4ー3 『理解』
スキルテイカーと輝は、榎本博士のカレシと思われる男性に声をかけ、そのまま半ば強制的に近辺のファミレスへと連れて行った。研究所の前でふんぞり返っている守衛はそれを止めなかった。カレ氏が抵抗しなかったというのもある。
カレ氏は、突如目の前に出現した怪物じみた異様の不審者と、胸の大きいセーラー服女子高生に対して警戒心を顕にしたが、榎本霧子について話を聞きたいと持ちかけると、やや躊躇いながらも、最終的には頷いた。
「それでは、ドリンクバーはあちらの方となっておりまーす!」
ひとしきりの注文が終わり、ウェイトレスが満面の笑顔でサーバーを指した。輝が喜々として席を立つ。ちなみに支払いはすべて彼女持ちだ。
「単刀直入に聞くが、あんたは榎本博士と親しいのか」
スキルテイカーがそう尋ねると、カレ氏は首筋を掻いた後に、『はぁ、まぁ』と、煮え切らない返事をした。
「榎本とは付き合いをさせてもらっていますが、えぇと、あなた方は?」
「榎本博士の身を案じる、善意の一般市民だ」
「え、でも、」
「善意の一般市民だ」
スキルテイカーの言葉は有無を言わせぬ。煌々と輝く紅蓮の双眸が、なおさらに威圧感を放った。
話を聞くに榎本博士のカレ氏は、流通関係の会社に勤める普通のサラリーマンであるらしい。榎本博士が城南大学にやってきた頃には、カレ氏はまだ学生で、友人としての付き合いはその頃からだ。結局、物理関係にそこまで情熱と才覚を発露させることのなかったカレ氏は、卒業後、一年の就職浪人を経て、まったく関係のない企業へと就職した。理系としては屈辱の極みだが、食い扶持にありつけただけありがたい、というのは本人の弁である。
榎本博士と男女づきあいを始めたのはここ数ヶ月だ。そこに関して、深い追及をするつもりには、さすがのスキルテイカーもなれない。
簡単な自己紹介を聞いているうちに、輝はドリンクバーのグラスを5つほど持って(5人分注文していた)戻ってくる。そのままスキルテイカーの横にどっかりと腰を下ろした。勢い、胸が弾む。視界の片隅に映ると非常に鬱陶しい。
「榎本はもともとメール不精なところはあったんですが、ここ2日ほどはまったく連絡をよこさなくなったんです。何かご存知なんですか?」
カレ氏が先に切り出してきた内容は、スキルテイカーにもやや意外であった。
メガネや輝が集めてきた情報によると、確かに榎本博士は人付き合いに雑な面があり、アビリキィを入手したと目される日を境にして、更にそれに磨きがかかったという。ただそれでも、最近付き合い始めたという恋人であれば、連絡くらいちゃんと取っているだろうと思っていた。アツアツ、とまでいかないのは両者の性格ゆえだが、それでも仲睦まじかったと聞いている。
果たしてこれは、アビリキィによる副作用と見て良いのかどうか。
そもそも、榎本博士がどのようなアビリキィを入手したのかも、まだわからない。
「いちおう、確認なんスけど」
カルピスとメロンソーダを交互に飲みながら、輝が口を開いた。
「榎本博士の身体に、アザとかなかったッスよね。変な形の」
「いえ、ありませんでしたが……。榎本が暴行を受けてるんですか!?」
「特にそういうことはないんで」
輝はすまし顔だった。彼女が読心術を使って心を読んでいるならば、カレ氏が榎本博士の身体のどの部分までを見たことがあって、本当のこと口にしているのかどうかわかるはずだったが、取り立ててこちらに合図を送ってこないところを見るに、カレ氏の言葉は極めて真実に近い。
あらかじめ、特異な形状のアザがあったわけではない。メガネの息がかかった女性職員から得た情報を信じる限りでは、やはり胸元にアビリキィの鍵穴を作ったと考える方が整合性が取れるか。
「博士がここ最近悩んでいたことは……まぁ、なかったんだったか」
スキルテイカーが言いかけ、やめる。隣でカレ氏の記憶も確認したであろう輝が頷いていた。
「あの、あなた方はなんなんですか?」
「善意の一般市民だが」
「それはいいんですけど、」
カレ氏は、輝がスッと差し出した烏龍茶には口をつけず、スキルテイカーの赤い双眸を睨みつける。
「榎本の何を知って、何をしようとしているんです」
