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スキルテイカーとチート売りの魔女  作者: 鰤/牙
episode 1  スキルテイカーとチート売りの魔女
6/31

1-6 『業』

 スキルテイカーは、先輩の身体から抜き取った鍵を、ボロ切れの中にしまいこんだ。河川敷は静けさを取り戻したが、そこかしこに戦いの爪痕を生々しく遺す。それらこそが、つい先ほどまで繰り広げられていた現実離れした戦いを、唯一この世界に繋ぎとめていた。

 戦いは終わった。スキルテイカーはちらりと由莉奈を振り返った後、そのままどこかへ歩き出す。行ってしまう、と思った瞬間、由莉奈の身体は自然に動き、彼のボロ切れの裾を掴んでいた。これは未練だ。だがおそらく、ここで別れれば二度と、この怪物と顔を合わせることはない。


「なんだ」


 スキルテイカーはぶっきらぼうな声で振り返った。宵闇の中に、赤い双眸が光る。


「教えて。あなたはどうして鍵を集めるの? その鍵を何に使うの?」

「この鍵は、他の鍵を集めるために使う。どうして鍵を集めるのかは……」


 そう言って、スキルテイカーは視線を前に戻す。次の言葉が出てくるまでに、少しの間があった。


「やはり答えられない」

「あなたはずるい」


 由莉奈の言葉は、わずかに震えていた。今日は、感情を抑えきれないことが多い一日だ。それでも、堰を切って溢れ出す思いは止められない。


「その鍵がどんなに酷いものかっていうのはわかった。それでも、きっと欲しい人はたくさんいるはずなんだ。あなたは、そんな人たちすべてに、『おまえは努力が足りない』って言い続けるのか。そして自分は鍵を奪って、理由も話さず、ただひたすらに才能を集め続けるのか」

「………」

「努力が報われるならいくらでもする。どんな代償を支払ってでもいい。私は才能が欲しかった。自分よりあとに始めたみんなが、自分よりもっと遊んでいるみんなが、私よりどんどん強くなっていくのを、見ていられなかった」

「才能っていうのはそういうものだ」

「じゃあ、私はどうすればよかったんだ!」


 由莉奈の叫び声が、春先の冷たい空気を引き裂いた。夜中の荒川に人影はなく、ただひたすらに流れる水音と、風が芝生を凪いでいく音だけが、余韻として静かに残った。だが、由莉奈の叫びはそれだけでは終わらない。


「努力も才能もある人間に、凡才はどうやって追いつけばいい! 私は同じ土俵に上がることすらできなかった! どうすればいい!」


 弱々しい風が、スキルテイカーのボロ切れを弱々しくはためかせる。由莉奈の鬼気迫る表情を目の当たりにしてなお、怪物は棒立ちであった。


「答えてくれ、スキルテイカー!」


 スキルテイカーは、涙を溜めた由莉奈の瞳をじっと見据えた後に、今までにない優しい声で、こう言った。


「その道を選んだのは、おまえだ」


 その言葉を理解するのは、いや、由莉奈も最初から理解していただけに、その言葉を心に浸透させるには時間を要した。そんなことはわかっている。イヤなら、逃げれば良かった。一度は逃げたのだ。でも結局、捨てられる道ではなかった。

 苦難もある。葛藤もある。嫉妬もある。羨望もある。鉄の茨が生えた道であることは知っていた。それでもこの道を選んだのは、他ならぬ茅ヶ崎由莉奈自身である。だが、


「その言葉は、ずるいよ……」

「だろうな。だが俺はこうとしか言えない。もっとおまえに向いているものはたくさんある。それをやると言うなら応援しよう。その道に生きられるなら、それもそれできっと幸せな人生だろう。だがそれに背を向けて、その道を選んだのはおまえだ。勝てない勝負でも、選んだのはおまえだ」


 そう、由莉奈の人生には退路が用意されている。これほど残酷なことはなかった。安全な道も、容易な道も、目の前に出現した数ある選択肢も、由莉奈は選ばない。もっとも困難な道を選んだのは自分であるからこそ、彼女には誰かを恨む権利はない。すべてを納得ずくで選択したのは、由莉奈なのだ。

 故に、その言葉はずるかった。だが、ここで首を横に振ることは、それ自体が選択した道に対する侮辱である。どれほど地に落ち泥にまみれようと、その選択は自分がしたものであるという、その一点だけは誇りとして持っておかなければならなかった。


「もういいか」


 スキルテイカーはそれだけ言って、未だに裾をつかむ由莉奈の手を振り払う。

 疑問は尽きない。憤りは尽きない。だが由莉奈はそれ以上、言葉にすることはなかった。本当に知りたかったことを、スキルテイカーは答えてくれない。きっと、彼もわからないのだ。残酷な現実からもっとも目をそらしたがっているのは、実はスキルテイカー自身なのかもしれない。

