9:僕のアイデンティティー
暑いから外に出たくないなあ、と思うけど、無慈悲にも来訪者を知らせるベルは鳴る。『寺内クーン、浜口でーす』あらかじめ忠告されていたので、僕は流石に既に準備は済んでいたから、すぐに、はいはーい、今出ますよー、とか言いつつカバンを肩にかけて、玄関に行き、靴を履いて、ドアを開ける。するとそこには、美少女が立っていた。……えー?目をゴシゴシとこすってよく見てみると、それは浜口くんだった…なーんだ、浜口くんかあ。って、いやいや。
「なんで女の子のカッコしてんの」
「いや、あはは、たまにはこういうのもいいかなー、って思って。良くない?」
「まあ、いいけど」
そもそも、はまぐちくんは男じゃなくて女なわけで、女の格好をして悪いというわけじゃない。
でも、僕は浜口くんが男の格好をしている理由をよく知らない。ごめん、見栄張った。まったく知らない。なぜなら訊いたことがないからだ。訊けば答えてくれるのかもしれないが、重たい理由だったら後悔とかしそうだし、訊けずにいる。
「ときめいた?」
「ときめいた、って…」
女の子だってわかっているのに普段は男の格好をしてて、男の格好しか見たことがなくて髪型が男にしては長め女にしては短めのショートカットをしてて小柄だけど胴体に比べて足は長くてでも絶壁で、声が高くて、顔が可愛いくて、なんかいい匂いのする子が、いつも通りの格好じゃなくて、それだけならまだしも女の子の格好をしてるんだぞ? しかも、白いワンピースに、何故か野球帽(僕的には麦藁帽子がベストマッチなのだと思い込んでいる)というアンバランスさ…そんなの、ときめくに決まってるだろ。
外に出ると、強い日差しが僕の肌を灼く。空は気持ちいいほどに青く、もくもくと巨大で真っ白な入道雲が立ち上っていて、蝉もうるさいほどに鳴いていて…夏の良いところなんて、空の青さと雲以外に何があるんだろう。
「いやあ、夏休みだよ、寺内くん」「うん。でも、暑くなかったらもっと良いのに」「何言ってるのー?別に、夏休みに入る前から暑かったじゃない」「うんまあそうなんだけどさ」「楽しみだね、海行ったり山行ったり…」アクティブすぎだろ。「沢山遊ぼうね、あーでも、勉強もしなきゃね。宿題、あんまし出てないとはいえ受験生な訳だし」「うん、まあ僕も母さんに大学には行けって言われてるしなー、勉強しないと」「あ、母さん、ってこないだの?キレイな人だよねー、ちょっとびっくりしちゃった」「あー、」僕の母さんって言われたらそりゃあ驚くかもしれないな。「寝て起きたらすぐに仕事で、遅く帰ってくるし、他人には滅多に会えないよ」「へー、じゃ、ボクはラッキーだったってわけか!」「そうだね」「最初、お姉さんかと思ったよ」「うーん」そこまでの若さじゃ、ないよな。まあ、さすがにお世辞かな。「あとあんまり似てないよね、寺内くん」「そー、だよ、僕は父さん似らしいから」「へえ、寺内くんそっくりのお父さんか、見てみたいなー」「機会があればね」
ないけど。ないけど、場の空気をあまり壊したくないから、この場では嘘をついておく。…にしてもテンションがやはり高い。まさに夏休み効果?暑さに頭がやられた?まあ、なんでもいいけど。
そうこう取り留めのない会話をしながら歩いているうちに、汗がダラダラと額やら頬やら腕やら、まあ、体全体から垂れてきて、そういえばタオルも着替えも持って来なかったことに気づき、不用意な自分を責めたくなる。普通なら夏に外なんて出ないからこうもなるよなー。浜口くんも浜口くんで、白いワンピースが汗で濡れて肌にひっついて肌色が透けてだいぶエロいことになっているーー凝視してたら何か言われそうなので僕はとっさに、辺りをキョロキョロと見渡すと、ちょうどよく自販機が設置されていたので、そこでジュースを二本買って、片方を浜口くんに渡す。
「え、悪いよ〜、ってなになに、カッコつけたいの?かっこいー、女の子に奢ってあげられる、抱擁力のある男、寺内くん」「いらないんならやらないよ」「あー、うそうそ、ごめん、くれるんならもらうから!」慌ててバッと僕からペットボトルをひったくり、キャップを捻って、そのままぐっぐっと三分の一ほど飲む浜口くん。
「ぷはーっ、うまい!夏に飲む炭酸は最高だねえ!」←おっさんか。
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浜口くんに案内された一軒家は西屋上中学校の校区…というか、すぐ目の前に位置していて、浜口くんは西中に通ってたんだなー、と、少ししみじみと感じ入る。僕も西中だったわけだし…え、でも僕、浜口くんと中学校の時に面識ないぞ。さすがに同じ中学だったら一度くらいはみたことあると思うんだけど…。
「浜口くん、西中だったんだ」
「ん?あー、いや、違う違う。いや校区的にはそうだけどボク、中学校、附属だったから」
ああ、なるほど!