「榎本博士は、何かに悩んで、あまり良くないものに手を出した可能性がある」
真実を伝えてはいけない、という禁忌があるわけではない。だが、伝えたところで理解されないだろうと、スキルテイカーは思った。いつものことだ。逐一信頼を得るのは極めて煩わしいので、原則として当事者以外にアビリキィの話はしない。
スキルテイカーの言葉を聞いて、カレ氏は眉をひそめた。
「ま、麻薬とかですか?」
「当たらずとも遠からずかもしれない。俺は博士をその依存から断ち切るために動いているわけだが、断ち切った後のアフターケアはあんたにしっかりやってもらいたい」
今までに何度も鍵を奪い取ってきた、その対象の顔が、スキルテイカーの脳裏に思い起こされる。スキルテイカーの行いは、決して彼らを幸せにはしてこなかった。結局のところ、彼らの心を満たしてくれるのはもっと身近な存在なのだ。
では、スキルテイカーは何のために鍵を奪うのか。正義のためだ。少なくとも彼はそう信じてきた。いま、それは揺らぎかけているが、そこを論じるときではない。正義の行いが必ずしも人を幸せにするわけでもないが、やはり、そこを論じるときではない。
隣に座る輝の視線が、こちらに突き刺さった。わかっている。わかっているから、心を読むんじゃない。
「……わかりました」
カレ氏は小さく頷いてから、名刺を取り出した。
「榎本について何かわかったことがあったら、連絡をください」
「ああ」
スキルテイカーは表情を固くしたまま、名刺を受け取る。カレ氏は、それ以上何かを追及してくることはなかった。仕事があると言い、こちらの奢りと言っているにもかかわらず、きっちり一人分のドリンクバー料金を置いて席を立つ。律儀な男だった。
「結局、コイビトさんとモメてたとか、そーゆーセンもなさそうッスねー」
カレ氏が手をつけなかった烏龍茶にガムシロップを入れつつ、輝が言う。
「仲が良かったのはホントみたいッスよ。それだけに、急に連絡が取れなくなったのがフシギって感じ」
「手がかりらしい手がかりは結局ナシか……」
「ま、最終手段はやっぱチカラワザッスかね。見たところ、研究所の警備はザルッスよ」
結局、そうなってしまうのだろうか。カレ氏の誠実な対応を見た限りでは、あまり強硬手段に訴えたくはない。
「あーまいんスよ。スキルテイカーはぁ」
輝は、ガムシロップを5個ほど投入した烏龍茶をかき混ぜていた。
「何があったかは知らないっつーか、まぁ、あえて読まないようにしてやってますけどね。今まで鍵の使用者のアフターケアのことなんか、考えたこともなかったんでしょうに。急に慣れないことするから、芯がブレるんスよ。あ、わたし心配して言ってますからね?」
その心配は余計なお世話だ、と言いたい気持ちをぐっとこらえる。こらえただけではどうせ見透かされただろうが、それでも口には出せなかった。
スキルテイカーが鍵を奪うのは正義のためだ。だが、この正義は必ずしも誰かを幸せにはしない。盲目的に信仰してきた行いは、いま、だいぶ揺らいできている。駒場の一件が後を引いているのか、それとも単純に今までの積み重ねがこうした心の境地を開拓したのか、それはわからない。
「ところでスキルテイカー、わたし、個人的に調べたいことができました」
「なに?」
「おカネは置いていくんで、まぁ好きなのを追加で頼むなり、自分で動いてみるなりは、ご自由にどうぞ。大学近辺から離れすぎなければ、だいたい居場所はわかるんで」
女子高生らしからぬ長財布から取り出した万札を、輝はぺち、とテーブルの上に叩きつける。
「お釣りはとっといてください」
「守銭奴らしからぬ発言だな」
「おカネに困ったあんたにメシを奢り続けるよりは経済的ッスから」
そのまま手をひらひらと振って、輝はファミレスから出て行ってしまった。スキルテイカーは一人、席に残される。
こういう時は、あまりゴチャゴチャと考えない方がいいのだろう。
今回、やたらとスキルテイカーがうじうじしてしまうのには、内省する限り理由がふたつある。ひとつは、榎本霧子が何の才能を欲してアビリキィを入手したのかがわからないことであって、もうひとつは、チート売りの魔女がスキルテイカーの目の前に一切姿を見せていないことだった。
