リーゼ達とのお茶会
執務室のデスクに頬杖をつく形で、意識だけトマシュの身体に移動させていたカエは、座ったままの状態でゆっくりと伸びをした。
「休憩するかい?」
カエの様子から疲れたのだろうと、一緒に書類仕事をしていたアルトゥルが気を使ってくれた。
「ああ、そうだな」
カエは書きかけの憲法の草案をデスクの隅に置き、暫く考え事をしてからリーゼを呼んだ。
「リーゼ、少し良いか?」
「はい、何でしょう?」
カエ達が憲法やら関連する法律の草案を書いてる部屋の隅で、黙々と本を読んでいたリーゼは顔を上げた。
現在はカエ達の奴隷として身の回りの世話をしているが、カエが書類仕事をしている間等は彼女が出来る仕事はなく。ただただ空虚に暇を弄ばせるよりは、人狼の文化について書かれた本を読ませておこうと。アルトゥルがエミリアと相談して適当な本を与えていた。
「紅茶とクッキーを頼む。それとそうだ、エリザベートとヴィムを喚んできて。君達を含めた人数分用意してくれ」
カエはリーゼの他に捕虜にしたエリザベートとヴィムをお茶に呼びつける事にした。
「畏まりました」
リーゼが丁寧にお辞儀をして、部屋から出るのを待ってから、アルトゥルは口を開いた。
「なあ、リーゼちゃんって捕虜だけどさ。身の回りの世話をさせて心配じゃねえの?」
「何がだ?」
カエの切り返しに、アルトゥルは面食らった。
「食い物に毒とか入れたり、神聖王国に情報を渡したりするかも知れねえだろ」
アルトゥルの心配を他所に、カエは「まあ、無いな」と前置きした。
「ニュクスが記憶や思考を断片的に読んでみたが、リーゼは神聖王国に大した忠誠心を持ってないぞ。転生者だってだけで集められ、良く判らない状況で訓練をしてただけで、大した驚異じゃないしな。それに気が利くから仕事が捗るし…」
「いやいや、その。まあ、今はそうかも知れねえけどさ」
アルトゥルは周囲を見渡した。
「誰か聞いてたりする?」
「………音が漏れないように細工した」
盗み聞きを怖れたアルトゥルだったが、カエが風魔法で音を遮断した。
「ヒューミントって言うんだが。人伝に情報を集める手段の中に、集団の中で脇が甘い奴。まあ、弱味を持っていたり、弱味を握れそうな奴、忠誠心が薄い奴から情報を手に入れる手法があるんだ。あの娘は神聖王国の生まれだろ?“向こうに残ってる家族の命と引き換えに情報を寄越せ”って言われたら、従わざるをえねえだろ?」
良く有るケースでは単に口が軽い複数人の人物と世間話をしつつ、話の節々で出てくる情報を繋ぎ会わせたり、その人物の休日の過ごし方や過去の学校や所属する組織での成績を集めて性格を分析する程度の罪に問われにくい物から。借財を抱える人に最初は金銭が絡まない程度の仕事上・私生活上の付き合いをし、信用された所で金銭を“貸し”、なし崩し的に情報をリークさせる犯罪的手法。(戦後日本ではコズロフ事件、ボガチェンコフ事件)
更に悪質な事例では、協力を拒んだ自国出身の帰化人の家族が自国内に居る場合に家族を逮捕させ、警察署から家族に電話を掛けさせる事でパニックになった所に、“ご家族を有罪にされたくなければ国家・党への忠誠を”とスパイ行為を強要させる事例もあった。
「それは心配ないな。彼女は生まれてすぐに家族と引き離されたから今世の親の顔を知らんし、前世の家族は転生してない。つまり、完全に天涯孤独の身だ。あーそうだ。これから来るエリザベートとヴィムも同じだぞ」
カエの言ったことを反芻しながら、アルトゥルは指先で筆を転がした。
「それに、リーゼは美人だしな。娼館に出してどっかのヒヒ爺に抱かせる位なら目の前に置いて、眺めておきたいしな」
「いや、あのなあ………」
見た目が子供の癖にズケズケと毒を吐くカエにアルトゥルは耳を明後日の方向に倒した。
扉がノックされ、「入ります」とリーゼの声がした。
入って来たのは、ティーセットが載ったお盆を持ったリーゼ、お茶請け等を載せたお盆を持ったエリザベートとヴィムの3人だった。
『そう言えば、何であんな格好なんだ?』
リーゼはエミリアやアルトゥルの姉妹の様な何処にでも居そうな
街娘の格好だが、エリザベートとは妖精の様なメイド服、ヴィムも同じく妖精の様な執事が着るような格好をしていた。
『何か妖精さんの趣味だと』
『あ!もしかして、この2人も此処で働いてんのか?』
『そりゃあ、なあ。遊ばせる訳にもいかんしな』
この2人はミハウ部族長に(奴隷だが)雇われたので妖精がイタズラ半分で用意した格好をさせられていた。
(全く、呑気だな)
応接用の机に紅茶が用意され、カエとアルトゥルはデスクの椅子から、紅茶が用意された机の脇に並べられたソファーに席を移した。