 そう思ったからこそ、由莉奈は黙ってスキルテイカーを見送ることにした。


 ただし、ささやかな報復は必要だろう。


「スキルテイカー、牛鍋丼、ごちそうさま」

「おう」

「10円足りなかったけど」

「なんだと」


 怪物は、如実に狼狽しながら振り返った。


「別に10円くらい私は気にしてないんだけど。うん、牛鍋丼ごちそうさま」

「くっ……くそっ……!」


 スキルテイカーは震えながら懐をまさぐり、おそらく10円玉であろう硬化を取り出すと、怒りに任せてそれを叩きつけた。


「気にしないって言ったのに」

「うるせぇ! じゃあな! もう来ねぇよ!」


 のしのしと河川敷を去っていく怪物の背中に、つい先ほどまで見せていた威厳のようなものは、欠片も見当たらなかった。





 茅ヶ崎由莉奈の日常は平凡なものに戻った。いや、平凡でなかったのは、結局のところたった一日だけだったのだが。それでも、長い一日だった。あのあと由莉奈は気絶した先輩を背負って彼の部屋まで行き、扉が壊れているのを思い出して途方にくれた。気絶した彼をあの部屋に放り込むのも気が引けて、渋々自分の部屋まで連れて行き、布団をかけ、自分は駅前のネットカフェに泊まった。翌朝おそるおそる家に帰ってみると、すでに先輩はいなかった。

 翌日は日曜日である。由莉奈は先輩の家をたずねる気にも、かと言ってテニスコートまで出向く気にもなれず、しかし部屋の中で一日過ごすつもりにもなれなかったので、仕方なくひとり都心の方にぶらぶらと出かけた。いくつかの格闘技のジムを回った後、最終的には新品の稽古着だけを買って帰った。


 で、翌週である。


 由莉奈は稽古着をバッグに詰めて、大学に行った。講義の合間を縫って、今度は格闘技系のサークルをいくつか回った。その折である。もはやサークルメンバーの誰もが使っていないテニスコートで、先輩の姿を見かけた。


「やぁ、ユリちゃん」


 先輩もこちらに気づき、にこやかな笑顔で迎えてくれる。


「ユリちゃん、結局、空手やるんだねぇ」


 先輩の視線が、やたらと大きなバッグにいったので、由莉奈はついつい恥ずかしくなる。


「空手と決めてはいませんけど。まぁ。のんびりやります」

「そうかぁ。俺も、アレだよ。ようやくテニスをはじめる気になれたよ」

「そうですか。先輩も……えっ?」


 なんだか信じられない言葉を聞いたような気がして、由莉奈は思わず聞き返していた。

 テニスをはじめる気になれた、と言ったか。それは、日本語的に考えると、今までテニスをやったことがなかった、と受け取ることができるのだが。どうだろう。由莉奈は自身の笑顔が妙に引きつるのを感じながら、おそるおそる、たずねることにした。


「先輩、テニスの経験は……?」

「鍵で才能をこじ開けられて、テニスコートに行ったのが初めてだなぁ。自分でも驚くくらい強くなってたよ。一度もやったことがないのに、元プロのコーチを圧倒しちゃったからねぇ」


 まさか。


「あのテニスラケットと賞状は?」

「いや、テニスやったらモテるかなぁと思って買ったんだけどね? 結局、俺も根性なくってさぁ。賞状はテニスと関係ないよ。あれは交通安全標語の知事賞のやつだよ。小学校5年だったかな? そんくらいの時の」


 もしや。


「どうして鍵が欲しかったんですか……?」

「そりゃあ、テニス上手くできたらカッコいいからだよ。カッコ良かったでしょ? 惚れちゃいそうだった?」


 よもや。


 由莉奈は全身から力が抜けるのを感じ、その後、ふつふつと怒りに似た感情が沸き上がってくるのを感じた。

 ああ、認めよう。すべては勘違いだ。確かに自分は、先輩の口から何かを直接問いただしたことはなかった。勝手に自分の同類だと思い込んで、勝手に同情して、勝手に尊敬して、勝手にかばった挙句、勝手にひとり感情を高ぶらせて暴走し今は再び格闘技をはじめるつもりになっている。なんということだ。私はピエロか。


 チート売りの魔女は、才能を強く欲する者のもとへ現れるのだという。そしてあの夜、魔女の本命は、間違いなく先輩であった。由莉奈の空手への執着は、こんなヘラヘラした男のナンパな感情に負けたのだ。それを思うと、情けないやら悔しいやら、入り混じったドス黒い感情が、由莉奈の笑顔を鬼と歪める。


「ゆ、ユリちゃん……? なんか、怖いんだけど……」

「先輩は悪くありません。悪くありませんよ。ただもう話しかけないでください」

「えっ、ユリちゃん? なんで!?」


 由莉奈は鬼の笑顔を浮かべたまま、のしのしとテニスコートをあとにする。背後で先輩が何か言っていたが、もう聞こえなかった。


 スキルテイカーは『ワザを奪う』と言った。だが見ても見よ。彼が奪えたのはワザだけだ。人間のゴウなどそう簡単に奪えやしない。いっそ一緒に持って行ってくれれば、どんなに楽であったことだろうか。


 強くなろう。強くなるしかない。

 自分には才能はないかもしれないが。どれだけ時間がかかるかはわからないが。この情けなさと悔しさを払拭し、中途半端な未練しか持つことのできなかった自分に喝を入れるためには、もう強くなるしかない。茨の道でも知ったことか。もう二度と、この気持ちが誰かに負けることのないように。


 茅ヶ崎由莉奈は拳を固めて、空手サークルの門を叩いた。

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