第一話 今日の小野寺さんは黄昏る。
都会というほど都会ではないけれど田舎ほどではない中途半端な場所、つまり都会の田舎。
この場所の夕方の風景はいい。太陽を後ろに正面には自分の長い影。
右の小さなビル風の建物、左斜め前のバカデカいマンション、その手前にある背の低い電柱、電線。
それらに夕陽が当たり反射する。
アンダーパスの横にあるトンネルのようになっている歩道に差し掛かると半分からさきは上り坂になっているために光が当たっていない。中のまだ夜には早いはずのLEDがそこから先を青白く照らしている。
そこが夕方と夜の境のようで不思議な気分になる。
「夕方はいい。人が皆少し疲れているけれど家に帰れるからもうひと踏ん張りという表情ですれ違う。そうやって通る人たちには頑張ってという気持ちになれる。今世間では政治や、犯罪、芸能人のスキャンダルで皆騒いでいるが、この風景は一向に変化を見せない。いつかは変化するのかもしれないけれど・・・いつもそう思ってはいるが変わったためしがない安心する風景。まるで騒ぎはネットやテレビの中だけの話で現実にフィードバックされないフィクションか何かかと錯覚するほどだ。人は実は本心においては変化を好まないタチなのかもしれない。憲法改正なんてささやかれている、それに対して理屈をわかる人たちは変化させる必要があることに気づく。けれどもインタビューを受ける主婦の発言を聞けばどれも今まで通り平和がいいというのだ。行動経済学なんかの本を読むとよりそれが確信に近づく。例えばピザをネットで注文しようとする、そこでいくつかのトッピングを選択できるチェック欄を用意し最初からすべてにチェックがつけられているとする。何もチェックがついてないピザの注文サイトとついている注文サイトでは売上が一目瞭然であるというのが最新の研究結果なのだが、理由は人間は思ったよりも怠慢でデフォルトを選択する傾向にある。めんどくさがりなのだ、これは言い換えれば先ほどの私の言う変化を好まないとニアリーイコールなのではないだろうか。仕方なく変化していく世界。そんな怠慢な世界に怠慢な私は愛着が湧いているのだと思う。」
そんな風にぶつぶつ歩いてきて目の前の信号が赤から青に変わった。
いつもここで思うのだ。
手ぶらの時に手のやり場所を迷うのだ、ポケットに入れるのもありかもしれない、ただ頭をかいてるしぐさ、耳を触る癖がある人を演じる事もある、そのまま手を振っていたって普通を装うこともある。
けれどどれもいつも落ち着かないでいる。
第三者からすれば物の考えすぎなのかもしれない、確かに脳内CPUの使い過ぎなのだろう。
ハッキリ無駄使いだ。
だから大事な時に・・・とまた考える。
無意識にそしてとめどなく私は今日も考える。