第十一章 「Ⅲ」 星暦3018/8/14
『拝啓 ヴェルグ・シュナイダー博士
君がこれを読んでいるとき、俺は既に何らかの形で世界から消えているだろう。否、それは正確には正しくない。俺は確かにその世界に存在している、だが俺はこの世界から姿を消しているのだ。この世界の構造を知っている君なら、理解できるだろう。
君はきっと俺のことを覚えていると期待する。だがその期待を裏切っても自分を責めないで欲しい。このメールは、その場合の為、として書いている。全ての事象は俺の責任だ。君は記憶を失ってもその世界でもきっと戦っているだろう。どのような形であれ。それは誇るべきことであり、恥じるべきことは全て俺が原因なのだから。』
メールの書き出しを読み、シュナは顔色を変えた。
「ヴェルグ……? ヴェルグ・シュナイダー……」
シュナは頭に手を遣った。頭が酷く痛む。アオは相変わらずの無表情だったが、その横顔には、微かに期待のようなものが滲んでいた。
「……良い? 次行くわよ」
ソリアが画面をスクロールさせる。
『そして、仲間を守ってやって欲しい。君にとっては、彼らはただの同じことを繰り返す人形に感じても、彼らは確かに君を信じていて、君を愛してくれているのだから。Xとの戦いで、君を最後まで支えてくれるのは彼らだ。君は彼らにとっての救世主たりえるが、彼らは君にとっての最高の支援者だ。
前置きが長くなったな。今、俺はこのメールが君に届く確証もなくこれを書いている。しかしきっと君はこれを読んでくれるだろう。分からない、残念ながら俺には、それに確証を得るだけの余裕と時間が無い。だが読んでくれていると仮定する。このメールは仲間に見せて欲しい。彼らなら信じてくれる。俺はそう信じている』
「誰だ、この『俺』って? ヴェルグ・シュナイダーってのも知らねぇし……」
サロスが画面を見詰めて怪訝そうな顔をした。ツァールトはナイトを振り返るが、ナイトやアフティも、知らない、と首を横に振った。
「ヴェルグ・シュナイダーはアプサラスの一員だ」
「え?」
アオは画面を見詰め、目を細める。
「今でも。シュナ以外の全員が、覚えて居る筈だ」
「はあ?」
アフティが眉根を寄せた。
「……本来存在しない記憶だが、何処かで、心が覚えて居る筈だ」
そう言い直し、アオは目を伏せた。
ソリアが黙って画面をスクロールさせる。
『ここには、俺が得た情報全てを記載しようと思う。Xの正体とは何か。Xを倒すすべとは何か。そして、もし忘れていたとしたら、君が何故そこに居るのかも教えた方が良いだろうか。君が俺のことを覚えていると期待する、と先程書いた。だが正直言ってしまえば、俺はそれは理想でしかないと思っている。これを読んで何をどうするかは君次第だ。
それでは本題だ。Xの正体から語ろう。世界中のロボットを操り人間という種を絶滅寸前まで追い詰めた、正体不明の敵。あれは、一つのスーパーコンピュータだ。星暦にして、二千と五百年頃―――そう、もう五百年も前に作られたものだ。その存在が忘れられていたとしても不思議ではない』
「コンピュータ!?」
ソレダーが声を上げた。ソリアも、僅かながら驚きを目に表わす。
シュナだけが、画面を見詰めたまま、青い顔で黙っていた。
『名前が記録された文書は残っていない。だが、分かるのは、Xはこの星そのものを統制するもので、いわば人類の生命線だった。その本部は地下深くに設置され、世界中のロボットを統制することが出来る。すなわち、Xによって人類は究極の利便性を手に入れたんだ。しかし、人類はそれに頼りすぎた。
これはXによるクーデターだ。人類はXに、敵だとみなされた。きっとそれほどの業が人類には在るんだろう。だが、俺達には関係無い。Xを止める方法を教えよう。Xの本部には、Xの全てを管理できるメインルームが在る。そこに辿り着けさえすれば、そこにロボット達は入れないように設定されている。君達の勝利だ』
シュナは椅子を蹴って立ち上がると、机の上で拳を握った。
「シュナ?」
ソリアが怪訝そうにシュナを見上げる。シュナは顔を上げず、唇を、血が出そうなほどに強く噛んでいた。
「……続けてくれ」
