第十章 「Ⅰ→Ⅱ」 星暦3020/9/13
『しかし、俺は失敗した。反撃をするには余りにも、人類は衰退してしまった。俺は二十歳だ。余りにも、遅かった。だから俺は君に希望を託す。俺はこの世界から消えてしまう。だから、この世界は閉じてしまう。世界は一つしか存在しない。分岐点から新たな世界を開けば、元に戻ることは出来ないのだ。残念ながら時間が無い。だからこれだけ書こう。もし忘れていたら思い出してくれ』
俺は、完成寸前のタイムマシンを見上げて息を吐いた。
随分と時間が掛かってしまったが、組み立て自体は案外に早く終わった。やっぱり理論にはそれなりの閃きと発想の転換が必要だったが。
後は、エネルギーの充填と、飛ぶ先の時間設定だけだ。細かいことはソリアが設定してくれるらしい。
俺は階段を上り、時計塔の上から、シェルターの中を見回した。既に見慣れたこの景色も、もう戻ってこれないと考えると、何処か切なく感じる。
どうせ向こうのシェルターでも見られるのだろうが、この景色は、俺にとって特別な思い入れが在った。
特攻隊から逃げ出して、ボロ雑巾みたいになっていた俺は、此処に隠れてサロスに拾われた。ツァールトに愛情と居場所を与えられて、ナイトとアフティに戦闘技術を与えられて、フィリアとソリアに知識を与えられて、ソレダーに礼節を教えられた。アプサラスが居なければ、俺は子供どころか、まともな人間であることすら、しくじっていたかも知れない。
「……続けるか」
俺は伸びをする。
「……ん?」
何か視界に異物が入った気がして、俺は首を傾げて目を凝らす。
自慢じゃないが、俺は目が異常に良い。遥か遠くの西門、元レジスタンス本部が在った場所も良く見えた。
その、シェルターの高い城壁に、小さな影が見えた。人間のような形だが、日の光が城壁に反射して、黒い点にしか見えない。
「……嫌な予感がするな」
俺は階段に向かい、作業室に戻った。アプサラスの第二の本部と言える此処には、タイムマシンと、メールシステムの中枢が在る。俺はパソコンを立ち上げ、以前完成させたメールを開いた。
「どうしたの、ヴェルグ」
「ちょっと書き直そうと思うんだ。今まではXの脅威とその正体だけ書いていた。だがこの二年でより多くの情報が得られたからな。多少長くなるが……」
「じゃあ一分以内に終わらせて。さっさとマシンを完成させるわよ」
無茶を言うな、と俺は顔を顰め、改めてキーを叩いた。
「あと三十秒ー」
「ちょ、やばいやばい時間が無い……って書いちゃったじゃないか!」
「はい終了」
「てめぇっ!」
ソリアは俺をパソコンから引き剥がした。
「早く完成させなきゃいけないの、貴方も分かってるでしょ?」
「だがよ、」
「メールなんて、貴方の記憶補助でしょ? 貴方自身を安全に送るに越したことは無いでしょうよ。さ、頑張りましょ」
「……うん」
俺は仕方なく、壁に立てかけている工具でボルトを締める。
タイムマシンは、全体的には転送装置に似た円筒状をしていた。人ひとりがやっと入れる程度の本体は、前面の扉はガラス張りになっている。それに繋がっている本体は、時計とメーターが取り付けられた箱型だった。
タイムマシン理論は、二年以上完成に掛かった割に、単純なものだった。ワームホールを制御する計算式は大変だったが、俺とソリアにかかれば楽なものだ。
「エネルギーを計算した結果、遡れるのはジャスト六年。貴方が十四歳の時よ。大丈夫かしら?」
「あー……その時は多分この時計塔に居た。大丈夫だ」
「そう」
俺は、憔悴したソリアの横画を見る。此処数日、タイムマシンの完成が近づいてから、寝ていないんじゃないか。
俺は、部屋の隅に設置された簡易キッチンに近寄る。小鍋にミルクを入れ、チューブ入りの生姜とはちみつを少し。火をつけて、ティーバッグを浸し、マドラーで軽く掻き回した。どろりとしたはちみつが溶けて、ミルクに色が付いたら完成だ。
俺はソリアのマグに、熱々のジンジャーミルクティーを注ぐ。溶け残りも無い、良い出来だ。
「ほらよ」
俺は無造作にソリアにそれを差し出した。
「……何?」
「飲んで寝ろ」
「そんな時間無いわ」
「俺が起きてる」
俺はソリアにマグを押し付けた。下手に格好つけて渡そうとしても無理だから、これで良いか。
「何か事件でも起きたら起こすさ。寝てろ」
「……あのねぇ、」
俺はソリアを、部屋の隅のソファに座らせ、頭を軽く叩く。ソリアは拗ねたように唇を尖らせた。
「……一つだけ言わせなさい」
「あ?」
ソリアは俺の胸倉を掴み、俺を引き寄せた。結構力が強い。ソリアの目に映る俺の顔は、虚を突かれてどうしようもなく間抜けな面をしていた。
「無事に行ったら、ちゃんと皆を助けなさいよ」
「ああ、当然だ」
「……目を閉じて」
「あ?」
「目を閉じて!」
「……何だよ」
俺は言われるままに目を閉じる。ソリアが俺の胸倉を放した。マグを、ソファ横のテーブルに置く音がする。ソリアの両手が俺の肩に乗って、
「ん?」
えっと、これは、うーん、
「……んん……」
そうだよな、多分。間違いない。うん、論理的に考えればそうなるな。
俺はソリアにキスされた。
……はぁ?