結局のところ、あの魔女の存在は、常にスキルテイカーの怒りの矛先であった。自覚はある。魔女の存在を認められないからこそ、スキルテイカーはある程度自分の正当性を信じることができていたのだ。まったく、滑稽な話では、ある。
これ以上、考えるのはよそう。隣にツッコんでくれる輝がいない以上、下手に考え込むと泥沼だ。
スキルテイカーは、輝が集めてきた資料の束を再読することにした。相変わらず資料の大多数は、榎本博士の研究に関する内容であって、やはりスキルテイカーはまったくそれを理解することができない。彼が読むのは、結局のところ博士のプライベート面に関することだった。
アビリキィを入手してから、博士が過剰に仕事にのめり込むようになり、友人や同僚はおろか、カレ氏ともまともに連絡を取り合っていないのは聞いた。ロッカールームの使用も、たまたま女性職員が一緒に着替えたその一回きりだ。この集中は異常だとも感じる。
彼女は集中力でも欲しかったのだろうか。だが資料を見る限り、気が散りやすいタイプであったようには思えない。どちらかといえば、土壇場における集中力は他人より優れている方だ。仕事のことだけしか考えなければならない、理由が榎本霧子にはある。
スキルテイカーは、人の気持ちがわからない。まったくその通りだ。忸怩たる思いがあった。もう少し、他人の感情に機敏であったとするならば、榎本博士の意図を感じ取ることができたかもしれないというのに。
次に読んでもわからない研究資料をぱらぱらとめくっていくと、どこかの雑誌に掲載されたであろう、博士のインタビュー記事が載っていた。およそ5年前のものだ。物理学界の若きホープ。これから日本の量子力学を牽引する女性科学者と銘打たれていた。こんなものがあったのか。まだ読んでいなかった。
これを読めば、博士の研究にかける意気込みが、少しでも理解できるかもしれない。スキルテイカーはそう思い、不気味な光を宿した双眸で、資料を食い入るように読み始めた。
女子高生サイキッカー、直輝。またの名をおっぱいエスパー。彼女はいま、研究所付近の道路に、一人で立っていた。ひしゃげた電柱と、崩れたブロック塀。そしてアスファルトに染み込んだ血の跡を眺めてから、彼女はそっとしゃがみこんで、片膝をつく。
輝がアスファルトに手をかざすと、常人が押さえ込んでいるであろう、彼女特有の脳の働きが活性化する。いわゆる量子波動にも似た特徴的な脳波パルスが引き起こす数々の現象については、それこそ論文のひとつやふたつでは解説しきれないので、詳細は省く。だがこの時、輝の脳裏の片隅では過去へと逆行する周囲の光景が、確かに映し出されていた。
メガネの仕事を請け負う際は、念動力による破壊活動を求められることの多い輝だが、どちらかといえば大脳辺縁系や大脳古皮質にまつわる超能力の方が得意分野だ。すなわち、こうしたサイコメトリーや、あるいはテレパス、遠視能力などである。
しばしの間、輝はサイコメトリーに没頭する。その間、散歩に来た近所のオバちゃんが、何を勘違いしたか彼女の隣で手を合わせお祈りを始めたが、輝は気付かなかった。
輝にはある程度の予感があった。それに関して言えば、超能力の類などではない。榎本霧子が、カレ氏にも連絡を取らずひたすら研究に没頭する理由に、憶測を立てたのだ。特に彼女は、榎本博士とカレ氏がどれほど仲睦まじいニューカップルだったのかを知っている。博士の入れ込みようは、明らかに不自然だ。何かに追われているようですらあった。
だからこそ、輝はまずここに来た。立てられた憶測と予感は、おおよそのつじつまを合わせられるだけのものである。スキルテイカーをここまで連れて来なかったのは、それが事実であった場合、いささか面倒くさいことになると踏んだからだった。場合によっては、スキルテイカーにそれを告げず、速やかに鍵の回収を行わせたほうが、彼にも良いだろう。
輝は集中力を高めた。やがて、この〝道路〟の〝記憶〟は2日前へと到達する。
直輝はそのとき、この道路で起きた一部始終と、榎本霧子に与えられた鍵の正体を知ったのである。