ツァールトが言い、サロスが画面をスクロールさせる。
『しかし、俺は失敗した。反撃をするには余りにも、人類は衰退してしまった。俺は二十歳だ。余りにも、遅かった。だから俺は君に希望を託す。俺はこの世界から消えてしまう。だから、この世界は閉じてしまう。世界は一つしか存在しない。分岐点から新たな世界を開けば、元に戻ることは出来ないのだ。残念ながら時間が無い。だからこれだけ書こう。もし忘れていたら思い出してくれ。
君は俺だ。
敬具 『Ⅰ』のヴェルグ・シュナイダー』
暫時、一同は黙っていた。
「……ヴェルグ・シュナイダーって言うのは……誰なんだ?」
「俺だ!」
サロスの言葉に、切り裂くような声で答えたのは、シュナだった。
「俺は『Ⅰ』から来たんだ! 此処は『Ⅱ』、本当はとっくにXとの戦いが終わってる筈だったんだ! なのに俺は!」
シュナが怒鳴りながら振り返る。長い銀髪が大きく揺れた。サロスが面食らったような顔になる。
「何でだ、何で忘れてた! 勝てたんだ! 四年前! 四年前だったら! 誰も死なないで済んだのに!」
「シュナ、どうした落ち着け!」
「俺は『シュナ』じゃない!」
シュナは頭を抱えて叫んだ。近付いたサロスが、困惑したような顔になる。
「……俺は……俺が『ヴェルグ・シュナイダー』なんだ……俺はお前達を助ける為に来た『トラベラー』なんだよ……なのに、なのに何で四年も無駄にした……!」
シュナは蹲って自分の頭を掴む。
「……シュナ、とにかく落ち着いて、一から話を聞かせて。貴方、もしかしてタイムトラベルしてきたとでも言うの?」
「そうだよ! それはお前が一番分かってるだろ!? 一緒に作ったじゃないか、タイムマシンを! 俺をこっちに送ったのも、同時にこのメールを送信したのもお前だろソリア! 何でっ……」
シュナは立ち上がってソリアの胸倉を掴み、まくしたてる。そしてそのままソリアを壁に押し付けて俯き、嗚咽を漏らした。
「何が駄目だったんだよ……俺とソリアの理論は完璧だったのに、何処で間違ったんだよ……?」
「……シュナ……」
「退け」
アオが無造作に二人に近付くと、シュナをソリアから引き剥がし、その鳩尾に拳を入れた。
「っ!?」
シュナは短く呻き、アオの腕の中に倒れ込む。アオはシュナをソファに寝かせ、一同を振り返った。
「……二十年分近い記憶を一気に取り戻したんだ、少し休ませよう」
「……アオ、貴方は何かを知ってるの?」
「ああ。だがシュナが起きるまで、シュナが―――ヴェルグ・シュナイダーが知っていてお前達が知らないことだけを話そう」
そしてアオは、ホワイトボードを引っ張ってきた。
シュナはソファで体を起こした。部屋の一同がシュナを振り返る。サロスが、心配そうな顔で近付いてきた。
「シュナ、大丈夫か?」
「サロス……俺ぇあっ!?」
シュナはソファからずり落ちた。解かれていた銀髪が流れ落ち、シュナの顔を覆い隠す。サロスは小さく笑った。
「痛た……何だ、何してた?」
「……アオの、訳分かんねぇ説明受けてたよ」
ソリアとツァールトだけが真面目に聞いている中、アオはホワイトボードに大量の文字と図を書き込んでいた。
「……起きたか。少しは落ち着いたか」
「……ああ、悪いな」
シュナは髪を掻き揚げた。そして、立ち上がってホワイトボードに近付く。
「……どうする……何処まで聞いた?」
「多分、全部ね。『ドア』とやらを基盤にする世界観、『Ⅰ』での出来事……」
「……何でお前が知ってるんだよ、アオ」
シュナはアオを振り返った。アオは腕を組んでそっぽを向く。
「お前が記憶を取り戻したから、俺はやっと自由に動けるんだ。説明くらい自由にさせろ」
「説明になってねぇよ。お前……此処は『Ⅱ』だろ? そんな説明より、早くタイムマシンを作り直さないと」
「……そうだな、お前にも言わなきゃいけないことが在るか」
アオはそして、改めて一同を振り返った。
「説明した通り、シュナはドア『Ⅰ』で、アプサラスの科学者兼戦闘員として働いていた。そして向こうで人類は敗北を喫し、未来を変える為にシュナは此処に来た……が、此処はドア『Ⅱ』じゃない」
「は?」
シュナは顔を歪める。
