第九章 「Ⅲ」 星暦3018/7/23
レジスタンス本部のソリアの研究室には、ソリアとアオ、シュナが揃っていた。扉は固く閉じられ、椅子に座るアオの隣でシュナは白剣を握っている。明らかに、尋問体制であった。
「貴方がアプサラスに入って一ヶ月……いい加減、教えてくれないかしら? 何処から来たのか。何を知っているのか」
「……そう急ぐな。まだその時じゃない」
「あのねぇ、」
「八月十四日に全部分かる。そしたら話す」
アオはそう言って、俯いた。
「……タイムマシンか」
シュナはアオの隣に座って言った。
「今言えることは無いのか」
「……そうだな、」
アオはシュナを見遣る。
「この世界は一つであって一つじゃない。お前達も可能性の一つに過ぎない。そして、」
アオは目を細めた。その鋭い眼光に、シュナは一瞬怯む。
「シュナ。お前は、俺の正体を知っている……それだけは絶対だ」
シュナは閉口してソリアを見遣る。ソリアも肩を竦めた。
「駄目ね。彼がもし今必要無いと言っているならきっと、必要無いんでしょう。無駄だわ」
「だが……」
「あと一ヶ月待てば良いのよ……今日はツァールトが来ているんでしょう? 一緒に帰りましょう」
ソリアはペンを置いた。
「……じゃあせめてアオ、あれは教えてくれ……お前が来たとき、俺のこの装置で何を読んでいたのか……あのメールは、何だったのか」
「……『拝啓 百年後の君へ』」
「え?」
俯いたまま手を組み、アオは言葉を続ける。
「『反撃の時は近い』」
「……それだけ?」
「ああ」
シュナは肩透かしを食らったような顔になった。アオは立ち上がり、ホワイトボードに近付く。
「これも言っていいか……察しの通り、世界は一つじゃない。理論上タイムマシンは実現できる。それと、シュナの言う通り、死ぬ寸前のお前を連れて俺が元の世界に戻れば良いんじゃないかと思うだろうが、それは出来ない」
「……ちょっと待て、」
シュナはアオに手を突き出した。
「お前にその考えは言ってなかっただろう。何で知ってる」
「…………お前の考えることくらい分かる。世界は一つしか存在しない。お前が死んだ世界では、お前が死んだ後お前は存在できない。世界の理に反する」
「……納得できないわ、そんなの」
ソリアが口を挟んだ。そしてボードに、数本の線を引く。
「私の考えはこうよ。幾つもの世界が並行して存在している。恐らく互いに多少ならず干渉し合っている。だから同じ人間が同時に複数の世界に存在する……」
「違う」
アオはあっさりと言い返した。
「……世界は一つしか存在しない。それは絶対だ」
「じゃあ、でも……教えてくれって良いじゃないの、それで世界が終わる訳でもないし」
ソリアは顔に苛立ちを浮かべた。アオは静かに首を横に振る。
「このドアをこれ以上変える訳にはいかない」
「……?」
それだけ言って、アオは目を閉じる。起動音が遠ざかり、アオはスリープモードに移行した。
ソリアは溜息を吐く。
「帰りましょう。今度こそ無駄だわ」
「そうだな……今日は俺が夕飯当番の日だ、早く帰らないと」
シュナもそう言って頷いた。
賑やかなアプサラス本部で、アオは一人、隅の椅子で食卓の様子を見ていた。その無機質な目からは、やはりその心中を窺い知ることは出来ない。
一か月間、アオは変わらずにそこに居る。初めの頃こそ警戒していた皆も、今ではすっかり気にしなくなっていた。
ツァールトの挨拶で、夕食が始まる。シュナが並べた皿に、一斉に手が伸びた。
その光景は、まるで大家族の兄弟達の食事のようであった。アオの口元が微かに緩む。
「……アオ?」
ソレダーが、アオに近付く。アオは座って腕を組んだまま、俯いている。
「アオ、寝た?」
ソレダーはアオの前にしゃがんだ。アオは目を開かない。
「シュナ、アオ寝ちゃったみたいだよ?」
「え?」
シュナはアオを見て驚いたような顔になった。
「寝てるって……アオ、俺達の前で寝たこと無いだろ?」
「でも、寝てるよ?」
シュナは立ち上がってアオに近付いた。がくり、とアオの首が揺れる。
「……寝てるな」
「でしょ?」
ソレダーは小さく笑った。フィリアがタオルケットを持って来て、アオにかける。
「……そう言えば、今日呼び出されたのはね」
ツァールトがおもむろに切り出す。
「アプサラスが、まあ年齢的にもそうだし、少年部隊から、特殊戦闘部隊になったよ」
