1:淋しさの酸性雨
現在学校で1番の有名人といえば米内松丸くん。たしかアレは定期テスト最終日の翌日のことだったのだけれど、その日には、金曜日なのに前校朝会があった。そこで、前日に米内松丸くんは夜遅くまで家に帰ってなくて、お母様が心配になって警察にも捜索依頼を出してみると、見つかった時にはすでに自宅からは少し遠くの公園で自ら命を絶っていてひんやり冷たくなってしまっていたらしいということを校長先生が話した。享年・15歳。
帰宅部で不登校気味だったという米内松丸くんのことを、それまでまるで知らなかった。名前だって初めて聞いた。そんな人間がこの学校の第三学年の九割九分九厘を占めているはずだ(とは言えうちの学校は一学年300人なんだけどね)。でもこの時、その中の一人たる僕は、何故か、彼の死に対して微塵のショックを受けていた。少し考えて、そのことに対する一つの結論は下される。
ああ、多分、距離感の問題だ。アフリカの子供が日に何人伝染病で死んでいるとかそういう話は聞けばかわいそうだなと思うけど心の底から、何かの感情が揺り動かされるのかと言えば、まあそんなことはないのに対して、……いや、もう少し近い例にしたほうがいいか。そう、東京で誰かが自殺したとして、そのことに一体なんの感慨が湧くだろう。でも、同じ学校の生徒が自殺すれば何か思うところはある。どちらも、顔すら合わせたことのない、名前も知らない、何も知らない全く関係のない人間であるのにだ。では何故僕が松丸くんの死にショックを受けるのかと言えば、それはほぼ確実に距離感のせいなのだ。距離感というのは、人間の感覚の中でかなり重要なものなのかもしれない。距離感といっても心の、精神的な距離感のことなんだけど。感覚としては、有名歌手が自分と同じ県出身だと聞いて、急に親しみ覚えるみたいなものか、都心出身には当てはまらなそうな例示だけど、まあいい。とにかくそういうことなのだ。
ところで、自殺する生物って人間だけらしいぜー、と言っていたのは確か鈴木くんだったか。鈴木くんはとても空気の読めない男だから、そういうことを人前ではっきりと言える男なのだ。遺族の方の前で言ったらぶっ殺されそうな案件である。
どうして人間だけなのだろうか。
どうして自殺するのだろうか。
何かに絶望したからだろうか。
動物たちは絶望しないのかもしれない。
こういう言葉を聞いたことがある。
【生きるために生きてるんじゃ畜生と同じだよ】
そうか。人間は、生きるために生きてるんじゃないのか。
人間が何故自殺するのか、それは人間以外の動物が何故自殺しないのかについて考えたほうがいいのかもしれない。
そういうことだったのだ。動物には前提条件として【生きること】が存在して、その後に生活なのだ。それに基づいた生活なのだ。食、住なのだ。僕たち人間は生きるために生きてるんじゃないから、生きるには何か目的が必要なのだ。何かのために生きているのだ。それは例えば世界征服なんていうでかい目的じゃないにしても、仕事とか、サイクリングとか、明日のご飯とか、ゲームするとかゆっくり湯船に浸かるとかなんでもいい、目的がある。それで、目的が上手くいかなくなったら場合によっては死んでしまうのかもしれない。死んでもいいかなー、って気分になってしまうのかもしれない。死にたくなるのかもしれない。
おー、いいな、なんかいい具合にわけわかんなくってそれっぽいな、これ。
うんうん考えた結果、こうして僕の脳内自殺論争についてはひとまずの決着を見たのだが、そうは言ってもところがドッコイショー、僕が生きていることについて考えさせられる機会というのは松丸くんの事件を境に度々起こった。
