人間との遭遇
「この魚は?」
部屋に運ばれていた料理の中に体長30センチ程のトビウオの様なヒレを持つ魚の香草焼きが有った。
「トビマスです。胸ビレを使って器用に飛ぶ魚です」
「鱒が飛ぶの?」
「秋の風物詩です。故郷のファレスキの港では、秋になると船に飛び込むほどの群れが河を遡上します」
“懐かしいな”
そう、呟いたエミリアは耳を少し垂らして伏せ目がちに黙々と食事を始めた。
「故郷………か、私は故郷に良い思い出は無いなあ」
エミリアが顔を上げた。
「魔王様の故郷はどのような所でした?」
“良い思い出は無い”と言った場所の事を聞くのは失礼だと思ったが、興味の方が打ち勝ってしまい、エミリアは思わず質問してしまった。
「私も港町で産まれた、と奴隷から聞いたな」
「奴隷………ですか?」
エミリアは奴隷は見たことが有るが鉱山等の危険な場所で働かされるイメージが強かった。
「私の居た世界では身の回りの世話も奴隷に任せるんだ」
「なるほど」
「まあ、話を戻すよ。ちょうどファレスキの様に大河の河口に造られた街で、砂漠に囲まれた街だけど、交易と大河が運ぶ肥沃な土壌のお陰で栄えていたよ」
エミリアの耳が興味ありげにピクピクと動き出した。
「でも、実際に住んでいた期間は5年程度だったし、継父との折り合いが悪くて刺されたし、最後に訪れた時は母と継父を殺す為だったしで、ろくな事がない」
「ぶっ」
『うわ!』
『あらら、大変!』
エミリアが挽き肉を型にはめて、オーブンで焼いた料理を口から吹き出した。
「大丈夫?」
「ゲホゲホっ…はい…」
「ほら、お水」
『誰か来た!』
エミリアに水を渡した時に、魔王は階段を誰かが上がって来る音を聞いた。
(大丈夫ですか?)
(何とか………)
マリウシュのようだ。
トントンと人狼のメイドさんが部屋の扉をノックした。
「はい?」
「マリウシュ様をお連れしました」
「マリウシュを?」
鍵を幾つか開ける音がして、中から尻尾の無い少女がでて来た。
「どうしたの!?また、ヤツェク長老に無理矢理飲まされたの!?」
「大丈夫…………」
自室に運び込まれたマリウシュはそのままベットに倒れ込んだ。
「エミリア様に股間を蹴り上げらたようでして」
「どうして!?」
「ヤツェク長老やチェスワフ部族長が魔王様がらみのセクハラ発言をしたのをエミリア様が鉄拳制裁をしたのですが、止めにはいったマリウシュ様まで巻き込まれたと」
「あー………」
少女は事の顛末を聞いて諦めがついた。マリウシュの親戚であるエミリアは部族長クラスが酔っぱらい、セクハラをしだすと、鉄拳制裁で止めるのだが、そんなエミリアを抑えるのは並大抵の事ではなかった。
人狼は伝統的に女性が強く“負ける男性の方が悪い”とする風潮があり、エミリアの行為はそれほど行きすぎた行為では無いのだ。
「ちょっと入るよ」
「魔王様!」
一方、マリウシュの様子を見に来た魔王は、部屋に入った瞬間、少女の容姿に目を奪われた。
頭頂部に耳がなく、尻尾が無い。そして白髪。魔王と妹達は生前の記憶をフル回転させて、似た容姿の生き物は何かと考えを巡らせた。
「………猿?」
「人間です!魔王様!」
すかさず、メイドさんから突っ込みが入った。
なぜ、人間が此処に?奴隷?捕虜?などと考えていると、騒ぎに気付いてベットか起きたマリウシュが慌てて、説明した。
「魔王様、彼女は私の許嫁で」
「お初に御目にかかります。人間の国、マルキ王国のオリガ・イワノヴァ・クラノヴァです」
マルキ王国と言えば、神聖王国と戦になる前に交渉を仲介した国だった。
「魔王のグナエウス・ユリウス・カエサル・プトレマイオスだ」
『コレが人間か』
『さしずめ、猿の亜人と言うところかね』
『しかし、マリウシュの許嫁が人間だったとは』
魔王はしげしげとオリガを眺めてまわった。
「背が高いな」
「…はい?」
「いや、何でもない」
またしても、自分よりも背が高いので、魔王は思わず口に出してしまった。
実際のところは、魔王自身の背が低いだけではなく、周りの身長が高いのだが。
「ところでだが、君はなぜ此処に?」
民会の様子では、クヴィル族の人間に対する感情はあまり良いものでは無かった。
「私はファレスキの街で交渉が行われているなか、外交官の父に頼んで街に入りました。戦が始まる前に人間が大勢居れば、最悪戦になっても時間稼ぎが出来ると思いまして。私の他にも多くの人がファレスキに集まっていました。しかし、私が街に入った翌日、戦が始まり、私はマリウシュと一緒に暮らす事を選びました」
