メモワール その3
喫茶店「ブルーバード」
それがノンノちゃんが私に教えてくれたお店の名前です。
グリム通りに居を構えており、その味を求め、ひっきりなしに人が訪れます。
お昼の時間には満席、外に人の列が出来てしまうときもあります。
空いている席に座った私たち三人は、それぞれメニューを開きます。
「ユカリちゃんは何にする?」
「えっと……、オムライス」
「おっ、私と一緒だね。ノンノちゃんは?」
「そうねぇ、今回はナポリタンにしておこうかしら」
「うん、分かった」
私は二人が何を頼むのかを聞き、近くにいたウェイトレスさんを呼び、注文しました。
「ユカリちゃん、メモワールを少し歩いてみてどうだった?」
料理が届くまでの間は、雑談に花を咲かせることにします。
「えっと、おっきくて、キレイで、楽しかった」
「そっか。よかったぁ、楽しくないとか言われたらどうしようかと思ったよ」
ユカリちゃんの言葉に、私はホッと胸をなで下ろします。
「ミツルさん、そんなこと考えてたの?」
「何というか、ミツルらしくないわね」
「えぇー……」
二人の中では、一体どのような人私という物像が作られているのでしょうか。気になるけど、聞かない方が良いような、聞いたら後悔しそうな――。
「ねぇ、二人の中で私はどんな人になってるのかな?」
結局私は聞いてしまいます。どうも、気になったことは調べないと落ち着かない質なんです。
「ボケーっとしてて、何も考えて無さそうな奴」
「強引な人」
ノンノちゃん、ユカリちゃんの順で私に対する印象を答えてくれました。
答えてくれましたが、全然嬉しくありません。
あっ、どうしてか目から汗が……。
「ああ嘘嘘っ! 今の嘘だからっ! ミツルはしっかり者だからっ!」
「そ、そうだよっ! ミツルさんは優しい人だよっ!」
も、もうっ! そんなお世辞を言っても何も出てきませんよっ?
私は目からこぼれ落ちそうになった汗をハンカチで拭き取ります。
「お待たせしました。オムライスと、ナポリタンになります」
二人とお喋りを続けていると、漸く料理が届きました。
「……?」
ユカリちゃんは目の前に置かれたオムライスを、何やら珍しいモノを見たような目で見ています。
「ユカリちゃん、どうかしたの?」
「これ……、オムライス?」
そう言ってオムライスを指さし、首を傾げます。
「うん、オムライスだよ」
「なんか、私の知ってるのと違う」
成程、そうでしたか。確かにこういうオムライスを見た事がない人もいるかもしれません。
「ユカリちゃん、これはね「タンポポオムライス」っていうんだよ」
「タンポポ? どうして?」
「ユカリちゃん、この上にのってるオムレツを真ん中から切ってみて」
「う、うん」
ユカリちゃんはナイフをスッと入れ、オムレツを切ります。
「それで、左右に開いてみて」
私に言われるように、真ん中に切れ目の入ったオムレツを開きました。
そして――、
「わっ、凄い……」
見事に、ご飯の上にオムレツの花が咲きました。
ユカリちゃんも目を輝かせ、興味津々に目の前の咲開いた花を観察しています。
「ふふっ、お花が――黄色いタンポポのお花が咲いたみたいでしょ? だから「タンポポオムライス」っていうんだよ」
「へぇ……」
「味の方も、凄く美味しいから食べてみて?」
「うん」
そう言ってスプーンで軽く掬い、口に運びます。
「あ、美味しい」
「でしょっ!」
ユカリちゃんに続いて、私も食べることにしました。
うん、やっぱりここのお店のオムライスは最高です。
トロトロふわふわなオムレツとチキンライスの相性が抜群で、半熟のオムレツは口に入った瞬間に溶けて消えてしまったかのように感じます。チキンライスもケチャップの味がしつこ過ぎず、飽きが来ません。
あぁ、オムレツと一緒に私の頬も溶けて落ちてしまいそうです。
「ノンノちゃん、ナポリタンはどう?」
「話しかけないで。今忙しいの」
「えぇ~……」
私の言葉を一蹴し、ノンノちゃんは黙々とナポリタンを食べ続けます。
ノンノちゃんは食に対する勢いが凄いというか、美味しいモノを全力で味わおうとする性質らしいのです。こうなってしまったノンノちゃんは、話しかけても先程の私みたいに無視されてしまうことが有ります。
まぁ、それだけノンノちゃんが頼んだナポリタンは美味しいということでもあるのですが……。
