メモワール その1
『お父さん、お母さん
若葉萌える季節となりましたが、皆さんは如何お過ごしでしょうか。
私がこのメモワールに来て、早一ヶ月が経ちました。光陰矢の如しとはよく言ったもので、覚える事、やることがどれも新鮮なことばかりで、あっという間の一ヶ月でした。
先輩はとても優しい方で、とても良くしてもらっています。私も先輩の様な一人前の司書に早くなれるよう、頑張りたいと思います。
季節の変わり目です。体調を崩さないよう、健康には気を付けてください。
五月一日
ミツル コトノハ』
――うん、これでいいかな。
そう私――ミツル・コトノハは心の中で結論付け、両親への手紙を書き終える事にしました。
「ふぅ……」
書く度に思う事ですが、手紙を書くというのはどうも慣れません。何といったら良いのでしょうか、手紙を書くこと自体は嫌いではありません。寧ろ、書いていて楽しいです。ですが、書き方は間違っていないか、時候の挨拶はこれでいいのか等、どうも緊張してしまいます。
よって、溜息が知らずの内に零れてしましました。
さて、書き終えた事ですし、ポストへ投函しに行きましょう。
ですがその前に身だしなみのチェック。
肩辺りで切りそろえられた、お父さん譲りの深い緑色の髪。「私に似て、将来モテる事間違いなしね」と楽しそうに言っていた、月の優しい光の様なお母さんの面影が感じられる顔。昔から憧れていた、ブラウンを基調としたこの制服。
……うん、大丈夫です。
では、行きましょうか。
◇ ◇ ◇
記録都市メモワール。文学の中心地であり、多くの著名な作家を輩出した街。本に関係するあらゆるモノがこのメモワールに集まってきます。
そんな本の楽園とも呼ばれているこの場所で、その顔でもある「王立図書館」で、司書補として今年の四月から働かせてもらっています。
未だ未だ学ぶことも沢山あり、戸惑うことも多いですが、一人前の司書になるためには必要な事です。
それに、私はそんな毎日がとても新鮮で、楽しくて、大好きで仕方ありません。
「……あれ?」
今までの日々を思い返していた私ですが、ふと人混みの中で一人、キョロキョロと忙しなく辺りを見渡している小さな人影を見つけました。
「こんにちは。どうかしましたか?」
私が後ろから声を掛けると、ピクッと反応し、その子は私の方を振り返ります。
大体8歳くらいでしょうか。目に涙を溜め、可愛らしい顔を悲しみに歪ませた女の子が立っていました。
これは……、何やら一大事な予感がします。
このままこの場所で立ち往生するのも、他の人達に迷惑になると判断した私は彼女を連れて、近くのファーストフード店に入りました。
そして適当に飲み物を注文し、女のこと一緒に席に座り、自己紹介をしようと思ったら――、
「ユカリ」
ポツリと、女の子の小さな口から言葉が紡がれる。
「……え?」
しかし、その言葉が何を指しているのか私には分からなかったので、聞き返すことにしました。
「ユカリ」
女の子はそれしかいいません。若しかしたら、その「ユカリ」というのはこの子の名前なのでしょうか。
「えっと、それが君の名前で良いの、かな?」
私がそう尋ねると、女の子――ユカリちゃんはコクンと頷いて、オレンジジュースをチューチューと飲み始めます。
良かった。どうやら間違っていなかったみたいです。
「ユカリちゃん。私の名前はミツルっていいます。よろしくお願いします」
安心させるため、なるべく柔らかい笑みを作ってユカリちゃんに挨拶します。
「ミツル……さん?」
「うんっ」
ユカリちゃんが私の名前を呼んでくれたことが嬉しくて、つい声が弾んでしまいました。
「ミツルさん、よろしくお願いします」
「此方こそ、宜しくお願いします」
そう言って、私達は互いにぺこりと頭を下げます。互いに頭を下げているのでぶつかってしまわないか心配でしたが、それは杞憂に終わりました。
さて、自己紹介も済んだ事ですし、本題に入ると致しましょうか。
「ねぇ、ユカリちゃんは一人でメモワールに来たのかな?」
「ううん、お母さんと来たの。テレビでやってて、行きたいって言ったら連れてきてくれたの」
「そうなんだぁ」
優しいお母さんですね。
「それでお母さん、はぐれたら大変だから手を放しちゃダメって言ってたのに、私……」
ユカリちゃんは再び、私が彼女に話しかけた時に見せた、今にも泣き出しそうな表情を見せます。
ああ、そんな顔をしないでください。私まで悲しくなってきてしまいます。
「ユカリちゃん、そんな顔をしないで。……そうだっ! ねぇユカリちゃん、私と一緒に散歩に行かない?」
私からの提案に「さんぽ?」と、小首を傾げます。なんだか頭の上にハテナマークが浮かんでいるのが見えそうです。
「うん。お母さんを探す序でに、ユカリちゃんにメモワールを案内してあげたいんだ。せっかく来たんだから、色んなところ行ってみたいでしょ?」
私がそう尋ねると、ユカリちゃんは静かに頷きます。
「ミツルさん」
「なに?」
「初めて会ったのに、どうして私にここまでしてくれるの?」
不思議そうな顔をして、ユカリちゃんは私に質問してきました。
確かに、ユカリちゃんがそう言うのも無理はない事だと思います。こんな事して有難迷惑じゃないかな、拒絶されたらどうしようと思っていました。
「あのね、ユカリちゃん」
「ミツルさん、どうしたの?」
「私もね、ユカリちゃんと同じくらいの歳の時に、同じ様にメモワールに連れてきてもらったんだ」
「ミツルさんも?」
「うん。だから、ユカリちゃんにも来て良かったなって、思って欲しくて。楽しい思い出を作って欲しいなって……」
お節介だったかな? と、私はドキドキしながら訊きます。
「そんな事ない。すごくうれしいよ」
ユカリちゃんは首をフルフルと振りました。何だか小動物みたいで可愛らしいです。
「ほんとっ?」
「うん」
私はユカリちゃんからの思い掛けない返事に、喜びを隠しきれませんでした。
「よしっ! そうと決まったら行こうか、ユカリちゃん!」
そう言って、私は勢いよく席を立ちました。
さあ、早く行きましょう! メモワールがユカリちゃんを待っています!
「あ、ミツルさん、待って。私、まだ飲み終わってない……」
私はそっと、腰を下ろしました。