5-4 『吐露』
杉浦エイカは、才能に恵まれた少女であった。
運動も勉強も人一倍できたし、それを鼻にかけることも決してなかった。マサキが思う限り、実のところサッカーはヨウスケより上手かったはずだし、頭はシュンサクより良かったはずだし、歌はレイナより、料理はユカリよりも優れていた。単純に、そのあたりを表に出さないよう務めていただけだったのではないか。
彼女の常に落ち着き払った態度は、マサキにとっては憧れだった。仲間たちのお祭り騒ぎにも積極的に関わりながら、その視点だけはいつも一歩退いていた。ちょっとしたハプニングが起きた時、エイカの指示ですぐに切り抜けられたことも、一度や二度ではない。憧憬は、歳を経るにつれていつしか別の感情を伴い、マサキは次第に異性として、杉浦エイカに強く惹かれるようになっていた。
言葉や態度に示したことは、一度としてない。
エイカの立っている場所は、マサキからすればあまりにも遠く、眩しかった。
改めて意識をしたのは、ほんの数日前。ヨウスケやシュンサクとの会話の中だった。ヨウスケが、『エイカに告白する』と言ったとき、マサキは自分の中に膨らむどろどろとした感情を自覚したのだ。てっきりヨウスケは、口うるさいエイカのことが嫌いだと思っていた。だから、それを聞いたときは、驚きと胸騒ぎが同時に去来した。
ヨウスケは、マサキからしてみれば立派な友人である。将来有望な才能人であった。マサキが逆立ちしても勝てる相手ではない。そんな彼が、エイカに告白をすると聞いたとき、マサキは確かに足がすくんだ。手も足も出ないままに、彼女を取られてしまうのではないか、という、恐怖があった。
結局のところ、
眞島マサキが才能を欲した〝裏〟の理由とは、それである。
友人たちと肩を並べるに足る人物になりたいという思いは、確かにあった。だが、それだけではなかったのだ。
ヨウスケにエイカを取られたくはなかった。彼と正面から戦えるような場所に立ちたかった。最初にそう思っていて、才能を次々と体内に宿していく内、今度はエイカと直接張り合えるような、いや、エイカを更に超えられるような人間になりたいと、思うようになっていた。
人間の欲望は深く、果てしない。
マサキの場合、それは常に杉浦エイカに根ざした感情であった。彼女に認められたいという想いがあった。それゆえのもがきである。才能をかき集め、鍵を体内に宿し、いつしかエイカに振り向いてもらえる日が来るのだと、本気で思っていた。彼女の涼やかな微笑みが、自分にだけ向けられる日が来るかも知れないと、本気で期待していた。
それなのに、
なぜ、
彼女の瞳は、
こんなにも、
冷たいのだろうか。
「どうして、エイカがこんなところにいるんだよ……」
「愚かなことをしたわね、マサキ」
彼の問いには答えず、エイカは憐憫と侮蔑を込めた冷淡な声で、そう告げた。
「あなたがどんなつもりで鍵を求めたかしらないけれど、それは本来あなたの持つべき才能ではないわ」
その言葉を聞いて、理解したことがひとつ。杉浦エイカは、確かに眞島マサキが憧れたままの、彼女であった。清廉にして沈着、あらゆる物事に対して常に公平なエイカの態度は、残酷なまでに彼女であった。
だが、それだけでは、彼女がここにいる理由には繋がらない。
エイカは何を知り、そして何故ここにいるのか。
彼女が手にした、アビリキィとも異なる歪な形状の鍵とは何なのか。
マサキの全身に熱が奔る。身体中に収めたアビリキィが火照る。感情の昂りと混乱が、才能の制御を妨げる感覚があった。
「だからマサキ、あなたの〝業〟を奪う」
とにかく、エイカは本気だ。本気でマサキからアビリキィを〝奪う〟つもりなのだ。そのようなことが出来るのか、という疑問は無意味だろう。エイカは、言葉数は少なくとも有言を違えたことはなく、マサキはそんな彼女が好きだったから。
彼女の罪人を見るかのような目が、マサキには耐えられなかった。なぜ、才能を奪われなければならない。なぜ、エイカはわかってくれない。手に入らなかったものを求めるというのは、そんなに悪いことだったのだろうか?