伊藤くんは常々、自分以外の人間が人間によく似た意思のない人形であって、本物の人間は自分だけなのではないか今周囲を形作っている万物は自分の認識によって生み出されたのではないか、僕の認識しないものというのはこの世に存在していないものなのではないか、つまり自分を中心に世界は回っていて、自分が死んだ時が世界の終わりなのではないかいう心底くだらない妄想ーーもとい、悩みを抱いていた。そして、それを何故か僕に相談された。今までにも好きな子についての相談なんかは聞いてたけど、今回はちょっと荷が重すぎるというか、なんとも答えづらい質問をしてくれたものである。
伊藤くんはとても優秀で、顔もよく、勉強もスポーツもなんでもできたから、自分が主人公だ的なことを思っても仕方ないのかもしれないと思いつつ(そしてそんな優秀な伊藤くんがまさかぼくなんかに相談をするなんてことがもう信じられねー)僕はインターネット内を徘徊していた。でもま、小中高と一緒なの僕くらいだしな、このクラスでは。一肌脱いでやろう。
伊藤くんみたいなやつのことを唯我論者というらしい。
僕が僕の意識を認識している以上伊藤くんの考えは間違っているんじゃないかと思うけど、あくまで自己中心的に考えてみれば、なるほど、伊藤くんの考えは分からなくもない。唯我論者というのはつまり究極のエゴイストなのだ、他人の意識など、主張など関係ない。全部自分が考えたことなのだから。しかも証明できますか? の一言で反論も何もひとたまりもないから始末も悪い。まあ、こんなことおおっぴらに言えやしないだろうが。地球五分前仮説じゃないけども、証明がしづらいにもほどがある問題なのだ、これは。そして伊藤くんはそんな考えを抱いてしまった自分に言いようのない恥ずかしさを覚えたのだ。で、伊藤くんがそんな考えを持っている輩だとわかったからにはなおさら何故僕なんかに相談するんだよって訊きたくなって実際に訊いてみたら、「お前はなんか違う気がする!」‥‥‥って、随分とご都合主義的な一人ぼっちの世界だな、でもエゴイストなんだからそんなもんか、いや、彼の言に合わせるならふたりぼっち? 男ふたりぼっち? ぼかあやだよ、そんなの。だから僕は、彼にこう言ってやったのだ。
考えてもしょうがないよー、無駄だから。そう思いたいなら思っとけばいいんだと思うよ、うん。
我ながら完璧な回答だと思っていた。
松丸くんが死んでから約三週間後のことだった。
朝、ギリギリの時間に登校したら加藤くんの机上には百合の花が刺さった花瓶が置いてあって、悪趣味な悪戯だとその時には思っていた一方で、いつも始業の20分前には登校してきているらしい伊藤くんがまだ学校に来ていないだなんておかしいな、とも考えていた。
さて、花瓶を片付けようと掴んで教室を出て行こうとしたら、背後から机ががたつく音と駆け寄る音がして、次に肩を強く掴まれて、無理やり振り向かされた。誰かと思えば、吉田だ。吉田はうちのクラスの人気者で、明るいリーダー気質の男だ。そんな吉田がいったい僕に何の用だというのだろう。
「前々から頭おかしいとは思ってたけど、いったいどんなつもりなんだ、このクズ」
そのあまりに一方的な物言いに流石の僕もカチンと来て、
「お前らが片付けないから僕が片付けてるだけだろ。クズっていうなら花瓶なんか乗せたやつがクズだって。イジメだろ、それ。死んだ扱いみたいな」
僕の最後の一言に吉田はやけに過剰に反応した。イライラして僕を睨み据えていた瞳が、カッと見開かれる。吉田は僕の方から手を離して、代わりに胸ぐらを掴んで僕を持ち上げ、もう片方の手で僕の顔面をぶん殴った。花瓶が僕の手から離れて、地面に激突し砕け散る。僕も殴られた勢いで、周りの机をなぎ倒しながら倒れこむ。きゃーという女子の金切り声が耳に入る。
吉田は野球部で、素振りと筋トレは欠かさずしているだろうから、そんなたゆまぬ努力で鍛え上げられてきた鋼のごとき肉体をまさか野球じゃなくって暴力に使っていーんですかー、と、それはともかく、やっぱすげー痛い。なんてそんなふざけた感想を抱く間なんて、本当になかった。