通称『附属』の小野大学教育学部附属中学校は、近場の駅からしばらく電車に乗らないと通えない距離にあるのだけれど、中学受験をわざわざしてから入る学校の割には別に中高一貫校というわけでもなく、ただ単に研究のために建てられた学校で、こちらのメリットがどこにあるのかはよくわからないが(強いていうなら、受験を早くから一度経験できるというのがメリット?)、それでも結構人気の中学校で、毎年倍率は3倍くらいあるらしい。
「どうぞー」
と、建物の中に促される。ドアを開けた瞬間に、冷気を一身に受ける。スリッパまでご丁寧にも用意してもらって…母さんは、浜口くんがうちに来た時、ちゃんと何か履物出してたのかな?
慣れないファンシーなスリッパを履き、ベタついて気持ち悪いTシャツを気にしながら、案内されるがままに、クーラーのよく効いたこの家を、女子の家に来るなんて初めてだとか思いながら、リビングに向かう。そうだ、と、改めて考える。ここは女子の家なのだ。うわ〜、緊張する〜。
「座ってていいよ、荷物はここら辺に置いてね」
「あ、うん」
言われた通りに、緑色のソファに腰掛ける。
「もっと楽にしてていいのに〜」
「あ、そう?」
どうやら、今の僕は相当カチコチに固まってしまっているらしい。女子の家にいるのだということを意識に意識して意識しまくっているせいだ…。
キッチンの方でジュースやお菓子を用意してくれている浜口くんをじっと眺めて、なんで男装なんかしているのかな、といつも通り思う。女子の格好は可愛いし…なんなら可愛すぎるくらいだ。僕って、ショートよりはロングの方が好きだったはずなんだけどショートにも目覚めてしまいそうだ、とか思うほど、素直に、浜口くんは可愛い。しかも、男装してるってだけじゃなく、みんなに女の自分を男だと思い込ませているわけで。そういえば、体育の授業の時にはいつも着替えずどこかに行って、少し遅れて集合場所に来ていたような気がする。あれは、教室じゃなくてわざわざ別のところで着替えて来たということになるのだろうかーーって、いやいやどうでもいいか、考えないようにしよう。他人の着替え事情なんて知ったってしょうがないさ。しかしそういう、ボロが出そうなところがたくさん存在する中で、これまで2年以上も女子であるってことを隠し通して来たってことは、すごいことだなあ。プールがあったらまずかったな。もしうちの学校にプールがあったら、浜口くんは流石に授業に参加しないだろうし、休めばバレないにしても内申点は下がるだろうから…いや、絶壁すぎて、海パンだけで参加しても、別にわかんないかもしれない。
「何か失礼なこと考えたでしょ」
「あ、いや、このソファめちゃくちゃふかふかしてて気持ちいいなーって」
「ふーん」
言いながら、コップやポテチや煎餅などが載せられたプレートを、ソファの前に設置されたテーブルにガン!と強めに叩きつけるように置く浜口くんに、ジュースがこぼれないか心配な僕はぺこりと頭を下げる。すると、浜口くんは飛び込むようにして僕の隣に座った。え、近くない?…このソファ、結構長いんで、座る場所といえば他にもうちょいあると思うんですけど。
「寺内くん、勉強道具は持って来た?」
「あ、うん。世界史」
「じゃ、一緒に勉強しよっか」
と、社会の教科選択は第一科目に日本史を、第ニ科目に世界史を持ってきている浜口くんが僕にそう提案する。社会の両方に歴史を選択するって結構困難な道だな。というのは、僕自身が、浜口くんとは逆で、第一科目に世界史を、第二科目に日本史を持ってきていて、現在正直めちゃくちゃ後悔しているからこそ、わかることだった…一年生の頃に現社のテストで赤点を連発して取っていたからって、その赤点は全く勉強していなかったが故のものだし、歴史がそれなりに好きだからといって、安易に日本史を選ぶものでもなかったかな、と思う。
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世界史の勉強を他人と一緒にしても仕方がないよなーなんて思っていた僕だったのだが、浜口くんの説明は教科書をただ読んでいるより100倍わかりやすかった。教科書って、わざと難しく書いてるみたいなところもあり、時代、地域がかなり飛び飛びだから、わかりやすく説明してもらえるのは本当に、理解の補助によくなり、助かった。
「ーーーーでね、この3つの地点によるドイツの政策が、3B政策っていうわけ。…で、はーぃ…ね?わかるぅ?3Bっていうのはぁ、ひとつはベルリンと、バグダードと、…………………はい!その通り!あなたが今頭に思い浮かべている通りです!それで合ってます!はい、じゃあもう言いませんので。はい…え、ちょっと、ちゃんとわかってる?(笑)こん時オスマンが支配しててイスタンブルになってて、その前は?うんそう、コンスタンティノープル。でもその前にもまだ名前あったやろ?そう、コンスタンティヌス帝が遷都する前さ!…ビ?ビ?ビザ?…そう、ビザンティウムです、…聞いたことあるやろ?ちゃんと考えてね?」「…………」「ね、世界史の初留先生の真似」
知ってる。岬野咲高校三年一組の副担任で、世界史を教えたり、たまに一年生の現社を教えたりしていた。今はもう、いない。
「なんか反応して」「うん…」「…………」「うわ、スッゲー面白い、てか似てる〜!」「うんうん」
何やらせてんだよ、僕に!こんなの僕じゃない!
