急行中
「公用だ!代わりの馬を頼む!」
ニュクス達に先んじて馬を走らせたショーンとデイブは、宿場町の手前の村に到着した。
「待ってくれ………え!?」
厩舎に踵を返した詰め所の兵士が、デイブの顔を思い出し、振り返った。
「アンタはバーグ警部の部下じゃないか?」
森に入った筈のデイブ達が、魔王の命で動く配下が持つ旗を掲げながら反対方向から現れたので、驚くのも当然ではある。
「イヤ、俺はフランツの部下じゃねえし!」
デイブと詰め所の兵士がふざけている間、馬から降りたショーンは宿場町の方から逃げて来た人々を見て、イヤな気分になっていた。
街道から脇道に入った村々から逃げてきた彼等は、荷馬車に積めるだけの荷物を積み上げた家族や、小さな子供から腰の曲がったお年寄りまでが、彼等の貴重な財産を背負ってケシェフに向け歩いていた。
「まるで前世みたいだろ?」
代わりの馬を曳いてきた兵士が話し掛けてきた。
「俺はチェコで同じ光景を2度見た。最初はナチ野郎に連れていかれたユダヤ人。次はチェコに住んでたドイツ野郎が戦争が終わった後に、出て行った時だ」
ショーンは吐き気を催し、口許を押さえた。
「何時見ても嫌なもんだな」
フランスやベルギーでも、住んでいた地域がいきなり戦闘地域になり右往左往する住民が避難するのを何度か見てきた。
中でも嫌な思い出は、連合国の占領下に置かれた地域では他の連合国兵士や今まで虐げられてきた人たちが、立場が逆転したドイツ系の住民やファシストに協力的だった住民を襲う時だった。
一番最悪な時は、ドイツ系の住民の額に鍵十字を描かれた後、男も女も彼等の子供達の前で徹底的に叩きのめされ、それを“観戦”する解放された側の住民が子供から年寄りまでが、やられている人が血を出す度に歓声を上げる。そんな時さえあった。
気付けば、それを眺めていた自分の心の中に“やられて当然だ”と気持ちが芽生え、何も感じなくなったが、同じ中隊の仲間がSSの将校と愛人関係にあった娼婦を痛め付けているのを観た時に正気に戻った。
戦争の狂気に呑み込まれ、自分達がしている事が正しいと思い込み、ナチと同じ事を一部の仲間や解放された人々がしていることに強烈な嫌悪感を感じショーンは、その時嘔吐した。
軍に入るまでは、自分達先住民に対する偏見や差別を憎んでいたが。ロンやフランツの様に人種ではなく、人を見る公平な白人と出会い、差別に対し強い憎しみを持っていた筈の自分が、何も感じなくなっていた事が怖かった。
入隊前に持っていた、有色人種への差別に無関心だった白人に対し嫌悪感を持っていた筈なのに、こうも自分が変わってしまったのかと、戦争と人間の業の深さに底知れぬ恐怖を持った。
「また、戦争か」
軍から復員した後は、居留地に戻り。生活の為だけに医者として働き、平穏だが“色”の無い退屈な日々を送った。たまに襲ってくる恐怖に悩まされ、従軍中は夢にまで見た故郷に帰った筈なのに、感情が沈み込み、生きているのか判らない脱け殻のような状態だったのだ。
そうこうしているうちに、ロンから“結婚式”の案内が来て、軍に残ったロンと再会し、佳代と会ったことでようやく恐怖から解放された。
「あの狂気を知ったからこそ、今の平和を大事に出来ますし。父と兄の残してくれた時間を生きようと思うんです。人は間違えますけど、間違えを正す事が出来ます」
フィリピンで父親が玉砕し、特攻隊として兄が戦死した佳代の言葉にショーンは救われ、本当の意味で故郷に帰ることが出来た。
「よし行くか」
手続きを終えたデイブは馬に股がり、懐中時計で時刻を確認した。
「昼前には着きそうだな」
「そうだね。もっとも、道が混んでなければだけど」
普段なら軽口を叩くデイブは暫く黙った。
「そん時は丘を越えよう」
「ハア!ハア!ハア!ハア!」
ニュクス率いる本隊はポレコニチェンレ村と、デイブ達が馬を代えた村との中間地点にようやく辿り着いていた。
「しかし、よくやるねえ………」
本隊の前方警戒を担っている竜騎士は、約2500人の集団が走る様子を見て感心していた。
「まるでマラソンだな」
「何だって?」
後ろに乗っている航法士兼偵察員が聞き慣れない単語を言ったので、竜騎士は振り返った。
「異世界でやってる競技だよ。42.195キロメートルを一斉に走ってタイムを競うんだ。まあ、競技だから下の人達みたいに固まってないけど」
走っている兵士達は道幅の変化や足元が悪いせいで、隊列に乱れが生じているが、それでも脱落者を出すこと無く部隊毎にある程度固まって走っていた。
「大体は先頭に速いのが数人居て、一般参加の人が結構バラバラになってるなあ」
「なあ、何で異世界で“ただ走る”のが競技になってるんだ?」
航法士兼偵察員は眉間にシワを寄せ腕を組んだ。
「………さあ?俺も参加した事無いし。あーでも、デカイ大会だと賞金が出るからソレで生活している人も居たな」
竜騎士は正面を向いてから暫く考え込み、再び振り返った。
「ただ走っている奴は、他にすることねえの?」
「イヤ、無いわけ無い筈だけど」
生活に余裕がないこの世界の住人からすれば、“余暇を使って走る”と言う感覚は理解しがたかった。
「あ、正面。荷馬車」
航法士兼偵察員が道の先で止まって居る荷馬車と人影を見付けた。
「降下して確める」
「また、野良ズヴェルムと間違えられない様にしてくれよ!」
「抜かせっ!」
少し前に、急降下して近付いたところ。野生のワイバーンが襲ってきたと勘違いされ、地上に居た避難民をパニックにさせた後だった。
今回は少し離れたところで、ゆっくりと旋回しつつ降下し、騎乗している2人がハッキリと見える高度まで降りてから近付く事にしていた。
「荷馬車3台に、人が30人ぐらい。子供も居るな。また避難民だ」
魔王の居るケシェフなら安全だろうと、避難する人達だと判り、航法士兼偵察員は彼等に大きく手を振った。
「ん?………正面に別の荷馬車だ」
竜騎士が道の上に別の一団を認めた。
「んじゃ、そっちも見ますか」