伊予柑
スーパーに入ってすぐの青果コーナーに伊予柑が積まれていた。陽のひかりを丸めて作ったようなそれは、つやつやと控えめな光を放って、まだ少しだけ寒さが残る店先に春を呼びこんでいた。ミカンなんて、高くて普段はなかなか手に取らないのだが、気が付いたらひとつだけ、籠の中に入れていた。
一時間近く普通に買い物をして、徒歩十分ほどのワンルームに帰ってきた。男の一人暮らしなんてだらしがないもので、辺りには脱ぎ散らかした昨日の服や、おととい食べたカップラーメンの空き容器が転がっている。ビールもどきの安い発泡酒とか、冷凍食品とか、そういうものだけ手早く片付けて、後は袋から出さずにその辺に放っておいて、僕はこたつに潜りこんだ。
長期休みの大学生ほど、誰からも後ろ指を指されることなく自堕落な生活を送れる肩書きはないだろう。特に、男なら。普段の生活だって、高校時代に比べたら夏休みのようだが、それに加えて「本当に」何もない休暇を二ヶ月も与えられるのだ。
友達はそれほどいない、これと言った上昇志向もない。金が有り余っているわけではないし、家賃の安さで決めた物件はやや郊外にあって外に出るのすら面倒くさい。
まだこたつを仕舞うには早い部屋の中で、僕は気だるさを理由に寝ころんでいた。南向きについた窓は、一日中穏やかな光を溢れるばかりに注ぎ込んでくる。時々それを見るともなく眺めてはあまりにも穏やかな日常に目を細めて、僕は何だか子供の頃の夢を見ているような気分になる。
小学生のころ、ベランダにつながる窓を開け放して、大きな窓の下に寝転んで、風がレースのカーテンを揺らすのを眺めているのが好きだった。ただ、明るい光の中で、揺れる白を眺めていた。
それは僕が意識した、初めてのしあわせだった。
中学生になって、高校生になって、少しずつ日常に追われるようになって、あんな時間はもう二度と戻ってこないのだと思うようになった。世界から、少しずつ色が抜け落ちていった。いや違う、世界から色を捨てたのは他でもない自分だった。そうしなければ、僕はあのとき、前に進むどころか自分の足で立つこともできなかった。きっと、余計なものに目を奪われたらすぐに落ちこぼれてしまう、ちょっと立ち止まって振り返る、そんなゆとりさえ許されない。あのときはそんな気がしたのだ。
いつになったら休めるんだろう。いつかびっくりするほど呆気なく壊れてしまうんじゃないだろうか。そんな泡い不安を抱えて走っていた。もう一生逃げられないんだ、絶望が諦めに変わった後で、僕はただそれが青さゆえの浅はかさだったことに気がついた。
太陽が緩やかな弧を描いて、西の方角に沈んでいった。何度見た景色だろう。今日もこうして、一日が終わる。まどろみの中でつまらない意地がようやく頭をもたげる。冗談じゃない、僕は今日に何も残せていない。
太陽が沈んだ後、僕は一日を伸ばそうと足掻く。それで何かができたためしはほとんどない。無駄に夜が白むまで、僕は今日を昨日にしない努力をした。それでも徹夜するだけの体力はなく、明け方には眠気に負けて、朝の明るい光の中で眠った。昨日がやっと昨日になったとき、太陽は空高くのぼっていた。
体のだるさが抜けない。誰に会うわけでもないから、清潔にするのも億劫だ。そんな僕は、こたつの中から床に転がった伊予柑の、鮮やかな橙色を見つけるのだ。
そうだ、伊予柑を食べよう。
こたつの中から手を伸ばす。きっと今の僕にはビタミンが足りていないんだ。柔らかい果実は、手に取ってみると案外弾力があった。ミカンのようにへたの部分からむこうとすると、皮は思っていたよりも厚く、尻の部分からむくとうまくいった。皮をむき終えて白い筋に包まれた伊予柑をひと房むこうとすると、中から鮮やかに透き通った大きな実が、瑞々しい輝きをたたえて、つやつやと光っていた。
種を取り、大きな房を口に運ぶ。思ったよりも渋くて、少しすっぱくて、その向こうから、ほんのりと淡い甘さが、果汁にのって口の中にさあっと広がった。
こんなに素直な味がする食べ物は、しばらく食べていなかった。もうひと房、ああちゃんと種を取らなくちゃ。
一人で大きなミカンを食べていると、また何となく子供の頃を思い出した。あれも何でもない昼下がり、ダイニングで母親と向かい合って腰かけて、僕はずっと母さんが伊予柑や八朔をむいたりする手元を眺めていた。何でもない、何でもない午後。僕はあのときからずっと遠いところにいて、多分、伊予柑をむいていた母親の方が年齢的には近いのだろう。
僕は青春時代を通り過ぎて、大人になっていた。
こんな自分なんか消えてしまえばいいのに、と思わなくなった。あのとき僕の心をひたすらに痛めていた思いは、凡庸だと本当に気がついた瞬間に鋭利さを失って、曖昧の中に沈んだ。一部の勝ち組の特権だと思っていた恋愛が、実はそうでもないということも、無邪気に笑う女の子が決して幼くはないということもわかってきた。幸せは与えられるものじゃなくて、自分で作るものになっていた。
子どもの頃、父親のように高いところから悠々と景色を眺めてみたいと思っていた。でも、あの低い位置から眺めていた景色がきらきら輝いていたように見えたのはきっと幻想なのだろう。本当は僕の目に映る景色はいつだって同じだった。
ひとつひとつ種をとりつつ、一人で大きなみかんをゆっくり食べた。
こんな、何でもないような時間を、僕は何年も何年も経った後にふと思い出したりするんだろうか。それとも、案外忘れてしまっているのだろうか。
子どものころ、一生忘れないとおもった景色も、案外忘れていたりする。忘れたことさえ忘れてしまうんだ。
何でもない、何でもない春休みの午後。子供のころ過ごしていた家ももうない。大きいと思っていた家も、今行ってみたら案外小さいのだろうか。
そんな一日を少しだけ変えてみたくて、僕はスマートホンを手に取った。
「母さん、明日実家に帰るね」
気まぐれに伊予柑を買ってきたときに、つい伊予柑の描写がしたくなって書いた話です。呟きの上位互換のような感じで書いたので、まさか小説になるとは思いませんでした。
あと、高校生の話ばかり書いているので、青春時代を通り過ぎた大人?の話を書きたかったんです。