軍勢の停止
通常、軍の指揮官の居室は、指揮官本人しか使えず。仮に目上の者……。極端な話では、国王がとある軍の施設に立ち寄り、一泊することになっても、指揮官の居室で寝ることは出来ない。それの結果、仮に野宿になってもだ。
理由は単純で、他人が寝泊まりすることで指揮官の職務を“邪魔”する事になるからだ。そのため、通常は指揮官の居室以外に副長室(それすらなければ最悪食堂)で寝泊まりしてもらうか、予め基地内か艦艇内に目上の者の部屋を別に設ける必要があった。
そして、ニュクスはと言うと。宿場町の手狭な城塞に良い部屋が無かったため、住民たちが避難し、従業員の妖精が10人程隠れていた宿を見つけ、そこに寝泊まりしていた。
「申し訳ございません」
その宿のサロンで不機嫌そうに椅子に座り、書物机の上に伸ばした自分の右手の爪を見ているニュクスに対し、ウルベル族の部族長は謝罪のために頭を下げた。
「ニュクス様の支援で全滅の危機を脱する事が出来ました」
結局、軍旗を門に掲げ、伝令を派遣したが南部部族連合の部隊はバラバラに行動し。収拾がつかなくなったが、ニュクスが嵐を起こした事で戦闘どころでは無くなり、何とか引き揚げることが出来た。
『ニュクス?』
ニュクスの様子がおかしいので、イシスが念話で話し掛けた。
『………何?』
『何か言わないの?』
『うぐっ』
「貴方が謝る事では有りません…」
目線を上げたが誰もいない壁に視線を移したニュクスの様子に、ウルベル族の部族長はニュクスが本気で怒っていると感じた。
「いえ、全ては私の判断ミスです」
イシスは部族長の反応にニュクスが本気で困っているのが判った。
昨夜の一連の騒動は、全部ニュクスの発案で実行した裏工作が原因だからだ。
南部部族連合が奇襲を仕掛ける事を知り、反乱軍側に詳細を流す。そして、逆奇襲で南部部族連合を混乱させ。その間に反乱軍の殆どを大森林に逃がし、最後まで陣地で抵抗するジェームズの小隊をドミニカ率いる騎士団の転生者の部隊が鎮圧し捕虜にする。
数千人は居ると思われていた敵の本隊は、南部部族連合の不手際で攻勢が削がれている間に大森林へ逃走。更に、南部部族連合が混乱している間に、逃げ遅れた40人程度の反乱軍も救援に入ったドミニカ達が鎮圧することで、南部部族連合の攻撃が原因で反乱軍が逃げた事にする予定だった。
だが、蓋を開けてみれば。反乱軍側が予想以上に強く反撃に出てきたので、早々に事前の計画がご破算となった。
反乱軍がスコープ付の狙撃銃で南部部族連合の部族長以下、指揮官を狙い撃ったせいで必要以上に南部部族連合が混乱。
元海兵隊の部隊が、“勝手に”撤退を援護するための囮として、散兵の部隊に突撃。
それを見たニュクス達はドミニカ達を先行させたが、今度は反乱軍の騎兵隊が布陣していたガトリング砲の陣地に遭遇し。更にそれを見たマルキ王国の兵士が、ガトリング砲の弾幕に突っ込み。ニュクス側の部隊全体も全く統制が取れなくなった。
最終的に全てが嫌になったニュクスが嵐を起こし、戦闘どころでは無い状態を作りだし。その隙に反乱軍の本隊は逃げる事に成功はしたが……。
「私にも落ち度が有りました。兄、グナエウス・ユリウス・カエサルに軍の指揮を任されているにも関わらず、夜襲を仕掛けた貴方達を救うばかりか、反乱軍の殆どが逃げ出す時間を与えました」
ウルベル族の部族長の謝罪で居心地が最悪だが、妹のイシスの刺さるような視線に耐えられなくなり。ニュクスは部族長の目を見て話始めた。
「しかし、事の原因は貴女様の提案を無視し、援軍の到着を待たずに攻撃を仕掛けた私にあります」
『いや、そうだけど。何かご免なさい』
『ニュクス、口に出て無いよ』
南部部族連合全体の責任を取るつもりのウルベル族の部族長の雰囲気に飲まれ、ニュクスは言葉を詰まらした。
「………過ぎた事を気にするな」
『!?』
『あれ?カエ?』
瞳の色がカエの鳶色に変わったが、顔を伏せている部族長からは確認できなかった。
「それよりも、今後の事を頼みます。反乱軍は5万人に達しましたが、恐らく今も増え続けている筈です。貴方達には引き続き兵を率いてもらい、私の指揮の元、反乱軍の鎮圧を任せます。それと、貴方の部下ですが。今回の敗因を痛いほど判っているのが彼等です。暫く、宿場町周辺に留まるので。彼等を休めさせて、2度とこのような事が無いように、最善を尽くして下さい」
