突撃人狼部隊
『変身を解け!コイツらボルトアクションライフルを持ってるぞ!』
山の中腹で燃え上がる森越しに宿営地を睨み付ける半裸の人狼2人組は、忌々しい気持ちで念話を聴いていた。
「大尉、如何なさいますか?」
部下が判断を仰ぐ間にも、宿営地の高台で発砲炎が幾つも輝き、数秒遅れて発砲音が聴こえてくる。
「まだ軍曹が生きているはずだ。戻るまで待つぞ」
指揮官のこの男は、只でさえ劣っていた筈のクヴィル族に此処まで手こずるとは思っていなかった。
初動は良かったのだが。
クヴィル族の兵士が接近中と草原を警戒中の斥候から報告が届き、偵察に出たところ、クヴィル族が宿営地の設営を始めていた。
その後は、当初の計画通りにStoßWerwolfがクヴィル族を襲撃し、退却する集団を斥候隊と交代した魔術師部隊のゴーレムが攻撃し叩く予定だったが、先に魔術師部隊から作戦中止を連絡して来たのを最後に連絡が途絶え。クヴィル族も予想に反し宿営地に籠り、10人程の集団が山道を登ってきた以外は動きを見せなくなったので計画が変わった。
突撃人狼部隊は山脈方面に指向する兵士の排除、及び宿営地の威力偵察、指揮官の排除をせよ、と。
新しい任務自体は簡単な筈だった。
最初に、別動隊が変身し山道を登ってきた集団を排除。馬を暴走させ、騒ぎを引き起こす。
その騒ぎに乗じて、宿営地に侵入。指揮官の殺害と指揮所の破壊をするだけの簡単な任務だったのだが。先行していた小隊が見つかり、侵入目前で森が焼き払われ、失敗してしまった。
………いや、寧ろ一緒に突入した少尉が最後に届けてくれた報告だけでも大成功と思うべきか。
『変身を解け!コイツらボルトアクションライフルを持ってるぞ!』
これだけでも、クヴィル族の中に複数の転生者が居て、銃を作る事の出来る一団が居ることが判ったのだ。
銃声が鳴り響き、トマシュの身体を使っているカエは耳を押さえテントの脇でうずくまる。
「カエちゃん、大丈夫かよ」
「何とか……」
言葉とは裏腹にカエが恐怖で震えていることにアルトゥルは気付いた。
「トマシュ、代わるんだ。俺達だけで捜そう」
「待て、私は」
『カエ、良いから下がって。奴を見付けても無茶な真似はしないから』
身体の操作をしなければ、少しはゆっくり出来ると、トマシュもカエに提案した。
『……判った。頼む。奴等“変身を解け”と念話で話していた、用心してくれ』
身体を返してもらったトマシュは改めて逃げた狼男の気配を探った。
「向こうだ」
トマシュが指差した方向は指揮所とは反対方向の炊飯所として設営されたテント。
「と言うか、あの中だな」
「あそこだぁ?何か有ったっけ?」
『いや、後発隊と一緒に来る輸送部隊に食糧の輸送を任せてあるから、何も無い筈だ』
テントの入り口から誰かが出てきた。
「ん?誰だありゃ?」
出てきたのは、髪の長い女の子。身長はカエぐらいだろうか?
「ピウスツキ卿の娘さんの従士……でもないよね?」
「ああ、あの娘達はもっと背が高いし……。なあ、服おかしくないか?」
アルトゥルの言う通り、女の子の服は少々ブカブカで、袖も折り曲げていた。
キョロキョロと回りを見渡した女の子が発光信号用の櫓へと向かう。
「え、嘘」
「どうした?」
「………間違いない。あの娘が狼男だ」
「何っ!」
女の子はカポカポと靴を鳴らしながら高台へと向かう。
「どう言うことだよ!」
「だって、間違いないんだ。さっきまで闘ってた狼男と同じ反応なんだ」
『恐らく、念話での指示にしたがって変身を解いたのだろう。だが、チャンスだ。小娘の状態ならあの馬鹿力に悩まされんだろう』
「待ったぁ、ライネだ」
間が悪いことに、フランツと一緒にピウスツキ卿の所に行かしていたライネが坂道を降りてきて、女の子と目が合う。
女の子はばつが悪そうに早足で坂道を登り、それを見たライネが呼び止め様と声を出した。
「まずい!」
「あの馬鹿!」
女の子を逃がすまいと、トマシュとアルトゥルは走り出した。
ライネとの距離は20メートル。走り出した女の子に「止まれ!」と叫ぶ声が聞こえた。
また変身されるとライネが危ない!