待て待て待て待て。ちょ、待ってな落ち着くから今。
「……ふぅ」
額に手を当てて、息を吐く。頭に上ってた血が引いていった。
「で、何だソリア何をグホアッ!?」
「黙れこの野郎! 何だよその反応!」
平手打ちされた。痛いどころじゃない。熱い。
「もう良い、寝るから!」
「はーい……」
ソリアはミルクティーを一気飲みしてソファに倒れ込んだ。結構湯気立ってるんだが、あれ。
「……ま、疲れてるんだろうな」
俯せですぐに寝息を立てたソリアの髪を撫でて、俺はソファから立ち上がる。
さて、俺は仕事をするか。あと少しで完成なんだ。
俺は階段を駆け下りて時計塔前の広場まで走った。喉の奥がひりひりする。
広場には、サロスとナイト、ソレダーが既に居た。
「フィリアは?」
「来てない……ソリアは?」
「仮眠中だ。それより聞いてくれ、いよいよタイムマシンが、」
「まぁ落ち着け。良いか、落ち着いて聞けよヴェルグ」
サロスが俺の両肩に手を乗せる。いきなり呼び出しておいて何だ。
「……タイムマシンは完成したんだな?」
「ああ、それが?」
「今すぐ飛べ」
「へ?」
「ツァールトの命令だ。『完成し次第作戦を遂行しろ』」
サロスの、俺の肩を掴む手に力が入る。
「……何で、」
「奴らが来た」
ソレダーが呟くように言った。
「和平は結局、不可能だと証明された。いや……二年間音沙汰無かったのも、この時の為か……」
「だから何だよ、」
言った直後、俺の脳裏に、さっき見たあの黒い点が思い出された。確か、門の近くの城壁の上―――
「門が内側から開かれたんだよ、」
サロスが切羽詰った顔で俺に言った。
「早くマシン作動させろ! 手遅れになるぞ!」
サロスの目で、俺は事態を悟る。
「……ツァールトを、頼む」
俺はそう言って踵を返す。サロスは俺に付いてきたが、ナイトとソレダーは別の方向に走って行った。
直後―――近付いてきた爆音が耳朶を打った。
長い階段の途中で、俺は息苦しくなって足を止める。サロスが俺に肩を貸して立ち上がらせた。
「サロス……」
「さっさと動きやがれ。奴らは速い」
「……悪い」
「ツァールトなら大丈夫だ。ここ数日確かに連絡とれねぇが、生きてるさ」
俺は俯いて唇を噛んだ。
知ってるんだ、サロス。俺は、今ツァールトが何処に居るか。
俺のソシオには、ツァールトからのメールが入ってる。だが差出人はツァールトでも、書いたのは彼奴の親父さんだった。
彼奴は中央政府に居る。さっきの命令はきっと、隙を見てあの三人に送ったんだろう。
ツァールトは今、監禁されている筈なんだ。
『僕は父さんに従うことにした。そうすればアプサラスには手を出さないらしい。僕が中央政府から出られないことは、どうか他の皆には、内緒にしてくれ。僕の我儘を許して欲しい。だがこれだけは言わせてくれ。僕は君達を誇りに思う。だから君達を絶対に、傷付けさせはしない。僕が此処に居る間は、君達に害は加えさせない。だから、ヴェルグ。少しだけ、待っててくれるかな』
ソシオに入っているメールを、俺は閉じる。ソファのソリアを起こし、サロス達が盗み出したエネルギー回線の極秘パスワードをパソコンに打ち込んだ。
これで、シェルター内の全てのエネルギーを掌握できる筈だ。発電所から何から、あらゆるエネルギー回線を操作するパソコンに、このパソコンが成り代わったと言うことになる。ソリアは数度頭を振って、すぐに作業に取り掛かった。
「メールの最終設定はあの時のままで良いのね? 三千と十八年、八月十四日で」
「ああ。マシンの設定は?」
「三千十四年九月十三日」
サロスはソシオを睨んでいた。ソシオのレーダー画面には、敵を現す点が多く映っている。やはり、ロボット達が攻めてきたようだ。
「急げ二人とも、近付いてきてる!」
「エネルギーを感じてるのかしらね……ヴェルグ、入りなさい!」
「おう、」
俺はマシンの扉を開く。遠くで爆音が聞こえた。サロスはソシオの無線をフィリアに繋ぐ。
「フィリア! フィリア、大丈夫か、外はどうなってる!?」
『サロス? 大丈夫ですよ、全然何も無いよ。時計塔、此処からも見えてるけど綺麗ですね。さっきナイトさんとソレダーが走って来ましたよ、何ですか? 死んでるけど、何か在ったんですか?』
