アルトゥルの説教
「っヒュー……」
イシスに直接気道を握り潰された兵士が気を失ったので、イシスは喉から手を抜き、兵士を突き飛ばした。
イシスが音を立てて床に倒れる兵士を見下ろしている様子が、琥珀浄瓶のモニターに映し出されたイシスの目線で確認できた。
「おい、ロキ様が倒れたぞ」
「えぇ………」
フランツとショーンはロキが倒れた事に気付き、トマシュとエルナに「モニターを見るなと」言うと、何とか安全バー付の座席から抜け出せないかと、身体を捻らせた。
「ふん………がぁ!ダメだねこりゃ」
ショーンの言葉を聞いたエルナが上半身を捩り、自身の馬の下半身を固定しているベルトに手を伸ばした。
「届いた。………うー………やった!外れました」
エルナは立ち上がり、その場で一週してみた。
「ああ、良かった。そこのロキ様が落としたリモコン………。えーっと、黒い細長い板を取ってきて」
「ああ!待て待て、モニターは見るな!」
イシスがゆっくりと狭間から中に侵入し、兵士の喉に再び手を伸ばすのを見て、フランツが叫んだ。
「え?……うわっ!」
“モニター”が何なのか判らずに、見てしまったエルナは慌てて顔をモニターから背けた。
「く、黒い細長い板ですね!」
(またか………)
周りの様子と、フランツに視線を遮られる直前にイシスが兵士の首に手を刺したのを見ていたトマシュは憂鬱になった。
“どうしてイシスを含めカエやニュクスは人殺しに躊躇が無いのか?”
魔王3兄妹と魂がくっ付き、今も強い感情が伝わる程度に繋がっているのでよく判る。
“3人とも、人を傷つける事に抵抗が一切無いのだ”
良心の呵責が一切無いわけでは無いのは判る。
しかし、3人は普段の立ち回りは年下の女の子と全く変わらないのにも関わらず。人を殺めたり、魔法具を創る時に自分の腕にナイフを突き刺し血を採る事にだけ全く嫌悪感が無かった。
暗殺未遂事件の時に、人狼の領土にキチンとした刑法と裁判所が存在する事を後から知り、3人共慌ててはいたが。ポニコレチェンレの村で泥棒騒ぎが起きた時は、イシスが泥棒を殺そうとゴーレムを放とうとしたのを感じた。
あの時は、騒ぎが収まり食事を再開する前から、イシスが不安になり目を合わせようとしない事に気が付いた。食後も不安そうにしているのを察して、宿の外に連れ出したことで、ようやく安心したようだった。
今思えば、“イシス達は周りから嫌われる事を恐れているだけじゃないか?”とトマシュは感じた。
イシス達は歪んでいるような気がする。
兵士だった関係で、殺人を犯した犯人を取り調べる機会が有ったが、殆どの犯人は止むに止まぬ事情で罪を犯し、悔やんでいた。
イシス達の様に一切後悔をしていない人は居なかった。
一月前、トマシュは初めて人を殺した。
相手はこれまでに、強盗や殺人を繰り返して来た凶悪犯だった。その時に本気で除隊しようかと悩んだが、アルトゥルのお陰で兵士を続けていた。
事件が起きたのは、夜中にアルトゥルと持ち場の詰め所に移動している時だった。強盗殺人を起こした犯人が血まみれの状態で現れたのだ。間が悪い事に、犯人は商店に押し入った直後で非常に興奮し、進路上にトマシュ達を見ると剣を振り上げてきた。
反射的にトマシュが剣を抜き、そのままの流れで犯人の喉を切り裂いたので、2人に怪我はなかったが、その時の感覚を思い出すと怖くて堪らないのだ。
最初は自分やアルトゥルが無事だった事と、凶悪犯が罪を重ねる前に打ち倒せた事を心の底から悦んだ。
しかし、獣の様な眼をしていた凶悪犯が、今際の際に哀しみ涙ぐんだのを見て、トマシュは自分が殺めたのが“野獣”ではなく“人”だった事を思い出し、自分のしたことに恐怖を覚えた。
「おめえは人を斬ったんじゃねえ、罪を斬り捨てたんだ」
アルトゥルにはそう言われ、検分中に班長のカミルが合流した所でトマシュは「今日は休め」と指示され隊舎に戻った。
隊舎の井戸で、身体に着いた血を洗い流している最中に恐怖を思い出し、その場で吐いた。
結局、その日は日付が変わる前にベッドに入ったが、朝まで一睡も出来なかった。
翌日は非番だったが、朝食を取りに食堂へ行くと、事件を聞いた同期兵に質問攻めに有った。
「凶悪犯を殺ったって、マジ?」「強かったか?」
群がる同期兵の、まるで冒険譚を聞く子供の様な熱気に、トマシュは益々気を病み、朝食を取ると直ぐにベッドに潜り込んだ。