「お前は記憶を失って、今日取り戻した。だがお前は、また戻ってやり直そうとしている」
「当然だろ。四年も無駄にしたんだよ、やり直さなきゃ、」
「その暇が在ったら戦え」
アオはシュナを見て鋭く言う。
「だけど、」
「此処はドア『Ⅱ』じゃないと言っただろう」
アオはホワイトボードを引っ張ってきた。
「お前はドア『Ⅱ』でしくじった。そしてタイムマシンを完成させ、それでも戦って、死んだ。今から二年後だ」
「……貴方はドア『Ⅱ』から来た、と言いたいのかしら?」
「察しが早くて助かる」
アオはソリアを見た。ソリアは鼻を鳴らして腕を組む。
「俺はドア『Ⅱ』から来た。ヴェルグ・シュナイダーを助ける為に」
「……勝てるのか。君が居れば、人類は」
ツァールトは立ち上がってアオを見遣る。アオはツァールトを振り返って頷いた。
「必ず。Xのメインルームにシュナを送り届ける為に俺は此処に来た」
アオはそこで少しだけ目を伏せた。ソリアが怪訝そうにアオを見る。が、アオは何かを振り切るように顔を上げて目を開いた。
「此処はドア『Ⅲ』。反撃のドアだ」
机に向かって、大真面目な顔で、シュナは図面を引いている。その姿を横で眺めながら、サロスは眠そうに欠伸をした。
「もう寝ようぜ、そろそろ日付が変わる」
「あと少し。もう少しで本体部分が完成だ」
「……らしくねぇな、お前がペン持ってるなんて。脳筋仲間だと思ってたのに」
「ノーキンって……」
シュナは苦笑する。そして、流れ落ちてくる長髪を面倒そうに後ろに払った。
「……切ってやろうか」
「あ? 別に、」
「こう見えても、俺自分の髪も自分で切る程器用だぜ?」
「……頼む。お前と同じくらいに短く」
「はいはい」
サロスは部屋に戻り、半透明のケースを持ってきた。そして蓋を開き、髪切り用の鋏や櫛、ピン止めなどを机の上に並べる。そして髪が服に入らないよう、タオルをシュナの首に巻いた。
シュナは黙々と図面を引き続ける。シュナの髪を解き、サロスはその上部をピンで留め、大胆に鋏を入れた。そしてそのまま、慣れた手つきで毛先を整える。そして下部が大方揃った後、ピンを外して上部に取り掛かった。
「……向こうの世界でよぉ、」
「あ?」
「アフティ、死んだんだってな」
「……ああ」
「お前がアフティの配置にやたら五月蝿かったのは、それか?」
「多分な」
シュナはペンを指先で回した。そして定規を置き直し、作業を再開する。
「ツァールトは、無理してたか?」
「ああ」
「こっちでお前がツァールトにちょいちょい何か言うのは、それが原因か」
「……多分」
「何だ。十分に変わってるじゃねぇか」
サロスは笑った。シュナはしかし、顔を顰めて作業を続ける。
「だけど、肝心なことは何も変わってない」
「肝心って、何が」
「そりゃぁ、人類とか……その、シェルターの命運とか」
「そんなでかいことの為にお前、動き回ってるのか?」
サロスは髪に櫛を通し、切れた髪を払い落とす。
「……いや。どっちかってぇと、アプサラスの為かな」
シュナは言って苦笑した。
「アフティが死なないような……皆が幸せになれるような未来を見たかった」
「そっか。なら良い。お前は変わらないんだな、シュナ」
サロスはほっとしたように笑った。
アオはホワイトボードを睨み、口元に手を当てて俯いていた。それから、パソコンに繋がれたシュナの装置―――ソシオを操作し、入っている幾つかのメールをパソコンに移動させる。
「やはりドアは此処が最後か」
アオは、開封済みのメールを幾つか選択し、最後から二番目に入っているメールを開く。届いたのは、三千十八年の六月二十三日だった。
「無数の可能性……だが、俺達が存在できるドアは、これしか無いか」
アオはホワイトボードの、『Ⅲ』の表示が在る線を指でなぞる。
「……シュナ、あと少しだ」
アオは呟き、胸元に手を当てる。
「選べるドアは一つ……既に選択は終わっている。後は、辿り着けるか否か、か……」
「……アオ?」
戸を開き、ソリアが現れた。アオはソリアを振り返る。ソリアは明かりをつけ、ホワイトボードの前に一人佇んでいるアオに近付いた。
「アオ、貴方何をしているの?」
「作戦を立てている」
「何の?」
「これからの」
