エルノの警告
凄まじい勢いで、蒸気船の桟橋に走って行ったジョンの背中をカミルは呆然と見送った。
「………え?」
正直、ジョンとか言うあの男は怪しい。だが、目の前の光景はあまりにも現実離れしており、“あの世への入り口”と言う言葉は本当かも知れない。
とりあえず、言われた通りに“駅前の噴水広場”へ………。
ふと、カミルは思った。
“駅前って何だ?”と。
フランツ達の様な一部例外はあるが、中世程度の技術・文化水準の世界しか知らないカミルには、目の前で煙と蒸気を出しながら進む蒸気機関車が出入りしている建物が“駅”だと判らなかった。そもそも、蒸気機関車どころか、蒸気機関すら人狼は持っていないから当たり前なのだが。
とりあえず、噴水広場を探そう。
知っている単語の“噴水広場”を探すために、カミルは人が多そうな場所へと向かった。
「私だ!」
蒸気船に乗るために、長蛇の列を作っている死者を横目に、桟橋を管理している煉瓦造りの建物の正面扉を蹴破り、ジョンが叫んだ。
「責任者は居るか!?」
死者以外の乗客。天使や死神、果ては異世界から観光目的でやって来た乗客の為のチケット売り場も兼ねた建物に、いきなり大声で叫ぶ男が現れたので、乗客と職員の視線が一斉に声の主のジョンに集まる。
「ちょっと、よろしいですか?」
「ん?」
ジョンが振り向くと、これまたヴィクトリア朝時代のイギリス警官の制服を着た警官が2人立っていた。
「身分証を見せて貰っても?」
「……いや、私は持って無いぞ」
警官は身分証を持っている“乗客”なのか、持っていない“死者”なのか確める為に、身分証の提示を求めたのだが、ジョンは質問の意図を理解できず適当に返事をした。
「では、こちらへ」
警官2人は、死者が三途の川を渡るのを嫌がり“生き返らせろ”と、無理難題を言って暴れる前に隔離用の個室に入れようと判断したのだが。
「ああ、ありがとう。助かるよ」
責任者に会わしてもらえると勘違いしたジョンは、誘われるまま案内された扉へと向かった。
「急ぎなんだ、予定外の事が起きてね。もうすぐあの世行きの船が出るだろう?」
数十分後にはクンツが乗っているであろう、蒸気船が出発するので、ジョンが警官を急かす。
「ええ、すぐですよ。どうぞこちらへ」
廊下から一歩その部屋に入ると、鉄格子が視界に飛び込んできた。
「ちょっと待った。ここは世間一般的に“拘置所”とか“留置場”とか“独房”とか……“豚小屋”とか言う部屋じゃぁないか?」
背中を押され、ジョンは牢屋に押し込まれた。
「お、おい!」
振り返ると扉が閉められた。
「いったい、何の真似だ!」
「黙れ!」
警官が鉄格子越しに警棒で突いてきた。
「あの世行きの船が出るまで大人しくしていろ!」
突然の衝撃で転び、2人掛で運んでいた木箱が地面に落ちてしまった。
「砲撃か!?」
「まさか。いくらなんでも、奴等に重砲が造れるわけは」
突撃人狼部隊が持って帰った話では、ボルトアクションライフルの存在を確認できたらしいが、小銃とは違い、爆発する砲弾を打ち出す重砲を造るのは容易ではない。
「多分、爆弾だろう」
<警報!地下牢が爆破された。総員戦闘体制!>
明かり取り用の窓から、何が起こったのか告げる声が聞こえた。
「くそ、もう来たのか」
「銃を出すぞ」
せっかく運び出す為に木箱に梱包した小銃を取り出そうとバールを取り出したが、下から煙が流れてきた。
「何だ?火事か?」
「いいから急ぐぞ」
急いでバールで抉じ開けようとするが、なかなか隙間にバールが刺さらない。
「何やってんだよ!」
「きっちり閉まってんだ。……やった、入った」
「ハンス!後ろ!」
“後ろ!”と言われ振り返ると、女の人狼が剣を振り下ろそうと構えていた。
「うおっ!」
慌ててバールで防ごうと構えたが、人狼にバールを真っ二つに斬られた。
「っぐ!」
斬り損ねたと悟った人狼が直ぐに蹴りを繰り出し、腹を蹴られる。
「lilia!」
人狼が叫ぶと他の人狼が棒で殴り掛かってきた。
「リリア!」
ドミニカ様が蹴った兵士の頭を魔王様から頂いた木の棒で殴ると簡単に気絶した。
「どぉりゃあ!」
もう一人の兵士はドミニカ様のパンチで顎を砕かれ、白目を剥いて倒れた。可哀想に……。
「ゲルベラ、この部屋にも煙幕を。ルジャはここの落とし格子を閉めて」
ドミニカ様が指示を出している間も、魔王様が暴れているのか、衝撃と共に何かが吹き飛ぶ音が聞こえた。
試しに城壁を風魔法の風圧で薙ぎ倒したが、拍子抜けするほど脆い。前世では魔法でガッチガチに護られた城壁を壊すのに投石機で岩をぶつけるか、根元を手で掘って倒すしかないのでひどく苦労したが。魔法を使う人間はこの城に居ないのか?
