なぜ、皆、倒れたのか?
いてててて。おしりから落ちたようだ。
上を見上げると10メートルほどの高さに穴があいており、そこから光がさしていた。おかげで今いる地下室のような場所は照明らしきもはなかったが、さして暗くもなかった。
上るのは無理そうですね。でもわたし、あんな高さから落ちてよく平気でしたね。
落ちる直前のことを思い出した。あの時、ミナさんはわたしの前に立ち、かばってくれたのだ。
そうでした!ミナさんは無事でしょうか。
わたしは周囲を見回した。すると、わたしから少し離れたところで、ミナさんは仰向けで倒れていた。
わたしはすぐさま立ち上がり、駆け寄った。
「ミナさん、大丈夫ですか!」
返事はなかった。わたしはミナさんのそばにより、状態を確認した。
服はボロボロに破れ、いたるところ怪我をしていた。かけていた眼鏡のレンズは割れ、曲がっていた。
「ミナさん!ミナさん!」
わたしはミナさんの体をゆすりながら、何度も名前を呼んだ。
すると、ゆっくりとミナさんの目が少し開いた。
「ミナさん!」
「あー、リンさん。無事ですか?ですね。良かった」
ミナさん声はかすれ、その声はすぐに空虚へ消えてしまうのだった。
「ありがとう、助けてくれて」
「気にしないでください。元はといえばあたしが協力をお願いしたのですから」
「その、死んだりしないですよね」
「ふふっ、大丈夫です。そこまで大きな怪我はしていません」
「良かった」
わたしはひとまず安心し、胸をなでおろした。
「ただ、力を使いすぎてしばらく動けそうにありません。思考もぐちゃぐちゃです」
「大丈夫です。すぐ博士を呼びますね。博士が蝶みたいな携帯持たせてくれたんです」
わたしはすぐにポシェットの中の蝶を取り出した。
確か使い方は…
「ねぇ、リンさん」
ミナさんに呼ばれ、わたしは一旦手を止めた。
「どうかしました?」
「あれ、なんでしょう」
ミナさんが指を指す方には大きな山があった。違う、ただの山じゃない。
わたしは目を凝らせて見た。
ペン、ノート、バッグ、懐中電灯、服、靴、おもちゃ、その他。
博士の変なコレクションに似た得体のしれないものも山積みにされていた。
「なんだかゴミ山みたいですね。ここはゴミを捨てる場所なのでしょうか」
「いえ、ゴミを出す場所は他にあります。
「じゃあ、ここはどこでしょう」
「わかりません。毎日、このカレッジに来ていますが、あたしもこのような場所は知りません」
「もしかして」
「はい。もしかしたら、ここが秘密の部屋、“ムクアラ”かもしれません」
驚いた。あくまでまだその可能性があるというだけで、ここが本当にムクアラであると決まってわけではないが、もしそうならここにあれがあるはずだ。
エイナが言うには、ムクアラにミナさんの盗まれた研究データ(カエルのキーホルダー)をみたそうだ。
「リンさん。連絡が済んだら、あの山からデータ探してもらってもいいですか?」
「もちろんです。すぐに見つけてやりますよ」
「ありがとうございます。見つかるといいの…ですが」
ミナさんはそう言い残して眠ってしまった。わたしを助けるために相当の力を使ったと言っていた。
博士が以前使っていた遺道とかいうもののことだろうか。
わたしは手に乗った蝶を耳元へ近づけた。すると蝶は飛びついて、羽を広げた。
耳が蝶の羽で覆われる。
しばらく待っていると、博士の声が聞こえた。