「ミツルさん」
「ん? どうしたの?」
「ノンノさん、こわい」
ユカリちゃんが、蛇と遭遇してしまったカエルの様な顔で私に伝えてきました。
チラッと横目にユカリちゃんを怯えさせた人物を確認します。そこには、眉間に皺を寄せ鬼気迫る勢いでナポリタンを味わい尽くす、修羅がいました。
「そうだね……」
これには、私も同意以外の選択肢が見つかりません。
いや、選択肢にも「はい」、「Yes」、「Ja」、「Oui」しか存在していませんでした。
昼食を食べ終えブルーバードを出た私達は、少しブラブラと散策し、そして歴史を感じさせる大きな建物の前に付きました。
「ユカリちゃん、ここがどこだか分かるよね?」
「図書館。テレビで見たよ」
そう、メモワールの顔であり、私達の働いている場所でもある王立図書館「バーベナ」です。
各地に分館が建てられており、メモワールにある建物が本館です。蔵書数はこの本館だけで優に3千万冊を超えています。正に本好きにとってに天国と言えるでしょう。
「あら、ミツルちゃん?」
不意に声が掛けられました。ユカリちゃんやノンノちゃんとは違った声です。
ユカリちゃんが可愛らしい声、ノンノちゃんが活気があってハキハキした声に対して、この私を呼ぶ声は優しく語りかける声と言えるでしょう。
そして、この聞く相手を安心させる、穏やかな海の様な声を私はよく知っています。
「アンリさん」
アンリ・ライブラ。バーベナで働いている先輩で、私の直接の上司に当たる人でもあります。
アンリさんは隣に見知らぬ女性を連れて、私達の方へ歩いてきます。
その際に軽く揺れる、アンリさんの長いブロンドの髪が太陽に反射して、キラキラと宝石を見ているように思わせます。
補佐となってから毎日のように見るアンリさんの髪ですが、見るたびに「ほぅ」と見惚れてしまうのは私だけではないと思います。まぁ、見惚れるのはその髪だけではないんですけどね……。
「こんにちは、ミツルちゃん」
日溜まりのように温かで、妖精のように魅力的な笑顔を浮かべ、アンリさんは話しかけてきました。
「アンリさん、こんにちは。えっと、そちらの方は」
私はアンリさんに挨拶を返すと共に、隣にいる女性について尋ねます。
しかし、その答えはアンリさんの口からでは無く、予想外なところから返ってきました。
「お母さん」
私の隣から、つまり、その「お母さん」という言葉を言ったのは――、
「ユカリ!」
ユカリちゃんです。
ユカリちゃんはお母さんの元へ駆け寄って行きます。
「もう、離しちゃ駄目って言ったじゃない。心配したのよ……?」
お母さんはそう窘めながらも、もう離さないというかの様に、固くユカリちゃんを抱きしめました。
「お母さん、ごめんなさい」
ユカリちゃんもギュッとお母さんを抱きしめます。幾ら私達と一緒にいたからといっても、心の中ではお母さんがいない事から不安を感じていたのかもしれません。
「ミツルちゃんにノンノちゃん、お疲れさま」
「いえいえ、そんなことないです!」
アンリさんの言葉に、ノンノちゃんは嬉しそうに答えます。そうそう、ノンノちゃんはアンリさんに憧れています。
初めてこの図書館に来たときに案内してくれたのがアンリさんらしくて、その姿に惚れ惚れとしてしまったようです。
そして、アンリさんみたいな人になりたいと思ったのが、司書を目指す理由だとか、前にノンノちゃんが言っていました。
「ノンノちゃんの言うとおりですよ、アンリさん。ユカリちゃんと色んなところを回れて楽しかったです」
「あらあら、それは良かったわね」
アンリさんは私達の答えに優しい笑顔を浮かべます。
「そういえば、アンリさん。ユカリちゃんのお母さんと何処であったんですか?」
「それがね、図書館通りを歩いていたら一心不乱に辺りをキョロキョロしている人がいたの。お話を聞いたら娘を捜しているらしくって、それで私も一緒に探させて下さいって申し出たのよ。ミツルちゃんは?」
「私も、お手紙を出しに行こうとしたら、一生懸命周りをキョロキョロしている子がいて……」
「流石、親子ね」
「はい」
そう言って、私とアンリさんはクスッと笑い合いました。
「アンリさん、えっとそれから――」
「ミツルです」
「ノンノです」
「そうですか。ミツルさんにノンノさんも、ユカリを有り難うございました」
