逃走開始
「ったく……」
ダニエルが住む、法務官の官舎の窓から外を見ながらギブソンは悪態を吐いた。
「また、ダニエル様が何か……?」
不機嫌なギブソンの様子から、“主人のダニエルがまた変な事をしたのでは?”と思った人熊のメイドが声を掛けてきた。
「いや、アイツじゃない」
ギブソンは一瞬、人熊のメイドに視線を移したが、再び眼下の通りに眺め始めた。
(ボルトアクションライフルを持った“自由の騎士団”の兵士に、私服姿の憲兵……只の警護じゃないな)
ダニエルの書斎から向かいに建つ“荒鷲の騎士団”の館の様子を伺っていたのだが、直ぐに異変に気付いた。
オルゼル城に向かうために、騎士団員が移動を始めたのだが、普段は仲が悪いはずの“自由の騎士団”が通りに立ち、警護を始めたのだ。
普段は表に出したがらなかった、ボルトアクションライフルを携えてだ。
オマケに、私服姿の憲兵隊まで居るのは穏やかではなかった。
「ギブソンさん、荷物は全部中に運び入れました」
ダニエルの部下のヤスラが書斎に顔を出した。
「ああ、ありがとう」
チェスワフ部族長達の態度も怪しかったので、今回の事件の証拠を持ち出し、裏口から運び入れたのだ。
「いやあ、お待たせ……」
ダニエルと医者のオズワルド、そしてカニンガムの3人が現れた。
「……ダニー、此処もやばいかもな。見てみろ」
「え?」
ダニエルはギブソンに促され、窓から外を見た。
「フィリプの爺様が手を回して来たんじゃないか?」
ダニエルはゆっくりと外を見ると直ぐに顔を引っ込めた。
「い、いや〜大丈夫じゃない?」
「……ん?」
「1!…1!…1!2!1!」
窓の外から聞こえる掛け声で、歩兵が行進を始めたのが判った。
「まあ、いい。……そっちは尾行されたか?」
「された。だが撒いてきた」
チェスワフ部族長の屋敷を出て暫くすると、2人は尾行されていた。
そこで、2手に別れ尾行を撒いてから証拠品の回収と、オズワルド達をダニエルの家に移動させたのだが、ギブソンの方は、城塞から憲兵隊に尾行を受けたのだ。
「憲兵と騎士団かな?城塞とカニンガムの家の付近で尾行されたな」
ダニエルが言った事にギブソンは眉をひそめた。
「カニンガムの家付近で?」
「そうだ、俺の家に通じる通りに2人づつ居た。私服だったが、銃を持ってたな」
私服姿の憲兵が上着のボタンを外し、脇に不自然な膨らみが有ることを元ニューヨーク市警のカニンガムは見逃さなかった。
「……マズくないか?」
「……」
流石に、ダニエルの目も泳ぎ始めた。
「まあいいか。で、準備は?」
「荷物は地価の倉庫にまとめて在る」
無断だが、ポルツァーノの後を追うために5人で集まった訳だが。“こっそりと街から出ればいいや”程度に5人は考えていた。
「1!…1!…1!2!1!」
通りを歩兵が行進するのを男達は路地から眺めていた。
「ダニエル達は?」
「官舎の中です」
男達の指揮を執るのは憲兵隊中尉のダニエルの兄、レオンだった。
「行くぞ」
レオンがダニエルの居る官舎に面する通りから出ると、通りの反対側からも、通りへの出入りを塞ぐ形で私服姿の男と制服を着た憲兵が通りに飛び出してきた。
「ダニエル法務官!」
正面玄関が叩かれ、1階に居た中年の人猫のメイド長が覗き窓を開け外を見ると、レオンが令状を広げていた。
「公金横領の疑いで家宅捜索を行う!開けろ!」
「ダニエル様!大変です!レオン様が憲兵を引き連れて押しかけてきました!」
「え!?」
ダニエルとギブソンは窓から下を眺めると、憲兵隊は斧を取り出し、玄関ドアを破ろうとしていた。
「なんで!?」
「ここ、公金横領の咎でと……」
人熊のメイドはフラフラとその場に倒れた。
「メアリー!」
ダニエルは慌てて人熊のメイドを抱き抱えた。
「チェスワフの爺め……まさかこんなやり方をするなんてな」
ギブソンは悪態を吐いた。
「此処までするか?」
カニンガムも下も窓から下を見たが、今まさに斧がドアに打ち付けられていた。
「逃げるぞ……!」
ダニエルはそう言うと、メイドのメアリーを立たせた。
「何処へ?ダニー、外は出入り口は塞がってるんだぞ」
