4ー4 『発覚』
インタビュー記事には、『命の使い道』と銘打たれていた。いささか不自然で、仰々しい煽りではある。
榎本霧子博士が、日本に帰国した頃に行われたインタビューだ。いわゆる神童、才子ブームの真っ只中であって、かつてそのように呼ばれた榎本博士にもスポットが当たった。この頃の日本では、天才児が海外留学するなど当たり前のようになっていて、数年後の更なる技術発展に期待が寄せられていたのを、スキルテイカーもよく覚えている。
結局のところ、期待されていたほどの技術発展は起こらなかったように思うが、それでも通信分野を中心にテクノロジーはそこそこ劇的な変化を遂げた。まぁ、スキルテイカーは情勢の変化というものにさほど興味がないので、詳しいことはわからない。
その影に、榎本博士の活躍がどれほどあったのかも、わからない。彼女の専攻は量子力学だ。スキルテイカーの生活にどういった形で関わってくる学問であるのかを、彼は知らない。
ただし、およそ5年前、期待を込めて故郷日本の大学へと招かれた博士が、研究にどれほどの意気込みをかけているのか。それを察するために、スキルテイカーは記事を読んだ。
いわく、人生は限られている。それを知っている人間は多いが、残された命を量り、有効に活用することを知ろうとする人間は少ない。
おおよその場合、多くて100年に満たない人生である。人間が遺せるものはたかがしれている。博士は、余裕があるなら結婚して後世に子供を遺すことも考えるが、それ以上にやはり、自らの研究を形にしてこそだと、インタビューの中で語っていた。残り何年かはわからない命の使い道は、最優先でそこにあると。
「………」
スキルテイカーは、人の気持ちがわからない。ゆえに、そういうものか、と思った。
記事の中の榎本博士は、それなりに情熱的な人物だった。本来ならば、こうしたインタビューに答えている時間すらも惜しい、もっともっと研究に当てたいというようなことを臆面もなく語って、記者を苦笑させていた。時間を割いてインタビューに答えているのは、自分の研究を、もっといろんな人に認知してもらいたいからだとも言った。
研究者としてはいささか我の強い部分があることは自覚していると言う。ただ、幼少期から神童ともてはやされた彼女は、密やかにプライドが高かった。アメリカで師事していた恩師の研究を、恩師亡き後にも引き継ぎ、できることならば自らの手で完成させ、世間に公表したいと言っていた。
ただただ、自らの存在を証しとして遺す。自らの成した〝業〟を、より多くの人に知ってもらう。そのためならば、いかなる犠牲も払うと榎本博士は語った。
スキルテイカーは思う。これほどまでに情熱的な人物がアビリキィを欲するのであれば、それはやはり、研究に関係することそのものなのではないだろうか。凡人には理解できない、才子ゆえに才能を欲する気持ちが、博士の中にはあったのではないだろうか。
スキルテイカーは、今まで様々な人間に会ってきた。
一度は背を向けた夢を諦めきれず、再び才能を欲したもの。
愛する父の気持ちを受け入れるため、望みもしない才能を覚悟したもの。
そして、ほんの些細なのぞみを叶えるために、分不相応な才能に焦がれてしまったもの。
榎本博士の願望は、おそらくそのいずれとも異質なものだ。
やはり、会ってみなければならないか。
スキルテイカーはそのように思いながらも、榎本博士に対して抱いていた不審感を、払拭することに成功していた。博士が安易に、才能を欲するだけの人間であるとは思えない。無論、アビリキィを有している以上、そのままにはできないが、ただいたずらに自分を怪物化させるような愚かな人物でないのならば、交渉の余地はあるのではないか。
スキルテイカーは、人間の高潔さを信じている。だが、時として人の低俗さに、限りない善性を持ち合わせている人間があることを、彼は知った。低俗であることは、必ずしも悪ではないはずだ。
それに、そう、榎本博士には支えてくれる人間がいる。もし鍵を奪われたことによる喪失感が彼女を襲うことがあったとしても、きっと再スタートを切ることはできるはずだ。
この時スキルテイカーは、人類の善性を信じることで自らの正当性を立証しようと試みていた。幼稚でみっともない思考ではある。そしてそれは、彼が最後まで信じようとした愚かな友人と、極めて酷似した考え方であることを、スキルテイカーは思いもついていないだろう。甘ったれた優しさは、時として伝染する。
