4:きみの盛大な勘違い
「寺内君、女の子と付き合ったりしたことないでしょ」
「まあねー、女性と言ったら母さんくらいにしか縁がないからさ」
そもそも人間にあまり縁がない。
僕の家から、今僕が通っている開区奈落高校は、以前通っていた岬野咲高校よりもよほど近いところにある。じゃあ何故開区奈落高校じゃなく岬野咲高校に通っていたのかといえばまあ、ことは単純で、岬野咲高校が進学校だからである。僕としては卒業したらとっとと就職するのでもよかったのだが、母さんは僕に大学まで行かせようと躍起になっているので、ならばということで岬野咲に入ったのだ。勉強はあまり好きじゃないし得意でもなかったのだが、やればなんとかなった。為せば成るなさねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけりという格言は、なるほど真実だったらしい。そんなこんなで三年生になった今、今度は大学受験に臨んでいる最中だったのだが、この始末。まあ本当に受験生だったらカラオケなんて行かないよな、とか思うけど、まあいいや、とにかく、例のテロで僕ら三年生の受験期は台無しになってしまっていた。死んで人生を終わらせてしまった人や生きてても壊れて人生台無しな人もいるのだからそんなこと言っちゃいけないか。僕みたいなやつは生きてることに感謝しないといけないのだ。あー、生きててよかった!でもやっぱり、僕より不幸な人はいくらでもいるとは言っても僕だって少しは不幸だ。他人の不幸で相対的に僕の不幸が打ち消されるってことはない。例えそれが、慣れない校舎で勉強しなくちゃいけないなんていうちっぽけな不幸だとしてもだ。それでも、死んだ中にはいい大学に受かって良い人生を歩むことのできる人も多分いたろうに、僕なんかが生き残っちゃってごめんなさい。僕なんて本当、生きて少しでも母さんを楽に出来りゃそれで良いかなって感じの人間だし、僕よりもっと崇高な目的を持ってたり、高い才能を持ってたりする人は死んで僕が生きてるのなんて、なんか、勿体無い?僕が死んで天才とかが生き残った方がアド取れるんじゃないの、とか思うけど僕はやっぱり死にたくない。僕が死んだら母さんが悲しむから、あんまり死にたくない。起こってしまったことは考えても仕方ないことだし、僕が死んでも別に天才は生き返らないから、やっぱり考えても仕方ない。死んでいった人の分まで生きようだなんてそんな殊勝な考えは浮かばないし、寿命が80歳引く16歳として大体死んだのが900の半分だから450、450かける80イコールーーーーまあわからないけど膨大な数すぎて物理的にも多分不可能だ……。
とにかく。
自分が死んだ方が良かったのではと考える僕であっても、他人が死んでよかったとは別に思わなかった。
そんなことを考えながら先導する浜口くんについて行く僕だったが、
「浜口くん、ヒラコーはこっちじゃないよ」
浜口くんが、本来まっすぐ行くべき道を左に折れたので、ついて行きながらもそう教えてやると、
「うん」
とだけ返される。というか、こっちの道って……
やがて到着した場所は我らが母校、岬野咲高校だった。
入り口にも、どこにもかしこも一般人立ち入り禁止の張り紙がされたバリケードが張り巡らされていて、とても侵入できそうにない。
「どうしてここ?」「いいからいいから。入ろうよ」「入れないよ。バリケードがあるし」「だいじょーぶだよ。べつに有刺鉄線がかけてあるわけじゃないんだし」
そう言うと、浜口くんはカバンを地面に置いて、バリケードによじ登り、乗り越え、「よいしょっと」。着地した。
「寺内くん、カバンこっちにやって」「あ、はい」浜口くんのカバンを拾い上げ、バリケード越しに、上から投げ入れ、渡す。「ほら」「?」「寺内くんのも」「ああ」
言われたので僕も同じようにカバンを浜口くんに渡す。すると、早く来いと言われたので僕もバリケードをなんとか乗り越えて、学校の敷地内に侵入する。
しばらく歩いて、校舎の窓の前にやってくる。
「で、どうすんの?」
「こうするの」
カバンから見せつけるように二組ゴム手袋を取り出し、片方を僕に渡すと、浜口くんはそれを装着して、そこらに落ちていた石を拾い、それをドアのガラス部分に叩きつけ、穴を開け、広げ、そこから手を突っ込んで、鍵を捻る。腕を抜くと、窓をカラカラと開けた。そして、そこから建物内に侵入する。トン、と軽い着地音が聞こえた。
え、ばかなの?