マサキの困惑を目の当たりにしても、エイカは顔色ひとつ変える様子を見せなかった。
「……あなたは、そんなに才能が欲しかったの?」
抑揚の薄い声で、彼女が尋ねる。マサキはいよいよ、エイカのことを直視できなくなった。才能を持たず、ただ焦がれていた時よりも一層惨めな気持ちが、彼に襲いかかる。
そう、才能が欲しかった。立派な人間になりたかった。優秀な男になりたかった。目の前にいる彼女に、振り向いてもらいたかった。しかし、彼女がマサキに向けるのは、冷淡な軽蔑の視線だ。こんなものを望んでいたわけではない。
「しょせん借り物の才能で、胸を張れるような人間になれると、あなたは本気で思っていたの?」
エイカの言葉が胸をえぐる。彼女が〝立派な人間〟だからこそ吐ける、正論だった。
どんなに才能を手にし、それを誇示したところで、それは確かにマサキ本人の力ではない。安易な手段によって手に入れた、借り物の力に過ぎない。それで彼女たちと並べる人間になったと思い込もうなどというのは、浅薄だ。まるで自分の愚かさを、見透かされたかのような感覚があった。
しかし、それは、
それでは、どうあがいても、自分は、
「マサキ、あなたは……」
「黙れよ!!」
口をついて出た言葉は、心の悲鳴だ。それは絶叫にも近かった。マサキは、自分がこんな言葉をエイカに浴びせる日が来るなんて、思ってもいなかった。
果たしてそれは、彼女も同じであったのかもしれない。目を丸くしたエイカの表情には、驚きの感情が浮かんでいる。
「黙れよ、エイカ! お前に何がわかるんだよ! お前に、誰よりも、人一倍才能に恵まれたお前に!」
「マサ……」
「正論を吐いてりゃ満足なんだろう! お前みたいな天才は、人の心が、わからないからな!」
エイカの表情が、くしゃりと歪んだのだ。それは、眞島マサキが今まで一度も見たことのない、彼女の顔だった。湧き上がる哀しみと憤りを必死にこらえ、しかしそれを隠しきれていない顔。いつも悠然としたエイカが、そのような感情を持て余すなど、考えたこともなかった。
マサキは先ほど自分が吐いた言葉を、おそらくは一生にわたって後悔するだろう。だが、鯉口を切った言葉の刃は、留まることを知らない。
「借り物の才能でも欲しかったんだ! 俺のじゃない力でも欲しかったんだよ! じゃなきゃ自信が持てなかったんだ! 才能が余ってるなら、くれよ! 分けてくれよ! でなきゃ俺は、俺は、エイカと! 釣り合いも……!」
台詞の後半は、涙混じりに震えていた。エイカは目を見開く。
「私は……」
彼女は片手に持った不思議な形状の鍵を見つめ、そして視線を再びマサキに向けて、しばらく目をつむってから、やがて意を決したように開く。いつもの悠然とした顔つきでも、先ほどの冷淡な顔つきでもない。ただ、悲壮な決意を握り締めた少女の顔だった。
「それでも、あなたの〝業〟を奪う」
残酷な宣告。エイカは鍵を握り締め、マサキへと歩み寄る。
「い、嫌だ! 嫌だ! やめてくれよ、やめてくれよぉ!」
マサキは情けない声をあげて、後ろへ下がる。だが、歩幅の小さいはずのエイカが、どんどんと近寄ってきた。やがて壁際に追いやられたマサキに対して、彼女は躊躇なく鍵のブレード部分を突き立てる。
「あぐぁっ……!」
血は出ない。しかし、皮膚の内面をまさぐられるような、不愉快な感覚が全身を這った。
エイカが鍵を引き抜くと、ちゃりん、という軽い金属音がして、マサキの身体からアビリキィが抜けた。一本だけではない。続けざまに、数本。いや、マサキが体内に宿していたアビリキィが、根こそぎ抜け落ちていく。
彼女の持っている鍵は、そんなことができるのか、などと、驚愕している余裕は、もはや彼にはない。だが、ここでエイカに何かしらの抵抗ができるかと言えば、それもまた無理な話であった。マサキはただただ、力なく呻く。
「返してくれよ……。俺の、俺の……鍵……」
「あなたのものではないわ」
落ちた鍵を拾いながら、魔女は言う。
「鳥野には、」
言葉には、いつもその男が施設を訪れたときに呼ぶときとはまるで異なる、強い敵愾心がこもっていた。
「鳥野には、なんて言われたの。アビリキィについて」
