ハートに火をつけて
作者 西の子
振られた。
なんだか話が噛み合わないと思っていたら、向こうから「つまらない」と言われてしまった。
確かに、貴方は文系の頭で私は理系のものの考え方をしている。だからこそ、多少なりとも興味の範囲の差異は仕方ないのでは? 私もはっきり言って貴方との話はあんまり楽しくない。馬鹿なんだもの。三〇近いのに碌な職も就かずにギターばっかり弾いている。かと思えば、小説家を目指している。なんて馬鹿なんだろう。
だけど、好きだった! 例えば横顔。瞼から顎にかけての女性的な曲線美! そして安定感のない声と精神! 複雑な家庭環境をもつそのパーソナリティ! 私は彼の話がいくらつまらなくても彼の姿、そして不幸を見つめることができれば何度でも脈拍が速まって手足が痺れ子宮が疼くのであった。
彼、橋本亮平と出会ったのは恥ずかしながらお見合いである。私の父と彼の父が仕事の付き合いの延長戦で仲良くなり、酒の場でお見合い話を決定させた。お互いに自分のステイタスにしてみればまあまあ汚点である一人っ子を抱え、将来の不安を看過できないからこんなに強引に事を進めたのであろう。感謝している。
私は当日まで乗り気でなかった。三〇近くにもなって七五三の如くの化粧を施され着物という拷問服を着させられ、願ってもないのに「きれいですね~」と人に言わせる苦行に耐え忍んできた。全ては、お見合いの食事で出てくる北京ダックのために。しかし北京ダックを食べることをうっかり忘れるくらい、私は一目惚れした。そう橋本亮平に。親の脛を齧り回るドラ息子に。
彼との出会いは衝撃の連続であった。まず母親がいない。口を開けば己の趣味の多さをひけらかす話ばっかり。例えば映画。音楽。漫画。私は文化にあまり触れずに今まで生きてきた。音楽なんて椎名林檎しか聴かないし、映画といったらジブリですら嫌いだし、漫画は今色々ありすぎてよく分からない。勉強もせず、ずっと毎日十二時間以上寝て生きてきた。なんとか大学まではうまくいったけれど就職が思うようにいかず、今は派遣社員をしているが今のところまでで十五回転職している。そんな中、彼に出会った。彼との出会いは屈辱でありながらも、新たなる発見をもたらしてくれる予感がした。新たなる発見。新たなる自分。お見合いの時にはもう既に、私が彼と結婚して私が働き彼が主夫になって子どもにどんな教育を施すかまで思索が及んだ。
しかし、だ。三度目のデートで振られることとなった。文化に触れていないことが仇となって会話が全く弾まないのだ。私は敗北したのだろうか。なんというか。納得できない。彼には私ぐらいしかあてがないはずなのだが。彼のフェイスブックを見てみる。結構女と絡んでいる。グループ写真とはいえ女と一緒に映っている。畜生、女には困らないのか。とはいえ、彼の精神の脆さにはどの女も辟易することだろう。
彼はよく自分がだめだと言う。どうだめなのかというと、例えば母親がいないから僕は愛に飢えているだの、友人が少ないだの、碌な人生を送っていないだの、言っていたのである。反応に困る。愛に飢えているなら私を愛せばいいだけの話だし、友人は見たところほどほどにいるし、碌な人生を送っていない、ということに関してはそういう人生を選んできたのだから自身で文句を垂れるのはお門違いであるかのように思える。
それでも、私は彼が愛くるしいのである。私以外に誰が彼を愛すのであろうか。いやそんな物好きいないだろう、とりあえず、今「振られた」という現実だけがある。これを覆すにはどうしたらいいものであろうか。
私は、彼を愛したい。彼を誰にも邪魔されずに愛するには、彼を殺すか、それ以外を殺すか。どちらかであろう。手っ取り早いのは彼を殺すことであろうが、私はそれにノンを唱える。彼の生命こそ尊いのである。彼のその生血、息吹、鼓動。これを失われては私が生きていけない。そういう訳で、私は彼以外の人類を滅亡させることにした。その為には? 薬だ。
私は三〇手前にして大学の薬学部を受験することにした。親を説得するのが大変かと思われたが、「薬剤師になる」と言えばすんなり納得してくれた。今の仕事よりはるかに現実味がある職業であるからだろう。
私は来る日も来る日も缶詰になって勉強し、晴れて地元の私立の薬科大学に合格した。と言っても、金を積めば入れるような所であった。本当に行きたい所には及ばなかった。どちらにせよ、薬の勉強はできるのだ。私はまた薬について、同期よりも、いやどの先輩たちよりも積極的に学んだ。それもこれも人類を滅亡させるためだ。
自分の意欲が認められ、製薬会社に勤める運びとなった。その頃橋本亮平は何をしていたかと言うと、やはり碌な仕事にも就かず、ギターをべんべんと鳴らしていた。無論、彼のライブには人知れず私も観客として来ていた。ほくそ笑みながら彼のライブを観ていた。最高にエキサイトだった。
私は製薬会社に勤める傍ら、人類滅亡用の化学兵器を作成していた。会社のノウハウを活かして、いとも簡単に完成させてしまった。あとはこれを全人類に撒ける位には大量に生産する必要がある。これからどうしよう。倉庫を大量に借りて管理しなければ……。