すかさず、吉田が僕に跨って、殴りつけてきたからだ。右の拳の次は左の拳といった風に、連続で殴りつけられる。
僕の顔がボコボコになる前にーー僕が死ぬ前に周囲のクラスメイトたちが吉田を羽交い締めにして止めてくれたけども、僕はもうグロッキーになっていて、吉田はまだ暴れて何か叫んでいるけども、正直内容は何も頭に入ってこなかった。めそめそと泣いていた女子のヒステリった悲鳴で、場はなんとなく収まる。若槻くんに手を借りながらなんとか立ち上がったところで、担任の先生が教室に入ってきた。
先生はこの教室の惨状と僕らの様子を見て勿論何か一悶着あったことに気づいているはずだけど、何かあったのかという彼の質問に僕らが否定をすると、「そうか」の一言で、僕らに席に着くよう指示をした。事なかれ主義な彼らしい。彼のような教師の元で、イジメを苦にした自殺なんかが起こるんだろうなあ、しかも、あの松丸くんが死んでからそう時は経ってない。この学校の教育方針を見直すべきであるはずなのに。けど、僕も何も言いはしない。現状から大ごとになるのが面倒だからだ。事なかれ主義は僕も同じらしい。
ホームルームでは、昨夜電話したことについての緊急集会があるからこれが終わったらすぐに体育館に向かうこと、という連絡のみがなされ、担任は慌ただしく教室を出て行った。
ホームルーム中、やけに静かな教室で、くすん、すん、という鼻をすする音や、「ぅぅ」という呻き声が何故かたくさん耳に入ってきた。気のせいだろうか? 周囲がざわめく今も聞こえるしいやまあ気のせいなはずはないんだけども、じゃあいったいどうしたというのだろう。なんとなく気になるなあ、それに昨夜電話したことって一体なんだろうな、でも仲の良い友達と言える人物が今日に限っていないから、ああどうしようもないなあ、と廊下に整列しながら、思う。
体育館で並んでいる時、後ろから背中をトントンと叩かれたので振り向くと、浜口くんが可愛らしい仕草で「あ、あの、」と何かを言いたそうにしてたので、「何?」と尋ねると、浜口くんは少し怯んだようにして、どもり、特に何も言い出さない。浜口くんは傍目から見ても気弱で自己主張なんかまるでないような印象を受ける生徒だ。しかしその第二次性徴が訪れていないような可愛らしい見た目がその性格にベストマッチ、気弱だがそれがかえって周囲に人をわらわらと寄って集らせる原因となっている。彼が困った反応をすればするほど可愛い可愛いと愛でるのだ。しかし僕とはあまり関わりがなかったはず。出席番号が近いためテストの時などよく前後ろの席になったりはするけど、距離的に近いだけで実際に話したりなんかはまるでなかったから、本当に何の関わりを持ったこともない。そんな浜口くんをじっと見つめていると、決心がついたのか僕と目を合わせて、
「さ、さっきの、吉田くんのことなんだけど、確かにやってることはひどかったけど悪く思わないでね、吉田くん、加藤くんと仲良かったから」
「?」
そんなの、僕だって相談事されるくらいには仲良いけど。
「昨日ね、田中くんから僕に、直接電話がかかってきたんだ。だから、電話が繋がらなかったのかもしれないなって……」
浜口くんは一生懸命何かを説明しようとしてくれるけど、どうやらもう時間らしい。体育館が静まりかえる。この空気の中ではもう流石に話しづらく、浜口くんは「あとでね」と言って、それから黙りこむ。その様子を見て、僕も前を向く。校長先生がステージに登り、何やら神妙な面持ちでマイクの前に立つ。
「本日の緊急集会はーーーー…………」
*
お通夜は今夜19時から。そんな言葉を締めくくりに担任はホームルームを終了し、生徒たちを早々に下校させた。