「大丈夫なの、これ……?」
「大丈夫大丈夫。行こ?」
ほら、と急かされるので、僕もゴム手袋を装着し、靴を脱いで校舎内に入る。
「誰もいない校内って、なんか新鮮だ」
僕たちはぷらぷら静寂に包まれた廊下を歩く。けど、ただ歩き回ってるんでもなくて、一応の目的地は存在する。
「誰もいない教室も新鮮なんじゃない?」
「ああ――――――」
まあ、いつも登校はぎりぎりで帰宅は最速だから。
三年二組の教室前に到着すると、また窓ガラスをバリンと割って、侵入するので、僕もそれに倣う。
「先生たちも来てないんだ?」
「うん。それぞれの学校にデータを持ってって仕事してるみたいだけど――」
「ふーん」
「あ、見てよ、これ」
とてとてー、と(可愛い)、窓際まで駆け寄り、浜口くんが指し示したところには、何やら穴が空いていた。
「ここに、銃弾が埋まってたんだよ。あ、ほら、ここには血痕がまだちょっと残ってる! 窓とかは流石に張り替えられてるね、床もワックス塗ってるし、ここに戻ってくる日もそう遠くないかもしれないね。夏くらいかな?」
楽しそうで何よりだけどさ。僕は割れた窓の前で立ち尽くしたまま、言う。
「僕を責めるためにここにわざわざ連れてきたの?」
「なんで? 僕がキミを責める理由なんかないじゃん」
浜口くんの表情がにこやかすぎて、一瞬固まるけれど、何とか言葉を紡ぐ。
「え、っと。僕がサボった日に丁度テロがあったわけだし」
「? それが何を責める理由になるの?」
「いや、なんていうか――」
文章にしづらいなあ、もう。
「――――――わかんないけど」
「はは、なにそれ」
「でも、理由はなくても、僕みたいなことをやった奴って、被害者目線からすれば、やっぱムカつくんじゃないの? なんでお前はひどい目に遭ってないんだ、みたいに」
「僕にはわかんないけど、そうだね」
わかんないんなら肯定するなよ、と突っ込みたくなったが、堪える。
「昨日の『ちんすう』、面白かったねぇ。最後まで観た?」
「え? ああ」
突然何かと思ったら、ドラマの話か。
「観たよ。ってか毎度毎度あの教授は勘違いが激しすぎるんじゃないの?」
「不安坊になんか言われても、しばらくは認めないしね。勘違いしいなうえに強情って、最悪だよね」
「あれで無能だったら許されないよね」
「うんうん。いつもいつも、そんな間違いしねえよ! って、突っ込んじゃってるもん僕、画面前で」
「天然にも程があるって話だよなあ。あんなの、ありえないって」
「うんうん。でもね、ありえないってこともないと思うんだ」
「うーん、まあ、無くはないかもしれないけど、やっぱないだろ」
浜口くんが、ぴ、と突然、人差し指を指した。そしてその先っぽを、僕の方に向ける。
「? 何?」
「寺内くんもだよ」
「僕も、って、何、……天然って話?」
「うん、っていうか、皆かな――――伊藤くん以外の」
伊藤くん?
何故いきなりその名前が出てくるのかは不思議でならなかったが、そんな僕の疑問を知ってか知らずか、浜口くんは語り続ける。
「女なんだ、僕」
「へ、へえー」
「伊藤くんだけは、『なんで男の服着てんだ?』って、真面目に聞いてきたんだ。それまでの悪ふざけみたいなのとは違って……驚かないんだね、あんまり」
「だって浜口くんって女みたいだったし……」
体育の時とか、いつの間にか集合場所にいたし。
「だよね。普通そう思うよね。だのに、皆何も言わないんだもん、天然だよね、天然すぎて天然痘だよね」
「いや、それは意味わかんないけど……」
中性的っていうのは男にも女にも見える顔ってことだ。浜口くんは髪型も相まって男に見えなくもない顔をしていた。いくらほとんど女子のような顔をしているからといって、男の格好をした、そんな人間を、どうして女だと断定できるだろう。「あんた、女なんじゃないのー?」とか言うやたら鋭い、かつ無神経なキャラは我がクラスには伊藤くんしかいなかったらいい。
「で、それを何で僕に教えるのかな」
「寺内君、キミが、僕と同じだから」
仲間だと思える人に、隠し事はしたくない、と彼――――彼女は、言う。
「同じ? ぼ、僕は女じゃないよ?」
あれ、声が上擦る。なんだかんだで、浜口くんのカミングアウトに少なからぬ衝撃を受けている僕だった。
「そういうことじゃない」
僕のおかしな様子を見て取ってか、くすくすと笑う浜口くん。そして、僕の方まで近寄ってきた。
ふわり、と良い香りが僕の鼻腔をくすぐる。耳が熱い。女子だとわかった瞬間にこんなことになるなんて、現金だな、僕の肉体。いや、そもそもこんなに近寄られたことなかったっけな。でも、確かに、こんなにいい匂いのする生物が男なはずはない――
「キミも――キミも、他人なんてどうでもいいんでしょ?」
伊藤くんみたいに。という、興奮じみた、彼女の言葉は。とても他人に仲間意識を持つような人間の言葉とは思えなかった。
それに、浜口くんのその言は、言いがかりも甚だしい。
僕はどうでもいいなんて思っちゃいない。
だって僕は、伊藤くんが死んだとき、泣いたのだ。僕の伊藤くんに対する心的距離が近かったがための生理現象だが、それでも、涙はこぼれた。
僕は別に唯我論なんて考えを持っちゃいない。伊藤くんと並べないでくれ。
僕は多分キミとは違うんだよ、浜口くん。僕はヒトが死んで嬉しいとは思わない。
僕がどうでもよさそうに見えるのは、実際どうでもいいのは、彼らと全く関わりがなかったからだ。吉田に至っては殴られた恨みもあって少し嫌いになりかけてたけど、とにかく、関わりのまるでない人間や嫌いな人間が死んだところで、何を思うところがあるだろう? 思い入れがないのに、何を思うのだろう。実際の距離が近いだけで。アフリカの子どもたちと三年二組のクラスメイトでは、僕の中にそう差がなかったのだ。実際の距離には、二度潜り抜けたことで既に耐性がついていて、特に何も感じるところがなかったというだけだ。それだけだっていうのに。
「僕は、私は、みんなみんな、嫌いだった」
僕の思うところなど知らずに、浜口くんは微笑む。
「でも、キミのことは好きになれそう」