周りを見ても腰を抜かした兵士や、逃げようとパニックになった兵士しかいない。
まあいい、もう三ヶ所城壁を壊しマリウシュ部族長に突入を指示するか。
「どんな塩梅だ?」
草で擬装したカニ眼鏡で、稜線越しに城を見張る冒険者にフランツが声を掛けた。
「ダイナマイトで吹き飛ばしたみたいに、城壁が吹き飛んでるよ」
冒険者が横に退き「観てみ」と促す。
フランツが覗き込むと、城壁が三ヶ所、連続して吹き飛び、城壁の上に居た兵士が慌てて逃げるのが見えた。
「こりゃ良い。爆薬を仕掛ける手間が省ける」
フランツは踵を返し、自分が指揮する隊へと戻った。
「いいか、魔王様が城壁を吹き飛ばしたから爆薬は置いてくぞ」
魔王様のお陰で爆薬を持って走る必要が無くなったと、皆安堵した。
城壁がまるで爆破された様に四ヶ所吹き飛び、土煙が晴れると突撃を告げる号笛が鳴り響いた。実戦経験が無いクヴィルとポーレの兵士達が叫び声を上げつつ、崩れた城壁へと殺到する。
「うるせえなあ」
本来突撃は、敵に露見するまでは静かにするのだが、200メートル以上も距離があり、敵の姿が見えない状態で喚声を上げる兵士にフランツはぼやいた。
「まあ、コレだけ声がでかけりゃ、大軍と勘違いするんじゃね?」
フランツ達が警戒した城からの発砲も無く、全員が城壁へとたどり着いた。
「Hände! hoch!」
フランツ達、銃を持った冒険者が先に城内に入り、すっかり戦意を失った神聖王国の兵士達数十人に銃を向ける。
「フランツ、捕虜どもを拘束しろ!抵抗するなら殺して構わん!」
城壁を越えたフランツに魔王が指示を出す。
「そこの、着いてこい。城内に逃げ込んだのが居る」
魔王本人は剣を持った兵士数人に声を掛け、城内へと入っていった。
<待て、撃つな。降服する!>
「待ってくれ!同じポーランド人だ!」
ドイツ語の他に、主に人狼が使うポーランド語。この世界では殆ど聞く機会の無かったノルウェー語、ルーマニア語、果てはセルビア語で捕虜達が命乞いを始めた。
「んだよ!?何だコレ?」
余りに混沌とした状況に、フランツの仲間が空に向かって1発発砲し、ポーランド語を話す兵士の胸ぐらを掴み、そのまま瓦礫に押し倒した。
「おい、お前。どうなってんだ!」
「俺達は元外人部隊だ。ドイツ人は殆ど陸路で引き揚げた。城内に残っているのも居るが、殆どは転生者じゃ無い、この世界の兵士だけだ」
「トマシュを喚んで来い!」
フランツが魔王と念話で話が出来るトマシュに状況を伝えるさせるために若い冒険者に指示を出した。
『主力は陸路で引き揚げた?』
通路で出くわしたオートマタを蹴り倒し、魔術が施された核を踏み潰してながらカエが聞き返した。
『うん、残っている人も物資の引き上げ作業に従事するために残ってる作業員だって』
『道理で。中も殆ど抵抗が無い』
魔王はそんな事を言ったが、魔王が壁をぶち抜いたり魔法で逃げ遅れた哀れな犠牲者を片っ端から伸して廻っているので、それを見た兵士が逃げ回っているだけなのだが。
『アルトゥル、ライネ。そっちはどうだ?』
『もう少しで下水道から出られる』
「ハーバー上院議員、お話が」
下水道を出口へ向け、走っている最中だが、前世で聞いた大物政治家の名前にライネを含め、冒険者全員の耳が反応した。
“アメリカの上院議員が此処に?”と、走りながらも耳を澄ましていたが。
「もう違ぇっての」
反応を示したのが、アルトゥルだったのでライネを初め、冒険者全員が思わずその場に止まり振り返る。アルトゥルが転生者だと言うのは、前から知ってはいた。本人に“誰だったか?”と聞いても適当にはぐらかされていたが、まさか上院議員だったとは。
「アルトゥル、お前………。え?ええ……」
走っていた全員が、酷く微妙な物を見る様なひきつった顔をして止まったので、アルトゥルはライネにぶつかり止まる形になった。
「うわぁ、似合わねえ」
ライネに前世の身元がバレたアルトゥルがエルノの頭を思いっきりひっぱたいた。
「バレちまったじゃねか!」