「……フィリア?」
微妙な違和感に気付き、サロスが顔色を変える。
「フィリア、何してる?」
『何って……別に、何も? 殺しているだけですよ?』
「だから何を!」
『人を。あ、ロボットもですけど、いっぱい』
あっさりと返ってきた言葉に、サロスは息を飲んで無線を切った。そして倒れそうにふらつく。俺はサロスを慌てて受け止めた。
「ヴェルグ……どうしよう、フィリアおかしくなってるぜ……」
「……突然の状況の変化に、ついていけなかったのね。神経をやられたんだわ、きっと」
淡々と言うソリアに、サロスは怒りの籠った視線を向け、その胸倉に手を伸ばして飛びかかる。ソリアは壁に押し付けられて顔を歪ませた。
「てっっめぇは! 何処まで人の神経逆撫ですれば気ぃ済むんだ、ああ!?」
「事実じゃない」
「黙れ! 分かってんだよ、だけど……!」
「サロス、落ち着け! 仲間内で争ってる場合じゃねぇだろ!?」
「だけど、」
「放して」
ソリアが髪を止めていたペンを抜く。キャップを外すと、本体の中に仕舞われていた細長いナイフが現れた。
「放しなさい。冷静になって」
ソリアはそのナイフの先端を、サロスの茶目に突き付ける。
「導いてくれる『飼主』ツァールトは居ない。守ってくれる『番犬』アフティは居ない。支えてくれる『命綱』フィリアも居ない。今貴方に出来るのは、そうやって感情に任せて吠える事なの?」
「っ……、」
「この未来は、変えられるの。変えたいなら手伝いなさい。人間同士で殺し合うか、ロボットに殺されるか、ハッピーエンドとやらを探すか。選びなさい」
サロスは泣きそうに顔を歪めて、ソリアを睨み付ける。ソリアは真っ直ぐにサロスを見詰めていた。
「バラバラになって、何処かで死んでいくアプサラスより。皆一緒に勝利を掴むアプサラスを、夢見たいでしょう」
「………………」
「今から行っても、もう止められないかも知れない。だけど、だから貴方は希望を託したのでしょう。ヴェルグに――――過去に」
「……そうだな」
サロスは手を放し、表情を押し殺したままソリアに背を向ける。相当ピリピリしているのが分かった。が、それを表に出す程、サロスも幼くは無い。
「悪いなヴェルグ。取り乱した」
「いや……」
「指示しろ」
サロスは胸元を握って俺を見る。
「……ああ」
俺は俯いて呟いた。
サロスが回線を繋ぎ、ソリアが最終の設定を確認する。俺はソシオを握り、改めてマシンの本体に向かった。
床が揺れる。外の様子は分からないが、地獄絵図になっていることは間違い無かった。
「……変えてやるさ」
俺はガラス戸に手を当てて呟く。
「もう一度、アプサラスの皆と笑える為に――――」
俺は中に入り、戸を内側から閉じる。ソリアが戸に手を当てた。
「行ってらっしゃい、ヴェルグ・シュナイダー博士」
ソリアがそう言って、微笑む。
……もしかして、初めてじゃないだろうか。ソリアがこんな自然に、俺に向かって微笑んでいるのは。
爆音がして、煉瓦の壁が崩れ、土埃が上がる。
「サロス!」
開いた穴の向こうでは、飛行型ロボットが飛び交っている。見慣れたシェルターの街は、炎の海と化していた。
「ヴェルグ、作動するわよ!」
「――――待て、待ってソリア……」
俺はロックがかかったガラス戸に手を当てる。
「サロスが! ソリア、ちょっとで良いから」
「行きなさい!」
穴の横では、瓦礫に巻き込まれて、サロスが倒れている。床には血が流れていた。
「っ!」
爆音に時計塔が揺れる。俺はマシン内の壁に叩きつけられた。衝撃でソシオの無線が入る。フィリアが繋いだままだったのだろう、皆のソシオからの音声が流れて来た。
『あなた方だけ逃げるつもりですか!? きっと皆戦ってるのに、ぅわっ!?』
『フィリア、戻って来いよそっち弾幕だって! 死にたいのかよっ!?』
『くそッたれ、やっぱり銃なんか効きやがらねぇ!』
『だから、殺せばいいんでしょう?』
『ヴェルグ、サロス、ソリア……無事なんだろうなっ!』
ツァールト、ソレダー、ナイト……フィリア……!