「はい、フリード・ガイル・ベンです」
「もしもし博士、リンです」
「ああ、リンくんか。どうかしたのかい?一応聞くが、さっきの爆発のこととは無関係だよね」
「それが……そのよくわかりませんが巻き込まれたみたいで」
「そうか、そんな気は」
急に通信が途切れた。わたしは耳についていた蝶を確認するために手を当てると、無残にもバラバラになった羽と赤い血がついていた。
これは一体。焦げたような異臭に気づき、背後を振り返る。後ろの壁は溶け、かすかに煙があがっていた。
わたしは察した。何者かに攻撃されたのではないかと。
すぐにミナさんの上半身を抱きかかえ、動けるように態勢を整える。ミナさんは小柄な方だが、わたしの力では完全に持ち上げることはできなかった。
最悪、引きずってでも助けようと思った。怪我が増えるだろうが、そんなの死ぬよりかは幾分もましなはずである。
ちゃんと連絡はできなかったが、ベン博士なら異変に気づいて、駆けつけてくれるはずだ。
それまで、持ちこたえればいい。わたしはそう考えた。
カチリ、と前方の暗い陰から音がした。やっぱり何かいる。
カチリ、カチリ、とその音は何度も部屋の中で響き渡る。そして光にさらされ、姿が顕になる。
人が四つん這いになったようなシルエット。四足歩行をするにはバランスの悪い腕と足の長さ。
頭にはぼろきれのような布がかけられており、隙間から狂った犬のような目と不揃いの歯。
背中からは6本の腕のようなものがさらに生えていて、その先には手の代わりに鋭く大きな鎌が備わっていた。
肌は全体的に黒く、そしてすさんでいた。
わたしはそのおぞましい姿を見て一瞬息が止まる。以前見たアンフェンリルの美しさとは対極的だった。
今、目に映る化け物にはあらゆる醜さが集約されていた。
カチリ、カチリ
じわりじわりとそれは近寄ってくる。歩くときに鳴る独特の音は伸びきった手足の爪が床にあたる音であることがわかった。
わたしもそれに合わせてゆっくりと少しずつ後ろへと下がった。
急に動いて刺戟すべきではないと考えたためだ。
案外、友好的であったりするのではないか、などといった甘い考えが一瞬、脳裏をかすめるが、すぐにそんな妄想を取り払う。すでに攻撃さえているのだ。
しくじればわたしだけでなく、ミナさんも死ぬ。現実から目を背けてはならない。
ここが正念場ですよ、わたし。
気を抜くな。逃げだすな。恐れるな。
震える手に目一杯、力をいれて拳をつくれ。
たとえ死んでもミナさんを守る。博士がわたしを助けてくれたように!
自身にそう言い聞かせ、勇気を奮い立たせる。恐怖を奥底へと押し込める。
アンフェンリルの風のような速さに比べればあれの動きは鈍い。
間をつめられなければ、きっと少しは時間稼ぎができるはずだ。
カチリ、カチリ、カチリ、カッ。
化け物は動きを止めた。まるで石にでもなったかのように微動だにしなかった。
それを静かにじっと見つめる。
緊張で、額から汗が流れ、心臓がバクバクと音をたてる。
そのまま5秒、経過する。体感的には永遠にさえ感じられたが、おそらくその程度だろう。
そして、化け物は急にこちらへ四つん這いのまま走り出した。
カチカチカチカチカチカチカチカチッ。
さっきまでのスローな動きとは異なり、その動きは素早く、壁を走りぬける蜘蛛を連想させた。
カチカチと音は立ててはいるが、ぬるりと近づいて来る。
逃げないと!