「へえ、で、変わりは?」
「無いよ。只、既にレジスタンス本部から大分独立してるけど、更に独立度が高まるだけかな。中央政府は大分弱腰になってるし、レジスタンスも中央政府に迎合し始めている。シュナみたいにXを憎む人は辛いだろうね」
「……ああ」
シュナとソレダーが机に戻る。ツァールトはスプーンを置き、一息ついて言葉を続けた。
「だから、言ってきた。アプサラスは何が在ろうと戦い続ける、てね」
「流石」
サロスがにやりとする。
「だから……僕は、皆の完璧な兄で居る自信は無い。何か在ったら、支えて欲しい。その代わり、僕はどんな権力からだって、君達を守るから」
ツァールトの顔から笑みが消えた。一瞬、食卓に冷たい沈黙が落ちる。が、それはナイトから始まった拍手に掻き消された。
ツァールトは気恥ずかしそうな笑みを零し、頬を掻く。
食事が終わり、皆は食器を片付け、思い思いの方向に歩き出す。ナイトとソレダーが食器洗いを始め、ソリアはアオを起こして研究室に引っ張って行く。サロスはアフティと手合わせをしに外に向かい、フィリアは部屋の隅に置いてある無線機を弄り始めた。
「なあ、シュナ」
「うん?」
「君がアプサラスに来てから……僕達は変われたよ」
ツァールトは椅子に座って、隣のシュナを見遣る。
「僕達は……彼らは。子供であることをしくじったんだ。Xに親を殺されたりして、ね」
「……どういう意味だよ?」
「大人に素直に甘えられない……愛情の受け取り方を忘れてしまったんだ」
「……それが?」
シュナは頬を掻く。ツァールトは微笑んだ。
「いや。最近、君とソリアを見ていると……何か、嫌な夢というか幻を見てね。只の幻覚だとは思うが、たまに思うんだ。もしあのままアプサラスが続いていたら……」
ツァールトはそこで、仄暗い笑みを零した。
「僕達は、崩壊していたかも知れないね」
「……でも、」
「僕は完璧であろうとした。彼らは、与えられた役割をこなそうとした。それだけなら良い。だけど、子供の役割を、大人になっても続ける訳にはいかないだろう」
ツァールトはそれだけ言って、シュナの頭を撫でる。シュナは顔を赤くした。
「そう言うなら、子供扱い止めてくれよ」
「ああ、ごめん……背が大きい子はあまり頭を撫でられないとか聞いた事在ったけど、シュナはちっちゃいもんね」
「ちっちゃい言うな!」
シュナはムキになって言い返す。ツァールトは声を上げて笑った。
「前々から言われてはいたんだけどね。いつまでも『ヒーローごっこ』じゃ生き抜けないだろうって」
「誰に?」
「父さ……いや、政府のある男にね」
ツァールトは顔を逸らす。シュナは目を瞬かせた。ツァールトはそれ以上の問い掛けを拒絶するように立ち上がった。シュナはその後ろ姿を見遣り、頬杖を付く。
ツァールトはフィリアに声を掛け、ナイトとソレダーに手を振り、自室へと戻って行く。シュナはその姿を見送ると、サロスとアフティに合流すべく立ち上がった。
第二外基地付近のトーチカ破壊の命令が、アプサラスに下された。これは元々、アオが現れた日にサロス達に下されていた命令だったのだが、アオの登場により中止されていたのだ。
トーチカにはXの本部に繋がっていると考えられるコンピュータが在るらしい。そこでハッキングを掛けるべく、ソリアも戦場に駆り出されていた。
ソリアの護衛であるシュナとナイトは、壁の陰に隠れて向こう側を見遣る。そして無線を耳に当てた。
第二外基地に居るフィリアが、アプサラス全員の無線を繋げている。
『……どうやら無事、配置には付けたようだね。それじゃ、簡単に今回の作戦を説明するよ。トーチカの周囲一キロに君達は配置されている。東がメインのナイトとシュナ、ソリアだ。その反対、西側にはサロスと僕が陽動に居るよ。北東と南東には補助に、それぞれソレダーとアフティが居る。第二外基地にはフィリアだ。地図はもう頭に入ってるね』
無線からツァールトの声が聞こえて来た。シュナとナイトは短く返事をする。
『十時になったら、作戦を始めよう。ああそれと、何か変化が在ったらすぐに報告するようにね』
シュナが腕の時計を見ると、時刻は九時五十二分だ。
「なぁナイト、アフティ大丈夫だろうか……怪我してたよな、確か」
「サポーターしてるだろ。大分塞がってるらしいし」
「……嫌な予感がするな」
「お前、アフティが第二外基地に近付くといつもそうだろ」