俺は泣きそうな顔でソシオを掴んだ。
「皆、聞いてくれ! 俺は今から行く! だから頼む、」
『ヴェルグ!?』
「……最後まで戦ってくれ、向こうでも必ず俺はお前達と一緒に戦うから! だから、」
『任せなよヴェルグ』
一番最初に返事をしてきたのは、ツァールトだった。
『大丈夫。きっと君なら、人類を助けられる』
「……ツァールト、」
『だから、泣くんじゃないよ?』
無茶を言うな。俺はもう泣きそうだ。
「さ、作動させるわよ」
ソリアが、埃を被った本体に近付いた。そして、メールシステムとタイムマシンのスイッチに手を乗せる。
「……行ってくるよ、皆」
そしてソリアが、スイッチを押した。
強烈な熱に晒されると、眼球が歪むと言う話は聞いた事が在る。実際に戦場で体験したことも在った。
だが、それとは比べ物にならないくらいの歪みが俺を襲う。鉄の床に着いている筈の足は浮いている感じがして、ガラス戸の向こうの景色は上下が入れ替わっていた。
「――――ソリア……」
戸の向こうに、ソリアが見える。だが、その周りの風景は歪んでいて、霧のように、白く霞んでいた。
嗚呼――――そうか。やっぱりこの世界は閉じるのか。
俺は後方に引っ張られる気がして、その景色が急速に遠ざかる。自分の体が在るのかも定かじゃない。内臓が浮くような、気持ちの悪い浮遊感が続く。
走馬灯だろうか。いろんな憧憬が、浮かんでは消えて行く。目を閉じたと言う感覚は無かったが、いつの間にか、俺の視界は闇に閉ざされていた。
……俺に、何が変えられるだろうか。
アフティの死を無かったことにするか?
ツァールトが全部を背負わないようにするか?
それとも―――
たった十四歳の俺に、何が出来る? 何をどう変えれば、俺達が望む未来が手に入る?
バヅンッ! と、遠くで何かが切れる音がした。俺は急激に落下する。
景色が見えて来た。瓦礫と土埃、嗚呼、あの時と一緒だ――――
待っていてくれ、皆。俺は必ず、皆の所に戻るから。
人類とか、世界とか。そんなものを救う為じゃない。アプサラスの皆に、また笑顔で会う為に、頑張るから――――
俺はベッドの上で起き上がった。
白い壁に天井、清潔感漂う部屋に、つんとした薬品の匂いが漂っている。病院だろうか。俺は頭に手を遣って周囲を見回した。頭には包帯が巻かれている。
そして俺の左手首には、見覚えの無い武骨な器具が取り付けられていた。
「起きたかい」
白衣の男が部屋に入ってきた。医者だろうか。
「住民ナンバー四八二番。名前は……潰れて読めないな……何て言うんだい?」
「…………」
名前? 俺の、名前……何だっけ? 思い出せない。だけど、確か……何たら……
「……シュナ」
うん。シュナ。確かそんな名前だった。
それよりも、此処は何処なんだ? 何で俺はこんなところに居る? そもそも、俺は―――誰だ?
『君は俺だ。
敬具 『Ⅰ』のヴェルグ・シュナイダー』
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