第八章 「Ⅰ」 星暦3018/8/14
『名前が記録された文書は残っていない。だが、分かるのは、Xはこの星そのものを統制するもので、いわば人類の生命線だった。その本部は地下深くに設置され、世界中のロボットを統制することが出来る。すなわち、Xによって人類は究極の利便性を手に入れたんだ。しかし、人類はそれに頼りすぎた』
完成したメールシステムのプログラムを、俺のソシオにインストールする。一か月でこれが完成したのは僥倖だろう。だが、タイムマシンの研究は一向に進んでいなかった。
アプサラス本部の会議机で、俺とソリアは今日も、タイムマシンの理論と計算式を検討する。
「メールの文面は考えたの?」
「ああ。もう送れる……でも、今送っても俺に届くだけだ。設定だけしておくから、俺が向こうに行くと同時に送って欲しい」
「……その話だけど、」
ソリアは俺を見てペンを置いた。
「世界は一つしか存在しないとなると、そういう絶妙のバランスの中で成り立っている世界を行き来するのは、やっぱり危険よ。もし貴方が居なくなると同時にメールを送っても、それが向こうの貴方に届く確率は、」
「低くても良い。ゼロよりはましだ」
俺はソリアを見返す。ソリアは気圧されたような顔になった。
「仮説に過ぎないけど――――」
ソリアは俺に近付く。
「貴方、自分が存在する時間に戻ろうとしてるとしたら……貴方はきっと、分解されて、過去の貴方と融合するわ。世界は二つ存在できない。人間も同じよ。全身が百パーセント同じ構成で出来ている人間なんて居ないもの」
「そうかも知れない……だが、」
「そう、全て仮説よ。でも、可能性はゼロじゃない。貴方と言う人間が消えてしまう可能性だって在る。何もできずに、また人類は疲弊し、滅びゆくかも知れない……いい加減察しなさいよ」
「何をだよ?」
「……それでも、行くの?」
ソリアは俺の胸倉を両手で掴んだ。
「貴方の作戦は正しいと思うわ。私の判断も、間違っているとは思わない。でもこの作戦は、貴方が嫌だと言えば終わるの。別の方法だったら私が考える。……お願い、止めて」
「何を今更」
俺は小さく笑った。
「俺が適任だと言ったのはお前だ。お前の判断はいつだって正しい。正し過ぎるくらいに」
「……でも、」
「ソリア」
俺はソリアの両手を握った。ソリアは驚いたように俺を見上げる。
「大丈夫だ。俺は向こうでも必ず、レジスタンスに入る。Xを倒す為に。そしたらアプサラスに入って、また、お前達と戦う」
「………………」
ソリアは俯いた。何が不満なんだ。駄目だ、俺はこういう、人の心の細かい動きが分からない。
「俺は消えて居なくなるわけじゃ無い。向こうで必ず、お前達を見付けるから」
「……あのね、」
ソリアが何か言おうとした直後、扉が開く。
「うぃーっす」
入ってきたサロスは、俺達を見て目を瞬かせた。
「……何?」
サロスの指が、俺とソリアの、繋がれた手を差す。
「な、何でも!」
ソリアは俺の手を払ってペンを握る。
「ほら、ヴェルグも! さっさと計算終わらせなさいよ」
「は? なあ今何言い掛けて、」
「五月蝿い! 早く完成させるわよさっさと行けばいいじゃない!」
「……お前言ってること滅茶苦茶……」
俺は閉口してソリアを見る。ソリアはもう俺を見てもくれなかった。困ってサロスを見ても、サロスも困ったような顔をしている。
「……まあ良いや、ヴェルグ、お前今臨時リーダーだろ?」
「え? ああ、まあ」
「ツァールトの事で、さ……ナイトとソレダーには内緒にして欲しいんだが」
「?」
俺はペンを置き、サロスに手招きされて奥の部屋に入る。二段ベッドが左右に在る、サロスと俺、ツァールト、フィリアの寝室だ。
「ツァールトに会って来たんだよ、今日」
「おお」
「彼奴……中央政府に親父さんが居るのな。前々からレジスタンスにツァールトが居る事には反対だったらしくてよ……親父さんとちょくちょく衝突してたんだが、今回アフティが死んだことで……いよいよ家に連れ戻されることになりそうなんだと。それで、あの反省室に自ら閉じこもったとか何とか……」
「……へえ」
「アプサラスってこう……言っちゃなんだが、ツァールトが居なきゃ成立しねぇだろ?」
「そうだな」
サロスはベッドに座り、苦い顔で手を組んだ。
