2-2 『学園編』
真嶋真樹。28歳。職業、小学校教師。
それがスキルテイカーの手に入れた偽造身分である。廊下を歩く彼は、ボロ切れを纏っているわけでもなければ、鉤爪を生やしているわけでもなく、ギラギラした光を紅い双眸に宿しているわけでもない。パリッとしたスーツに身を包んだ、爽やかな好青年である。なぜか都合よく急病を患い休職するハメになった町村教師に代わり、都内某所の国立小学校へ転勤してきた教師。それが彼だ。
「真嶋真樹なんて気持ち悪い名前を、よくもつけてくれたもんだ」
廊下を歩きながら、携帯電話を片手にスキルテイカーは愚痴る。電話口の向こうで、メガネのへの字顔が浮かぶようであった。
『かなり不機嫌そうだな。気に入らなかったのか?』
「気に入らねぇ。それに、アビリキィを三本も入れているせいか今非常に気持ちが悪い。不機嫌なのはそのせいだ」
そう言いながらも、スキルテイカーの顔は爽やかな微笑を浮かべたままだ。言動の荒さと表情がまったく釣り合っていない。アビリキィによって開かれた才能は対価を要求する。今回の場合、スキルテイカーは怪物じみた威容を捨てるためにアビリキィの力を借りたのだが、結果として、彼の顔には常に笑みが浮かぶこととなった。表情筋が辛い。
小学校に潜入する以上、相応の学力は必要であったが、スキルテイカーにはそれがなかった。なので、それに関してもアビリキィの力を借りる必要があったし、一般社会のマナーに関してもアビリキィの力を借りざるを得なかった。社会不適合者に小学校教師をやらせるには、ひとつやふたつの才能ではまったく足りなかったのである。
とまぁそのような経緯を経てスキルテイカーは自身の身体に三本ものアビリキィをブッ刺すこととなった。
「内政タイプの神業はそんなに回収してないんだよ。今回は良さげなのが三本あったから良かったが」
『ともあれ、それで不二崎沙織に接触できるんだ。結構なことじゃないか。くれぐれも問題は起こすなよ』
「起こさねぇよ。じゃあな」
スキルテイカーは電話を切り、廊下の窓から外を眺める。小学生用にあつらえられた窓は位置が低く、小人の国に迷い込んだかのような違和感があった。
しかしまさか、国立小学校とはな。スキルテイカーは自分の意識とはまったく無関係の薄ら笑いを窓の外に向けたまま、思う。
沙織の父親である不二崎仁は、少し前に石蕗電機を退社したと聞いていたが。定職に就いていないのに、娘を国立学校に通わせるような経済的余裕があるのだろうか。娘に次々とアビリキィを使ったりするあたり、どうにも自分の見栄しか考えていない、独善的な親に思える。
吐き気がするな。
スキルテイカーは心の中で毒づくが、眉根をしかめることすらできなかった。
「真嶋先生?」
背後から同僚となった女性教諭の声が聞こえたので、スキルテイカーは笑顔のまま振り返る。
「どうかなさいましたか?」
「あの、もうすぐ次の授業ですよ? 教室にお戻りにならなくても?」
「おっと、失礼。ありがとうございます」
スキルテイカーが爽やかな笑顔で頭を下げる。彼は自らの言動に鳥肌の立つ勢いであったのだが、女性教諭のほうは顔を赤らめて首を横に振った。女性には悲鳴を上げて逃げられた経験しかないスキルテイカーからすれば、実に新鮮な反応である。同時に、この世には才能以外にも人間を格付けする厳格な指標があるのだと、彼は改めて思い知った。
さて。国立小学校の中には教科担任制を採用しているところも多いが、幸いにしてこの学校はそうではない。おかげで、学校にいる間はほぼ一日中、不二崎沙織の動向に目を見張ることができた。
