トマシュの初恋?
「母さん!竈貸して!」
前日の夕方から実家に外泊していたカミルは、朝食の支度を終えた母親に竈を借りられないか尋ねた。
「なんだい?いきなり?」
「身体を拭くためにお湯を沸かしたいんだよ!」
普段なら、“贅沢な事を言わないの!!”と追い返すところだが。
「それなら、そっちの桶に沸かして有るわよ」
「ありがと、母さん」
昨日、上機嫌で帰って来たカミルから“明日、魔王様とエミリアに街を案内する事になった”と聞いていたので、粗相が無いように身綺麗にするように、用意していたのだ。
カミルや街で聞いた噂では、魔王様は可愛らしい花の香りがする少女で、なんと空を飛ぶと聞いていた。
桶を持って部屋に戻ったカミルは上半身裸になり、手拭いで身体を拭き始めた。
「あ………、兄ちゃんどうしたの?」
カミルの弟の一人が目を覚ました。
「魔王様と出かけっから身体拭いてんだ」
「あー、お湯だ」
「いーな、兄ちゃん」
カミルには八歳年下の四子がいて、そのうち弟三人が同じベットで寝ていた。妹の一人は、カミルと一緒に生まれた五子の姉妹四人と一緒に隣の部屋で寝ている。
「ごめんな、大事な用事だからどうにか貰ったんだ」
姉妹四人に尻に敷かれて来たカミルは弟達思いで、出来れば弟達の身体も拭いてやりたかったが、一人分のお湯しか無かった。
「知ってるー」
「エミリアのお姉ちゃんとデートでしょ?」
「頑張れ兄ちゃん!」
「ああ。って馬鹿!!ちげぇし!」
カミルがエミリアに好意を抱いているのは有名な話だが、カミルが一歩を踏み出せないので周りは少しヤキモキしていた。
「エミリア、コレは建築機材の棚に入れて」
「ハイ!」
「オリガ、コレは同じ物を複写して、建築機材と攻城/大型兵器の棚に入れて」
「畏まりました」
「マリウシュ、このライ麦って何?」
「黒い麦です。痩せた土地でも育ちます」
魔王は各部族長からの供出品の報告書と、自身が異世界から持ち込んだ書類を翻訳したものを仕分ける作業をしていた。
「魔王様、この魔術書なのですが、一部が翻訳されてません」
「あー、ごめん。そっちは途中のだった。こっちの“風魔法を用いた小隊防御術”から複写して」
「はい、畏まりました」
しかし、人格が3人分だからと右半身で翻訳作業をし、左半身で報告書の精査をするのは流石に無理があった。
「マリウシュ、新鮮な死体とか無い?」
「………何に使うんですか?」
魔王は右目が鳶色、左目が黄色のオッドアイになった状態でマリウシュを見た。
「二人分の人格で試しに身体を左右に別けてみたんだが、“元”末の妹の人格が暇しててなあ。いっそ死体に憑依しようかと思い付いてね」
「死者は直ぐに荼毘に付すので、遺灰なら用意できますが………」
魔王は両手を上げて、伸びをした。
「流石に…遺灰から身体は作れないなあ………。ふうー」
トントンとノックをして、いつのもメイドさんが現れた。
「皆様ー、朝食の準備が整いました」
「街娘の服はロングスカートなのか」
「野良仕事をするときはズボンを穿く感じですね」
手早く食事を済まし、魔王はエミリアが用事した服を女性陣に着付けして貰っていた。
と言っても、次回から一人で着替えたいと、街娘の服は着かただけを聞いていた。
「ねえ、エミリア。人狼の人達ってスカートから尻尾を出してるけど、尻尾に対してスカートの穴が小さくない?」
オリガが普段から疑問に思っていた事を聞いた。
人狼達が自慢している、フワッフワの尻尾がスカートに空いた小さい穴から出ている事が常日頃疑問だった。
「実は、穴の所が荷物袋の様に紐が入っていて、広げる事が出来るんだ」
「あー、ホントだ!」
説明を聞いた魔王が実際に尻尾を出し、穴を絞めてみた。
「ねぇ、索端はどうするの?」
「スカートの中で結んで目立たない様にします」
なるほど、と。魔王とオリガは納得した。
「ところでだが、エミリア。ちょっと良いかな?」
裕福な家の娘の服を用意していたエミリアに、下着姿の魔王が声をかけた。
「何でしょうか?」
「用を足す桶は有るのだが、拭くものが見当たらないが、何でお尻を拭くんだ?」
「近くに藁を置いていませんでした?」
メイドさんから藁と言う単語が帰って来た。
「………藁?」
「藁です」
『なるほど、使い捨てか。衛生的で良いな』
「此処を結んで………、完成です!」
3人が手際よく、魔王に服を着付けた。
「ところで、この服は誰が?」
「フィリプ様からです、さっきのは私が10歳の時に着ていた服です」
「………え?」
街娘の服はメイドさんが子供の時に着ていた服だった。
