渚の記憶
『トマシュ?』
魔王の呼び掛けにも反応せず、トマシュは砂浜まで走り出て回りを見渡した。
「同じだ……。五年前に父さんと母さんで遊んだ浜だ…………」
時刻は昼前にも関わらず、太陽は水平線の向こうへ落ちようとしていた。
『トマシュ?オイっ!』
魔王が語気を強めても、トマシュは呼び掛けに反応する事無く、呆然と砂浜をさ迷い歩いていた。
トマシュは三年振りに見た故郷の眺めに頭の整理が追い付いていなかった。
父親が亡くなる一月前に家族と浜で遊んだ記憶。父親の所属する冒険者パーティーが遺跡で罠に嵌まり、父親を含むメンバーの半分が死に、母親が呪いで変わってしまった事。人間と戦争になると聞いた母親の知り合いの協力で母親と一緒にケシェフの街に避難した事。ファレスキに残った友達や祖父母の安否が分からない事。母親の呪いを解く方法を探した事。お金が無くなり、兵士になった事…………。
『イシス!』
まるで走馬灯の様に、トマシュが思い出した記憶を魔王達は見た。
『判らない……トマシュの記憶からこの光景を観ているみたい…………』
ニュクスとイシスはトマシュとの魂のリンクを活用して何が起きてるいるのかを確かめようと試したが、良く判らずにいた。
『何だろ……夢でも観ている状態なのかな?』
「トマシュ!」
トマシュの気持ちに懐かしさと喜びの感情が沸き上がったのを魔王は感じた。
トマシュが振り向くと、人狼の青年と女性が居た。
「父さん?」
『どういう事?』
『さっき、トマシュの記憶では死んだって…………』
「帰るわよー、今日はお爺ちゃんが家で待ってるわよ」
「母さん?」
『っ!幻覚だ!イシス!トマシュを起こせ!』
トマシュが精神攻撃に曝されている事にカエが気付いた。
『ダメ……反応しない!』
イシスがトマシュを起こそうとしたが、トマシュが幻覚から覚める事はなく、両親に向かって走り出した。
『あー、もう!見てらんない!』
「どう?」
ホテルのテラスに置かれたティーテーブルで呑気に紅茶を飲んでいたヨルムがメイドさんのヴィルマに尋ねた。
「間もなく落ちます」
ヴィルマの背後には黄色く浮かび上がった魔法陣がゆっくりと回転しており、ヴィルマは瞬き一つせず、立ったまま硬直しているトマシュの瞳を見続けていた。
「と言うか、落ちてくれないと目が痛いです」
一瞬でも瞳から目を離すと幻覚から覚めるのでヴィルマは必死だった。
普段はミハウ部族長の家で人狼の情報を集めつつ、働く妖精メイドさんを指揮し、自身も料理から掃除をし、更に昨夜はお針子までしていたので目が疲れているのだ。
「何か、何時もに増して辛そうだね?何か有ったの?」
「徹夜で魔王様のお洋服を縫ってたんです」
「一から?」
「はい、夜中に“街娘が着るような服を用意してくれ”と言われまして。しょうがないので、私の古着の丈を詰めて渡したんです」
「魔王小さいの?」
「ええ、かなり」
「トマシュ!」
ヴィルマとトマシュの間に割って入る形で魔王が転移して来た。結果的に二人の視線を遮りトマシュに掛けられている魔法が中断され、トマシュは後ろに倒れ出した。
目が虚ろな事に気付いた魔王が慌てて抱き寄せたが。
『重っ!』
何とか後頭部から倒れないように支える事は成功しだが、身体を操作しているニュクスの想像以上にトマシュは重たかった。
男女逆ならば、英雄の冒険譚が書かれた本の挿し絵に有りそうな構図で、魔王はトマシュの肩に腕を回し上半身を少し浮かし、なんとか支えきれた。
「っ!?あ?ニュクス?」
トマシュは目に涙を浮かべつつ、目だけを動かし何が起きたのかを確認しようとした。
「大丈夫?」
カエとイシスが抵抗を試みたのとは対照的に、ニュクスはトマシュ本人連れて、最悪逃げ出そうと転移して来たのだ。
「父さんが、父さんが居たんだ…………アレは……?」
「記憶から引っ張り出された幻覚よ」
「幻覚……?そんな……」
この五年間で起きた辛い出来事をいっぺんに思い出したトマシュは、とうとう声を出さずに泣き出した。
ニュクスは涙を流すトマシュを優しく抱きしめた。
「記憶は?」
魔法が失敗したかヨルムが尋ねた。
「ダメでした。後少しでしたが」
返事をするために、ヴィルマがヨルムの方を振り向いたが…………。
「アレ?」
ヨルムはヴィルマの方を見た時に、ありえ無い光景を目にし硬直した。
「え?」
ヴィルマは自分の右側頭部の違和感に気付いた。
痺れと、何か生暖かい物が垂れる感覚、そして血の匂い。
「ね、ねえ。何をしてるの?」
ヨルムの様子から、自分に何かが起きている事に気付いたヴィルマが右手で側頭部を触ろうとしたが、腕が動いた感覚が無かった。反射的に左手で右腕を触ってみたところ、体側に付いている筈の右腕は上げられていた。
上げられた右腕を肩からたどって行くと、行き先は側頭部…………。右手には何かが握られていた。
「ヴィルマ……な、何でフォークを頭に……?」
ヴィルマが目線を右に移すと、かすかにソレが視野に入った。
自分の意志に従わず、ティーテーブルの上に置かれたフォークを握り締め、自分の側頭部に突き刺している右手が。