沙織の学年は3年生、年齢は満9歳だ。写真の印象どおり実に頭の良い子だったが、性格はおとなしめで口数は少ない。勉強はもちろんだが、運動神経も抜群で、図工や音楽の授業でもその才能を遺憾なく発揮していた。ただし、その才能が自前ではないことを、スキルテイカーは知っている。なんでもかんでもすまし顔で、ヒョイヒョイとこなしていく沙織を、彼は教壇からフクザツな心境で眺めていた。
「不二崎さん、最近、気分が悪いなーって思ったこととか、ないかな」
次の休み時間で、スキルテイカーは沙織を呼び出してそう聞いてみた。
「身体が痛むとか、そういうのでもいいんだ。何かあったら、先生に教えてくれよ」
アビリキィを数本、身体の中に挿入しているのだ。即座に神業化はしないとしても、何かしらの異常が出ないほうがおかしい。だが、沙織は一切表情を変えずにこう答えた。
「何もありません」
彼女がそう言うのだ。ならばスキルテイカーも『そうなんだ』と言うしかない。
前担任からの引継ぎ記録も確認したが、不二崎沙織が授業中に倒れただの、体調不良を訴えただのという記録は一切ない。一ヶ月前から急激な成績の向上が見られるとはあったが、それ以外の具体的な変化についてはまったく触れられていなかった。
他の児童にも聞いてみた。不二崎沙織に変わったところはなかったかと。だがわかったことといえば、急に絵が上手くなっただの、急にいろんな声を出せるようになっただの、急に体育の徒競走で抜かされるようになっただの、アビリキィの使用を裏付ける話は聞けたものの、彼女がそれによって害を被っているという話は一向に出てこなかった。
沙織がアビリキィを使用していること自体は、ほぼ疑いようがない。問題はそれを摘出する手段だ。
この一ヶ月の間、彼女に神業化の兆候が見られないことを考えると、やはり沙織が才能に依存している可能性は極めて低い。父親から無理やり開花させられた才能を、仕方なく使っている。そんなところだろう。
だが、意識を才能に乗っ取られていないだけであって、才能の開花に伴う代償はどこかしらに発生しているはずなのだ。汚染は進行している。早いうちに歯止めをかけなければ、沙織の身体は代償に耐え切れなくなるはずだ。
アビリキィの摘出には、意識と才能のつながりを断つ必要がある。今回そのプロセスに関してはほぼ問題ないと言える。だが、その際にはスキルテイカーはその鉤爪を、鍵穴に差し込む必要がある。スキルテイカー自身がアビリキィを使用している間は、鉤爪は使用できない。
つまりこの胡散臭い笑顔の変身を解く必要がある。それだけではない。鍵穴の正確な位置を把握しなければならないのだ。見たところ、沙織の身体に鍵穴状のアザは確認できない。まさか裸にひん剥いてみるわけにも行かず、職員室で『近々健康診断する予定ってありませんかね!』と爽やか笑顔で聞いてみたところ、隣の席の教師にドン引きされる始末であった。
ことを穏便に進めるために、現在は探りを入れている段階なのだが、まったく思わしくないというのが現在の状況である。そんなこんなのうちに、とうとう給食の時間になってしまうのであった。
「な、なんだこのプリンは……。色が茶色いぞ」
「ココアババロアだよ。先生知らねーの?」
「白米に青海苔が入っているぞ……!」
「先生、それわかめご飯です」
そもそもトレーの上におかずが三品以上並んでいるということ自体、スキルテイカーには到底信じがたい話であった。これが学校給食。これが文明的食事なのだ。長らく世間から遠ざかり、ゴミ箱の空き缶を漁って稼いだ日銭で一杯280円の牛鍋丼を一日一回の贅沢と楽しんでいたスキルテイカーにとって、国立小学校の学校給食は感動的ですらあった。
「真嶋先生、何笑顔で泣いてんの?」
「先生はね……。嬉しいんだよ……。こんな美味しいご飯を食べられることが……」
爽やか笑顔にぽろぽろと涙をこぼしながら、スキルテイカーは野菜スープに口をつける。
「先生、じゃあオレのニンジン……やるよ」