「よし……」
スキルテイカーが、資料を片手にファミレスの席を立ち上がった、その時だ。
「なーにが『よし』ッスか」
背後からそのように声をかけられた。
「なんだナオテルか。調べ物は済んだのか?」
「まぁそれなりにね。私で悪かったッスね。なんか決心を固めてたみたいッスけど?」
輝は半眼でスキルテイカーを睨みながら、テーブルの上に放置された飲みかけのオレンジジュースへ手をつけた。
「まぁ、方向性はな」
「ふーん」
ちゅー、とジュースで喉を潤す輝の態度は、どこかしら不機嫌に見える。
「なんかあったのか、おっぱいエスパー」
「取り立てて何も。まぁいいッスよ。博士に会いにいくんスね。研究所に忍び込むと」
「ガード、ザルって言ってたろ」
「戦力的な意味であって、セキュリティ的な意味じゃないッスよ。穏便に済ませるならクレバーにやんないと。あんたじゃ無理でしょ」
輝が辛辣なことを言うのは、今に始まったことではない。だいたいこうした分析は、遠視や読心に優れた彼女であればこそなかなか外さないので、スキルテイカーは素直に考え込んだ。
潜入に適したアビリキィがないわけではないが、例えば姿を消すであるとか、身体を小さくするであるとか、そこまで都合のいいものは今のところ手中にない。せいぜい動きを敏捷にしたり手先を器用にしたりするくらいだ。研究施設の壁や、建物の内側に入るのはまた異なる。
「手伝ってあげましょうか」
ジュースを飲みながら、輝は意外な申し出をしてきた。
「なに?」
「追加料金は要らないッスよ。あくまで中に運ぶだけね。最初の約束通り、ドンパチには混ざらないんで」
「どういう風の吹き回しだ。おっぱいエスパー」
「なんだっていいでしょうに。わたしはね、これ以上あんたに貴重な時間をダラダラ拘束されんのが嫌なんスよ。とっとと片付けてくださいよ」
まぁ嘘をつく理由もないだろうし、輝がそう言うのならばそうなのだろう。ならば、好意に甘えるか。
スキルテイカーがそう思った時だ。
「あのう……お客様……」
席を立ったまま、不穏な会話を繰り広げる二人に対して、ウェイトレスが言いにくそうに割り込んできた。
二人はすぐにファミレスを出た。
直輝の超能力は死ぬほど便利だ。当然のように、彼女はテレポーティションも使うことができた。大脳新皮質に由来すると言われるこのワザは、本人曰く『ちゃんと意識しないと内臓とか置き忘れる』ほど危険なモノらしいのだが、その割に彼女は、ホイホイと使う。
スキルテイカーと輝はテレポートにて潜入するため、研究所の裏側に回り込んだ。高い壁が取り囲む、さほど大きくもない施設だが、築5年程度ということもあって、建物自体は非常に真新しい印象を受ける。そろそろ日が沈みかけていたが、施設内はそこかしこに明かりがついているのを確認できた。
「で、調べ物って何を調べていたんだ?」
「秘密ッス秘密。まぁなんだっていいでしょ」
輝が何かを秘密にすることは珍しいが、珍しいだけあってよほどのことでも口を割らない。あちらはこちらの心を読めるのに、不公平だ、とは思う。
まぁ、テレポートで中に連れて行ってくれるならそれがベストだ。榎本博士は、どうやら研究室にひとりでこもって論文を仕上げているらしいし、上手くすれば誰にも気づかれず博士と直接交渉ができる。周囲に情報が漏れないシチュエーションで話ができるのならば、それがベストだ。アビリキィを使っているという事実を、博士も他に知られたくはないだろう。
「ねぇ、スキルテイカー」
突入前の準備運動か、屈伸やストレッチを繰り返しながら、輝が言った。投げやりな仕草で胸元が乱暴に揺れる。
「博士との交渉って何やるんスか」
それは、駒場の時と同じだ。相手の事情を聞き、博士に返す意思を確認でき、こちらが相手の示す条件を承諾できるならば、ある程度融通を利かせる。博士が自分の中で、アビリキィのバランスをきちんと保てているならば、一番ベストな解決法だ。
「じゃ、交渉に決裂したら?」
容赦のない言葉に、あまりしたくはない想像をさせられる。が、当然起こり得ることだ。そこを想定しないのは善性を信じる、信じない以前の問題になってくる。
スキルテイカーの言葉は決まっていた。
「ま、そこは無理やり奪うことになるんだろうな……」