泣きじゃくるメイドの涙を拭いながら、ダニエルは考えを巡らせた。
「下水道だ。地下室が壁一つ隔てて下水道に接している。壁を破るぞ」
ダニエルはハンカチをメイドに渡すと、部屋の隅からアタッシュケースを引っ張り出した。
「銃が入ってる。コレも持っていこう」
「中身は?」
ダニエルがダイヤルを合わせ、アタッシュケースを開けた。
「9ミリ拳銃だ」
「……悪くないな。衛兵隊の支給品より良いな」
4挺入っている内、1挺取り出し、弾倉に弾を込めながらギブソンが呟いた。
「……あー。私は銃なんか使わんぞ」
人なんか撃ったことがない、オズワルドは嫌そうに首を振った。
「問題ない、アンタは身を屈めててくれ」
「早くなさい!」
下では、使用人やダニエルの部下が総出でタンスを玄関ドアの前に置くなどしてバリケードを作っていた。
「ああ、旦那様。一体何ですか!?公金横領など!」
階段からいそいそと降りてきたダニエル達に気付き、メイド長が声を掛けた。
「あー、その……。ごめん、ちょっと逃げるわ」
ダニエルはそのままギブソン達と廊下を駆け抜け、裏口の方へと走り出した。
「え!?ちょっと旦那様!?」
どういう事だと、慌てて追いかけるメイド長を他所に、ダニエルは裏口に作られたバリケードの手前で地下に通じる階段が有る扉に飛び込み、中から鍵を掛けた。
「旦那様!?出てきなさい!?まさか、本当に!?」
「すごい剣幕だな」
階段を走り降りながらカニンガムが思わず言葉を漏らした。
「まあ、戻った頃には冤罪だって……どうしたダニー?」
ダニエルが微妙な顔をしているのに、ギブソンが気付いた。
「いや、その。ごめん……」
地下室に辿り着くなり、ダニエルがそんな事を言うので、メアリー含め一同はダニエルを信じられないものを見る目で見始めた。
「や……ったんか……お前!?」
また変な冗談だと思ってギブソンが口を開いたが、ダニエルの一言で激怒することになった。
「その、わざとじゃない」
ギブソンは「こーのーやーろー!」と叫びながらダニエルに掴み掛かった。
「ぬあ!!ギブギブ!」
「なに、こんなタイミングで汚職に手を出しとるんだ!ふざけんな!?」
「よし行け!」
梯子を使い、2階から憲兵隊が官舎の中に突入してきた。
「しかし、弟を逮捕するのは気が引けるなあ」
そういったレオン本人は懐にしまってある逮捕令状を摩りながら、相変わらず表情がない顔で官舎を見上げていた。
「でっち上げの公金横領ですから、まあ良いじゃないですか」
憲兵隊はダニエル達を拘束する口実で“公金横領”の罪をでっち上げたのだが、中に居るダニエルは思い当たるフシが有ったのだ。
倉庫になっていた地下室では、カニンガムが逃げ道を探していた。
「おい、有ったぞ!若いの、手を貸せ!」
カニンガムがヤスラを呼び、置いてあったスレッジハンマーを手渡した。
「此処を叩け!いいな!?」
「はい!」
「なんでやったんだー!お前!」
未だにダニエルの首を絞めているギブソンはオズワルドとメアリーが引きはがそうとしていた。
「そらっ!」
カニンガムが力一杯、スレッジハンマーを壁に叩きつけると。
「うわあぁぁ!?」
スレッジハンマー事壁の中に吸い込まれて行った。
「えっちょ!?うわ!?」
ヤスラはそれを見て、振り回し始めたスレッジハンマーを止めようとしたが、ハンマーの角が壁に当たると、同じく吸い込まれた。
「落ち着いて!?ちょっと!」
「ああ゛!?」
2人が消えた事に気付かぬまま、ダニエル達は未だに取っ組み合いをしていた。
「ん!?おい!ヤスラ君とカニンガム君が消えたぞ!」
最初に気付いたオズワルドが叫ぶと、ようやくギブソンが手を離した。
「ゲフォ)あ、壁を越えたんだ。みんな荷物持って」
ダニエルが消えた2人の分の荷物を持つと壁に向かって飛び込んだ。
すると、まるで水面に飛び込んだように壁が波打ち、またすぐに平たい壁に戻った。
「……驚いた。魔法かへぇー」
「俺達も行くか」
不機嫌そうに耳を立てたまま、ギブソンも荷物を持って壁に飛び込むと、オズワルド、メアリーも続いた。