まるで、人を殺めた事を後悔している自分だけがおかしいのではと思い一人になりたくなった。
「少し良いか?」
頭から毛布を被り、ふて寝をしていると、同じく非番だったアルトゥルが部屋に戻ってきた。
「俺様が転生者だって噂は知ってんだろ?」
珍しく、普段はお調子者なアルトゥルがベッドの脇に椅子を置き、毛布にくるまったまま動かないトマシュに説教を始めた。
「最初に俺様が人を殺したのは20の時だ。異世界でも兵士になって、戦争に行ったんだ。ある日仲間達とデケエ作戦に参加して、俺達は敵の支配地域にばら蒔かれた。真っ暗な中をな。俺様は仲間とはぐれて、1人で森の中を歩いていた。そんな時だ、敵を見付けてな。俺様はナイフを抜いてソイツに忍び寄ったんだがヘマしちまった。後一歩って所で音を出しちまったんだ。兵士が振り向いたんで、俺様はナイフを突き出し奴に突っ込んだ。だが、ソイツは何を思ったのか、“待った、武器を置こう”と俺達の言葉で喋って銃口を逸らしたんだ。………………俺は勢いが付いてたんで、そのまま無抵抗のソイツの心臓をナイフで突き刺し殺しちまった。俺はパニックになって、森の茂みの中で一晩泣いて過ごした」
転生者だと聞いてはいたが、具体的な事は一切話したがらなかったアルトゥルが始めた、異世界での出来事にトマシュは耳を傾けた。
「次に人を殺したのが朝方だ。情けねえ自分に嫌気が差して、いっそ楽になろうと考え始めた頃だ。遠くで銃声が聞こえてきたんだ。俺は音がする方へと歩いたが、仲間達が敵の兵士達と戦ってた。始めは傍観してたが、顔見知りの兵士が腰を撃たれて倒れたのが見えてな。それを見た敵兵が、銃を構えて止めを刺そうとしたのが見えて、俺は気付いたらその敵を撃ち殺してた。その後は3人目4人目と敵を撃っていた。段々、馴れが出てきた。仲間達もな」
アルトゥルが短く溜め息を吐いてから続きを話した。
「アイツ等の国にまで攻め行ったが、そこまで行くと戦いの意味が判らなくなってきた。今までの戦いはアイツ等が占領していた国の人を助ける戦いだったが、国境を越えた途端に立場が替わっちまうんだ。アイツ等がしてきてきたことを俺達もやった。略奪とかな」
アルトゥルが何でその話を始めたのか?トマシュの疑問は次の一言で解決した。
「ヤツェク長老が魔王様の召喚を始めるってよ。恐らく、今までのように一気に人間の国に攻め込むだろうよ」
トマシュ達、人狼のポーレ族は神聖王国に良いように攻められたが、魔王様が降臨すれば一気に立場が逆転する。それこそ、アルトゥルが前世で経験した様に侵略者側になる。
「人を殺して、気にするのは恥じゃねえ。お前の同期どもは実際に殺しの場に行ったことがねえから判んねえだけだ。普通は寸での所でびびっちまうか、殺っちまった後に恐くなるだけだ」
暫く間を置いて、アルトゥルは自分に言い聞かせるように続きを話始めた。
「良心がどっかに残っている内は人でいられる。だが、人殺しに馴れちまって何も感じなくなったら終いだ。………この先、生き残るだけ辛いだけだ。恐らく、無抵抗の人間を殺す事になる。除隊するなら今の内だし、隊長にも俺から願い出ても良いぞ」
アルトゥルの問いにトマシュは毛布から顔を出さずに逆に質問した。
「アルトゥルは何で戦うんだ?転生者なら、他に仕事が有るだろ?」
実際、転生者は異世界の物を作ったりして成功している者も多く、アルトゥルがわざわざ兵士になった理由が気になった。
「俺は平和を知ったからだ。逃げ出したくなる事もあるが、俺に殺された気の良い兵士みたいに、正直者が騙されて殺される世界なんざ、真っ平ゴメンだ。無駄かも知れねえが、俺は前世の世界みたいに、こっちの世界が少しでもマシになるように戦うつもりだ」
「………大丈夫だよ。少し驚いただけで僕は大丈夫だ」
あの時は、過去に何人か人を殺めた経験が有るアルトゥルも人並みに怖がっている事を知って、孤独感が失せたのだ。
『あのさ、何か私のイメージ悪くない?』
『え?』
いつの間に念話で考えていることがイシスにも伝わっていた。
『別に人殺しが好きとかじゃないし』
モニターを見ると、虫の息だった兵士をイシスが魔法で治していた。
『まあ、躊躇しないのは本当だけど。それは肉体が死んでも魂が無事だからだし』
兵士の傷が癒えたのを確認したイシスは遺跡の奥へと向かった。