「才能を拓く、鍵だって……言われて……」
「それだけ?」
「それ、だけ……」
「そう、」
答えながら、マサキは自分の意識に霞がかかっていくのを感じていた。頭が朦朧とし、深く物事を考えられない。思考が鈍り、対照的に身体が火照る。心臓が徐々に早鐘を打つのがわかった。身体の中で、〝才能〟の疼く感覚があった。
「なら、私からも話すつもりはないけれど、でもマサキ、ひとつだけ聞いて」
マサキの身体の異常は表面化しない。エイカも最初は気づいた様子を見せなかった。壁に背をあずけながらへたり込む、彼の頬をそっと撫でながら、しゃがんで視線を合わせ、そして続ける。
「ねぇ、マサキ。あなたはさっき、才能がなければ自信が持てないとか、釣り合わないとか、そんなことを言っていたけれど。でもね、マサキ、私は、例えあなたに才能があったとしても、なかったとしても……」
次の言葉を待つことは、マサキにはできなかった。どくん、と、一際マサキの心臓が大きな脈動を見せる。身体が熱く、対照的に意識が凍えていく。眞島マサキの思考が、這い上がってきた〝何者か〟に飲み込まれるような感覚があった。そこに来てようやく、エイカも気づく。
「マサキ……!?」
「うっ、ぐ……あっ、あああああっ!」
「嘘、鍵は、全部抜いたはず……」
エイカが珍しく狼狽を見せる。直後、マサキの意識は完全に〝才能〟に支配された。
◆ ◆ ◆
「私のマスターキーよ。返しなさい、スキルテイカー」
魔女の表情には怒気が濃い。彼女のこうした表情は滅多に見ないので、スキルテイカーからしてみれば痛快だった。
「何言ってるんだ。俺だってずっとこいつが欲しかったんだ」
「二本持っていてもしょうがないでしょう」
「少なくとも、これ以上おまえとくだらねぇ鬼ごっこをしなくて済む」
〝匠鍵〟と呼ばれるものが、業鍵には存在する。
用途はいろいろだ。名前からイメージできるとおり、相手に埋め込まれたアビリキィを無理やり引きずり出すことは、もちろんできる。体内に宿したアビリキィの活性化をある程度制御することもできる。スキルテイカーが持つマスターキーの使い道は主にこの二つだ。スキルテイカーの鉤爪は、〝強奪〟のスキルとマスターキーの効果の複合によって形成された器官である。
そして、マスターキーの用途はもうひとつ。
使用者本人の才能の〝合鍵〟を作り出すこともできる。魔女の使い道がこれだ。
魔女が売りさばく〝チート〟とは、すなわち彼女自身が持つ才能の合鍵にほかならない。故に、マスターキーを手放した彼女には、もはや予め用意したストック分のアビリキィしか残されていないのだ。いずれ〝チート売りの魔女〟は、廃業に追い込まれる。
「先に手放そうとしたのはそっちだろ。なんて顔してんだよ」
スキルテイカーは笑った。
魔女は、笹木チサトの要求に答えようとした。すなわち、〝彼〟のようになりたいという要求に。そう聞いたときの彼女の心境など、スキルテイカーには知る手立てがない。だが、魔女の性格を考えれば反対しても良さそうなものだった。何を考えてかそれを受け入れ、チサトにマスターキーを埋め込んで、第二の怪物を生み出そうとしたのは魔女自身だ。
おそらく、スキルテイカーがそうであったように、魔女もわからなくなっていたのだろうな、と、彼は判断した。なぜ自分がかたくななに、〝才能を与える怪物〟で有り続けたのかを。かつての生き様と思想を殺し、魔女として生きる決意をしたのかを。
「ササキ!」
睨み合う二人の横を擦りぬけるようにして、少女が駆けていった。
「あ、おいショウコ! 隠れてろって言ったろ!」
「うん、隠れてる隠れてる!」
呆然としたチサトの手を引っ張るようにして、ショウコはそそくさと物陰に引っ込んでいく。毒気を抜かれつつ、スキルテイカーは頭を掻いた。できることなら、先に彼女からアビリキィを抜いておきたかったところだが、状況が許してくれそうにない。まぁ、ショウコがなんとかチサトのことをなだめすかしていてくれれば、後で鍵を引っこ抜く作業もやりやすくなるのではないか。
