霧の蜘蛛
「痛ぇ……」
「あいたた……」
ダニエルが壁を抜けると、先に壁を抜けていたカニンガムとヤスラが光石で照らされた床に倒れていた。
「2人とも大丈夫か?」
「ダニエル……此処は……臭いな下水道か?」
下水道と言っても、全く手入れされておらず、何かが頭上を蠢く気配が時折した。
このビトゥフをはじめ、ファレスキやケシェフにも暗渠の下水道は在るのだが、住み着いた魔物が上がってこないように排水口は小さく、また判りにくい場所に在るため住民の殆どは存在を忘れていた。
管理をしている担当の役人や街の衛兵、冒険者は魔物退治等で稀に訪れる位だった。
「ご名答。歴代法務官の身に何かあったときの為に、地下の倉庫から短距離転移できる様になっているんだ」
遅れて壁を抜けてきたギブソンとオズワルドは下水道の臭いに反射的に鼻を摘まんだ。
「転移門か……。ダニー、どの程度移動したんだ?」
「壁一枚越えただけ……えっ?」
オズワルドが転移してから一拍置いてメアリーが転移してきたのでダニエルと絶句した。
「メアリー!君まで着いて来る必要は !」
「?……戻れば良いんじゃないか?」
回れ右をし、官舎に戻れば良いだけだと、ギブソンは考えていたが。
「無理だ、一方通行なんだ……。メアリー、何故?君もその事は知っているだろう?」
「私も着いていきます。だって、旦那様だけだとそこら辺で野垂れ死にされそうで、心配ですのもの」
「あのな……」
「諦めたまえダニエル。どのみち前に進むしかないんだ」
「そうだ、追手が掛かるかも知れない。急ごう」
オズワルドとギブソンに言われ、ダニエルは渋々了承する形になった。
「判った。だが、メアリー。離れるな、いいね?」
「判ってます、旦那様みたいにフラフラ何処かには行きません」
「……。そうだ、皆にコレを配っておくよ」
ダニエルは拳銃が入っていたのとは別のアタッシュケースから小さいランタンを取り出した。
「コレは……本気か!?」
取り出したランタンには光石の代わりに青白い炎が灯っていたので、カニンガムは目を疑った。
「本気さ。この付近にはミスティパヨンクが住み着いている。だから、明かりを消したら駄目だ。一瞬で攫われて、骨すら見つからない」
ミスティパヨンクは日の光が全く届かない洞窟の奥や、廃坑等に巣を作るとされる魔物で、非常に危険な為、冒険者達に忌み嫌われていた。
「追手が迫っても灯りは消すな。仮に壊れたとしても魔法でも何でも良いから灯りを着けるんだ」
ダニエルが配ったランタンは、スイッチもツマミも無く、消そうと思っても消せる代物ではないが、ダニエルは念を押した。
正直、マッチの火よりもか弱いランタンに何の効果が有るのか判らないが、ミスティパヨンクを知らないギブソン達はダニエルの言うとおりにランタンを腰に着けた。
「どんだけデカイんだ?」
ギブソンの質問に、カニンガムとダニエルは首を横に振った。
「判らないんだ」
「判らない!?」
カニンガムが補足説明を始めた。
「実体は有るようで、倒せるが蜘蛛のような姿だって事以外判らないんだ」
「何故?」
「僅かな光を浴びると一瞬で消える。それも、映画の吸血鬼みたいに一瞬に灰になる訳じゃない。消えるんだ、本当に綺麗さっぱり。ただ、消える直前に蜘蛛の様な影が一瞬映るのと、襲われた人が”蜘蛛に掴まれた”って証言が有るんだ」
「襲われて助かった人が居るのか?」
「初めて聞いた。助かるもんなの?」
ミスティパヨンクの事を知っているダニエルも、生存者が居ることを知らなかった。
「ああ、襲われて訳が判らないまま火魔法を使って助かったらしい。だから、灯りが消えても落ち着いて火魔法や光魔法を使えば助かるんじゃないかと言われてる」
ワシャワシャと、何かが頭上を通り過ぎたので、ギブソンがライトを天井に向けたが何もなく、ただ石積みの天井がそこには在った。
「……先に進もう」
階段を降り、乾いた通路の方へとダニエルは歩き始めた。
「ダニエル、さっき”歴代法務官の身に何かあったときの為に下水道に転移できる“って言ったよな!?憲兵隊もこの逃げ道とミスティパヨンクの事を知ってるのか!?」
カニンガムに聞かれたダニエルは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
「知ってる筈だ……急ごう」
「中尉!法務官は逃げた後です!」
2階の窓から顔を出した部下が、通りに居るレオンに報告をしていた。
「やはり下水道か!?」
「その様です!地下室に通じる階段のドアが内側から施錠されていました」