「レジスタンスは解体だってさ。人員も居ない、成果も上げられない。悪戯に武器を消費するだけなら、もう必要無いだろうと」
「……そうか」
「案外落ち込んでねぇな?」
「ま、いずれそうなると思った」
俺は腕を組む。
「そもそもレジスタンスは、『抵抗する者』という意味だ。対Xだから政府に支援を受けていただけだ……此処からが本領だろう?」
俺がにやりとすると、サロスも頷いて口の片端を上げた。
「ツァールトは俺が連れ戻す。だからヴェルグ、早めにタイムマシン完成させてくれよな。エネルギー源は、俺達で何とかするから」
「分かってるよ」
俺とサロスは、拳を握った手を突き合わせる。サロスは立ち上がった。
「ツァールトは……」
「ん?」
「いや。アプサラスって元々、自警団で保護しきれない子供達を放り込んだ、孤児の溜まり場みたいなもんだったろ」
「まーな」
サロスは苦笑して頬を掻く。
「ツァールトは、ナイトと一つしか歳は違わないのに、そいつら全員の兄貴になろうとしたんだよなぁ」
「ああ」
「……甘え過ぎたんだよな、俺達は」
俺がそう言ってサロスを見上げると、サロスは遠くを見て目を細めた。
「……かも知れねぇな」
「……悪い、シケた話はやめにしようか。ソリアに怒られる」
言って、俺は立ち上がり、サロスに続いて部屋を出る。
「なあ、ヴェルグ」
「あ?」
「俺は『特攻隊長』、ナイトは『狂犬』……いろいろ二つ名があるだろ。お前は何が良い?」
「……そうだな、」
俺は暫時考え、にやりとして言った。
「『トラベラー』、でどうだ? アプサラスに途中参加だし、これからまた居なくなるし」
「悪くないな。ツァールトに言っておこう」
サロスは笑った。
ツァールトがアプサラスの本部に帰ってきたのは、実に二か月ぶりだった。俺は完成していたメールシステムと、基礎理論が完成したタイムマシンの書類を見せる。
「良いね。面白い作戦だ」
ツァールトはあっさりとそう言った。
「だが、いろいろとまだ穴が在るね? 完成したとして、巨大なそれを何処に置くのか。エネルギー源を確保できるか。できたとして、どうやって接続するか」
「う……」
流石にツァールトはお見通しだった。
「レジスタンスの解体が決まって一月……アプサラスはそのまま継続していくとして、ますます、こういう材料の類は手に入れにくくなるよ」
「そうだな」
「で? 何年くらいで出来る?」
ツァールトは俺を見上げた。俺は顎に手を当てて考え込む。
理論は、推測では五割程度は完成しているが、それにまず二か月かかった。これから本格的に難しい部分に入る、順調に進んでも、理論だけの完成にあと相当な時間が必要だろう。今組み立てている理論が正しいかも、終わらなければ分からない。
それに基づいて設計図を引いて、材料を集めて……
「短く見積もって一年。長ければ三年以上はかかるかな」
「そっか。まあそんなもんだよね」
ツァールトは、案外に落胆した様子は無かった。
「で、メールシステムだけど。メールはいつでも送れるんだよね」
「ああ」
「じゃあ作戦自体に問題は無いね」
ツァールトは暫時考え込む。
「一番の問題は……完成まで、人類が生き残れるかどうか、か」
「だが、シェルター内には……」
「彼らは日々進化する。いずれ、シェルターなんかぶち破ってくるだろう」
俺は、Xのことを思い出す。確かにXが本気で人類を潰すつもりなら、昔の命令など自分で書き換えかねない。
「じゃあ、君とソリアは引き続き開発を頼む。持ちこたえられるよう、アプサラスが全力を尽くすよ」
「……死なない程度に頼むぜ」
俺は苦笑した。
レジスタンスの解体後、アプサラスは本格的に独立して動き出した。
「ツァールト、何だよ忙しいのに……」
俺達は突然ツァールトに呼び出されて、時計塔に向かっていた。今日は休日で、アプサラスの全員が揃う数少ない日でもあった。
「良い場所を思い出したんだ。タイムマシンの製造に最適かなと思ってね」
「え?」
ツァールトは俺を振り返った。
「場所欲しいだろう? いずれアプサラスの本部じゃ危険になる」
「あ、ああ……」
「ずっと昔、子供だった時にね、此処がシェルターじゃなくて只の科学都市だった時、近所の皆とよく遊んでたんだ」
ツァールトが地下書庫への扉を開いた。そして書庫を横切り、可動式本棚のハンドルに手を掛ける。地下書庫の更に奥、可動式の本棚に隠されていた扉が開き、階段が現れた。