校長先生の話を要約しよう。伊藤くんは死んだ。沈んだ校長先生の様子から、その言葉は本当らしいと理解させられた。
へえ、と思う。
なるほど、とも思う。
何故空気が重苦しかったのかの理由はついたし、何故僕の行動に吉田がキレたのかにも納得はいったし、何故呻き声と鼻をすする音が聞こえていたのかについても、理解した。あれは伊藤くんの死を悲しむクラスメイトが泣いていたのだ。唯一わからなかったのは何故クラス内で僕だけが知らなかったのかということだけだけど、それについてもさっきまで適当に流していた浜口くんの話を一から十まで聞きなおすことでしっかりわかった。‥‥‥つまり、僕は寝るのが早すぎたということだ。
さようならと帰りの挨拶をして、僕も教室を出る。
イマイチ実感が湧かないのは、伊藤くんの死体を直に見ていないからだろうか? 何にせよ、今日の通夜には行かないと……。
「待てや、さっきの続きだ」
そう話しかけてきたのは吉田だ。
「はあ?」
気にするようなことじゃねえだろそんなこと‥‥‥こだわり過ぎなんだよ。だいたい僕が知らなかったってことで片がついたわけだしいいだろ、どうでも。
「は? じゃねえだろが!!」
「やめて、やめてよ、吉田くん!」
吉田の怒号に続く、何故か聞こえた浜口くんの制止の声を背後に、僕は校舎を出る。
ふらふらと登校ルートをさかのぼり、しばらくして自宅に到着する。鍵を鍵穴に差し込んで捻ってガチャリと音がするのを確認してノブに手を遣ってドアを開けて中に入ってただいまー、と外出して誰もいない家に挨拶して靴を脱いでカバンをソファに放り捨てて靴下と制服を脱いで洗面場にポイして階段を登って自分の部屋に入ってベッドにポーン、とダイブする。バインと跳ねて体内に衝撃が伝わり、しんどい。いや、それにしても、授業もないしラッキー‥‥‥なのか。学校の休みというのは学校がどれだけ楽しみかによって嬉しさが増す。学校が嫌で嫌で仕方がないなら行かなければならない未来に嫌悪感を示し怯えるしかないがそれなりに楽しければそこそこ楽しみな状態でいられる。僕はもう、伊藤くんとジャンプの話をすることはないし、唯我論の話もしやしないし、好きな女の子の話だってしない。もう二度とできないのだから。
そうか、伊藤くん、死んだのか。
そうか、もう二度と伊藤くんには会えないのか。
そっか‥‥‥‥‥‥。‥‥‥あれ。あれ? あれ、僕泣いてる。おかしいな。勝手に涙が、って当たり前か。僕は子役じゃないんだから自由自在に泣けやしない。涙は勝手に出てくるものだ。
体の中のどこからか込み上げてくる寂寥感が、僕がいくら我慢をしようと強制的に瞳から涙を溢れさせる。とめどなく涙は僕の目尻から流れ続ける。
「う、うううううう」
もう二度と会えないと、悲しい。
伊藤くんがいないと寂しい。
だから僕は泣く。
「う、うう、ふ、ううう」
大粒の涙がぶわーと出てきて僕の枕とかシーツとかを濡らす。少し堪えている分妙に気味の悪い声が口から漏れる。わーんとかうえーんと思い切り感情を爆発して泣けたら溜め込んだものを爆発する感じに一気に楽になりそうだけどまあしない。なんか違う気がする。日本のお国柄、遺伝でそう思うように受け継がれているのだ。
ちゃんと相談に乗ってやってたらよかった、とも思う。
別に、僕のあの適当な返答が原因で死んだわけじゃない。伊藤くんが死んだのは事故のせいだ。不慮の交通事故。伊藤くんの精神状態が何か関係するはずもない。
でも、僕はあの時、もっと親身になって相談に乗ってもよかったのだ。伊藤くんは多分、本気で悩んでいたのだ。僕のあの適当返答で彼の悩みが解消したのかどうかなんてことは知る由もないことだけど、どちらにしても彼が悩み解消できるように、いや、できなくても一緒に悩んでやってたらよかったのに。