「何故?」
「神聖王国がファレスキに居た人間を奴隷として売り飛ばすか処刑しました。神殿が“獣に協力する者は異端者”だと宣言したので。私の父も恐らくは………」
今一、耳と尻尾を持たないオリガの感情を読むことができなかった。
「オーリャと私は、街から脱出する際に城塞の地下通路を使ったので難を逃れました。数日経って、人間の捕虜や逃げ出すことに成功したポーレ族の者から聞いたところ、オーリャの手配書が出回っているのが判りました」
「手配書…ね、罪状は何かな?」
「その………あの………」
オリガが顔を伏せてしまった。
「………あー、すまない。忘れてくれ」
雰囲気的にオリガに対して酷く不名誉な罪状だというのは判った。
「しかし何故、ミハウ部族長の家に住むことに?クヴィル族から風当たりが強いのかな?」
「いえ、クヴィル族の人達はオーリャの事情を知った上で保護を申し出ました。しかし、街で住むようになって数ヵ月経った頃に、オーリャがポーレ族の冒険者に襲われました」
「ポーレ族の冒険者?何故?」
「はやつれてひたへすよ」
魔王の背中越しに、様子を見に来たエミリアが現れたが、食べながら話したので、何を言ったのか、いまいち魔王は聞き取れなかった。
「エミリア、飲み込んでから喋りなさい!」
「ふぁい!」
「プフッ」
妹が姉に注意した様に見え、オリガが短く吹き出し、マリウシュの背中に隠れ笑いを堪える。
「後で判ったのですが、神聖王国が人狼の捕虜や拐った冒険者を洗脳していたんです」
「ぷはっ)街の兵士が冒険者の仲間を調べたところ、仲間も洗脳されていた事がわかりまして。ただ、一人一人調べるには時間が掛かりますし、調べたところで必ずしも洗脳されていないか判らないので、安全の為にマリウシュの部屋から出さない事にしたんですよ」
「それが原因でクヴィル族の人達が疑心暗鬼になりまして、叔父も苦慮しています」
魔王が耳をピクリと動かした。
「叔父?」
「ミハウ部族長の事です。父の弟なんです」
ああ、だからマリウシュの事を気に掛けているのかと魔王は一人納得した。
「洗脳程度なら、私が何とか出来るかもな」
魔王の一言にその場に居た全員が驚きの声を上げた。
「判るんですか!?」
「簡単だよオリガ。おそらく魂に細工をしている筈だから、死霊術の応用か何かだろうから、相手の魂の色を調べれば一目瞭然だよ」
幻覚、幻聴と言った物の類の組み合わせで操っているとすれば、仕掛けが大きくなるので割と何とかなると魔王は踏んだのだ。
「ところで魔王様、地下通路でも言ってましたが。死霊術とは何ですか?」
「死んだ人の魂を違う器………まあ、違う人や物に憑依させる魔術だよ。極めれば、自身の肉体が死んでも憑依し続ける事で、現世に存在し続ける事も出来るし、肉体を入れ替える事も出来る」
「大丈夫なんですかそれ?」
マリウシュの疑問は尤もだった。初めの内は三兄妹で入れ替わって侍女を驚かしたりと、イタズラで使っていたのだが、三兄妹の魂が結び付いてしまい。しまいには死んだ兄妹が1人の身体に同居する羽目になり、人格は別れてはいるものの、3人の魂がごちゃ混ぜになっていたのだ。
「………まあ、違う人に憑依し続けて私の様に憑依してた人と魂が混じったりと弊害は多いが、魂を知覚する能力を身に付ければ、その気になれば相手の考えも読める」
とは言え、流石に1人でやると時間が掛かるので、魔王は少し工夫をするつもりだった。
「ところでだが、君は読み書きは出来る?」
「はい、出来ます」
「計算は?四則演算は出来る?」
「はい、問題なく」
コレは当たりだぞ、と魔王は思った。明日から街の視察やら軍の編制作業をしている間に、デスクワークを任せる事が出来そうだと。
「マリウシュ、明日からオリガに書類仕事を任せたいのだが、どう思う?」
「良いと、思います。部屋に引き籠っているよりも、何か仕事を出来るので有れば、気持ちも落ち着く筈です」
マリウシュの尻尾が少し左右に揺れたのを魔王は横目に見た。
「さて、君の旦那様から許しが出たわけだが、どうする?この仕事は君の同胞が死ぬのを手伝うことになるけど」
“死ぬのを手伝う”と言う言葉に、マリウシュの尻尾が硬直した。マリウシュはオリガが魔王の書類仕事をすれば、気晴らしになる程度にしか考えていなかった。
「質問しても良いですか?」
「ん?なんだい?」
「給料は日払いですか?」
「………あ」
魔王はエミリアとひそひそ話を始めた。
(書記の給料の相場って幾らぐらい?)