ショウコが失敗するとは思っていない。が、彼女はまだ読みにくいところがあって、チサトのやり方を肯定してしまう可能性があるのが、気がかりと言えば気がかりだ。そこは、ショウコが〝友達〟である自分の立場も立ててくれることを、期待するしかない。
「……良い子ね」
ぽつりと、魔女が呟く。ショウコのことだ。
「そうだろう。自慢の友達だ」
「チサトの気持ちもわかるわ」
「笹木の気持ちか」
妙に含みのある魔女の言葉に、スキルテイカーは相槌を打った。
笹木チサトは、まるで過去の眞島マサキと同じである。友人に憧れるあまり、彼女と並び立つにふさわしい人間になろうと、才能を欲した。だがしょせん、人間は業突張りな魔物である。徐々に露になっていく〝裏〟の感情に、おそらく魔女も気づいていただろう。魔女は、かつての眞島マサキの叫びを知っているから。
並び立つだけでは満足できなくなる。頼られたいと思ってしまう。だがきっと、マスターキーを手に入れて、二人目のスキルテイカーとなったところで、チサトは満足しないだろう。次にオモテになる〝裏〟は、もっと根深く、おどろおどろしい。
「おまえはわかっているわけだ。そんな笹木の変化も」
「当然でしょう。私は、人間の欲望と愚かさを愛しているのよ」
「ふん」
スキルテイカーは鼻で笑う。
「なにかしら」
「人の心がわからない天才様のおまえが、欲望の理解者であるかのように振舞ってるのがおかしくってしょうがないって話だよ」
魔女の顔に、さっと陰りが差す。もとから陽のような明るさとは無縁の彼女ではあったが、月明かりの神秘性までもが消え失せて、この一瞬だけはドス黒い闇の色に染まった。スキルテイカーは、次の言葉を発するべきか、一瞬迷う。
スキルテイカーは、人の心がわからない。だがどういうわけか、魔女の本心には察しがついていた。滑稽なのは、魔女自身がそれに気づいていないかのように振舞っていることだ。指摘して溜飲が下るかと言えば、まぁ、大いに下るだろう。だが、これを指摘することは、〝彼女〟の、
いや、いいか。
最終的に、スキルテイカーは腹をくくった。
ああそうだ。言ってしまえ。どうせ自分は、眞島マサキではない。そして相手も、杉浦エイカではないのだ。
「いいか、魔女。おまえが愛しているのは人間の愚かさなんかじゃない。それは単なる代替行為だ。埋め合わせなんだよ!」
チート売りの魔女の表情が、さっと変わるのを、スキルテイカーは見逃さない。
「いいか、魔女! 気づいてないようなら教えてやるぞ! 愚かな人間が好きなわけじゃない! 人間の欲望が好きなわけじゃない! おまえは清廉な奴だったからな! おまえが! 過去のクライアントに重ねていたのはだな! あの! 愚かで欲望にまみれた、」
「スキルテイカー!」
魔女の叫びは、かつてないほどの大音声で、夕方の公園に響き渡った。鬼のような形相をした彼女の様子を見て、スキルテイカーは更に笑う。
「スキルテイカー! あなたがデリカシーのない人だとは知っていたけど、ここまでだとは思わなかったわ!!」
「俺も、おまえがそんなに怒りやすい奴だとは思わなかったよ」
長い付き合いのはずなんだけどな、と心の中で付け加える。
魔女の周囲に、ぼうっと青白い炎が浮かび上がる。マスターキーがない以上、彼女は新しいアビリキィを生み出せない。だが、彼女自身が才能の怪物のようなものだ。自分のアビリキィと、自分の才能を同調させた場合に発露する〝業〟の度合いは、当然計り知れない。
彼女は力尽くでアビリキィを奪いに来るつもりなのだ。分の悪い勝負だが、スキルテイカーは受けざるを得ない。
魔女は吐き捨てるように言った。
「あなたのことが、嫌いよ」
「ああ、俺もだよ」
二人は視線を交え、どちらからということもなく、公園の砂を蹴った。
チサトはショウコに遊具の影へと連れ込まれた。相変わらず呼吸は荒いが、身体の調子はだいぶ安定している。
どうも表では、スキルテイカーと魔女の戦いが始まってしまったらしい。あの五味くんが、都市伝説の怪物〝スキルテイカー〟であり、なおかつショウコの友人のひとりであるという三つの要素が、いまいちチサトの中では一本の線で繋がらない。ただ、漠然と妬ましく思う気持ちがあって、それが余計に、チサトの自己嫌悪を募らせた。