「時計塔上部、文字盤の裏に通じる階段だ。『秘密基地』には最適だろう?」
「……ちょっと待て」
察したらしく、サロスが青い顔で手を突き出す。
「此処地下だよな?」
「ああ」
「行先、文字盤の裏だよな?」
「ああ」
「あの文字盤、高さ百二十三メートルに在るの知ってるよな?」
「ああ」
ツァールトはそして、にっこりと満面の笑み。
「ヴェルグ、頼みが在る」
「軽量化な、了解」
俺は苦笑した。
アプサラスのインターホンが鳴るのは、一か月ぶりの事だった。フィリアが出る前に、客が入って来る。
スーツで決めた、いかにもな『お偉いさん』だった。俺は咄嗟に、タイムマシンの設計図を引っ繰り返す。ツァールトが俺を隠すように立ち上がった。
「……何か、ご用件でしょうか? 中央政府が」
「お前を連れ戻しに来た、ツァールト」
男はそう言ってツァールトの前で腕を組んだ。
「お断りします」
ツァールトはあっさりと言う。男は鼻を鳴らした。
「いつまで私の手を煩わせるつもりだ。どうせまた正義の味方ごっこでもしているのだろう? Xとの和平交渉が決まった。レジスタンスも解体した。懸念材料はお前達だけだ、アプサラス」
「それが?」
「分かるだろう。ツァールト、お前さえ居なければ、アプサラスなど只の親無し共の集まりに過ぎない。お前には私が相応の立場を用意してやる。戻ってこい」
「断りました。もう何度も断った筈です。何故分かってくれないのですか」
ツァールトの表情が硬くなる。男は体の後ろで腕を組み、ゆっくりと歩き出した。
「Xは確かに人類共通の敵だ……だが、あの力を手に入れられれば人類に生き残る道は在る。その為にレジスタンスは完全に解体して置く必要が在る。ツァールト、お前をいつまでも反対勢力に置いておく訳にはいかない」
男は本部内を見回す。ソファに座っているナイトが、鋭く男を観察していた。
「負け犬共の巣窟だ。こんな場所」
「っ……」
立ち上がりかけたサロスを、ツァールトが片手で制す。
「Xを倒すことも出来ない。だからといって考えを改めようともしない。餓鬼のように只駄々をこねて悪戯に時間を浪費するお前達は、最早このシェルターには必要の無い存在だ」
「何を根拠に!」
サロスが吠えた。男はサロスを一瞥し、小馬鹿にしたように笑う。
「そうして憤ることが、何よりの肯定だろうが」
ソファのナイトとソレダーが立ち上がり、無言で奥の部屋に入って行った。フィリアが不安気にツァールトとサロスを見遣る。ソリアは俺の隣で、我関せずと言った顔で計算を続けていた。相変わらず図太い。
「だからツァールト、こんな負け犬共にお前の貴重な時間を与えてやることは無い。ちゃんと席は空けてある。戻ってこい」
「………………」
ツァールトは少しばかり俯いたまま、暫く黙っていた。そして―――
「……ふっ……く……は、ははは、あははははは!」
突然、弾けたように笑いだした。流石に男が狼狽する。サロスは不安げな顔でツァールトを見上げた。
「つ……ツァールト?」
「随分と好き勝手言ってくれるじゃぁないですか、父さん」
ツァールトは男を見て、いつもとは違う、性悪な笑みを浮かべて言った。
「認めますよ、アプサラスの存在は、僕達の気休めでしかない。でもそれを頼る人だって居るんですよ? 大体、人類を滅ぼそうとするXと和平が成立しないことくらい、餓鬼だって分かるのに。あなた方の頭はクソガキ以下ですか?」
ツァールトは流れるように悪態を吐きながら、男に詰め寄る。突然の反撃に、男は完全に尻込みしていた。
「負け犬は貴方達でしょう? どうしてって、Xに勝てないなって諦めてシェルター内に閉じこもって、Xに媚び売って、Xの癇に障りそうなアプサラス潰しておこうって、負け犬以外の何物でもないじゃないですか」
ツァールトは腕を広げた。
「で? 何だよ」
突然に声のトーンを下げ、ツァールトは男を睨む。
「正義の味方ごっこはお前達だろうが。相手を否定することでしか自分達の行為を肯定できないだろうが。で? だから何だ、アプサラス相手に戦ってみるか?」
奥の部屋から、ナイトとソレダーが戻って来る。ツァールトはそれをちらりと振り返り、酷薄な笑みを浮かべた。
「どうせ死ぬのは同じだろ」
「貴様……!」
男がツァールトの胸倉を掴む。