動転して僕は、袋に残ったポテトチップスをボリボリと食べつくしてしまう。
「あー!」
「え、な、なに?」コーラを飲みながら、訊く。
「ボク、ポテチまだ食べたかったのに」
え、え〜。
「ま、まだ、しょうゆ味あるじゃん」
「コンソメが食べたかった」
まじですか。
「ごめん、そんなに食べたかったんなら買ってくるよ」
というか、女の子の家っていうモノがこんなに緊張させられるものだなんて思わなかった。この空間には、これ以上居難い。よって…
「あー、だめだめ、なんて言いつつそのまま帰るつもりでしょ」
ばれてーら。
「買って来なくってもいいから、代わりにボクとお喋りしようよ」「?いつもしてるでしょ」「んー、まあ、そうなんだけど。いいじゃんお喋りしよ?」「いいけどさー」
「けど、なに?」「あー、言葉尻を捉えないで」「けど、なに?」「いいけどわざわざ改めてなに話すんですか、の省略形」「あー」「いー」「うー」「えー…じゃない、おーでもない、わざわざ話そうっていうことは、何か要件っていうか重要な話題っていうか、そういうのがあるもんなんじゃないの?というか、そもそもそっちが本命で昨日僕にメールを寄越したんじゃないの?勉強なんかじゃなくて」「勉強なんか、ってねえ、ボクら、受験生だよ?自覚しないと」「で?」「まあ、そうだけど、それだけじゃないよ、だって最近、寺内くん、元気なくない?」「そう?」「元気付けたり励ましたりしたげよーかなーって思って。なんかあった?」「別に何もないよ」
嘘だ。けれど、今更何をどうしたところで、誰かに話したところで楽になるわけでもない。
なんとなく寂しかっただけだ、伊藤くんがもういないという事実が。唯我論者だった、周りのものは全て自分の認識によって存在すると言った伊藤くんが、所詮米内松丸くんに始まる死のリレーの仲介役でしかなかったという事実が。
「嘘でしょ?」
「え」
えー、僕、そんなに顔に出ちまってるかぁ?ポーカーフェイスの男だったはずなのに…。
「その顔はねー、」
「うん…?」
「彼女が欲しくてたまらない、って顔だね、うん!」
ずこー。
なんでやねん。
「いやいや、なんでそういう結論になるのかわからないけど、ていうかまず、なんで僕に彼女がいないって決めつけるのかよくわかんないし、言ったことあったっけ?彼女いません〜って。ないやろ?まあ、もし、もしもいなかったとしてもそんなに悩むようなことでもないし」
「でもいないじゃん?」
「…まあ、はい」
いくら否定してもあるものはあるしないものはない。僕に彼女はいない。当然といえばまあ当然の事実だった。でも、そこまで言わなくてもいいじゃん?見栄張りたくなるときだって僕にもあるじゃん?あー、喋りすぎて喉乾いた、コーラ飲も…。
「じゃ、その解決策といえば、だけど」
「おねーちゃん、お客さん来てるのー?」
と、突然に現れたのはポニーテイルに髪を結った、西中の制服を身にまとった少女…『お姉ちゃん』って、じゃあ、この人、浜口くんの妹!?
驚いた目で浜口くんを見ると、「妹の、相生。ほら、あいおい、挨拶して」
「おー、おねーちゃんが女の子の格好してる、珍しい!しかも、他の人のいる時に私に偉そうにして…いつもだったら内気な感じで楽しかったのにー。おにいさん、名前は?」
「寺内です」
「相生ですー。ところでおにいさんは、お姉ちゃんの彼女ですか?」
あぶねー、今コーラ飲んでたらぶーと毒霧みたいな感じで吹き出してたよね。いやいや、マジで意味わかんねえから、それ。
「ああ、まちがえました、彼氏ですか?でした。いけないいけない」←だよねだよね。
「まさか。そんなこと、」「そうだよ、あいおい!寺内くんは私の、彼氏なんだ!」
え、何を世迷言をほざいているんだ?ありえないでしょ、そんなの。
そう僕は思っているのだけれど、一方で相生さんといえば、ぱあっと表情を明るくして手を打って、
「やっぱりなんだ!わたしもね、おねーちゃんはいつも男装して男として振舞ってばかりじゃなくってね、彼氏がいた方がいいと思ってたんだ!」
と言う。
もう、何が何やら。
シティウォーズ、ゲンム実装はまだですか!