「ササキ、大丈夫?」
「ショウコ、ちゃん……」
チサトは、ショウコに目を合わせようとしなかった。正体不明の後ろめたさがあった。だがショウコは、それ以上声をかけずに、辛抱強くチサトの言葉を待っている。
ショウコの沈黙が、チサトにとっては何よりも恐ろしかった。何度も言葉を発しようとし、えずき、つまづいてから、震える声がようやく形を成す。
「ショウコちゃん、あの、えっと……、怒ってる?」
「ぼくは怒ってないヨ。ただ心配なだけ」
ショウコはにこりと笑って答えた。
「だって、ササキが鍵を使ったのは、ぼくのためなんでしょ? 嬉しいけど、怒ったりはしないよ」
予想外の言葉に、チサトは目を丸くする。
「でも、軽蔑したでしょ……?」
「してないよ。ササキが、ぼくのためを思ってしてくれた決断なら、ぼくはそれを否定できないよ」
なぜ、そんなに。
優しい言葉をかけてくれるのか。
知っている。雨宮ショウコとはそういう子なのだ。チサトの大好きな友達というのは、そういう子なのだ。いつもこちらの望むことを言ってくれる。こちらの意思を尊重してくれる。それはその場限りのものでもないし、決して軽率な判断などでもない。ショウコは常に本気なのだ。
「違う」
チサトは思った。自分は、そんなに立派な人間ではない。
確かに鍵を求めたのはショウコのためだった。だが、ショウコのためであり、ショウコのためではなかった。チサトは、徐々に表になっていく自分の〝裏〟の感情を、とうとう掘り当てる。彼女の友人としてふさわしい人間になるために、彼女に頼られるような人間になるために、もちろんその気持ちは嘘ではない。だが決して真実ではなかった。
「違うの、ショウコちゃん」
震える声で、チサトは吐露した。
「私っ……! 本当は、ショウコちゃんに、私だけを見てもらいたくて! ずっとずっと、私だけを見てもらいたくて! でも、ショウコちゃんには色んな友達がいるから、その友達が、みんな羨ましくって、それで!」
言ってしまった。あるいは、気づいてしまったと言うべきなのか。ショウコは〝友達〟だ。それに変わりはなく、嘘偽りはない。だが、時として友情にも深い独占欲が発生することを、チサトはいまこの瞬間まで知らなかったのである。ショウコの友人の誰よりも、優れた人間にならなければならなかった。いつどのような状況でも、彼女が自分だけを頼ってくれるような、そんな人間にならなければならなかった。
本当は、言いたくなんかなかった。気づきたくなんかなかった。自分の感情をすべてむき出しにして、なお平然とできるほど、チサトは強い人間ではない。でも、言わなければならなかった。仮面をかぶったままでは、ショウコとは向き合えない。
ショウコはにこりと笑って、このように答えた。
「うん、知ってたよ」
「ショウコちゃん……?」
「友達が、ほかの知らない友達と喋ったりしてると、ちょっとイラッとするよね。恋人とか、そんなんじゃなくてもさ。だから、ササキのことをよく考えなかった、ぼくの責任かもしれない。ごめんね」
チサトの心が震える。
謝らないで欲しかった。認めないで欲しかった。こんな醜い自分のことを、いっそ罵って欲しかった。そんな言葉をかけられてなお、強く〝自分〟を保てるほどに、チサトは立派な人間ではないのだ。人はみな、業突張りな魔物である。
身体が火照る。意識が霞む。欲望が弾けて、才能が暴れる。
〝才能〟に身体を乗っ取られたものの末路を、チサトは魔女から聞かされていた。
やだ、やだ、やだ、やだ。必死で頭を振る。そんな風にはなりたくない。あんな風にはなりたくない。ショウコの目の前で、〝怪物〟になんかなりたくない。しかしどんなに否定したところで、堰を切って溢れ出た感情は、もはや止める手立てがない。
「ササキ……」
ショウコの声は穏やかだった。これから何が起ころうとしているのか、すべてを見通しているかのような態度だった。
「あっ……う、ああああああああっ!」
笹木チサトの全身から溢れ出した〝業〟の奔流は、やがて目の前の少女ひとりを飲み込んで、巨大な怪物へと姿を変えた。