「え!?な!!」
ヴィルマが異変を認識してからだった。
側頭部を突き刺している右手に力が込められ、徐々に深く突き刺さり出した。
「い、いや!助けて!!ヨルム様!!」
ヨルムは慌ててヴィルマの右腕に掴み掛かり、側頭部から右手を引き剥がそうとした。ヴィルマも上半身を反対側に反らして抵抗したが、抵抗虚しく、深く刺さるだけだった。
「何て、力、なんだ!」
ぱっと見、妖精さんと見間違う小さい女の子にしか見えないヨルムだが、神様が創った為、かなりの腕力を持ち合わしている。それにも関わらずヴィルマの右手を止める事は出来ない。
「ヴィルマっ!身体強化を切って!早く!」
「か、勝手に。私の意思と関係無く、身体が……」
『あのさ…………カエ達、何をしてるの?』
騒ぎを聞き付けたニュクスが振り返ると、メイドさんがフォークを自分の頭に刺しているのを幼女が必死に止めようとしている場面だった。
『ん~?何の事かな?』
『いや、流石に止めてあげなさいよ』
『やだ』
『私は別に構わんが、イシスが術を掛けてる以上はな』
落ち着きを取り戻し、顔に触れている魔王の胸に意識が行っていたトマシュも、騒ぎに気付いた。
「ちょっと、カエがその……原因なの?」
「いや、私が操っている訳では無いさ。操っているのはイシスだ」
「イシス、やりすぎだよ!止めて」
トマシュの言うことを聞いたイシスが魔法を掛けるのを中断したので、ヴィルマは右腕を頭から引き離し怪我の状況を左手で触って確めた。
「大丈夫?」
「大丈夫です、ちょっと怪我しただけです」
ヨルムを心配させない為に、平然と答えたヴィルマだが、内心焦っていた。ヴィルマの側頭部には水平耳道へと繋がる穴が開いていたが、ヨルムに悟られぬように、左手で隠しながら治癒魔法を掛けていた。
※犬科・猫科の動物は水平耳道と垂直耳道を持ち、途中で垂直に耳道の向きを変えるため登頂部に耳がある。
「振り向かなければ目を抉れたのに…………」
たまたまヴィルマがヨルムに話し掛けられたので顔の向きが変わったが、イシスはヴィルマの目を潰すつもりだったのだ。
「イシス?」
「ん?何?」
魔王の両目を確認し、イシスが身体を操作しているのを確認してから、トマシュは身体を起こし、登頂部に拳を振り降ろした。
「鍛冶屋での件といい、さっきの出来事といい、君達は周りの被害を考えずに好き勝手に魔法を使いすぎだよ!」
とうとう我慢が出来なくなり、トマシュは魔王に説教を始めた。
「な、さっきのはトマシュが攻撃されてたから」
「やり方って物が有るでしょ!子供染みた理屈で周りを捲き込むな!」
当然、魔王の方が目上の筈なのだが、半日ほど一緒に過ごしている間にトマシュの中で魔王=悪戯ばかりする子供のイメージが出来上がってしまっていた。
当の魔王(イシス以外は)も流石にやり過ぎたかなと思い始めていた所にトマシュから正論を言われたので、(イシス以外は)大人しく説教を聞いていた。
その様子を観ていたヨルムとヴィルマは魔王とポーレ族の若者の関係に疑問を持ち始めていた。
「ねえ、ヴィルマ。トマシュ・ジャワフスキさんて只のポーレ族の人狼よね?」
「え、ええ。その筈ですけど。別に勇者とか転生者とかでは無いです」
「先祖も?」
「ええ、ロキ様は“只のモブ”と言ってましたし。先程は幻覚に掛かりましたから“モブ”の筈ですよ」
二人の中では、“魔王ごっこ”をするだけなら、天敵になる勇者や、何かと役立つ異世界からの転生者だけを気に掛けておいて、只の雰囲気作りの為に置かれた“モブ”などは適当にあしらうのが魔王役をする人のイメージだった。
しかし、目の前の魔王は只の“モブ”に説教をされ、堪えているのか耳は垂れ、尻尾は股に挟んでおり、まるで“人としての感性”を持ち合わせているようだった。
「変な魔王」
「まるで人ですね」
「ごめんなさい……」
「判ればよろしい」
説教が終わり、ヨルムとヴィルマの方を一瞥したトマシュは頭を下げた。
「すいません、この子は悪気があったわけでは」
『んな!?
ちょっと!
え!?』
魔王の正体がヨルム達にバレていないと勘違いしているトマシュが謝罪の言葉を述べた。
『『『何で!?』』』
『魔王だって事がバレたらまずいんでしょ?』
「いや、私のヴィルマがいきなり君に攻撃したのが悪いし、魔王も私に用事が有って来たんだよね?」
トマシュは此所に来て、ヨルムとヴィルマを交互に見ながらもしや?と考え出した。
目の前のメイドさんは、理由が判らないがたまたま居合わせただけのメイドさんかも?と考え、隣の小さい子は妖精さんだと思い、魔王が居ることを誤魔化そうとしたが、二人は魔王の事を知っていた。
そして、“魔王も私に用事が有って来たんだよね?”と言っていた。
トマシュの怪訝な顔を見たヨルムが御辞儀をするために、自身が穿いているロングスカートを捲り上げ、蛇の下半身が見えた時にトマシュは確信した。
「私はヨルムンガンド。人狼の保護の為に神様から遣わされました」
目の前に居る少女は神獣だと。