「それは受け取れない。好き嫌いはせずに食べなさい」
スキルテイカーは神妙な顔で紅い塊を皿に載せてきた杉並くんに、倍の量のニンジンを返してあげた。
班ごとに机を繋げて向き合って食べるのがこの小学校のルールだ。担任は日替わりで班を回るが、スキルテイカーはこの日、当然のように不二崎沙織のいる班と一緒に給食を食べることにした。他の生徒達がやんややんやと突っついてくる中、沙織だけは一人黙々と食べている。
引継ぎ記録を見る限り、沙織はクラス内で孤立しているわけではない。他の子と一緒に昼休みに外で遊ぶ姿は目撃されているし、他より勉強や運動ができるといっても、それが苛烈な嫉妬の対象になっているわけではなかった。スキルテイカーにとって、不二崎沙織はアビリキィの奪取対象でしかないのだが、その点においては多いに胸を撫で下ろしている。
「先生、家じゃまともにご飯食べてないんですか?」
沙織の隣に腰掛けた墨田さんが、小首をかしげる。
「奥さんいないの?」
「彼女は?」
「いないいない。先生は独り身なんだよ」
子供の純粋な好奇心は時として心を深く抉り取るが、ここでムキになるほどスキルテイカーガキんちょではない。しかし、彼の心情的にこの言葉攻めは割りとギリギリのラインであった。
「じゃあさー、お母さんは?」
杉並くんが何とはなしに言った一言である。その時、沙織がふと腕を止めたのを、スキルテイカーは見た。
不二崎家は確か父子家庭だ。沙織の母親で仁の妻である女性は、数年前に失踪している。何かの事件に巻き込まれたわけではないだろう。メガネの渡してくれた調査報告書には、沙織の母親が浮気をしていたらしいという事実までもきちんと記載されていた。
今から数年前のことである。物心がつき始めてまだ間もないころだ。母親が突然いなくなった事実は、おそらく沙織の心にも深い傷を遺しているはずだった。スキルテイカーは、この話題を早急に終わらせるべきだと判断する。
「いないよ」
さすがに、国立小学校に進学するだけあって、頭の悪い子はいない。その言葉の意味は、全員が瞬時に理解し、追及してくることはなかった。沙織も黙々と食事を再開する。
そう、不二崎家は父子家庭だ。一人娘である沙織は、父親に対してある程度の依存心を持っている可能性がある。スキルテイカーは考えた。もし沙織が、父親が自分に対してアビリキィを使用している事実を知っていた場合、どのように考えるだろう。
子供でもそれが正規の手段で開拓した才能でないとわかれば、後ろめたさは覚えるだろう。ズルはズル、チートはチートだ。増してや沙織が生来持つ頭の良さであれば。だからこそ沙織は事実を隠蔽する可能性がある。自分のためだけではなく、父親に対しても批難が飛び火しないためにもだ。
この依存心は極めて危険だ。先ほどまでスキルテイカーは、沙織に神業化の可能性は薄いと考えていたが、この父親への依存心がアビリキィへの執着心へと変化すれば、一気に可能性は高まる。その場合戦闘は避けられない。
業が深い。これらはすべてスキルテイカーの推察に過ぎないが、彼は消すことのできない薄ら笑いの奥で、憤りにも似た感情を覚えていた。
昼休みである。スキルテイカーは屋上にいた。
本来、この学校の屋上は解放されていない。スキルテイカーが無断で侵入したものだ。彼は自分の体内からアビリキィを引っ張り出し、ようやく薄気味悪い爽やかスマイルから開放された。双眸には真紅の光が戻る。どこからともなく取り出したボロ切れを羽織り腰を下ろすと、ようやく落ち着いた。
「ったく、どうしたもんかねぇ」
空には雲ひとつ快晴が広がる。が、スキルテイカーの心中は曇天であった。
正直、メガネから話を聞いたときは、学園に潜入できるならどうとでもなると思っていたのだ。故に、教師の偽造身分を作ってもらえたことは、面くらいこそはしたがありがたかった。アビリキィもあっさり回収できると思っていた。だが現実はそうも行かない。
