルギー変換、または高度なエネルギー操作には変換形式を理解しておく必要があるということであった。
つまり、火を発するだけならば、ほとんど無意識でもできるが、それを分裂させたり、形状を変化させたり、組み合わせるのには非常に複雑なステロ管的エネルギー操作様式の理解が必要となる。
したがって、複雑に操作するためには複雑な思考をする必要がある。
遺道が非常に強力であるにも関わらず、戦闘にむかないと言われるのはこの点にある。
敵を目の前にして、冷静にじっくりと考える余裕がある人間はそうそういない。
焦りが必ず思考を乱す。
さらに加えて、遺道の頻回使用もしくは複雑使用には重度の疲労が伴う。
エネルギーの元は自分が本来、体を動かすためのものである。
それを使うのだからあたり前といえる。
かつてフラトリィカレッジのミナがリンを助けた際に気を失ったのはこのせいだ。
しかしながらこれら欠点を補う方法も模索されている。
複雑な思考が必要とされる、という欠点においては、様式と詠唱の紐づけがある。
簡単に言えば、呪文を唱えることで、反射的に様式が頭に浮かぶようするというものである。
したがって、思考が回らないときや絶対に失敗できないときなどに詠唱することで、ある程度の発現のサポート、並びに失敗のリスクを軽減することが可能となる。
2つ目に挙げたエネルギー消費問題は単純に高カロリーなものの摂取が基本となる。
仕事柄、遺道を多用する人のために超高カロリー食材が販売されたり、また医療現場では遺道を使い過ぎた患者に超高カロリー輸液などが使われたりされている。
これは科学か、それとも魔法か。
そう問われた際に、最初にVnap-L40を人に導入した研究者であるリリック・エルガーはこう答えた。
「科学と魔法に本質的な違いはない。その間にあるのは愚かな観測者と脆弱な知識が生む幻想である」
この技術が広まりだした当時は魔法と呼ばれることもあったが、エルガーの言葉を受け、魔法と呼ぶのは正確ではないとされた。
そこである人物がこの技術のことをこう呼んだ。
「遺伝子科学によってもたらされた人類が手にするべき未来の道理」
略して“遺道”と呼ばれた。
「ミト先生!」
「ん?なんだね、リン」
「説明の9割がわからなかったんですけど、結論を言うと、わたしはどうあがいても遺道を使えないということでいいでしょうか」
「その通り。君にはそもそも遺道を使うための仕組みが体にないんだよ。だからどれだけ頑張っても使えるようにはならない」
「もう少し早く行って欲しかったです」
ミトさんはわたしに謎の文字が並んだ書類を見せた。
「何ですか?これ」
「これは君の遺伝子を網羅的に解析した結果だ。見事にVnap-L40が無かった」
「はあ」
「これで君が異世界人である証拠がまた増えたわけだ」
「ここの世界の人はみんなその……Vなんとかがあるんですか」
「Vnap-L40。人間はそうだね。ないものは淘汰される運命だったからね」
「じゃあ、ミトさんやレイさんも使えるんですか。使ってるところ見たことないですけど」
ミトさんは首を横に振った。
「君は知らないかもしれないが、あたしやレイは人間じゃない。だから使えない。Vnap-L40は人間にしか適応しないんだよ。」
レイさんは人間じゃない。
そういえばそうだった。
レイさんはどこからどう見ても人間に見えるが、実際にはそうではない。
――植物。レイさんの先祖は植物なのだそうだ。
しかし、ミトさんが人間でないというのは初耳だった。
「ミトさんも人間じゃないんですか?」
「ああ、蛇だ」
「……蛇ですか」
「調べればわかるが、レイにしてもあたしにしても見た目は人によく似ているが、中身はまるで違う。いや、中身と言わず、細胞の構成からして違う」
「はあ」
細胞の構成の違いと言われてもわたしにはあまりピンとこない。
あれのことでしょうか。
植物には細胞壁があって、動物にはないみたいな。
あってます?
細胞と言えば、とミトさんは冷蔵庫のような場所から何かを取りだした。
冷蔵庫に見えたそれには37と5の数字が表記されており、冷蔵庫でないのは確かだった。
ミトさんが持ってきたものは丸い透明の容器だった。
よく見ると透明の蓋がされてあった。
それを何かの機械にセットするとモニターに不思議なものが映し出された。
そこに映し出されたものは丸みを帯びた楕円のような形をしていた。色はなく、おおよそ透明だった。
「何ですか? これ」
「これは君の血から培養した細胞だよ」
「……わたしの細胞。これがですか?」
「ああ、そうだ。君の細胞の培養に成功した」
「へー」
「リアクションが薄いね。博士はすごく喜んでくれたんだけどねー」
ミトさんの雰囲気から察するにきっとこれはすごいことなのだろう。
しかし、わたしにはそのすごさが全くわからなかった。
「君の細胞は特殊だからね。培地の調整にすごく苦労したんだけどね」
ミトさんは普段見せないような顔をして落ち込んでいた。
この人、落ち込むとこんな風になるのか。
「これ、何に使うんですか?」
「よくぞ聞いてくれた! この細胞でいくつか試したいことがあってだね」
ミトさんのテンションが急に上がった。
「ほら、博士がレイの毒に侵された時の話を聞いてピンときたんだ!」
「レイさんの毒って何のことですか?」
「あれ。もしかして聞いたことがなかった?」
「はい」
ならわたしから話すことではないからね。忘れてくれ、と言ったきりどれだけお願いしてもミトさんは教えてくれなかった。
わたしはアンフェンリルと戦っていた時のレイさんの姿と博士の言葉を思い出していた。
――何があっても僕より前には出るな。ここが、人間が人間でいられる境界だ。
レイさんの毒とはいったい何なのか。
それに博士が侵されたとはどういうことなのか。
わたしは今度、聞いてみようと思った。