(商人だと週給で銀貨三枚からですね)
(三枚か…情報も扱うから五枚で良いかな?)
「良いですね!!」
エミリアはあわよくば、自分の給料も上がるのではと考えた。
(声でかいよ!)
「コホンっ」
魔王が改めてオリガに向き合った。
「週給で銀貨五枚はどうかな?」
「はい、宜しくお願いします!」
銀貨二枚程度だと思っていたが、五枚も提示されたので、オリガは即答した。
「うむ、では明日から頼む。あ、そうだ。エミリア、ちょっとしゃがんで」
「こうですか?」
もうちょい、あー、そこそこ。と魔王は自分から見てエミリアの頭頂部が見える様にしゃがませた。
「とりゃ!」
「きゃん!!」
丁度良い高さに来たところで、魔王がエミリアの頭頂部に拳固を落とした。
急な事に驚いたエミリアは壁際まで飛び退き、尻尾を丸めながら頭を押さえた。
「何するんですか!」
「さっき宴会でマリウシュの股間を蹴り上げたのに、まだ謝って無いでしょ。あれって、すんごい痛いんだかんね」
「いや、何で判るんですか!?」
エミリアが突っ込みをよそに、マリウシュとオリガがひそひそ話を始めた。
「マリウシュ、魔王様って女性よね………」
「うん、裸を見たけど女性だった………」
「………裸!?」
オリガが変な勘違いをしかけたが人狼のメイドさんのフォローが入った。
「召喚された時に裸だったんですよ」
「あ、なるほどな~」
「私は三兄妹の魂が混じっていると言っただろ。姉妹で何度か長兄の股間を蹴り上げた時の記憶があるんだ」
どんな記憶だよと、その場に居合わせた全員が思った。
「ほら、エミリア。マリウシュに謝りなさい」
「………ボソッ(ごめんなさい」
「声が小さい!!」
「ごめんなさい………」
「マリウシュ、良いかな?」
「ハイ!大丈夫です」
正直なところマリウシュは、“負ける男性の方が悪い”という風潮があるので、謝って貰うことに罪悪感すら覚えていた。
「うむ。では、おやすみ。エミリア、明日は街を見て回るから、街娘の服と裕福な家の娘の服をそれぞれ用意してくれ。後、カミルが来たら直ぐに出発したいから、門が空く前には起こしてくれ」
「判りました、着替えと朝食の時間は………」
部屋を出ながら指示を出す魔王をエミリアがメモを取りながら追い掛けて言ったのを見届け、暫くしてからマリウシュがオリガに謝った。
「ごめん、僕のせいでこんな事になるなんて」
「え!?………何が?」
突然の謝罪にオリガは驚いた。
「仕事の事、人間が“死ぬのを手伝う”事だって、考えが及ばなかった」
「なんだそんな事か………」
半ば呆れつつ溜め息混じりに答えたオリガにマリウシュは驚いた。
「そんな事って、君は」
オリガが勢い良くマリウシュに体当たりした拍子で、二人共ベットに倒れ込み、オリガはマリウシュの胸に顔を埋めながら、気持ちを吐露した。
「人間が死ぬ、だから?少し見た目が違うだけで亜人を動物扱いする連中だよ?神聖王国はマルキ王国に居た亜人を皆殺しにしたんだよ?亜人と結婚したって理由で殺された人も居るんだよ?マルキの人間達も“自分の事じゃないから”って見て見ぬ振りをしたんだよ?今更、人間が死んだって、亜人に酷いことをしてきた罪を償うだけだよ?あんな連中…おな………、マーシャ?」
マリウシュが反応を示さないので、表情を確認すると、マリウシュは白眼を剥いていた。
「頭を打って気絶してますね」
マリウシュは不意に押し倒された時にベットの角に後頭部を打ち付けていた。
「え!どうしよう………」
「気絶したマリウシュ様が悪いので、気にしなくても良いですよ。一応、治癒魔法は掛けておきますね」
そう言うと、メイドさんは雑に治癒魔法を掛けて部屋を後にした。