「結局そーなるんスね」
「何にせよ、博士が神業化するようなことがあっちゃまずいだろ」
当然、そのようにはしたくないので、交渉は真面目にやるつもりだ。博士の理性を信じたいところではある。
「そうッスね」
その言葉は、スキルテイカーの言葉に向けられたものなのか、心の中に向けられたものなのかはわからない。ともあれ、準備運動を終えた輝はスキルテイカーの横に立って、その腕をぐいと掴んだ。
テレポートは常に慎重を期すと言う。内臓の置き忘れも甚だ問題だが、転移先に障害物があった場合、不気味なキメラとして一生を送ることにもなりかねない。そのため、テレポートを行う際には遠視や透視の併用が不可欠となる。加えて、短距離の転移を繰り返す方が、結果としては安全だ。
遠視や透視が可能になるアビリキィならばスキルテイカーも有するが、このあたりは本格的に輝の専売特許となるので、まったくもって使う機会がない。
「じゃ、行くッスよ」
輝の言葉は唐突であり、なおかつスキルテイカーの反応をまたなかった。意識の暗転も何もなく、一瞬にしてスキルテイカーの視界が切り替わる。ついいまさっきまで目の前にあった塀は姿を消して、代わりに建物の壁が生えた。足元の感覚も、味気ないアスファルトから湿った土の感触へ変わる。
「スキルテイカー、忘れもんはないッスか?」
「ああ、内臓もマントも鍵も全部持ってきてる」
「財布は?」
「落としてないと思うよ。多分……」
急に不安になってボロ布の中をまさぐるが、無事に見つけた。良かった。
とにかく、テレポートが成功したので輝は頷き、二度目の転移を行った。
次にたどり着いたのは建物の中だ。ここから先は障害物も多く、おそらくは研究員もいるだろうから、輝は更に慎重になる。最初に転移した部屋は、おそらく倉庫のような場所であった。電気がつけられていないため薄暗く、中には雑多な資料や、何のために使うのかわからない機械が積まれている。
輝は精神を集中させていた。おそらく、遠視や透視を繰り返して、博士のいる部屋にもっとも近く、しかし姿を見せて不自然でない場所を探している。もちろん、ものがたくさん置かれている場所や狭い場所は転移先として適さない。人間ふたり分のスペースを、やや乱暴な座標指定でも確実に確保できる場所でなければならない。
「ここで良いッスか」
何度目かのテレポートを繰り返した後、輝はそう言った。
彼らが出現した部屋は、灯りこそついているが人の気配がない。ここに到達するまで、誰にも会うことがなかったのは、さすが輝のテレポートといったところだろう。スキルテイカー一人ではこうスムーズにはいかなかった。
「博士の研究室は、ここを出て通路をまっすぐ、一番突き当たりの扉ッス」
「わかった。ありがとう、ナオテル」
「ま、仕事ッスから。いちお」
可愛げのない返事をする輝に、再度頭を下げて、スキルテイカーは扉を開けた。慎重さの欠片も見られない、実にうかつな開け方だったが、幸い通路には誰もいない。スキルテイカーはそのまま通路に出て、扉を閉めてしまった。
そう、閉めてしまったのだ。
やはり、彼は気付かなかった。輝は室内に視線を走らせながらそうひとりごちた。スキルテイカーの、目標に対して一途な部分は嫌いではないが、おかげでこうした注意力の散漫さというか、そうしたものに繋がる。
部屋の中で、研究員がひとり倒れていた。先ほどから読心術に引っかかる様子がなかったので、おそらく意識はだいぶ朦朧としているか、あるいは既にないかのどちらかだ。輝は研究員に駆け寄って、半ば強引に仰向けにする。首に手をやる。脈拍が弱い。呼吸も薄かった。だいぶ、衰弱しているのがわかる。目立った外傷はないが……。
やはりこれは、と、思った瞬間だ。
「……ありゃ?」
がくん、と、膝から力が抜けるのが、輝にはわかった。思わず姿勢を崩し、研究員に覆いかぶさるようにして倒れ込んでしまう。強い目眩と疲労、脱力感が立て続けに彼女を襲った。何かを吸い取られているような感覚。意識をまともに保つのが、徐々に難しくなっていく。
まずいな。迂闊なのはこちらも同じであった。スキルテイカーのことを笑えない。
そう考える輝の視線の先に、ふと鉢に植えられたポインセチアが映った。情熱的な赤色に染められた花びらは、みるみる内に散っていき、青々とした葉が枯れていく様はハイスピード映像を眺めているようですらある。生気を失い、茶色くなった葉がはらりと落ちるまで、十数秒もかからなかった。