そう思っていた矢先の出来事だった。
鳴り響く空襲警報、空襲警報。なんと空からミサイルが降ってきたのである。私は化学兵器のことも忘れて我先にと外へ飛び出し避難した。私はガリガリと勉強ばかりしていて、よく分からないのだけれど避難所の人々の話を盗み聞くところによれば第三次世界大戦はもう始まっているらしい。C国は既にO県以外のQ州全県を占領しており、A国は対抗してC国に攻撃している。しかもここJ国の中で。
落ち着いた所で、地上に出てみれば「サリン注意」との警告が。忘れていた。私はサリンを作っていたのだった。ミサイルの流れ弾によって私の居たマンションは粉々に破壊され、その拍子でサリンも四方八方に分散してしまったようである。ガスマスクを被った自衛隊員が次々と人を運んでいる。その中に、橋本亮平がいた。彼はこの辺りの人間ではないはず。何故だ。何故、彼がサリンの餌食になってしまったのだろうか。私は茫然として何も考えられなくなった。そしてそのまま卒倒した。
ショックで病院にて一週間寝込んだ。めちゃくちゃな状況なので、それは許された。同じ病院に橋本亮平も居た。彼は植物人間になっていた。私はたまらず毎日その周辺に通うことになった。複雑な気持だ。私は世界を恨んだ。お前らが折り合いつけてうまくいかないせいで、橋本亮平はこうなった。ますますこの世界を生かしておいてはいけない。私はサリンの生成に改めて力を入れた。今回は他にも色々作った。そして空き時間には必ず橋本亮平を覗いた。
それから数日後。いつものように橋本亮平の元へ行く。
「早く目が覚めたらいいのにな……」
そう呟いた時だった。なんと橋本亮平が目を覚ました。その瞳には私しか映っていなかった。畏怖を感じた。すると橋本亮平は、
「花音?」
と訊いた。……花音とは、彼の彼女の名前だ。昔探偵を雇って調べた。私は、
「うん、亮平。花音だよ」
と言った。その日から私は片山花音となった。ようやく手に入った幸せの日々。時には記憶の齟齬があったけれど、優しいのか馬鹿なのか橋本亮平は見逃してくれた。昼は献身的に亮平を支え、夜はサリンを自室で生産した。私が思うに、私たちだけは平和だった。
ある日のことだった。亮平が別の病室に移った。某有名中華料理屋の息子と同室になっていた。嫌な予感がした。中国人であるその息子は、私たちに北京ダックを振る舞ってくれた。亮太は何故かテンションを落とした。
「俺一回だけ北京ダック食ったことあるんだよね」
「そうなの」
「お見合いだったんだけど、その時会った女が本当に粘着なストーカーでさ……」
「……ふーん。大変だったね」
ふと、亮太が怪訝な顔をした。
「あれ……? お前、花音じゃないよな」
「えっ……」
「お前はあの時の、粘着女じゃないか」
「いや、違うよ、私は花音だよ」
「嘘だ。北京ダックで思い出した。お前いつまで俺に執着するんだよ、ふざけるなよ、こんなに長い間嘘つきやがって」
「チョットオ二人サン、ケンカハヤメヨウ」
「そうだよ、亮太。龍さんの言うとおりだよ。落ち着いてよ」
「俺の名を呼ぶな。やめてくれ。今から警察に電話する」
亮太が携帯をつかむ前に私がひったくって、金魚鉢に入れた。亮太は私を渾身の力で睨み付けて、病室を出た。すると、すぐに後ろ歩きで戻ってきた。彼の向こうには、警察官がいた。
「その必要はない。警察だ。藤崎侑子。お前に逮捕状が来ている。容疑は……わかるよな? お前サリン作ってるだろ」
私はもう終わったと思った。ここでようやく敗北を認めた。大人しく手錠を架けられた、そんな時だ。中国人が点けていたテレビから警察官のスマホから、緊急警報が鳴った。
〝K国がミサイルを発射しました。しかし、確認が遅れたため間もなくJ国に到着する模様です。自衛隊が射撃砲弾を開始します。みなさんは速やかに避難してください。繰り返します、K国が……〟
私はその報せを聞いた時、勝利を確信した。高らかに笑った。間もなくして、あちこちで小爆発が起きた。爆発は連なり、T都は火の海になった。私は魂の姿でそれを目の当たりにした。
世界はいともたやすく私のリビドーで滅亡した。なんて言ったら過言だろうか。私は勝利した。大勝利である。頽廃した星で、ひとりほくそ笑んでいた。愛してくれとは言わない。愛させてくれ。そう思っていた。世界が滅亡した今日、確信した。私は彼を永遠に愛することが可能なのだと。灰となった橋本亮平を無い指で愛撫する。それを掴んで想像上の口に放り込む。彼を貪り咀嚼する。そして架空の臓器で消化し幻の血肉となる。これで貴方と私は一つになったのだ。愛してる。愛してる。
この際貴方なんかいなくてもいい。私の中で貴方が確立した今、他に何もいらない。体が消えているように見える。所謂成仏というやつか。私は所業的に絶対に仏にはなれないと思うが。私が消えゆくだけであろう。それかこれからここではないどこかへ行って、裁きを受けるのだろう。どちらにせよ、だ。さようなら地球。ごめんあそばせ。