その手に剣が突き付けられたのは、次の瞬間だった。
「っ!?」
男がツァールトを放して退く。鋭い切っ先を男に向けているのは、ナイトだった。
「ツァールトに触れるな」
白剣の切っ先が、男の手から、首へと移動する。男は壁に背が付くまで退きながら、片手で無線を取り出した。
が――――二つ折りの通信機が開かれた瞬間、それは男の手の中で破砕する。男はその破片で裂けた手に顔を顰め、驚いたように顔を上げた。
「駄目だよ、兄さん」
拳銃から細い煙を出し、ソレダーが微笑む。
「連絡手段も逃げ道も、先に断っておかないと、ね?」
男の顔が、恐怖に縁取られた。
ナイトとソレダーを、アプサラスの誰も止めようとしない。ツァールトは机に寄りかかって、相変わらず微笑んでいる。
「あーあ、敵に回しちゃった」
ソリアが頬杖をついて言った。そして横目で俺に、何とかしろと言ってくる。
俺は溜息を吐いて立ち上がった。そして、男を壁際に追い詰めた兄弟の肩を無造作に叩く。
「はいはい、そこまでにしておけよ、ナイトも、ソレダーも、ツァールトも」
ナイトが鋭く俺を睨んだ。
「お前は黙ってられんのかよ。アプサラスも、ツァールトも馬鹿にされた。それなのに、」
「黙っちゃいないさ。だが手を出すのは無しだ。これ以上立場を危うくするのは避けたい。なあナイト、大人なあんたなら分かってくれんだろ?」
大人、と俺は殊更意識して言う。卑怯だとは思ったが、とにかくこの場を収めないと。
「ソレダーもだ。銃を引け。お前は俺達を助ける為にいつも銃使ってくれるじゃねぇか」
「……でも、」
「ツァールトと親父さんの問題だ。俺達が介入するのは野暮ってもんだし、お偉いさんの考えにとやかく言っても意味は無い。今は、諦めろ」
ナイトは暫く俺を見ていたが、やがて黙って、男の胸倉を締め上げていた手を放し、剣を引いた。ソレダーも銃をホルスターに仕舞う。男は僅かに安堵の息を吐いた。
「……お引き取り願えませんかねぇ、今日のところは」
「……、」
俺が腕を組んでそう言うと、男は舌打ちを一つ、乱れた襟元を直しながら出て行った。扉が閉まると同時に、俺は無意識に詰めていた息を吐く。
「……ごめんね、ヴェルグ」
ツァールトが首元に手を遣って俯く。
「いや」
「本当にごめん……邪魔だったね」
ツァールトは笑みを暗くする。ナイトがその様子に顔を顰めた。
「……ツァールト、」
「何?」
「笑わなくても良いんじゃねぇか」
ナイトはツァールトに近付く。同じくらい背の高い二人は、至近距離で対峙した。
「俺はツァールト、あんたに拾われた。だからあんたの為にだったら何でも出来る。だから、無理しないでくれよ」
「……ナイト」
ぐい、とナイトが片手でツァールトの肩を抱き寄せた。
「兄貴じゃなくて、親友として、俺達を見てくれよ」
「………………」
ツァールトは抱き寄せられた格好のまま、暫時目を瞬かせた。そして、困惑顔でアプサラスの面々を見遣る。
「……そうだな。あんたが全部背負う必要は無い。俺達を信用してるなら、ちょっとはその荷を分けてくれても良いんじゃないか」
サロスがツァールトの肩を叩いた。俺も、苦笑を向ける。
「詳しい事情は知らねぇよ。でも、一人でしんどそうなお前を見てる、こっちもしんどいんだよ」
俺はそう言って、背伸びをしてツァールトの頭に手を乗せる。
昔から、よくツァールトは俺達の頭を撫でてくれた。それが、此処に居て良いんだ、という証で在った気がする。
ツァールトは俺達に、欠落した愛情と、居場所と、生きる目的をくれた。
だから。
「もう、大人になるんだろ? だったら、俺達だってツァールトを助けて良いじゃないか」
俺はツァールトの頭を撫でる。ふんわりとした茶色い癖毛は、柔らかくて少し心地いい感触だった。
「……そうだね」
そう呟いて、ツァールトの顔が、壊れる。
ツァールトの足から力が抜けて、ツァールトはナイトとサロスの肩に寄りかかりながら床に崩れ落ちて――――
堰を切ったように、泣き出した。
『これはXによるクーデターだ。人類はXに、敵だとみなされた。きっとそれほどの業が人類には在るんだろう。だが、俺達には関係無い。Xを止める方法を教えよう。Xの本部には、Xの全てを管理できるメインルームが在る。そこに辿り着けさえすれば、そこにロボット達は入れないように設定されている。君達の勝利だ』