ユカリちゃんのお母さんは深々と頭を下げます。
「ミツルさんにノンノさん、ありがとうございました」
ユカリちゃんもお母さんに倣って、ペコッと頭を下げます。
そしてユカリちゃんと、ユカリちゃんのお母さんは手を繋ぎ去っていきます。
「ユカリちゃんっ!」
私は咄嗟にユカリちゃんを呼び止めました。このまま別れてしまうと、もう会えなくなってしまうのではないか、と思ったからです。
私の声に反応し、ユカリちゃんの足が止まって、こちらを向きます。
その表情は「なに?」と言っているかのようです。
ここからではその表情は伺えませんが、半日程度を共に過ごした私には、あのキョトンと首を可愛く傾げる姿が脳裏に容易に浮かんできます。
「ユカリちゃん、また来てねっ! まだまだ連れて行ってあげたいところが一杯あるのっ!」
ユカリちゃんに聞こえるように、私は精一杯の声で伝えました。
隣からノンノちゃんが「ミツル、うっさいっ!」とヤジを飛ばしてきましたが、今は気にしないで置くことにします。後でしっかりと謝りますが。
ユカリちゃんはお母さんの方を向き、何かを尋ねています。
話し終わったみたいです。
こちらを向きました。
「ミツルさんっ! またねっ!」
「さて、解散しましょうか」
二人の姿が見えなくなった後、アンリさんがそう話を切り出しました。
そう言えば私、ノンノちゃんと一緒にユカリちゃんを案内していた為に、手紙を出しに行くのをすっかり忘れていました。早く郵便局に行かないと。
そして私が足を踏み出した時、軽く私の服がはためきました。風が私の体を駆け抜けていったのです。
サーッと葉が擦れ、草木の合唱が始まりました。その音は耳に心地よく、私の身体の隅々まで届き渡っていきます。
ふと私の目に、視線の下にあるモノが留まりました。
「あの、アンリさん」
私はこの場から離れようとする、アンリさんに話しかけます。
「ん? どうかしたの?」
「そうよ。まさか、「よかったらお茶しに行きませんか?」とでも言うつもり?」
「あ、それ良いかも」
「うげっ。墓穴掘った……」
ノンノちゃんの提案に賛同したら、肩を落とし項垂れてしまいました。どうかしたのでしょうか。
先程、隣で大きな声を出して迷惑を掛けてしまったお詫びに、ノンノちゃんの大好きなレアチーズケーキを贈らせてもらおうと思ったのですが。
「よし、行きましょう」
そう言うと、ノンノちゃんは数秒前までの態度は何処に行ったのか、コマが飛んだような変化を見せました。
「それで、ミツルちゃん。何か気になることでもあったの?」
「あっ、そうでした。アンリさん、バーベナの周りを囲んで咲いているこの花々って、どんな花なんですか?」
私が気になったのは、バーベナを取り囲むように咲いている花達。光沢のある美しい花弁が、波打つ様に咲き誇っています。
同じ種の花のようですが、パープル色を始め、イエロー、ベルベットブルー、パステルピンクなど。まるで、初めて子供がクレヨンを手に入れ、画用紙に思い思いの絵を描いたときの様に、色鮮やかな光景が広がっています。
「これはね、ミツルちゃん。「サフィニア」っていう花なのよ」
「「サフィニア」ですか?」
「そうよ。花の形も整っていて、何より色も豊富で綺麗でしょ?」
「はい、色の神様の悪戯かと思ってしまいました」
「うふふ、そうね。でもね、お花自体も素敵だけど、私が気に入ってるのはそれだけじゃないのよ」
アンリさんは慈しむような目で、そのバーベナを飾る衣装達を見つめます。
「え、それは何なんですか?」
ちょっと含みのある話にノンノちゃんが食いつきます。
「それはね、「花言葉」よ」
「花言葉。というと、アンリさんはサフィニアの「花言葉」も大好きなんですか?」
「ええ。知りたい?」
アンリさんの問いかけに、私達二人はすぐさま頷きます。
「サフィニアの花言葉。それはね――」
風が吹き、そして凪ぐ。
サフィニアの花が揺らぎ、花弁が風につられて飛んでいきます。
そして、私の手の平にヒラリと一枚、舞い落ちました。
「心の安らぎよ」
手に落ちたサフィニアの花びらを見て、私は微笑みます。
――あなたも、私と同じなんですね。
王立図書館バーベナ。そこは本を求め、色んな人が訪れます。
そして、その人達に一時の安らぎを感じてもらうことが私の役目。
私達の望みです。