多分、唯我論者たる彼の悩みは解消されないまま、その最期まで彼は悩み続けたまま死んだ。伊藤くんは僕の気休めにもならない励ましでどうにかなるほど単純じゃないだろうから。
でも、奇しくも証明は完了した。あの世から見てるかい。
君が死んでも世界は終わらなかったよ。
いや、でも、僕がいるのか。
✳︎
僕は家にいたらとてもお通夜などに行く気分にはならなかったので、そのままダラダラと無駄な時間を過ごして、いつも通り夜8時に眠って今朝5時に起きた。それからまた、二度寝はせずダラダラと過ごして、母さんの朝食に呼ぶ声が聞こえたので一階に降りて白米をかっ込み味噌汁をすすって卵焼きを口に放り込んで皿を下げて二階に登り、再度ダラダラとする。しばらくしてそろそろ家を出た方がいい頃合いになってくるけれども、ギリギリの時間まで粘れと僕の深層心理が囁く。母さんが「行ってきまーす、あんま無理しないようにね」と言い残して仕事に出かけて行く。彼女は夜遅くに帰ってきてその上帰ったらすぐに寝るので、夜遅くに電話がなっても誰も取らなかったのには納得がいく話だ。でも流石に情報が入ったのか、かける言葉はいつもより少し優しかった。
学校に行きたくない。
学校に行けば吉田がいるし、雰囲気重そうだし何より、何だかよくわからないけど、学校に行って花瓶が乗った伊藤の席を見たら机と椅子をまとめて蹴飛ばしてしまいそうな衝動に襲われかねない気がしたので、みんなのためにも行きたくない。とにかく行きたくない。こんな気分になったのは初めてだ‥‥‥。
よし、今日はサボろう。
のそのそと固定電話の方に歩いて行って、番号、0×××-××-2×××。トルルルルルルルル。トルルルルルルルル。トルルガチャチャ「はい、岬野咲高校です」「あ、えっと、3年3組の徹加といいますけども、‥‥‥花帯先生はいらっしゃいますでしょうか」「ああ、徹加くんね。どうしました?」「あー、ちょっと高熱が出たので、休みます。すみません」「はい、分かりました。花帯先生には伝えときますんで。では、お大事に」「はい、失礼しまーす……」ブツリ。これで今日1日はフリーになったわけだけれども、特に何かすることも思いつかないのでひとまずもう一眠りすることにした。そして再度起きると、時刻は午前9時27分。そんなに時間は経ってないけども、三度寝するような気分でもないので、体を起こして、一階に降りて、アニメでもやってないかなとテレビをつけると、ニュースが流れていて、画面には、やけに見覚えのある建物ーーーーうちの学校が映っていた。
✳︎
岬野咲高校は武装した大勢の過激な宗教系テロリストたちに占拠され、生徒たち先生たちの合計約900名全員を人質として彼らが国に対して要求するのは現総理大臣の死。そんな無茶苦茶な要求を国が呑めるはずもなく判断しかねているとテロリストたちは容赦なく、まだいくらでもいるとばかりに生徒たちを適当に撃ち殺すことで俺たち本気だぜさてどうすんのと意気揚々と政府にアピールして、現在交渉中ーー……。えー。
あー、学校に行かなくてよかった。もしかすると虫の知らせというやつで、学校に行けば酷い目に遭うということを何となく、勘とかで察知していたのかもしれない。だから死ぬほど学校に行きたくなかったのかもしれない。文字どおり、学校に行けば死んでしまうとは。
最近は人の死を聞くことが多すぎる。日本は以前から自殺大国だったが、まさかこんな物騒な国でもあったとは。テロが起こるだなんて思っても見なかった。そして、当事者じゃなくて良かった。
チャンネルをいくら回しても話題はテロのことばかりだから、僕は古本屋に漫画を立ち読みしに行くことにした。あそこなら、通り道に学校があってちらっと様子を見てくこともできるだろうから、都合がいい。そんな甘い考えで学校の前を行こうとしたらそのあたりの道はすでに封鎖されていてスマートフォン片手に佇む野次馬も多く、通ることができなかったから、僕は逆方向にあるカラオケで時間を潰した。
