第六章 おわかれだけど、さよならじゃない3
はるか ワケあり転校生の7カ月
54『家族愛』
その明くる日、のびのびになっていたワーナーの新作を由香といっしょに観に行った。よくできた家族愛のファンタジーで、二人で泣いたり笑ったり、ときめいたり。でも、なぜか吉川先輩のことにはお互い触れずじまいだった。
わたしはいつも通り、一人で夕食をすますと(確認しときますけど、大阪に来てから土日を除いて、夕食は一人なの。もっとも、材料とレシピは用意してくれている。逆に言うと、お母さんは、平日は志忠屋のマカナイで昼夜の食事をとっている。で、栄養管理にうるさく。このごろタキさんは「オカンみたいや」とぼやいている。同感って、わたしには本当の「オカン」なのだから始末が悪い)ちょっとした親孝行にと、ビールを冷蔵庫に入れた。
そしてボンヤリと月をながめて……って、べつにオオカミ女になったりはしないのでご安心を。
気がつくと、マサカドクンが正座してなにやらスマホを打つ真似をしている……よく見ると、マサカドクンがちょっと変だ。
今まで、ぼんやりした凹凸でしかなかった顔立ち。そこに三つの点のようなものがにじみ出している……目と口……?
「マサカドクン?」
下の方の点が、ビビっと震えた。
――ウ、ウ、ウ……
「マサカドクン……!?」
――ウ、ウ、ウ……
「マサカドクン、ちょっと立ってみ」
――ウ
立ち上がったマサカドクンは少し背が高く……いや、頭が小さくなって四頭身ぐらいになっている。長いつき合いだけど、こんなことは初めてだった。
――ウ。
マサカドクンがスマホを示した。
それだけで意味が分かった。
「お父さんにメールしろって……!?」
――ウ。
ウスボンヤリしたマサカドクンの顔を見ているうちに心が飛躍した。
乙女先生→乙女先生のお母さんの介護→ワーナーの家族愛映画→スミレとカオルの心の交流→失われたうちの家族→元チチ……。
三ヶ月封印していたメールを元チチに打った。『はるかは元気だよ』と一言だけ。そしてカオル姿の写メを添付した。
「ビール飲みたーい!」
汗だくでお母さんが帰ってきた。
「冷やしといた」
パジャマ姿に歯ブラシの娘が、顔を出す。
ドアを開けるなり、母子の会話。
「サンキュー、親孝行な娘を持ったなあ♪」
このシュチエーション、まんまビールのCMになりそう。
「グビ、グビ……グビ……プハー!」
お風呂上がりに極上の笑顔!
「ゲフ!」
色気のないスッピンでゲップ……CMになりません。
でも、一日の終わりが機嫌良く終われるのはめでたいことであります。
「今日、乙女先生が来たわよ」
「え……」
「大橋さんと、トコちゃんもいっしょだった」
「なに、その組み合わせ?」
「乙女先生のお母さん、介護付き老人ホームに入ることになった」
「そうなんだ……」
「だいぶためらってらっしゃったけど……」
二本目の缶ビールを、この人はためらいもなく開けた。
「そのために、先生とトコさんが来たのか」
わたしは麦茶のポットを取り出した。
「うまい具合に、乙女先生の家の近所に新しいのができたの、で、見学の帰りに志忠屋に寄って、思案の結果ってわけ。わたしはタキさんとカウンターの中で聞いてただけだけどね。どうしても姥捨ての感覚が残っちゃうのよね」
「だろうね……オットット」
注いだ麦茶が溢れそうになった。
「トコちゃんが言うの『介護ってがんばっちゃダメなんですよ。介護って道は長いデコボコ道なんです。がんばったら、介護って長い道は完走できません。この道は完走しなきゃ意味ないんですから。施設に入れるんじゃないんです。利用するんですよ。ね、先生』って……大橋さんもね、ご両親、施設に入れ……利用してらっしゃるの。知ってた、はるか?」
「……ううん」
先生のコンニャク顔が浮かんだ。そういう事情とはなかなか結びつかない。
「あの人の早期退職もそのへんの事情があるのかもね……はるか」
「ん……?」
「お母さんのこと手に負えなくなったら、はるかもそうしていいからね」
と、飲みかけのビールを置いた。
そんな……と、思いつつ、ある意味、とっくに手に負えないんですけどね……と、麦茶を一気飲み。
「ゲフ……」
麦茶でもゲップは出るんだ。
ベッドに潜り込もうとしたら、メールの着メロ。
元チチからだ!
心が騒いで、しばらく開けられなかった……。
タイトルは『視界没』で……本文は無し。
写メが添付されていた。懐かしい青空、その下に荒川。かなたに四ツ木橋、新四ツ木橋、京成押上線が重なって見える……いつも紙ヒコーキの試験飛行に付いていったポイントだった……思い出した、家族三人で最後に行ったとき……元チチは、ここで視界没をやったんだ。
あれから、もう八年になる……。




