イゴール卿の怒り
「ふんっ!」
リシャルドが救出された後も、ブレンヌスは騎士と戦っていた。
騎士が短剣で斬り込んで来たブレンヌスの手斧を逸らすと、空かさずカウンターで長剣を叩き込んで来るが、今度はブレンヌスが剣で受け止める。
次は、騎士がブレンヌスの下半身に蹴りを入れ、体勢を崩そうとするが、上半身は崩れず、騎士が手首を狙って放った剣をブレンヌスは器用に受け流す。
その様な互角の勝負が続いていた。
(コイツ、身体強化で筋力と持久力を上げているな。コレは長引くな)
そもそも紛い物の身体を使っているブレンヌスとは違い、生身の騎士が息を乱さすに食らいついてきているの上に、攻撃の1発1発が非常に素早く重いのだ。
(この身体にも慣れてきたが、さてどうするか)
ブレンヌスも生身の身体ならこのまま長期戦になるが、今はゴーレムの身体。なんなら腕をもう2、3本生やして文字通り手数を増やす事も出来るが、ブレンヌスはそうしなかった。
「ふんっ!」
ブレンヌスが大きく踏み込み、左手に持った剣を振り上げた。
騎士は今までとは違うブレンヌスの動きに警戒しつつ、右手の長剣で受け止めた。
ティン……
踏み込みの割に、受け止めた時の音が小さかった。
「!」
受け止めた筈のブレンヌスの剣が刃先を騎士の顔に向け、迫って来た。
ブレンヌスは剣が長剣に触れると手首を返し、剣を長剣に這わせる形で騎士の懐に剣を入れると、再度手首を返し突きを繰り出した。
「………相討ちか」
ブレンヌスの喉元に騎士の短剣が突き立てられていた。
「いや、俺の敗けだ。お前はこれじゃ死なないだろ?何の真似だ?」
騎士の右頬に触れて止まっていたブレンヌスの剣がゆっくりと離れた。
「50年生きてきたが、貴様程の剣客は滅多に居なかったからな」
余裕のあるブレンヌスとは違い、騎士はどっと汗が吹き出しその場にしゃがみ込んだ。
「何だお前は………」
「そんな事はどうでも良い。貴様程の男が何故こんな騎士団なんかに居る?」
「何が言いたい?」
ブレンヌスは短くため息を吐いた。
「奴隷を使い潰し、赤子を殺そうとする連中などに大義が有ると思うか!」
ブレンヌスの咆哮に、騎士は薄ら笑いを浮かべた。
「そんな綺麗事はこの世界じゃ意味をなさん」
騎士は一呼吸置いてから、ブレンヌスの目を真っ直ぐ見ながら続ける。
「もう、異種族同士、お互いに憎しみ合っている。お前は南の人馬が少女の尻尾を切り取り、生皮を剥いだのを見たことが有るか?人間に捕まった仲間が裸にされ犬のように地面を這わされ、地面に投げ棄てられた残飯を喰わされるのは?」
騎士が目を見開き、見てきた惨状を話すのをブレンヌスは黙って見つめた。
「…………俺は見てきた。俺は転生者だが、この世界の住人は狂ってる。それが当たり前なんだ」
「奴等と同じ畜生道に墜ちて満足か?変える努力はしたのか?」
ブレンヌスの問いに騎士は顔を伏せ、吐き捨てる様に答えた。
「魔王が現れる度に異種族同士で争い続けてきたのだ、今回の魔王もどうせ戦争をする………。何も変わらん、せめて人狼だけでも平穏な生活が出来るように殺し続けるだけだ」
「今回の魔王様は違う」
騎士の耳が動いた。
「我が王は奴隷から誇りを奪うことを赦さん。我が王が知れば、貴様の居る騎士団を潰すだろう」
「本当かそれは?」
騎士はゆっくりと顔を上げると、ブレンヌスはゆっくりと首を縦に降った。
「今までそうしてきた。これからもそれは変わらん」
「ここ、ここ!」
ゴーレムの女は回廊から乗り出しながら、ゴーレムの鷹に手を振った。
「………何あれ?」
「何か喋るデカい鷹」
ホセが適当に答え、「見りゃ判るよ」とリシャルドが文句を言った。
「あーそのまま………って、何処行くの!?」
鷹が近づいて来たが、途中で身体が浮き上がり離れてしまった。
「風が強いんです!」
離れながら訳を話したゴーレム鷹は城の上部に消えて行った。