二時間後、僕がまだ歌っていた頃、僕の知らないうちに事件は解決していた。機動隊による催眠ガスの投入、建物への侵入、犯人の確保。どれも最高の手際だったのだとのちに聞いた。いくら警察の手際が良かったとはいえ、どこのクラスも同じように同じ程度の数を殺されており、全校生徒は約半分に減った。先生も何割かは殺されている。全員死ななかったことがラッキーであるというのはまあそうなのだが、死んだ人はいる。傍観者から見ると全員殺されなかったのが奇跡、死んだ人の遺族から見ればそんなのはどちらでも同じことだ。何故って、自分の息子、娘、夫、妻は死んでいるのだから。そして殺戮の様子を間近で見せられた、生き残った生徒たちは、当分癒えないトラウマとなる傷を心に深く深く刻まれたことだろう。可哀想に。いや、本当に可哀想なのはこんな理不尽な暴力に晒され、いきなり何の関係もない通り魔のような奴らに殺された人たちだ。僕のクラスの犠牲者は18人。その中には、吉田や鈴木くんも含まれていたという。そして、僕はただの傍観者。いつだって他人と価値観も空気も共有できていない社会的動物にあるまじき人間。まあ、実際のところ、テロの日には僕以外にも欠席していた人は多分いただろうし、全然怖くなかったっていう恐怖感覚の欠如した人ももしかしたら一人くらいはいるだろうけど。
当然、僕らの岬野咲高校は休校になった。一体どのくらいの長さになるのかは知ったことではないが、全校生徒が半校生徒になってしまい、しかもその大半は恐怖体験からピンキリではあるが精神にダメージを負ってしまい中には壊れた人もいるらしくて、病院通いを余儀無くされているからまあしばらくは学校に行かなくでもいいだろうし暇だなあ、三年生の今の時期にこんなことが起こってしまって、みんなの大学受験が台無しだなぁ、とのんびり思う。僕はこれから一体どうなるのだろう? 転校することになるのだろうか。今の時期からじゃ、受験云々関係なく馴染めなそうだな。……いや、別に今も馴染んではないけど。言わせないでよね。テロの日、僕がカラオケから家に帰って30分後くらいに母さんが家に帰ってきた。いつもより帰って来る時間が数時間は早かったので僕は首を傾げる。悲壮な顔をした母さんは部屋で寝転がりゲームをしている僕の姿を見るや否や、涙をどばーと溢れさせて「わーん!」と子供みたいに、その場で泣き崩れて、座り込んでしまった。濡れてぐしゃぐしゃな顔で連絡を受けて学校に行っても姿が見当たらないので最悪の可能性を考えていたのだと泣きじゃくり続ける母さんは、どうやら学校をサボった僕を怒る気がなさそうだと解り、ホッとした。
「わあああん、よかったよおお、あんたまでいなくなったら、わたしは……」
母さんがこんなにも僕に弱みを見せるのは初めてのことだった。父さんが航海中に行方不明になって、死亡扱いとされて以来、母さんは長いことずっと気丈に振る舞い続けていたから。母さんに無理やり抱き寄せられた。いつもみたいに酒を飲んで酔った後なら暴れて抵抗するところだけどこの日だけは好きにさせておいてあげた。きつくきつく、抱きしめられる。このキツさが、母さんの想いを表していた。
休校中。だらだら小説を読みながらふと、そんなにショックといったものを受けていないことに気がつく。身近な人間の死に身体が順応してきたのかもしれない。
あまりにも簡単に、突然に、人は死ぬ。
ああ、人の命って軽い。
この1ヶ月でつくづくそのことを痛感させられた。それはもう、驚くほどに。
日本って本来そういうことを感じられるような機会がある国じゃないと思うんだけど、とにかく、こんな世の中だけど、僕は死にたくないなあ、と、思う。神様仏様なんて信じてやしない僕じゃああるけども、僕だけはまだ殺さないでください、と、心底願った。