第四話 傘に弾かれた雨
日常の中のふとした瞬間。
それは雨の中、黒く大きな傘に視界の3割を持っていかれながら
町を歩く人を眺めた時。またいつもの独り言を始めた。
「あの時、たまたま仲のいい友達に言われた一言で確信したことがある。
その時は本当に日常会話の中で私が本を読むことが好きだということを知っている友達が
きっと何も考えずに発した言葉だろうその言葉は大半の人間の中にある諦めという名の思い込みでしかないだろうと言うことを。
その友達は俺は本が好きじゃないし文字を読むということが好きじゃないから楽しんで本を読んでるのはすごいと言った。
私は自分にできないことが人にできないわけがないという価値観が常に前提にあるのだがその価値観からすると
よくそう言った諦めのようなものを聞くがそれは全くの思い込み勘違いであると私は思うのだ。
なぜならば別に私は本が最初から好きで好きでたまらないなんてことはないのだ。
何かしらのきっかけがありそこから文字を読むという作業が苦ではなくなりさらには新しい情報を手に入れるということに快楽を覚えたまでなのだ。
それがすごい?とんでもない。意識的に自分の脳をだましたというその程度なのだ。
感情コントロール。難しそうに聞こえるが案外簡単なことだ、要は自分の中の固定観念を捨てて理屈だてて自分に説明納得させればいいだけなのだ。
思い込みと先ほどから言っているがそれはつまり文字を読むということが嫌いだと意識して自分はそういう人間なんだと脳をだましているに過ぎない。
ならば好きだとだませば好きになるのだ。これは実際そう簡単にはいかないなんて思う人もいるかもしれないが本当にただそれだけのことなのだ。
よく私が人に教えるのはとりあえず嫌いということを口にせず逆に好きだと口に出して言う。そのあとに実際に本をいやいやでも読んでみる。
達成感を得られればドーパミンが出ている証拠がそうなればもうあとは時間の問題なのである。
少し話は飛ぶが人間はなぜ文明を発達させたのだろうか?などと思ったことのある人はいないだろうか?
正解は人間は脳内物質ドーパミンを感じて気持ち良くなりたいがためにより難しいことにそれより更にとある種のインフレーションを起こした結果として
今の文明があるとただそれだけなのだ。じゃあ、本を読むことでドーパミンを得られることを覚えた人間は?もっと本を読むだろう。
今までに読んだことのない新しい本をその結果残ったのは?私のような雑学大好き人間というわけだ。」
小野寺さんは満足げな顔で傘の位置を下げ、顔を隠しそのままどこかへ歩いてった。
雨は次第に弱まっていった。