ワイワイと、掃除道具を手にミハウ部族長の家から出ていく妖精さん達と入れ替わりにカミル達が訪ねてきた。
「カミル、お待たせ」
「今日は頼むぞ」
カミルを筆頭に、同じ班のライネ、アルトゥルそしてトマシュは街の何処を案内するか話し合っているところだった。
「可愛いな」
「うん、何か妹が大人の真似をしている時みたいだわ」
ライネとアルトゥルは尻尾を大きく振りながら魔王の街娘姿に思わず呟いた。
一方のトマシュは努めて澄まし顔をしているが、同じく尻尾は大きく振られている。
3人は思った。休日を潰されたけど、魔王が可愛いから良いかと。
「き、綺麗だ」
「うん、ありがと」
カミルの一言は、鈍いエミリアには届かなかったようだ。
「まあ、早速だが。鍛冶屋の方に行きたいんだが」
「鍛冶屋………ですか?」
魔王からの希望で、カミルが周りから“デートプランじゃないか!!”と言われた案内ルートからいきなり外れる事になった。
「兵士に支給する装備を何にするか決めるんだって」
一瞬、尻尾がシュンと垂れ下がっていたカミルはエミリアからの説明で納得した。
「だとしたら、南西の工房街だよね………です!」
また、魔王に敬語を忘れたトマシュが慌てて言い直した。
「では、行こうか」
ミハウ部族長の家がある行政地区兼騎士階級の住宅地区から内門を通り、商業地区兼住宅地区を通りかかった。
「こっちは賑やかなんだね」
「西側は日用品を扱うお店が多いので何時も混んでいます」
魔王のすぐ後ろ歩くエミリアが答えた。
相変わらず臭いはするが、ゴミが散乱している訳でもなく、比較的清潔な通りを少し歩いた所で、魔王はある看板の前で立ち止まった。
「ミミズク………。ねぇ、トマシュ。このお店?」
先導していた3人組の最後尾にいたトマシュを呼び止めた。
「へ?………、ハイ!そこの薬局で買っています」
魔王が立ち止まっていた事に気付いたトマシュが全力で駆けてきた。
「そんなに急がなくても良いのに」
トマシュが走ったのと対照的に、アルトゥルとライネはゆっくりと歩いてきた。
「しかし、」
魔王がトマシュの口の前に人指し指を立てた。
「後、今日は敬語は無し!私の顔が住人に知られる前に巡察しているのに、私が魔王だってバレたら意味無いでしょ」
「わかりま………」
トマシュは言い掛けた言葉を飲み込んだ。
「わかった」
「じゃあ、先にこの店から入ろう!エミリアはカミルとライネはアルトゥルとペアを組んで近くの商店が扱っている商品の相場を調べて」
魔王の急な言葉に、一同驚いた。
「相場って、何を?」
エミリアの言葉は尤もだった。
「そうだな………」
魔王はカミルとエミリアを交互に見て思った。
“折角だし、恋に悩むカミルに助け船を出すか”と。
「エミリア達は家具とか食器とかの日用品をライネ達は野営時に使う消耗品を中心にお願い。なに、ざっくりで構わんさ」
長兄の記憶に、結婚に向けて家具とかを新調した時の記憶があったので、お互いを意識させるのに良いのでは?と妄想を爆発させた結果だった。
「じゃあ、よろしく~」
「わ、わ!」
魔王はそう言い残すと、トマシュの手を握り、薬局に入っていった。
「いらっしゃい。ああ、君か。いつものかい?」
店の入り口に掛けていた鐘が鳴ったので、カウンターの奥から顔を出すと、常連の少年が居た。
良く見ると、肩越しに小さな耳が見える。友達かな?
「今日は、この娘にシラミの薬を買いに」
ひょこりと、同い年位だろうか?女の子が少年の脇から顔を出した。
人見知りかな?しかし、可愛らしい女の子を連れてくるとは、少年も隅には置けないなあ。
「はじめてだよね?だったら薬を入れる小瓶もどうだい?」
カウンターの上に、ミミズク、狼、猫、蛇、花等の意匠をあしらったガラス製の小瓶を並べた。
「いっぱい有るんだ。お姉さん、容量は全部同じなんですか?」
「同じだよ。薬を入れる時に計る手間が無いように、職人に無理を言って作って貰ったんだ」
まあ、夫の実家だから注文を受けて貰えたんだど。他所だと、こんな面倒な仕事は引き受け無いだろうな。
「ねぇトマシュ。どれが良いかなあ?」
紫色の綺麗な瞳を輝かせながら商品を選んでいたけど、決められないから彼氏に選んで貰うか。若い娘は微笑ましいなあ。
「コレなんてどう?」
少年が手にしたのは、この辺りに自生している、アサツユギクの花をあしらった小瓶だった。
「可愛い。なんの花?」
「………何だっけ?風邪を引いて寝込んだときに飲むと良いぐらいしか判らないや」
少年、デザインだけで選んだな!