アルトゥルからしたら、前世で上院議員をしていたイメージを周りに持たれて堅苦しい生活を送るのが嫌で、今世の親友であるライネにも黙っていたのに、エルノにバラされたので思わず叩いてしまった。
「それどころじゃ無いですよ」
頭を擦りながらエルノがアルトゥルに詰め寄った。
「アイツら、水爆を造る気です。既にプルトニウム型原爆の設計図と水爆の設計図を幾つか所持してます」
「何だって!」
その場に居る全員の顔から血の気が引く。
「W53弾頭の設計図とフランス語、ロシア語それと中国語で書かれた原水爆の設計図を幾つか見せられました。既に重水の製造も始め、重水炉の建造も」
「でも、どうやって?重水の製造に必要な技術をいきなり開発するなんて」
話に割り込んで来たライネの顔を見てエルノは納得した。
現世の名前:ライネ・ビスカ
前世の名前:ジョシュア・ロドネイ
前世の国籍:英国
前世の職業:英国陸軍軍人
SIS職員
「魔法だ。アイツら魔法で物理法則をコントロールして、ただ機械で製造するよりも効率良く製造しているらしい」
アルトゥルがライネに質問する。
「プルトニウムの生産は奴等に可能だと思うか?」
「既に魔法を使って重水を製造しているなら十分可能だ。だが、起爆は難しい筈だ」
エルノが首を縦に振る。
「ええ、米軍もプルトニウム型原爆で自発核分裂を何度か経験しています。ですが、アイツらは起爆も魔法で行う気です」
目で合図して、ライネを隅っこに誘ってからアルトゥルがひそひそ話を始めた。
「どうすんだよ、おい!何でドイツ野郎に出し抜かれてんだ」
「しょうがないでしょ。妖精の目があるから大っぴらに実験なんて出来ないんだから」
ミハウ部族長の肝煎りで、転生者を中心に鍛治ギルドを創り、前世に存在した技術が再現可能かと実験はしていたが、ようやく小銃や無線機の試作品が造れた程度で、核兵器など夢のまた夢だった。
ハッと思い、アルトゥルがエルノの方に振り返る。
「奴等は、いってえ何処で実験を?」
最悪、“破壊工作を魔王に頼まねば”とアルトゥルは思い付いたが。
「いや、そこまでは。アイツらは私の記憶だけ見て、用済みだと」
「用済?どういう訳で?」
「真新しい情報が無かったからかと。そもそもアメリカはアイツらが必要としてる重水炉では無く、黒鉛炉でプルトニウムを製造していたのと、アイツらが一番知りたがっていた起爆プロセスの設計は理論は見聞きしてますが、具体的な設計は担当してなかったので」
エルノの発言が終わると、下水道を流れる水の音だけが響き渡った。
「どうする?カエにも話す?」
事が事なので魔王に話すかライネがアルトゥルに尋ねた。
「カエちゃんに判るか?鐙すら知らない古代人に」
「誰です?」
「あー、………魔王様」
妙におっかない所や年相応の可愛さを見せたりと、どう形容したらいいか、アルトゥルは一瞬迷った。
「正直な所。軍人や政治家どころか、研究者の大半も高威力の爆弾程度にしか考えていなかった代物です。魔王様にも凄い爆弾と教えては?」
「まあ、確かに……」
ライネの記憶でも、米ソが“平和的核爆発”としてダイナマイトの代用品として使えないかと実験をしていると見聞きしたことが有った。
「でもよ、奴等はどうやって核兵器を使うんだ?運ぶだけで一苦労だろ?」
「親衛隊の連中は“これで魔王を全て葬り去る、奴等の眷族共々”と言ってたのと、核地雷を否定していたので何か方法が有るようです」
再びライネとアルトゥルがひそひそ話を始めた。
「どう思う?」
「皆目、検討もつかないよ。そちらさんが60年代に西ドイツに配備してた無反動砲発射型の戦術核兵器位なら、何とか運べるかもだが。そうなると威力は当然低いし、構造も複雑だし」
ライネがチラリとエルノとヴィルマを横目で見た。
『ミハウ部族長の所のメイドが此処に居るのも可笑しい、カエに此処にいる全員が洗脳されてないか確認して貰った方が良いと思う』
盗み聞きを警戒して、アルトゥルに念話で話し掛けた。
『確かにそうだ、本当の事を言っているか保証はないし。……と言うか、俺達もか?』
『そりゃそうさ、洗脳されたときの記憶が消されているかも知れないんだ』