「急に呼び出して済まないが、聞きたい事が出来てな」
カエがソファーに座ると、全員着席した。
「アデルハルト王が転生者って話は知っているか?」
ティーカップを手に取りながらカエが質問したが、3人はお互いに顔を合わせた。
「誰………ですか?」
リーゼの一言に、今度はカエとアルトゥルがお互いに顔を合わせた。
「誰って、そりゃあ………」
「神聖王国の国王だが知らんのか?」
2人の反応に、再び3人は顔を合わせた。
「王様?知らねえな」
男言葉で喋ったエリザベートの他、ヴィムも。
「国名に“王国”となっているので、居るとは思ってましたが名前は知らなかったですね」
「もしかして………」
リーゼが何かを思い出したようだ。
「一度、私達が訓練を受けていた城で、“書記長”が視察に来たのですが、その時に神殿の大主教が“書記長”の事をアデルハルトと呼んでいました」
『何で書記が国王に結び付くんだ?』
共産主義に疎いカエからの念話での質問に、アルトゥルは掻い摘まんだ解説をした。
『昔ロシアで書記長に国を動かす党の権限が集中して、その名残で書記長が偉くなったんだ』
カエは一口紅茶を飲むとカップを置いた。
『書記とか奴隷で十分だろ………』
『………ん?』
教養が有る奴隷のイメージが無いアルトゥルとは対称的に、カエの周りには手紙や文書の代筆をする奴隷が居たのだった。
「あー、あのイケメンか」
「………同性愛者じゃ無いんじゃ無かったのか?」
エリザベートが「うるせぇ」と言いつつヴィムの頭を思いっきり叩いた。
「書記長つうと、共産主義者かい?」
「ええ、社会党の書記長です」
「ナチ関係者は居たか?」
カエの一言に3人は顔を引きつらせた。
「いえいえいえ」
最初に沈黙を破ったのはエリザベートだった。
「居ないですよ。俺達はナチ野郎のせいで死んじまったんすよ。仲間にナチ野郎が居たら絞めてますよ」
次にヴィムが続いた。
「私達の周囲は前世で早死にした国民擲弾兵や国民突撃隊、更には強制収容所で処刑された政治犯か、戦後に東側諸国に尽くした共産主義者しかいません」
「一度、仲間の1人がナチズム的な発言をしましたが、彼はその後裁判に掛けられ絞首刑に」
『ホントかなぁ?』
『少し待て』
カエはリーゼの記憶を覗き見出来るか確かめたが。予想外に上手く行き、リーゼの記憶を垣間見れた。
『彼女の記憶を覗けた』
アルトゥルにも、見えた記憶の断片的なイメージを念話で送る。
内容は、食堂で“階級社会”を擁護する発言をした少年が他の少年に“ブルジョア主義者”と罵られ殴られる場面。
次いで、殴られた少年が全員の前に跪かされ、石を投げ付けられる場面。
最後に少年を“ノイエナチス”と断定すると宣言され、絞首刑に掛けられる場面。
まるでスライドショーの様に場面場面を切り取った写真の様なイメージと短い映像と音声だったが彼女の発言を裏付けるものだった。
「それに、神聖王国では“鍵十字”や“右手を上げる敬礼”等のナチ的行為は全て逮捕されます」
ヴィムの補足説明に、アルトゥルとカエは暫く考え込んだ。
「なんだコイツら」
整然と行進する捕虜を見て、ニュクスの本隊から分離したクヴィル族の騎士は悪態を吐いた。
「気味悪いっすね」
捕虜は人間だけではなく、人狼や人猫、果ては人馬まで混ざっており、移送している騎士団員余計に気味悪がっていた。
「まあ、ケシェフまでの辛抱ですよ」
従士の1人がそう言いながら、捕虜に目線を移した時だった。列の後ろから“カチリ”と聞き慣れない音がした。
“何だ?”と思い、振り返ろうと身体を捻ったが。同時に破裂音と共に生暖かい物が顔に掛かった。
「え?」
生臭いそれに白い脳漿が混じっている事に彼が気付くよりも早く、彼も頭を吹き飛ばされ力無く馬から落ちた。
「何を」
「伏せろ」
他の騎士団員も異変に気付き、後ろを振り返ったが。最後尾に居る1人が叫ぶと捕虜達が一斉に伏せ、馬に乗っていた騎士団員に銃弾が浴びせられた。
やがて銃声が止み捕虜の1人、人狼のアスマン中尉が顔を上げると、騎士団員の最後尾に居た5人組がライフルを構えていた。
「指揮官は誰だ?」
「私だ………」
状況が読み込めず、アスマン中佐は困惑していた。
「クラウザSS大尉だ。君達を救出しに来た」
「救出………だと?」
人狼の騎士と従士にしか見えないが親衛隊大尉を名乗った男と他の4人は捕虜の手枷を外し始めた。
「北へ向かえば、共産主義者に紛れ込んだ仲間と合流出来ます。その後は本国まで戻れとの命令です」
「そうか」
アスマン中尉は状況の変化に頭が追い付かなかった。