「アサツユギクって花だよ。磨り潰して腫れた所に塗っても良いし、色々な薬になるんだ」
「では、コレを下さい。後、質問なんですが。薬に使う薬草はどうやって手に入れているのですか?」
「何時も、近所の子供から買い取ってるよ。薪拾いとかで森に入る時とかに取って来れるからね」
この娘は近所の子供じゃ無いみたいだけど、ポーレの子供も薪拾いをするから事情を知ってそうなもんだけどな?
「育てたりしないの?」
もしかして、他の街の子供かな?
「妖精が世話しないといけないから、私達じゃ無理なんだよ」
子供のお伽噺で妖精が夜中に踊って、薬草が芽吹く噺が有るけどなあ。まあ、いいか。
「はい、薬と込みで銀貨一枚だよ。次回から銅貨十枚で薬を計り売りするから」
女の子が銀貨を一枚出したのを確認してから、甕から小瓶に薬を移しかえ、女の子の手渡した。
「フフっ」
女の子の耳がパタパタと動く様はなんとも可愛いなあ。あー、あたしも今年で18だし、そろそろ子供を作ろうかな。旦那は景気が悪いって言い訳にしているけど、魔王様が何とかしてくれるだろうし、この歳で子供が居ないのは恥ずかしいしな。
「ありがとうございました」
ペコリとお辞儀までするとは、子供はヤッパリ女の子だよね。
「コレで銀貨一枚か。トマシュの給料はどんなもんなの?」
正直に言うと驚かれそうだけど。
「週給で銀貨一枚だよ」
死んだ父さんから“つまらない嘘は吐くな”と言われてたから、正直に答えた。
「食事、寝床付き?」
「うん」
「ふむふむ、そんなものか」
あれ?瞳の色が………。
「瞳が茶色い」
さっきまで紫色だったけど。
「ん?」
「うわ!」
今度は左だけ黄色い瞳に変わった!何の魔法だ!
「どうしたの?」
今度は紫色に戻った。何なんだ一体?
「何でもない」
「そう?」
そう言えば、名前を聞いてなかったな。
「ところで、名前は何て呼んだらいい?」
「イシス」
魔王様が自分の瞳を指さした。
「私の瞳が紫色の時はイシスって呼んで」
「わかったよ、イシス」
フンフンと鼻歌混じりに、イシスが通りを歩き出したので、慌てて横に付いた。
昨日の大人びた様子と違い、見た目通りの女の子にしか見えない。不思議だ。
「あ!」
可愛いなあ。
「アレ何?」
イシスが指さした先には、ピエロギの屋台があった。
「ピエロギって言う揚げパンだよ。中に芋とか肉を入れたのとか、ジャムや木の実を入れて甘くしてるんだよ」
「美味しそう………」
そう言い残し、イシスは屋台に向かった。
さっきの買い物と言い、ピエロギと言い。何か、相場調査と言うよりも…………デート!!
いやいやいや!いくら可愛くても魔王だよ!18歳だよ!歳の差が5歳も有るよ!僕みたいな半自由人なんか不釣り合いだよ!!
ヤバイ!急に、こっ恥ずかしくなった!
「トマシュ!何食べたい?」
「な、何でも良いよ!」
「いらっしゃい、何にするかい?」
今日最初の客は女の子だった。
「どれにしようかな………。トマシュ!何食べたい?」
「な、何でも良いよ!」
デートかな?しかし、最近は燃料代嵩むから値上げしたから子供の客は久し振りだな。
「オバサン、この黒いのを二つと茶色いのを二つ下さい」
「銅貨十四枚になるけど良いかい?」
「はい、お願いします」
即答するのね。ちょっとサービスしてあげるか。
「揚げたてを作るから、ちょっと待っててね」
女の子が尻尾をブンブンと振り回しながら色々と質問をしてきた。
「揚げる前から黒いですけど、何が違うんですか?」
「チーズと肉が入っている方は全粒粉で、木の実が入っている方は普通の小麦粉を使って分かりやすくしてんのよ」
「なるほど」
油にピエロギを入れ、クルクルと回しているのを覗き込んで来た。珍しいかな?
普通、子供のうちから、家事の手伝いとかで、料理を手伝うもんだから、ソコまで珍しくは無いけど。
アレかしら?尻尾が綺麗だし、実は裕福な家の娘さんだったりして。
あ、でも肌が日に焼けているから、それはないかな。
揚げたてのピエロギを使い捨ての素焼きの皿に乗せ、女の子に手渡す。
「はい、熱いから気を付けてね」
「ありがとうございます」
尻尾を振りながら、男の子の方へ歩いて行く女の子を眺めていると、直ぐに違う客が来た。
「茶色いのを二つ頼むは」
「あいよ」
あー、ようやく落ち着いた。カミル伍長じゃ無いんだから、僕は何を舞い上がったんだ。
「お待たせー」
「~~っ!」
ヤッパリ、無理だ!意識しちゃってイシスの顔を直視できない。何だこの感覚。イシスが可愛すぎる。
「食べないの?」
「食べるよ!」
イシスを見ないように手に取ったピエロギを丸ごと口に放り込んだのが、いけなかった。
噛んだ瞬間に、溶けたチーズが口の中に広がり、手に噴き出してしまった。