スキルテイカーは、輝の言葉通り通路をまっすぐ進み、榎本霧子の研究室の前までやってきた。こういうのは礼儀にのっとるべきか。戸を軽くたたく。反応はない。
「………」
次に、スキルテイカーはやや強めに扉をたたいた。しばらく、逡巡のような間があって、中からこのような言葉が聞こえる。
『どうぞー』
「失礼します」
慣れない言葉を使いながら、スキルテイカーは扉を開いた。軽い倦怠感のようなものを感じる。いや、疲労感か。こうしたものは少し珍しい。
扉の向こうは、薄暗い部屋だった。唯一の光源は博士の向かっているパソコンである。資料の山に囲まれ、椅子に腰掛けデスクに向かう。ただひたすら、英文の羅列をディスプレイの中に生み出し続ける背中があるのがわかった。榎本霧子。彼女が。
確かにアビリキィの気配がある。すなわち才能の癒着、キーホルダー化はしていない。さりとて神業化が深刻な領域に達している様子もない。
間に合ったのか。スキルテイカーはほっと胸をなでおろした。これならば交渉の余地は残っていそうだ。
「突然で申し訳ないが、俺はスキルテイカー。単刀直入に言う。あんたの使ってるアビリキィを奪いにきた」
「なるほど。あなたがですかー」
資料に目を通しながら、のんびりした口調で博士が応じた。
「でも、これはまだ渡せないかな」
「もちろんそちらの事情も考慮するつもりはあるんだ」
スキルテイカーはなるべく丁寧に言う。
「あんたの容態は見たところ安定しているみたいだし、どうしてもそれが必要な状況があるのなら、鍵を奪うのはそのあとでもいい。そのあとで、あんたは普通の人間として……」
「あー……」
榎本博士は、振り返りもせずにただひたすらパソコンに向かっている。だが、背中越しにも彼女の浮かべる苦笑いは感じ取れた。スキルテイカーの言葉を、バカにしているわけでも、嘲笑っているわけでもない。だが、博士はただ苦笑いを浮かべた。
そして、次に発される言葉はこうである。
「それは多分無理ですよ。スキルテイカーさん。私が、普通の人間として、生きていくなんていうのは」
博士は、そこで始めて、キーを叩く手を止めた。椅子ごとくるりと振り返る。
インタビュー記事で見たそのままの、素朴な美しさを持つ女性だった。芯の強さを、人当たりの良さで隠した、高潔そうな人柄が透けて見える人物であった。そして彼女は、スキルテイカーを見るにつけ、どこか困ったような笑顔を浮かべていた。
「ご存知ですか、スキルテイカーさん。人生は限られています。それを知っている人間は多いですが……」
インタビュー記事の言葉だ。続く言葉はスキルテイカーの脳裏にも自然と浮かんだ。
「残された命を量り、有効に活用することを知ろうとする人間は少ないんだろう」
「ああ、ご存知でした? お恥ずかしいです。そう、あの時は偉そうにあんなこと喋りましたけど、私だってそうだったっていう話です。人間、いつ死ぬかわからない。60年後かもしれないし、明日かもしれない。1秒後かもしれませんよね。足踏みしている暇なんて、なかった」
何を言っているんだ、この人は、と思った。同時に、あるひとつの可能性が、スキルテイカーの中で鎌首をもたげる。
まさか、榎本博士は。
しかし、そうであるとすれば。そうであるとすれば、自分はどうすればいい。鍵は、奪わなければならない。だが、もしもこの憶測通りであるとするならば、博士から鍵を奪うということはすなわち、
予想が外れることを願った。思考が混濁する。動揺をあらわにする。スキルテイカーは学習したつもりだった。人の気持ちがわからないなりに、鍵を求める人間が幸せになろうとする行為について、向き合おうとしたつもりだった。あの大間抜けだった友人を救えなかった代償行為だったとしても、スキルテイカーは、真剣に榎本霧子にとっての最善の道を選ぼうと吟味を重ねてきた。
重ねてきたつもりだったのだ。
「スキルテイカーさん、私はもう死んでいるんです」
しかし、現実とはなんと悪趣味なことだろうか。
「あなたが私から奪おうとしている鍵は、つまり、私の命そのものなんです」
〝生命力〟のアビリキィ。そんなものが実在していたとは知らなかった。
スキルテイカーの為すべき正義を考えたとき、その先に、榎本霧子の幸福は、ないのだ。