「う……」
シュナは俯いた。ナイトはガムを口に放り込み、白剣を磨き始める。
アフティは数度目の溜息を吐いた。先刻の無線から、喉の奥を撫で上げられるような、不快感が止まない。
瓦礫が崩れ落ちる音に、アフティは弾かれたように振り返った。
「誰だ!」
ロボットでは無い気配がする―――アフティは対人ショットガンを握り、音のした方向に向かう。
「誰か居るのか?」
アフティは視線を鋭くする。
瓦礫の奥、土煙の向こうに、二つの人影が見える。アフティは警戒を強め、人影に駆け寄った。
「うわっ!」
突然現れたアフティに、二人が小さく悲鳴を上げる。アフティは虚を突かれたような顔になった。
片方は太った、片方は反対に酷く痩せた男達だった。瓦礫の上に蹲り、太った男は何かを握りしめている。
「何だ、何で一般人がこんなところに居る? 大丈夫か?」
「あ、ああ、えっと……」
太った男はアフティを見上げ、落ち着きなく視線を彷徨わせる。
アフティは二人に近付こうとして、ふとツァールトの言葉を思い出す。そして無線を手に取った。
「ツァールト?」
『ああ、アフティ、どうした?』
「何か、一般人が二人ほど居るんだが―――」
『一般人?』
ツァールトが暫時黙り込む。アフティは武器を構えたまま、返事を待つ。
『そうだね。考えたくはないが、脱走者……シェルターから逃げてXに取り入ろうとする人達だという可能性が高い。一応、拘束して安全なところに』
「分かった」
アフティは鋭く二人を睨む。
「く……クソ!」
太った男が立ち上がり、手に持っていた何かをアフティに向かって投げつけた。
「っ!?」
粉だ。アフティは咄嗟に口と鼻を手で覆って後方に飛びずさる。
「何だ、何のつもり……」
急に、起動音が近付いてくる。アフティは青い顔になった。
「ロボット兵っ……!」
アフティはショットガンを二人に向けて放つ。致死寸前の電撃が、二人を昏倒させた。アフティは左足を軸に体を回転させ、火薬を仕込んだ蹴りで一番近くのロボット兵を蹴り飛ばす。ロボット兵の首と胴が離れ、千切れた配線から青白い火花が散った。
アフティは腰から丸い火薬玉を外し、いつの間にか自分を囲んでいたロボット兵達に投げつける。破裂した火薬玉は強烈な光と音を発した。アフティはケープを二人の男に被せて爆風から守り、自身は瓦礫の陰に駆け込む。
「不味いなぁ」
アフティの顔は、しかし笑っていた。セイヴァーでも扱える武器の種類が最も多いアフティは、それだけ多くの戦いに駆り出され、その数だけ死線を越えてきている。
アフティは、控えていた間に周囲に仕込んでおいた武器を思い出す。そして、瓦礫から飛び出している鉄骨に、服の裏に仕込んで在る鉄線の端を引っ掛ける。
アフティは左に跳んだ。ロボット兵の銃がアフティに向く。アフティは地面に突き刺していた槍を引き抜き、スイッチを押して電撃を走らせた。
「おおおっ!」
アフティは槍を振り回す。ロボットは案外に接近戦に慣れていない。速度はアフティが優っていた。
「くっ、」
だが、ロボット兵は五体。アフティの武器は、電撃を発する槍と、鉄線、六連発の銃が二つ、火薬玉が残り二つ、そして針型の手裏剣と短剣。絶望的ではないが、厳しい状況と言えた。
普段は、ロボット兵を乗り越えてトーチカや外基地を目指す。だが、只生き残る戦いの経験は、アフティは少なかった。
時計を見れば、九時五十八分。あと二分で突撃は開始される。それまで、生き残らなければいけない―――否、その後も戦い続けなければいけない。
「ツァールト、ツァールトっ!」
アフティは無線に向かって叫ぶ。無線からノイズが聞こえ、ツァールトが返事をした。
『どうしたアフティ、大丈夫か!?』
「作戦、俺抜きにしてくれ、やばい! 此奴ら蹴散らしたら取り敢えず第二外基地に補給に戻る!」
『……分かった、死ぬなよ』
「ああ!」
アフティは瓦礫に躓いてふらつく。落ちた無線はロボットに踏まれて砕かれた。それを苦い顔で見、アフティは槍を振るう。発された電撃にロボットが怯んだ。その隙に、アフティはロボット達の間をすり抜け、鉄線を引いた。ぴんと張った糸に引っかかり、ロボットの一体が体勢を崩す。
「喰らえ!」
アフティは槍を背後に刺すと、両手に銃を構える。ロボットの頭が吹っ飛び、胴は地面に倒れ込んだ。