沙織から穏便にアビリキィを奪うには、彼女自身の協力が不可欠だ。アビリキィによって体調不良が引き起こされているならば、それをきっかけに協力を仰ぐことができる、と、思っていたのだが。一度、父親への依存心の可能性が頭をよぎると、如何なる言葉を用いても彼女を説得する自信がなくなってしまう。
「随分と悩んでいるようね、スキルテイカー」
不意に、
鈴を転がすような声音が響き、スキルテイカーは振り返る。紅い双眸を細め、にらみつけた先。給水タンクの上にひとりの少女が腰掛けていた。ゴシックロリータ・ファッションに蒼い瞳。レース付きの日傘をくるくると回す仕草は、どこか楽しげでもある。
スキルテイカーは、低い声音で彼女の通称を呼んだ。
「チート売りの魔女」
「ごきげんよう。良い天気ね。まさか学校の先生になっているとは思わなかったわ」
「俺だってこんな日が来るなんて思ってなかったよ」
スキルテイカーの言葉はささくれ立っている。先ほどまで爽やかスマイルしか浮かべられなかった反動か、表情に宿る彼女への憎悪も三割り増しだ。
「不二崎仁に鍵を売ったのは事実か」
「えぇ、事実よ。そして不二崎が娘に鍵を使っているという、あなたの見立ても正しいわ」
わずかに笑顔を浮かべていた魔女だが、その表情が無味なものへと変化する。
「おまえのルールに反するんじゃないのか、魔女」
「そうかしら。私は可能性の開拓者よ。父親が娘に才能を授けたいという、純粋な思いに答えただけだわ」
「ふざけんな!」
スキルテイカーは拳を握って立ち上がる。にらみつけた先、チート売りの魔女も真顔で彼を見下ろしていた。
「何が純粋な思いだ! 父親が! 娘に! あんなおぞましいものを使うのか!」
「それが使うのよ。不二崎も全て理解した上でのことよ」
「娘を怪物にしたがる父親がどこにいる! 単なる親の自己満足だろうが! おまえはそんな奴に! 鍵を!」
「スキルテイカー」
魔女の言葉は、どこか荒涼とした響きを宿していた。
「相変わらずねスキルテイカー。潔癖で愚劣で傲慢だわ。自分の価値観を周囲に押し付けるのはやめたら? 私は不二崎のことが好きになれないけど、彼が娘を愛しているのは本当よ」
「信じられるか」
「ええ、信じられないでしょうね。スキルテイカー、あなたは人の心がわからないから」
その言葉を受けて、スキルテイカーの動きが止まる。チート売りの魔女に、そこで初めて笑みが戻った。だがその笑顔は、常に浮かべている厭世的で儚い、陽炎のようなものではなく、憐憫と嘲笑にわずかな怒りを込めたものであった。笑顔に睨まれて、スキルテイカーは身動きが取れない。
「本当に弱い者の心がわからない」
「黙れ……!」
「あなたは正義の味方であっても、弱者の味方ではないんだわ」
「黙れ……!」
「せっかく学校の先生になったんだから、少しは勉強したらどうかしら。その上でなお、不二崎のことを独善的なだけの救いがたい父親だと思えるかしら」
「くそっ、黙れ魔女!」
スキルテイカーは叫んだ。快晴の元、蒼い瞳と紅い瞳が激突する。
「例え誰が何を言おうと、俺のやることは変わらない! 鍵は全て奪う! これ以上、犠牲者を増やさないためにだ!」
「なら、好きにすると良いわ。スキルテイカー」
それだけ言って、魔女の姿は掻き消える。屋上にひとり残されたスキルテイカーの耳に、昼休みの終了間近を告げるチャイムが届いた。呆然と立ち尽くすスキルテイカーは、湧き上がる感情の暴走を、抑えきることができなかった。鉤爪の生えた右手に、ありったけの力を込めて、給水タンクを殴りつける。
「くそッ!!」
勢いよく噴き出す水に背を向けて、スキルテイカーは屋上をあとにした。
あとで修繕費を請求された。