部族長が顔を上げ、「寛大なお言葉、ありがとうございます」と言いながら再度頭を下げた。
「他には?何か必要なら便宜するわ」
ニュクスからの予想外の一言に、部族長の尻尾が思わず揺らいだ。
「いえ、ご心配無く。…私めはこれにて」
「ああ、それと…」
礼をし、部屋から出ようとした部族長をニュクスの身体を操るカエが呼び止めた。
「私の兄上の前では失敗はなされないように。あの人は2度目はありませんのでそのつもりで」
『うわっ……』
イシスが横目で見ると、ニュクスの顔が満面の笑みを浮かべていた。
「ご、ご忠告。感謝いたします」
「…で、何の用?」
サロンに居るのがイシスだけになり、身体の自由が効くようになったニュクスが口を開いた。
「ビトゥフの状況と、ブレンヌスと連絡がついたからその事を伝えに来た」
部族長が出ていったドアからトマシュが顔を出した。
「トマシュ…じゃない。なんでトマシュの身体を使ってるの?」
イシスは雰囲気から、カエだと直ぐに気が付いた。
「私が向こうをから姿を消すと直ぐに問題になるからな。……今も、対策に追われて会議をしてたが、どうせ話し合ったところで内容は決まってるからな」
「つまり、サボってきたと」
カエが参加していた今日の会議は、大体が周りへの根回しが済んだ議題が多く、それを会議の場でカエが説明を受けて追認し、“魔王のお墨付き”の錦の旗を与えるだけの儀式になっていた。
おまけに今議題になっているのは、ミハウ部族長等が発案した“解放奴隷の保護”に関する法令案なので、トマシュに自分の身体を押し付けてやって来たのだ。
「決まりきった事だしな。それで本題に入るが」
カエは懐からビトゥフの地図を出した。
「ビトゥフからの情報だと。一昨日の昼前に街のここで商会が1つ爆破された」
カエが指差したのは最初に爆破されたスウォィンツェ商会の所在地で、そこには赤い丸が描かれていた。
「最初に爆発があった後に、何人か押し入って商会の人間を皆殺しにしてから、完全に爆破したらしい」
「皆殺し…か」
「怨恨?」
「まだ判らん。そして、次の日だが」
カエが次に指差したのは翌日になって爆破された5箇所の建物で、こちらは青い丸が描かれていた。
「城塞に隣接する輜重隊の司令部。鍛冶ギルドの建物と倉庫。銀行。そして、神殿。この5箇所が爆破され炎上した。こっちは襲撃者は目撃されずにいきなり爆発炎上したらしい」
スウォィンツェ商会とは全く違う手口の犯行だが、ビトゥフの住民の間には“反乱軍の無差別攻撃”の噂が広がりパニックが起きていた。
「街の住民は反乱軍の仕業だと信じ、家から殆ど出なくなった……。ニュクス、可能なら今日にでも治安維持の応援として部隊を派遣してほしいんだが」
カエに頼まれて、ニュクスは椅子に大きくもたれ掛かった。
「そうしたいのは山々だけど。昨夜の混乱で兵の統制に問題があるし、死傷者も無視できないから、しばらくは此処に留まって最低でも2,3日は訓練をしたいところね」
ニュクスもそうだが、実際に戦ってみた兵士たちが全体の実力を把握できておらず。独断で動いてしまったことが混乱に拍車をかけていた。
ガトリング砲の弾幕を目の当たりにし。マルキ王国の兵士が突撃しただけで、全体が陣形を崩して、部隊ごとに好き勝手に動いたのだ。全体の中での自分たちの役割を理解できなければ、次の戦でも同じ様に瓦解しかねない。
しかし、それほど練度を上げるにはニュクスが言った2,3日でも少なすぎる位だった。良いところ、陣形を整えるのが少し早くなる程度だろう。
「それなら、1週間で頼む」
「そんなに?」
南西には反乱軍の本隊が居るのに、1週間も訓練しても良いのかとニュクスは考えた。
「ブレンヌスから聞いたが。10日後にビトゥフの向こう側にあるオルゼル城を反乱軍の本隊が攻め込むことになった」
カエがもう一つ、ヴィルノ族領を描いた地図を懐から出した。
「そこで、比較的戦える反乱軍の兵士2万でオルゼル城を攻め落とすつもりらしい。だが、反乱軍は知らないが、オルゼル城には荒鷲の騎士団が駐留している。だから、ニュクスは反乱軍が城攻めにもたついている間にビトゥフから進出し、反乱軍と野戦をしてくれ」
カエが指差したのはオルゼル城の南部の河川に囲まれた平原。
「ブレンヌスがうまくやってくれれば、恐らく決戦になるだろう」