部下の報告を聞いたレオンは顔色1つ変えずに次の指示を出した。
「ジャック、部下を連れて下水道に踏み込め、抵抗したら撃って構わん」
「アイサー!」
ダニエルにそっくりだが、全く表情が動かないレオンは踵を返し、通りを移動し始めた。
「良いか、発砲を許可する!ハリー、お前は北から、ビリーは東からダニエル達を追いたてろ。最悪死んでもかまわん!」
「此処から通りの真下に出る」
狭かった通路の先には鉄格子の扉が鎮座し、通りの下を流れる幅の広い下水道と法務官の官舎の地下へと通じる下水道とを隔てていた。
ダニエルは鍵を使い鉄格子の扉を開けると顔を出し、安全を確認してから広い下水道へと進んだ。
ダニエル達が立っている場所より一段低い所を勢いよく水が流れていた。
「下は……川ですか?」
閉所と言うことも有り、激しい音を立てながら流れる水にヤスラは驚いた。
「そうだよ、丘の上……部族長の家や神殿の湧水を地下に流して排水してるんだ」
かつてはビトゥフの街に存在していた綺麗な川だったが、人口増加の煽りで地下に流されて久しい。
唯一、神殿前の泉がかつての小川の名残を残していた。
「っ!」
此処でも頭上や通路の隅で何かが蠢く音がし、各々全員が音がした方にライトを向けた。
「気味悪いな」
「全くだ。何度か洞窟に居ついた奴を退治したことはあるが、此処までひどくないぞ」
かなり大きい物の筈だが、全く姿が見えない。それでいて、油断していると音がするのだ。
「抜けるしかねえな。ダニエル、下流に向かえば排水口に出るのか?」
「いや、兄さんが手を回してるだろう。それ以外に、手前に迂回路が在る。そこから街の外の木工所に出れる」
「っ!足音だ……上流からだな急ごう!」
ギブソンが足音に気付き、一行は下流へと下り始めた。
幸いにして、今歩いている場所は一段高い場所に設けられた歩道で、下水道の下りに合わせ、5メートル事に3段ずつ下がる階段があるので歩きやすかったが。それは追手が直ぐに追いつくことも意味していた。
「おっと!」
わき道を覗き込んだダニエルが明かりに気付き通路の角から頭を引っ込めた。
「追っ手か!?」
「ああ、もう来た」
暗い場所では明かりは非常に目立つ。直視しなくても、漏れ伝わった光は遠くまで届くがミスティパヨンクの事が有り光を消すわけにはいかなかった。
「遠いな。走り抜けよう」
カニンガムはそう言うと、3メートルほどの距離を飛ぶように走り抜け、反対側へ移動した。
「やれやれ」
ギブソンとオズワルドも続いた。
「メアリー?行けるかい?」
「これでも山育ちです。行けます」
微笑んで見せたメアリーに、ダニエルは微笑み返えした。
「2人とも、今だ」
カニンガムの指示でダニエルとメアリーは反対側へと駆け込み、無事に渡ることが出来た。
「準備は?」
「何時でも」
地上では憲兵隊が軍用犬のハーネスに拳大のランタンを着けていた。
荷馬車から下ろされた10匹の軍用犬全てにミスティパヨンク避けのランタンを着け、最後にハンドラーがリードを着けると下水道の入り口まで連れて行った。
グレートデン程の大きさがある軍用犬だが、それぞれ担当のハンドラーの指示に従い、街中を流れる川に面した排水口から下水道へ入って行った。
「臭いな。コレで追えるのか?」
人狼の兵士達も幾分鼻が利くが、それ所以この臭いは耐え難かった。
「ワフッ」
ハンドラーの一言に先頭を行く軍用犬が短く返事をした。
「ホントか?」
「ワンっ!」
元気に返事をしたので、担当のハンドラーは軍用犬の頭を優しく撫でてやった。
「頼りにしてるぞ、相棒」
(……!)
下水道を下り続けたダニエル達は目を疑った。
(コレじゃ進めないぞ)
追手を警戒して、ギブソンは声を潜めた。
(ゴミかこれは……)
下水道を仕切る鉄格子の扉に到着したのだが、歩道部分に大量の枝や布地等のゴミの山が積み重なり、鉄格子の扉を完全に塞いでいたのだ。
(洪水で増水した川の水が流れ込んだせいだろうな)
オズワルドは直ぐに原因に思い当たった。
街中に流れる川は、洪水時に街壁に開いた排水用の開口部の容量を越える雨水を下水道に流すように、普段の川面より高い場所にバイパス路が設けられていた。
その為、過去の洪水で川に流れた大量のゴミも下水道へと流れ、目の前の鉄格子の扉で濾される形となり堆積していたのだ。
(少し戻ろう、他の迂回路が在るはずだ)
(……っ!)
カニンガムが耳を立てながら振り返った。
(犬だ!)
(なんだって!?)
暫くすると、来た道から犬の鳴き声が響き渡ってきた。
軍用犬達が、ダニエル達の臭いに気付いたのだ。