「……アオ、貴方は知っているの? その……結末、を」
ソリアは言葉を選ぶように言い淀んだ。アオは暫時、白い瞳でソリアを見詰める。
「そうだな、直に分かるんじゃないか」
「それじゃ意味が無いわ。貴方が今、この先何が起こるかを知っているかが重要なのであって、」
「知って何になる」
アオはソリアに近付いた。ソリアは言葉に詰まり、アオを見上げる。
「結末、とやらを知りたければ教えてやる。お前一人が何を言ったところで世界全体が変わる訳じゃ無い……タイムトラベルを挟まない限りドアの移動は無いし、世界は微妙なバランスで成り立っていても、その程度で崩れる程脆弱では無い」
「なら教えて、」
「良いのか? 誰が何処でどのように死ぬか分かる。何がどう変わっていくか分かる。つまらないだろう」
「……それは、『Ⅱ』の未来でしょう? 此処は」
「『Ⅲ』。だが『Ⅱ』と『Ⅲ』は限りなく同じ道を進んできている」
「……どうして、」
「俺がトラベルをしてきた。だが俺は何もしなかった」
アオはソリアを見下ろし、唇を笑みの形に歪めた。
「ルートを大きく変えてしまえば未来が変わる。シュナが先に死ぬ未来から、シュナ以外の誰かが先に死ぬ未来に変わる可能性はゼロじゃない」
アオはソリアに背を向けると、ホワイトボードに書かれていた文字を消す。
「……俺は、ヴェルグ・シュナイダーを守る為……アプサラスを守る為に来た。無駄なことは出来ない」
「そう……じゃあせめて、前にも聞いたけど、貴方が最初に読んだメールの内容は? あれだけじゃないでしょう。結構な時間、読んでいたもの」
「……もう一つの『可能性』の提示、だ」
「え?」
アオはソリアを振り返った。
「ドアを開いたら、前のドアは閉じる。だが、その開いたドアに移動できなかったら―――どうなる」
「……時空の隙間に放り出されてしまうんじゃないかしら。元のドアが開いて、そのまま」
「戻れる可能性が在る」
「……?」
「パラドックスを無くして前のドアが存在できるようにすれば、そのドアに戻ることが出来る」
「……何が言いたいの? タイムマシンは一方通行の筈よね」
「その『一方通行』を打ち破る可能性だ」
アオは椅子に座り、天井を仰いだ。
「実際、仮説に過ぎない。だが――――これが事実となれば、希望は在る」
「希望?」
アオはゆっくりと頷いた。
「……誰にも口外しないなら、言おう、ソリア」
「何よ」
「俺の正体だ。そして、もしこの『仮説』が証明されなかったときの結末も」
アオは、近付いて来たソリアを見上げた。
「俺は―――――」
アオの言葉に、ソリアの顔が青くなる。
「だから、シュナが死なないで二年後の八月十三日を終えたら、俺は消える」
「……今は、存在する前だから存在していられる、とでも?」
「ああ。シュナが死なない未来は、俺が存在しない未来だ。今を変えれば、いずれ俺は消える」
「じゃあ、シュナは生きられるの?」
「それでも恐らく、帰っては来られないだろう。アプサラスが存在するドアを選ぶなら、な」
アオは立ち上がった。
「タイムトラベルは一方通行だ。これが唯一無二の真理で、『仮説』のような例外が無ければ、シュナは……お前達がシュナだと認識しているシュナは帰って来られない」
アオは目を細める。青い前髪から覗く目が、悲しげな色を帯びた。
「上手く行けばハッピーエンドとやらに行き着くだろう。だがそこに、シュナは居ないかも知れない」
シュナは一人、時計塔の階段を上っていた。天文台に行きつく階段ではなく、地下の書庫から、文字盤の裏に続く階段だ。
広い空間に出、シュナは天井を見上げる。目を閉じなくても、鮮明に、あの『秘密基地』が思い出された。
中央には巨大なタイムマシンが在り、壁際には机と、少々の休憩スペースが在り。それなりに居心地は良かった。
だがその記憶は同時に、あの崩壊の瞬間も思い出させた。シュナは顔を顰め、床に寝転がって目を閉じる。
あの世界のことを、今はアプサラスの皆が知っている。だが、誰も覚えている訳ではないのだ。シュナは僅かに眉宇を顰めた。
「……俺は此処じゃ独り、か」
呟き、シュナは起き上がる。
何も無い文字盤の裏は、酷く広く感じられた。