トマシュとアルトゥルは最悪の事態も考え抜刀する。
『狼男だ!カエ!高台に向かって狼男が走ってる!班長の居る方です!』
「ヤバイ」
逃げる女の子をライネは追い掛け始めた。
「止まれ!止まらんと撃つぞ!」
坂の上からカミルと騎士団が4人、そして坂を見下ろす崖上に銃を構えた冒険者が3人現れた。
しかし、女の子は靴を投げ捨て、四つ足で走り、更に加速する。
「撃てっ!」
冒険者達が発砲を開始したが、女の子が小さく、そして素早いため当たらなかった。
女の子が跳躍し、剣を構えるカミルに飛び付こうとする。
勿論、カミルも女の子を剣で突こうと構えたが、女の子が下腹部に剣が突き刺さるのを厭わず、カミルに抱きついた。
「うぎゃああ!」
女の子はカミルの首筋に噛み付いていた。
「は、班長!」
「小娘を引き離せ!」
女の子が何をしているのか理解したカエが再びトマシュから身体の操作を奪い叫んだ。
急ぐ必要があった。念話を使うためにカミルと限定的に魂をリンクさせていたお陰で、“獣人症”が何たるか理解する事が出来た。だからこそ急ぐ必要があった。
「この餓鬼」
女の子は、まるで熊のような力で抱き付き、騎士団が二人掛かりでも引き剥がせない。
「あああぁぁぁ!」
カエとカミル以外は、噛み付かれた痛みで叫んでいると思った。
だが違う。カミルは全身から襲ってくる猛烈な痛み、獣人症の発症に伴う痛みと“有る事で”叫び声を上げているのだ。
「急げ!間に合わなくなる!」
首の肉が抉れようが今起きている事に比べれば大したことではない。
『二人とも!来てくれ!』
執務室で書類の翻訳をしていた魔王がいきなり立ち上がり、遠くを見る表情のまま固まった。
「魔王様?」
写本を手伝っているオリガが心配して声を掛けたが、魔王は反応しなかった。
「うそ……」
カエから送られた情報。
その中にカミルの身体の獣人化と“魔法による魂の書き換え”が行われている事を示唆している情報があった。
これではっきりした。獣人症は感染症じゃない。呪いだ。それもかなり高度な。神々が司る程の。
イシスはカミルに噛み付く女の子の側に転移すると同時に抜刀し、女の子の両顎、皎筋を斬り付けカミルから引き離す。
「あー……ああー…あー」
カミルは虚ろな目をしながら呻き声を上げる。
「おい!しっかりしろ!」
騎士団からの呼び掛けにもカミルは一切反応を示さない。
どうにか引き離したものの、カミルの身体ははゆっくりと獣人化が進んでいた。
『カミルが呪われた。変化を止めるぞ』
『ちょっと、アンタさ!止めるったって、どうやってよ?』
『念話で聞いたんだ。“変身を解け”って』
“変身を解け”と狼男が念話で話していたんだ、この女の子の魂を調べれば元に戻す方法が判る筈だ。
「横にして、吐き出させろ」
口から出血してる事に気付いた騎士団がカミルの顔を横に向け、血を吐き出させたが、抜けた歯が幾つも混じっていた。
「あ、あああ、ああぁぁぁーーーー!」
カミルが引き付けを起こし、叫び声を上げた。
「は、班長!」
「いけねえ。ライネ、押さえ付けろ!」
『カエ!カミルが』
カミルが念話で意味の無い言葉を叫び、心が恐怖に支配されていた。
『待ってくれ、もう少しだ』
『コレ!ここだけゲルマン人の文字だよ』
全く知らない魔術用言語で呪い本体は書かれていたが、本体周辺にゲルマン諸語で書き足された部分に変身を解く方法が有る筈だ。
『“満月”と“新月”、これか?』
もしかして、呪いに文字を書き足して制御してるのか?と推論してみたが、いきなりカミルの呪いに書き足して失敗でもしたらと、カエとニュクスは躊躇した。
「離れろ!感染してる!」
冒険者の一人がカミルの変化に気づき、弓を構える。
「待て、射つな!」
イシスが大声で制止したが、他の冒険者達も武器も持って集まり、何人か矢を放つ。
「だ、駄目!」
放たれた矢を風魔法で逸らし、イシスがカミルの側まで行き冒険者達の間に割り込んだ。
「射つなと言っただろ!」
「魔王様?」
暗がりで良く判らなかったが、背の低さと服装から騎士団が先に気付いた。