わたしはミナさんを抱きかかえて、体を引きずりながら逃げようとした。
だが、追い付かれることは目に見えていた。すぐに無理だと判断したわたしは、ミナさんを床に寝かせた。
それは決してミナさんを見捨て、自分だけが逃げるために取った行動ではなかった。
むしろ自分の命を投げ捨て、ほんの少しでもミナさんが生き残れるようにととった行動だ。
ミナさんを寝かせたわたしは、両手を広げ、化け物の前に立ちふさがった。
「殺りたければ、先にわたしを殺ってください!!」
化け物が一直線に向かってくる。気持ちの悪さは近づいてくるにつれ、いっそう増していく。
しかし、目を瞑ったりはしない。歯を食いしばり、恐怖に耐える。
そして十分に近づいた化け物は背中の鎌をわたしの首をめがけて勢いよく振り下ろした。
わたしは死を覚悟した。
が、鎌は首の皮だけを傷つけ、ピタリと止まった。
化け物の狂った犬のような目はわたしの耳を見ていることにわたしは気づいた。
「わたしの耳が、どうかしましたか?」
わたしがそういうと驚いたことにその化け物は言葉を発した。
「アカ、アカ、アカ、カミヨ。アア、シュヨ。スクイタマエ、スクイタマエ」
わたしが呆然としていると、上から声が聞こえた。
「今の行動、勇敢だったぞ、リン!」
「は?」
飛び降り、着地したのはユルートだった。
あれだけ頑なに脱がなかったフードを投げ捨て、よくわからないポーズを決める。
きっと本人はかっこいいと思っているのだ。
「もう安心だ。んなぜって?陰の王 ブルエル・ファイ・カウルトが来たからダッ!」
「はあ。というか今までどこにいたんですか!ていうかわたしたちのことおいて逃げて、よく顔出せましたね。さすが陰の王です」
「褒めるのはそれくらいにしたまえ、これよりは醜悪にして下劣なる化け物に裁きを下す時間だ」
わたしへの攻撃をやめたその化け物は、突然現れたユルートに標的を変えたようだった。
ユルートは右手を前に突きだす。人差し指だけを折り曲げ、他の指を力強く広げる。そして唱える。
「ルッセ、アロカジオ・ルッセ、アロカジオ・ルッセ、エスパンシ・ルッセ、フラントマンゾーネ!」
空気に灯るように現れた光の玉は、分裂し、分裂し、そして1つ1つが轟音をかき鳴らしながら巨大化した。
そこに突っ込んできた、化け物へ向かって光の玉から光線が一斉に掃射される。
わたしはあまりの眩しさに目を開けていられず、目を瞑った。
化け物の叫び声が聞こえる。
目を開けると、化け物はガラクタの山に倒れこんでいた。
あそこまで、飛ばされたのか。
「フンッ、たいしたことないなあ、おぞましき魔物よ。これでとどめだ」
ユルートは再び呪文を唱え始めた。
謎の言葉が連続する。
それによって、さっきと同様に現れた光の玉は変形していく。
しかし、化け物は倒れたままでユルートに向かって、謎の液体をまっすぐ飛ばしたのっだった。
それは完全ユルートの不意をついた。
液体はユルートの顔に直撃した。
「クソッ、しまった。何なんだこれは!熱い、焼けるようだ!ぐおおおおお!!」
あまりの痛みにユルートは詠唱を止め、光の玉も消失した。
起き上がった、化け物はガラクタの山を転げ落ちる。
そして立ち上がり、ユルートへ向かって走り出す。
化け物が立ち上がると同時にわたしも立ち上がっていた。
立ち上がり、そして走り出す。
考えている暇はない。助けたければ走るんだ。
優れた能力なんて1つも持ってない。あるのはこの体、この命。それだけだ。
わたしは勇者じゃない。馬鹿なわたしは気づけばモルモットと呼ばれる有様だ。
だから、だから、わたしにできることは。
がむしゃらにやるだけです!!
考えるな!動け、動け、動け!!
「うおおおぉぉぉぉ」
わたしは化け物へ向かって、思い切り飛び掛かったのだった。
化け物の首元にしがみつくことに成功する。
突然飛びつかれた化け物は振り払おうと暴れる。
ブンブンと体を揺らし、奇声をあげる。
「ぜーったい、離しませんから!!」
しかし、わたしの抵抗も長くは続かなかった。
背中に鋭い痛みを感じたのだった。
その痛みに力が抜けてしまい振り落とされる。
体が床に落下する。
なにが起きたか、だいたい予想はできた。
化け物の背中から生えている鎌で背中を貫かれたのだ。
背中が熱い。キリキリと痛む。
景色がかすむ。意識が少しずつ、遠のいていく。
ぼんやりとする視界の中で化け物はゆっくりと近づいて来た。
薄れゆく意識が最後にとらえたのは化け物の言葉と、どこかへ去っていく姿だった。
どうして化け物はあんなことを言ったのでしょうか。
「アア、シュヨ。ボクニユルシヲ。ドウカ、ドウカ。ボクヲユルシタマエ。ボクニ、スクイヲ」