「あー………。貴方達飛べる?」
「無理です」
「無茶です」
即答され、ゴーレムの女は下を見たり周りを見たりと色々考えた。
「あいたたた」
ゴーレムの鷹が城の上部から歩いて降りてきた。
「どうしたの?」
ゴーレムの鷹は振り返り背中を見せると、矢が数本刺さっていた。
「兵士にやられました。あ、いえ。実際は痛くないんですけど、何か気分的に痛みがありまして」
ゴーレムの女は説明を聞かずに矢を抜き、リシャルド達に手招きをした。
「脱出するわよ」
「え!?あの爺さんは?」
“ブレンヌスと同世代の私は婆さんか?”とゴーレムの女は眉をひそめたが、ホセ達は気付かなかった。
「どうせ後から追い掛けて来るから」
ホセとリシャルドは言われるがまま鷹に乗り込んだ。
「ところで、何処へ?」
「あー、ヤニーナの所………ですよね?」
「ええ、そうよ」
リシャルドの尻尾がユラユラと降られた。。
「彼女と子供は?無事なんですか?」
「ええ、大丈夫」
“早く娘とヤニーナに会いたい”リシャルドははやる気持ちを抑えていた。
「ひいぃぃぃ!」
城門から出て暫く馬を走らせていた兵士達は、撃たれていた。
奴隷解放戦線のメンバー500人が隊列を組み、射撃をしていたのだ。
「射撃用意!」
「「「射撃用意!」」」
隊長の号令を全員が復唱する。
「構え!」
「「「構え!」」」
「撃て!」
隊長の号令で500人が一斉に引き金を引くが、何故か当たらない。
「良いぞ、その調子で当てんなよ」
小銃を上向きに立たせ、弾と火薬を銃口から装填する部下達に隊長が声を掛けた。
面倒だが、襲撃が有った事を街に知らせる為に、派手に撃っていたのだ。
「良いんすか?」
「良いの良いの」
部下も気にするが、隊長は何処か呑気に構えていた。
「何かしら?」
上空でゴーレムの鷹に乗っていた一行からも派手に煙を上げながら銃を撃つ一団がはっきりと見えた。
「奴隷解放戦線………ですね」
「銃を持ってるしね」
“じゃ、いっか”とゴーレムの鷹はそのまま上空を通り過ぎ、ヤニーナの元へと降下を続けた。
ビトゥフの街では混乱が広がっていた。
南の狼煙台から人馬の大軍が越境して来たと報せる狼煙が上がったのだ。
神殿は敵襲を報せる鐘を鳴らし、兵士達は出陣準備を進めていた。
「詳細は判るか?」
「まだ何も」
荒鷲の騎士団団長のイゴール卿が不機嫌な声で質問をしてきたが、側近の騎士はそう答えるしかなかった。
「クソっ」
イゴール卿はこの1月の間、常に不機嫌だった。
毛が白く、縁談がなかなか決まらなかった嫡子のリシャルドにようやく縁談話が来たが、何と“リシャルドと人猫の奴隷との間に子供ができ、すでに臨月だ”と噂がたったのだ。
リシャルドの夜伽の相手をさせるために買い与えた奴隷だったが、出来る筈がない悪魔を妊娠し、父親がリシャルドなど、とんでもないスキャンダルだった。
イゴール卿は“事実の筈は無い”と、最初は思っていた。夜伽の相手をするのだ、リシャルドが人猫の変化に気付かない訳がないと。
だが、リシャルド本人を問い詰めたその日の夜事件が起きた。
人猫の奴隷が逃げたのだ。
奴隷を何人か拷問して発覚したが、人猫の奴隷は荘園の倉庫で悪魔を産み、隠していた。
再度、リシャルドを問い詰めると、「あの娘は自分の子供だ。殺さないでくれ!」と懇願されたが、イゴール卿の怒りは更に強くなった。
リシャルドの兄が結婚直前で相手の女性と姿を消して以来、荒鷲の騎士団は笑い者にされてきたのだ。
今回の結婚まで失敗出来ないと、リシャルドを幽閉し、頭を冷やさせるつもりだったが、そのリシャルドを幽閉している城が南に在るのだ。心証穏やかではなかった。
「急ぎ、リシャルドを連れてこい。失敗するでないぞ!」
イゴール卿の命令に側近はその場を離れ、急ぎ兵士を派遣する為に兵舎へと向かった。