「退いて下さい。この子がまだ人で在るうちに楽にしてあげねば」
「待て、冒険者!魔王様の命令が聞けんのか!?」
獣人症を知っている冒険者と知らない騎士団との間で押し問答が始まった。
「違う!危険なんだ!その坊主は感染症にかかったんだ!」
「だが、魔王様が待てと言っているだろうが!」
言い争っている間もカミルの身体は服が裂けるほど大きくなり、毛が生え始めていた。
「ウガガガガアアアアァァァ!」
仰向けに押さえ付けられていたカミルがライネを突飛ばし、そのままの勢いで魔王に飛び掛かった。
「きゃっ!」
「魔王様!」
『大尉、脱出します』
女の子がどさくさに紛れて逃げようと、獣人化を開始したのをニュクスは見逃さなかった。
『止まれ小童!』
ニュクスがトマシュの身体で女の子の首を絞め、女の子の魂に刻まれた呪いの一文。“満月”の文字に集まった魔力を霧散させて、強引に獣人化を止めた。
「うおおぉお!?」
うつ伏せに押し倒されたイシスが振り向くと、犬科の大きな口が迫っていた。
「ひいいぃぃ!?」
噛まれると反射的に理解したイシスは、何を思ったのか狼男になったカミルの口に左手を突っ込み、思い切り舌を引っ張った。
「ギャアアア!」
急所の舌を引っ張られたカミルが一瞬硬直し、その隙をついてイシスが右手でぶん殴り、カミルは吹き飛ばされた。
『ちょっと!何で女の子が狼男になったのに誰も見てないのよ!』
『え、いや。あれカミルだぞ』
カエに指摘され、カミルが消えた先を目で追うと木が音をたて倒れていた。
“また、やってしまった!”と、イシスがカミルに走り寄るとカミルは身体を起こし、イシスに正対した。
『良かった、生きてる』
予想以上に狼男化したカミルが丈夫だったので、間違えてカミルを死なせる事態は回避できた。
とりあえず、どっかに行かれると面倒なので魔法で眠らしている所にカエから指示が届いた。
『イシス、どうもコイツらは呪いに文字を書き足して制御してるみたいだ、女の子の呪いと同じゲルマン諸語を書き足して“新月”の一文に魔力が常に流れるようにしてくれ』
どうにかカミルを落ち着かせ、伏せの状態になった。
『判ったけど、大丈夫なの?』
『あー大丈夫。小童が変身しようとした時に“満月”の文字が光ったからさ、反対の意味の“新月”で変身が解けるみたいよ。現に小童の方で色々試したけど、実際に馬鹿力が出なくなったりしてるし』
カミルが散々な目に遭わされてる裏でニュクスが色々と“実験”をしたせいで、女の子は顔面蒼白状態になっていた。
『じゃあ、書き足すよ』
すっかり大人しくなったカミルに掛けられた呪いに文字を書き足すと直ぐに変化が現れた。カミルの身体が徐々に小さくなり、伸びていた爪と体毛は縮み、すっかり元のカミルになった。
「魔王様!ご無事で?」
騎士団と冒険者が慌てて追い掛けてきた。
「呪いは抑えたから、もう大丈夫」
「……いえ、貴女様にお怪我は?」
「え?ああ、ちょっと擦りむいただけ」
冒険者がカミルの肩を揺すった。
「大丈夫か?」
問い掛けに応じず、どこか虚ろげな様子を見せた。
「魔王様、本当に大丈夫なのですか?」
「大丈夫な筈だけど………。ねえ、カミル?」
魔王の呼び掛けにも反応を示さないので、イシスもいよいよ心配になってきた。怪我のせいかと、近付き首の怪我も治したが。
「カミル?ねえ、どうしたの?」
『どうした?』
集まってきたカエ達もイシスの様子からただ事でないと感じた。
『カミルがおかしい。何か反応がない』
『何だって?』
「班長!どうしちまったんすか?」
アルトゥルが激しく肩を揺さぶっても反応がない。
「何したの?」
「獣人化を止めただけで、他は何も」
カエがカミルの目を覗き込んで調べる。
「反応がない。魂が入ってる筈なのに………」
「何ですって、それじゃあ………」
『え?つまりどういう事?』
二人の会話にトマシュが割り込んだ。
『………つまり、その。カミルは問題ない筈なんだけど、魂が反応してなくてその』
ニュクスが言葉を詰まらせながら説明した。
『カミルは生きてるけど、意識がない状態なの』