残り四体。アフティは銃を捨てて槍を取る。鉄線をその穂先に絡めて回収すると、電撃が鉄線を走り、僅かに発光した。
向かってきた二体目に向かって槍を振り、その体に巻き付けた。スイッチを押すと、強い電撃がロボットを貫く。ロボットは配線から火花を散らして倒れだ。
「次っ!」
三体目の胴を槍で貫く。電撃が逆流する前に槍を引き抜き、アフティはその体を踏み倒した。四体目の胴に蹴りを入れ、手裏剣で両目を砕く。アフティは短剣を抜き、槍を足元のロボットの心臓部に突き刺した。
四体目と五体目が、同じ距離を取って止まる。ロボットの白いボディは既に土埃に汚れ、背中に背負っているジェット式飛翔機も傷がついていた。戦争の初期から居るロボットなのだろう。
対してアフティの武器は、火薬玉と短剣、手裏剣、鉄線―――
「……はっ、」
アフティはだらりと両手を垂れ下げ、ロボットに近付いた。
余りにも自然に。いつものように―――
ロボット兵は元々、人間を護衛する立場に在ったのだ。明らかに敵意の無い人間を攻撃するようには設定されていない。
故に――――
「っ!」
アフティは短く息を吐き、地面を強く蹴ると、両手を付き出してロボットの首元を貫いた。アフティの攻撃は、ロボットに認識されるより早く、ロボットに到達する。
「残念だったな」
配線を切断し、アフティはにやりとした。
「てめぇら作り物ごときにやられるほど、人類は堕ちちゃいねぇよ」
弾丸が掠った肩を押さえ、アフティは二人の男の元に戻る。二人はまだ、泡を吹いて気絶していた。
情けなくも、息が上がっていた。アフティはところどころ焦げたケープを拾い、他のロボット兵が来る前に退散しようと、二人の男を抱え上げる。
「ぐおっ……?」
瞬間、アフティの脳裏に、何かの残像のようなものが浮かんだ。
『……てめ……何のつもりだ……』『アフティ……か? ……分かるか?』
「……シュナ……?」
呟き、アフティは目を瞬かせる。以前見た夢と、同じ幻だ。
遠くで爆音がする。時計を見れば、十時二分。作戦は始まっていた。
「くそ、」
アフティは男達を抱え直し、第二外基地へと急いだ。
トーチカに無事辿り着いた他の六人は、ソリアがハッキングを掛ける間、それぞれ怪我の手当てをしていた。第二外基地に辿り着いたアフティから無事の連絡が入り、ツァールトは安堵の息を吐く。
「しかし……シェルター内は安全だってのに、何を好き好んで外に出るんだ?」
「シェルター内はそれなりに窮屈だからね」
ツァールトは苦笑した。サロスは眉宇を顰める。
「だが、生き残れるだろうに」
「でも、生き残れれば良いのかな」
ツァールトの鋭い返しに、サロスが言葉に詰まる。
「本当に人間らしく生きたいとなったら、きっとシェルターの中で生きることは受け入れられないよ」
「……ツァールト?」
ツァールトの横顔が陰った気がして、シュナはツァールトを見上げる。ツァールトはナイトの頬に絆創膏を貼ってやりながら、やはり笑っていた。
「――――なあツァールト、」
「出来たわ」
シュナの言葉を、ソリアが遮った。振り返れば、コンピュータに向かってずっとキーを叩いていたソリアが、珍しく顔に喜色を浮かべて振り返っている。
「Xのメインコンピュータ部に侵入できた。此処から、相手の情報を奪えるわ。セキュリティ・ホールはごく小さいものだけど……」
「十分だ。……その穴を固定して、本部のコンピュータから見ることは?」
「可能よ」
「よし。その作業を頼む。此処は危険すぎる、一度戻ろう」
「分かった」
ナイトが引き揚げ準備を始める。シュナは慌ててそれに倣った。
一同はアプサラス本部の、ソリアの研究室に集まっていた。
「八月十四日。お前が示した期日だ、アオ」
「そうだな」
アオは壁に寄りかかり、腕を組む。
「ソシオ……いや、お前の腕の装置を見せろ、シュナ」
「?」
シュナは怪訝そうな顔をし、しかし腕を突き出す。アオは装置の金具に触れると、数か所をスライドさせ、シュナの手から装置を外した。
「えっ……」
アオは驚く一同をよそに、装置の側面にケーブルを差し込み、ソリアのパソコンにそれを繋ぐ。
パソコンの画面に、幾つかのウィンドウが現れた。アオはその内、光っている一つを選択する。
「在った」
アオがそれを開く。
「……これは……?」
開かれたのは、文章であった。シュナとソリアはそれを覗き込む。
文面は、『拝啓 ヴェルグ・シュナイダー博士』で始まっていた。